【71】邪火消失
「『古の 霊山連なる 御霊の地────』」
神楽鈴『御譜音』をシャンシャンと鳴らしながら、雨巫女髻華羽が和歌を詠むが如く詠唱を始める。すると鈴の音に呼び寄せられるかのように、天空城周辺に水色の光が集まり始めた。
「おおおお! キタキタキタキターー!」
「『第一の波は、閑やかに────』」
天空城から水色の光輪がフワッと現れた! そして水色の光輪は、一気に皇都城壁を超えて更にその向こうまで広がっていく。
皇都城壁に連なる魔人軍の黒い渦を、ろうそくの火の如く掻き消した。
「『寄せて返す第二の波は、力を漲らせ────』」
広がった水色の光輪が一気に収縮し、目を紫色に染めた連合軍の兵たちや十痣鬼たちをよろめかせる。
「『真茱鈴、流那鈴! 第三波共鳴!』」
「『はいなのです!』」
「『最強なの……』」
雨巫女髻華羽と真茱鈴と流那鈴の三人が、今度は声を揃えて同じ言葉を紡ぎ出す。
「『すべてを飲み込む第三の波よ────
八百万の御霊とともに、魔を祓いて深き床に横たえよ────』」
「シャンシャン」と神楽鈴の音が響くたび、収縮した水色の光輪に向けて虹のアーチから五色の光が集まってくる。それはまるで溢れ出んばかりの力が漲っているかのようだった。
「いっけえええええ、髻華羽ああああああああ!!!」
五色の光に彩られ、凪早ハレヤが大声で叫ぶ!
雨巫女髻華羽はカッと両目を見開くと、キリッと口元を引き締めた!
「『────抗魔誘眠の漣!!』」
「シャーン」と高らかに神楽鈴『御譜音』の鈴音が響く!
瞬間、天空城を中心に、冷たい漣が一気に広がった! 動き始めた十痣鬼を引き倒し、再び深い眠りへと誘っていく!
漣は皇都にまでおよび、五色の光が降り注ぐ。そして、皇都上空で光り輝く灼熱の光球をも消し飛ばした────!
皇都上空の黒い渦が、情けない声を上げてぐにゃりと形を変える。幾度と無く広がる水色の輪に、押し流されるようにして、宙に霧散し掻き消えた。
「……おお、なんだ? 私は何を?」
「こ、こここ、これは南方の伯爵どの! 剣を向けるなどご無礼を……!」
「いやいやいや! 私こそ、どこか夢でも見ていたような……?」
魔人の厄災の前に、混乱していた連合軍が、まるで冷水を浴びせられたかのように正気を取り戻す。剣戟は途絶え、不思議そうに顔を見合わせている。
「────各国の将よ! 皆、魔人の妖術に陥っていたのだ!」
拡声器の皇子空風円の声が響く。
「今一度、各軍で団結し、眠る十痣鬼の安全を確保されたい!」
皇子空風円の呼びかけに、連合軍が俄に規律を取り戻し始めた。
「杜乃榎兵は集結! 皇都城壁の奪取に向かう!」
「蒼竿銃兵、一列! ここから城壁の魔人軍を一気に仕留めてやるんだ!」
「刀兵槍兵は蒼竿銃兵の背後に二人一組『長蛇の陣』に整列! 第一撃のあと、出撃する!」
「魔人軍掃討の最終局じゃ!」
いよいよ最終局面、杜乃榎兵は皇都城壁に向けて攻撃を開始する構えだ。城壁の魔人軍は、混沌を失って悪魔術を発揮できず、慌てふためいている。
「じゃあ俺たちも続きますか」
「だな!」
サンリッドとスクワイアーは互いに頷き合うと、胤泥螺と霧冷陽の後ろに回り込んだ。
ガーゴイルたちは、連合軍に混じっていた魔人軍を一掃し終え、ミュリエルの側に舞い戻ってきた。そしてその周囲を護衛するかのように城壁に降り立った。
「オーホッホッホッ! 大勢決しましたわね!」
「ひゃっほ〜〜い! さっすがミュリエルさんだ! 髻華羽の『抗魔誘眠の漣』も威力抜群だったね!」
ヘッドセットからは、雨巫女髻華羽のホッと一息つく声と、真茱鈴と流那鈴のはしゃぐ声が聴こえてくる。
「『みんなご苦労様。凪早くん、天空城を皇都城壁近くに移動させてくれる? 雨巫女の加護力の補佐が必要だと思う』」
「ほいよ〜」
皇都城壁では、胤泥螺と霧冷陽を先頭に突撃を開始した杜乃榎兵たちが、次々に魔人軍を斬り伏せている。だがそこは、ミュリエルの虹のアーチの領域外だ。再び魔人が厄災を発動すれば、魔人軍の混沌が息を吹き返し、杜乃榎兵の士気も乱れる可能性があった。
「杜乃榎が皇都城壁に進撃した! 我らの勝利は目前なり!」
皇子空風円の声に、連合軍から歓声が上がる。中には、隊列を整えて皇都城壁攻防戦に参戦する構えの部隊もいた。
ミュリエルの『絶対聖域』の中にいれば、連合軍は心配ないだろう。
今度こそ、皇都防衛ラインの戦いは終結し、あとは魔人を倒すのみ────。
凪早ハレヤがホッと胸を撫で下ろした、その時だった。
ヘッドセットから「ザザッ!」とノイズのような音が耳を突いて聞こえてきた。
「うへっ、何だ何だ〜?」
ビクッと身をすくめる凪早ハレヤの耳に、遠くから叫ぶような声が聴こえる。
「『……こ!……ろ……へ……じしやがれ!!』」
「『グスタフ? グスタフどうしたの?』」
蔦壁ロココがハッとしたように呼びかける。
「『さっきから呼びかけてるのに、何を無視してやがんだ!?』」
今度ははっきりと声が聞こえた。
「全然聞こえてなかったよ〜」
「『うん、ごめんなさい。凪早くんの言う通りなの』」
「『マジか、チッ!! こっちは外の状況がわかんねーんだ』」
「『魔人の「暗惑囚牢」の影響で、通信が遮断されていたのかも』」
「『まあいい。それより皇空理布だ! 転送装置の前に来てる! 他の護衛兵はぶっ倒れて寝ちまってるのに、ヤツだけはピンピンしてやがる!!』」
メインモニターのスピーカーから、遠くで叫ぶ悲鳴のような声が時折聞こえてくる。
「『しかも頭上にクソでけえ混沌だ! ありゃあ鬼人程度じゃ絶対無理なデカさだ! それと、身体に炎のオーラを纏ってやがる!』」
「えええっ、炎のオーラ? それってなんなの?」
「『やっぱり……空理布さんに、魔人が取り憑いているんだわ』」
「『そういうこった、間違いねえ! 転送装置をいじってる! 天空城へワープする気だ!』」
「『ですが、転送装置はわたくしと紅梨沙理にしか使えないはずでございます!』」
「じゃあ一体何をする気なんだろ〜?」
「『わからないけど、みんな、警戒して。凪早くんは念のため、「彌吼雷の間」へ』」
「ほいよ〜」
凪早ハレヤが土台から離れ、天空城の甲板へ向かおうとしたその時だった!
────背後から女の絶叫が轟いた。
「ぎぃやあああああああああああああああ!!」
「な、なんですの!?」
驚くミュリエルのすぐ横で、眠っていたはずの紅梨沙理の身体が宙に浮いているのだ!
苦悶に悶える紅梨沙理が、何かに抗うかのように天に向かって右腕を突き上げる。
「お、お赦しを……! うぎいいいいいいいいいィィィ!!!」
喉を締めあげられるかのような絶叫のあと、紅梨沙理の身体が炎に包まれた!
「フオオオオオオオオオオオオ!!」
狼の遠吠えのような声をあげ、炎から黒く細長い影が天に向かって這い出てくる!
四本の細いヒゲに白髪の頭、ギョロリと鋭い眼光の大きな目。節くれだった大きな手に鋭い鉤爪がついており、細長い身体はびっしりと鱗に覆われていた。それは竜に似た姿の怪物だった────。
「『あれは……鬼獣化……』」
ヘッドセットから蔦壁ロココの呟きが聴こえてくる。絶望にも似た暗い響き。
見る間に、鬼獣化した紅梨沙理は、白髪を振り乱して城門の上に立つミュリエルを見据えた。
「ヤバイ! ミュリエルさんを襲う気か〜〜!?」
「『行ってあげて、凪早くん!!』」
凪早ハレヤが天空城から離れたその時だった!!
「『転送装置の間に混沌反応なのです!!!!』」
ズドオオオオオオォォォォォォォン!!
真茱鈴の絶叫が響き渡ったと同時、轟音が響き渡った!
「うおおおおおおっ!!!」
爆風に弾き飛ばされ、凪早ハレヤは再び防衛ライン城壁に叩きつけられてしまう! 見ると、天空城が炎に包まれていた! 荒々しい炎がゴオゴオと音を立て、地表を真っ赤に染めている!
「ええええええええっ!? つ、蔦壁!?」
どよめく地表の連合軍。
「ぎゃああああ!!」
「熱い! 熱いい!!!」
「誰か消してくれええええええええええ!」
直下にいた連合軍の兵の数人が、炎に巻かれて狂ったようにのたうち回る。
それを嘲笑うかのように、炎に包まれた天空城の天頂に黒い靄が渦巻いて、勝ち誇ったような狂気の叫びを上げた!
「あたくしの『絶対聖域』の中で悪魔術ですって!?」
ミュリエルの驚きの声と同時、「ゴオオオ!」と一段大きく炎が立ち上る!
「蔦壁ええええええええええっ!!!!」
熱風に煽られ、両腕で顔を覆う凪早ハレヤが、蔦壁ロココの名を叫ぶ。
その叫びがまるで炎を吹き消したかのように、天空城は炎とともに姿を消した────!
「……へっ?」
凪早ハレヤは一瞬、何が起こったのか理解できなかった。何事もなかったかのように、『絶対聖域』の爽やかな空気がヒュウとつむじ風となって舞い上がる。
ざわめく連合軍も、何が起こったのか全く理解できない様子だ。
そして、凪早ハレヤはふと気がついた。
「……あれれ? 身体がフワフワしちゃってるぞ……」
『鬼蜻蜒』のスキルのおかげで空中を自在に飛べていたのに、今はただ、宙にフワフワとしているだけだ。それは、バグ玉に取り憑かれたばかりのあの時のように……。
なにげに左手の甲に視線を走らせると、従者の証である青い紋様が消えていた。
「あれれ、あれれれれ〜??? どういうこと???」
城壁に憮然とした表情で立つミュリエルに視線を投げかける。
「ロココちゃんがこの異世界から消えた、ってことに他なりませんわ」
冷たく響く、ミュリエルの声。
その頭上を、竜と化した紅梨沙理がグルリと周り、悲しげな声で一声鳴いた────。
えええっ?? 魔人が別の異世界に逃げたってこと!? ど、どうすんのさっ!?




