【74】ロココの帰還
「きゃっ!」
「どげふっ!!!」
女の子の声が聞こえたかと思うと、ズシリと胸にのしかかる衝撃に、凪早ハレヤは飛び起きた。
両頬のすぐ側に、暖かな温もりを感じる。寝ぼけ眼で首だけもたげると、目の前に、誰かの白い太ももと黒のスカート、それに白い下着を履いた股間があった。
「おおお、純白〜。もしかして、天国かな?」
凪早ハレヤの上に乗っている女の子が、バッとスカートを押さえ付けて身を起こす。すぐに黒縁眼鏡の向こうの灰色の瞳と視線が合った。肩ぐらいの黒髪が揺れてこぼれ落ち、真っ赤に染まる頬を撫で付けた。
「あっはは〜、蔦壁だ! おっかえり〜」
「……凪早くん、見たの……?」
「見たっていうか、見せてくれたっていうか?」
「違うから!」
スカートを押さえつける手で、グイグイと凪早ハレヤの喉元を押さえ付けてくる。
「いでででで……ぐ、ぐるしいい〜」
「キャッ……あ、暴れたらダメよ! 落ちちゃうから!」
「うおおうおうおう! すっげ高さまで来てる! いつの間に?」
心地よい惰眠を貪っている間に、かなりの高さまで浮き上がっていたようだ。上空は青い空と穏やかな陽光に満たされ、背後には皇都防衛ラインと連合軍の大軍勢が広がっている。
「あ、危ないから、動かないでってば!」
いつもの蔦壁ロココらしからぬ慌てぶりだ。両頬のすぐ側に伸びる太ももの温もりをを感じながら、凪早ハレヤは思わずニヤけてしまう。
「えへへ……だって、蔦壁がそんなところにいるからじゃん」
「も、もう! そんな顔しないの! ミュリエルのネックレスを頼りに異世界ワープしてきたら、ここだったんだから……し、仕方ないでしょ!」
「んああ、そういうこと?」
「凪早くん、早く地表へ」
「いやいや、待ってよ。もう少しここにいれば、強制的に蔦壁を堪能でき……」
凪早ハレヤのニヤけた口調に、蔦壁ロココがキランと凍てつくような鋭い眼差しで目を細める。右手に握りしめた錫杖が、シャランと軽やかな音を立てた。
「……本気出すから」
冷たい響きの呟きに、凪早ハレヤは頭のてっぺんから爪先まで寒気を覚えずにはいられなかった。
「あっはは〜、冗談だってば〜」
クルリと宙で身を反転させると、素早く蔦壁ロココの身体をお姫様抱っこに抱き止める。
「キャッ!……も、もう、いきなり……」
「めんごめんご〜。さて、ミュリエルさんのところへ行きますか!」
凪早ハレヤの胸元で、蔦壁ロココが恥ずかしげな表情のままでそっと頷いた。
「……もうちょっと優しくして欲しかったな……」
◆
「あたくしのロココちゅああああああああん!」
防衛ライン城壁に降り立つと、待ち受けていたミュリエルが、ギュムッとばかりに蔦壁ロココの首筋に取り付いた。
「ありがとう、ミュリエル。ミュリエルのおかげで、戻ってこれたから」
「ハレヤに渡した『固定召喚ゲートネックレス』に気が付きまして?」
「うん。ミュリエルが援軍に来てくれたのがわかった時、天空城の中から咄嗟にスマホに、ね」
微笑みながら、蔦壁ロココが自分のスマホをかざしてみせた。
「きゃぁぁぁぁん! やはりあたくしのロココちゃんですわ!」
よほど嬉しいのか、ミュリエルは両手を頬に当て、身体をくねらせながら感動を全身で表している。背中のクマのぬいぐるみも、感涙にむせんでいるかのようだ。
「ミュリエルさんのくれたネックレスって、そういう効果があるんだ?」
凪早ハレヤは服の下からネックレスを引っぱり出して、しげしげと眺めた。
「うん。ほら、魔法陣に天使文字が書かれてるでしょ? 固定の召喚ゲートになってて、ここに記述されたIDさえ分かれば、わたしでも使えるから」
「あああ! あの、ミュリエルの森の街灯にあったみたいなやつと同じなわけね!」
「うん」
「あたくしオリジナルの技法ですのよ、んふふ」
「なっるほどね〜」
三人を和やかな雰囲気が包み込む。しかし蔦壁ロココは、それを振り払うかのように、クッと表情を引き締めた。
「それより、急がなきゃ」
「逃亡中の悪魔ですわね?」
「うん。天空城の甲板に、髻華羽さんたちを残してきたから……もしかすると、魔人と戦闘になってるかもしれないの。周りは危険が一杯だし……」
「『異世界の狭間』ですわね?」
「うん」
『異世界の狭間』という言葉に、蔦壁ロココが迷いなく頷く。
「……やはり魔王の下へ……」
「そうだと思う」
「魔王のところへ辿り着いちゃうと、どうなるのさ〜?」
「悪魔の得た霊魂を魔王に捧げるつもりですわ」
「へええ〜。それってどうやるわけ?」
「天使の邪魔立てなしに、霊魂の移譲をする方法は唯一つ……」
「────魔王が悪魔を、捕食すること、ですわ」
ミュリエルの言葉に、凪早ハレヤは驚きを隠せなかった。
「えええっ!? 魔人は食べられちゃうってこと!? 魔王に?」
「もともと、悪魔は魔王から念芯と紅瞳玉石を分け与えられた存在。彼らからしてみれば、もとの一つに戻るだけのことですわ」
「そうすることで魔王は、より強大な力を持つから。あのままだと、きっと天空城ごと魔王に捧げるつもりだと思う」
「は、はは、早く追いかけないと、ヤバイじゃん!!」
「追いかけるわけには行かないわ」
「……へっ? どういうこと?」
「十痣鬼を元に戻すには、魔人をこの世界に連れ戻さないとダメなの。別の異世界で魔人を倒してしまったら、ここの十痣鬼たちは一生眠りについたまま……」
そう言うと、蔦壁ロココは防衛ラインの中に広がる連合軍に目を向けた。
布張りのテントがチラホラと建てられており、包帯姿の兵士たちの姿が見えた。どうやら救護場のようだ。
その周囲では、煙も立ち上っている。食材を調理するいい匂いが、風に乗って漂っていた。戦いに備えて軽めの腹ごしらえの様相だ。
皇都への往来も激しいようだ。眠る十痣鬼を載せた台車が列を成し、空の台車が皇都を急いであとにしている。
「……紅梨沙理さん……?」
連合軍の様子を眺めていた蔦壁ロココが、城壁の上に横たえられた竜の姿に気がついた。
「んああ、ミュリエルさんがね、『吸血器』を『奪還器』にしてくれたから、それを使ったんだけどさ」
「使ったあとはこうして、眠りについてしまいましたの」
蔦壁ロココは心配気な表情で屈みこむと、そっと竜の背中を撫でた。
「でも、どうして急に鬼獣化しちゃったのかな〜?」
「……きっと、魔人が『天空城転送装置』を使うために紅梨沙理さんの霊魂を使ったんだと思う。あれもたぶん、霊魂認証で……だから紅梨沙理さんと髻華羽さんにしか使えないんだと思うの。その紅梨沙理さんの霊魂を、魔人が自分のものに……だから……」
三人の間に沈黙が訪れる。何度か紅梨沙理の背中を撫でたあと、蔦壁ロココはそっと顔を上げた。
「ねえ、ミュリエル……目を覚ますと思う?」
蔦壁ロココの問いかけに、ミュリエルがキュッと眉を潜めた。
「あたくしにも、何が起こるかわかりませんの。ごめんなさいね、ロココちゃん」
「ううん、いいの。ありがとう、ミュリエル」
蔦壁ロココは首を横に振りながら腰を上げると、ミュリエルにそっと小さく微笑んだ。
「大丈夫! きっと元に戻るよ!」
顔を見合わせて頷く二人の横で、凪早ハレヤが元気よく、ビッと親指を立てる。少しだけ表情の和らいだ三人の間を、乾いた風がユルリと吹き抜けた。
◆
「それで、どうやって悪魔を連れ戻すおつもりですの? 天空城を乗っ取られておりますし、相当に骨が折れそうですわよ?」
ミュリエルの言葉に、蔦壁ロココは人差し指を立てた。
「ひとつだけ、方法を思いついたの」
「おおお、なになに?」
「────ここに、魔人をもう一度、召喚すればいいと思うの。紅梨沙理さんたちがやったようにして」
蔦壁ロココの言葉に、凪早ハレヤは首を捻り、ミュリエルは眉を潜めた。二人の様子に、蔦壁ロココが苦笑いを浮かべる。
「今は急ぎたいから、詳しい説明はあとでいい?」
「ですわね。ロココちゃんにお任せいたしますわ」
「んああ、そだね」
蔦壁ロココは頷くと、耳にかけたヘッドセットに手を当てて呼びかけた。
「グスタフ、グスタフ」
それを見て、ミュリエルが凪早ハレヤの耳にピトッと耳を押し当てた。
少しの間を置いて、ヘッドセットから聞き慣れた低いダミ声が聞こえてきた。
「『おう、戻ったか、ロココ。オレに黙ってどこに行ってた? 危うく、ただのブルームーンバットに戻っちまうところだったぜ?』」
「ごめんね、グスタフ。魔人に、天空城ごと『異世界の狭間』へワープさせられてたの」
「『へえ、なるほどな。アイツ、そんなことのために天空城を』」
「うん。転送装置で天空城に来て、すぐに制御システムを乗っ取ったみたい。油断しちゃった……」
「天使のシステムを乗っ取るだなんて、卑怯極まりない手口ですわ!」
「『悪魔にゃ時折やられてるヤツだな。そもそも、構造からして欠陥品なんじゃねーか?』」
「どこかの異世界で、システム構造が漏れてるのかも……」
「『まあいい。それより、用件を言えよ』」
「うん。あのね、空理布さんの部屋なんだけど」
「『ああ、その件か。ちょうど、そこに辿り着いたところだ』」
「さっすがグスタフ! 優秀だね〜!」
「『ハレヤは黙ってろ!……で、お探しのブツだが……見つからねえ』」
「そう……。じゃあすぐに、凪早くんにも行ってもらうから」
「『おう、そうしてくれると助かるぜ』」
「うんうん」と頷きながら、蔦壁ロココが凪早ハレヤの方に向き直る。
「というわけで、凪早くん、お願いね」
魔人を再召喚なんて出来ちゃうんすかね???




