【04】蔦壁ロココのお願い
「あー、びっくりした!」
凪早ハレヤはニコニコしながら、ゆっくりと平泳ぎで蔦壁ロココに近づいていく。蔦壁ロココも、ホッとした表情でこれを出迎えた。
「ごめんね、ホントに危険な場所なの、ここ」
「あはは、そうみたいだね! デート気分のままじゃ、やられちゃうとこだったよ!」
明るく笑い飛ばす凪早ハレヤの無事な様子を確認すると、蔦壁ロココは壊れた街灯に駆け寄った。
無残にも引き倒され、紋様の描かれていた岩盤は粉々に砕かれていた。
「……これじゃミュリエルと連絡が取れない」
非常に困ったといった様子でポツリと漏らす。
「おろろ、ヤバイね。じゃあ仕方ない! 草むらデートしちゃう? 時々バケモノが現れる、お化け屋敷みたいな大草原でさ!」
凪早ハレヤは呑気な声をあげると、リズムを取って鼻歌交じりに身体をくねらせ始めた。
「お次のお客さん、ど う ぞ〜♪
何が出るかな、何が出るかな〜♪
ふふっふ〜ん♪」
蔦壁ロココは凪早ハレヤを見上げると、苦笑しながら小さく首を横に振った。
「凪早くん、すごい楽天家だね」
「あはは、それが俺のイイトコロなんだよね! ていうかさ、楽しくって仕方ないよ! 今のこの状況が!」
「楽しい……?」
蔦壁ロココが驚いた様子で尋ね返す。
「当たり前じゃん! こんなMMORPGみたいな絶望的絶体絶命の大ピンチ、生身で体験できるなんて思ってもみなかったよ! 俺は今、生涯最高のワクワクに直面してる!」
暗い草原一杯に凪早ハレヤの元気な声が木霊する。
「いいよね〜、蔦壁は。異世界ウォーカーとかって役目のおかげで、こんな楽しいところに来れたりするんだから!」
「楽しくなんかないよ、全然……」
「マジで? ホントに? だって異世界を股にかけて大活躍できるんだぜ? さっきの魔法だってすげーじゃん!」
凪早ハレヤが信じられないといった表情でひょいと逆さまになると、蔦壁ロココの顔を覗き見る。
「美しい景色、美味しい食べ物、美女との出会い! お宝争奪戦! 唸りを上げる伝家の宝刀! 鰻登りの名声! 夢とロマンと感動で満ち溢れる冒険が異世界ウォーカーのキミを待っている!」
ビシッと上空を指差して見せる凪早ハレヤの深い焦げ茶色の瞳は、キラキラと輝いていた。その瞳を見つめ返す蔦壁ロココの灰色の瞳には、どこか悲しみに満ちた暗鬱な陰りが潜んでいた。
「辛いことばかり……どこに行っても戦いと別れ……落ち着く場所なんてどこにも無いの」
そう言うと、沈んだ面持ちで目を伏せる。
それは、いつも教室で佇む彼女が見せていた雰囲気に似ていた。仲の良い友達もいるようだが、一人で佇む蔦壁ロココはいつも、孤独と陰鬱を纏っているようだった。
目を逸らせば、今にも暗闇に消え入りそうな、そんな儚げな白い肌。
何が彼女に、そんな暗鬱な言葉を口にさせるのだろう……。凪早ハレヤは胸の奥がチリチリと痛む気がした。
「時には、頭と心を空っぽにすることも必要さ────」
その言葉に、蔦壁ロココが視線を上げる。
「それでも見失わないものこそ、一番大切なものなんだよ、きっと」
蔦壁ロココの陰りに包まれた灰色の瞳の奥底が、ほんの少しだけ、光を取り戻したように見えた。
「あ、これジイちゃんの受け売りね!」
そう言って、凪早ハレヤはウインクしてみせる。
「いいお祖父さんなんだね」
「ああ! めっちゃ厳しいけどね! 人の道を外れようもんならこうさ!」
凪早ハレヤが自分の首を締めるポーズをしながら、両目を寄せて舌を突き出し、酷い顔をしてみせる。
蔦壁ロココはとても可笑しそうに、「ふふふ」と笑った。
「それで? 蔦壁はこれからどうしたらいいと思う?」
好奇心に満ちた瞳で、凪早ハレヤが問いかける。蔦壁ロココは顎に手を添え、しばらく考えを巡らせている様子だ。
「やっぱり、このまま帰るわけにはいかないから……。ミュリエルに会うために、森の中に入るしかないと思う」
「ふ〜ん、オッケイ。じゃあ決まり! 決定! 異論は認めません! 俺も、蔦壁愛しのミュリエルさんに会いたいしな〜」
「愛しの、じゃないってば……」
「んっふっふっ、もう遅いのさ……俺の中では蔦壁とミュリエルさんのめくるめく百合展開がだなあ……はあはあ……」
目を見開いて両手をワキワキさせながらハアハアと荒い息を吐き出す凪早ハレヤに、蔦壁ロココは苦笑いを浮かべながら肩をすくめた。
「ねえ、凪早くんに相談なんだけど……」
つと、蔦壁ロココが真剣な眼差しで凪早ハレヤを見据える。
「おおお? なになに? 何でも言ってよ」
いつもの軽い調子で答える凪早ハレヤ。フワリと浮いてしまう身体を制するように、パタパタと手足を動かして、蔦壁ロココの瞳を見据えた。
「────わたしの従者になってもらっていい?」
突然の言葉に、一瞬にして、凪早ハレヤの目が点になった。
「……従者?」
「うん」
「俺が、蔦壁の家来になるってこと?」
「うん」
「はあ……?」
「あのね、従者には、戦闘能力を補佐してくれる機能があるから。今のままだと凪早くんは、モンスターに立ち向かう術が無いし、簡単に殺されちゃう危険があると思うの」
「んああ〜」
呆けた顔でなんとなく相槌を打つ凪早ハレヤ。
二人の間をヒュウと夜風が吹き抜ける。凪早ハレヤの身体が風に煽られて、波間に漂う木の葉のように揺れ動いた。
「本当はミュリエルのところで、『バグ情報の確認』と『バグ玉の抑制』をしてもらうだけにしようと思っていたの。バグ玉の制御ができれば、凪早くんはこれまで通り、日常生活を送れると思うから」
「へえ……」
「そのあとは、異世界のバグの修復と言っても悪魔を倒すだけだから」
「えええっ、バグ修復って、悪魔を倒すことなの!?」
「うん。だから、凪早くんを危険な目に遭わせることになっちゃう」
「蔦壁だって危険じゃん」
凪早ハレヤの言葉に、蔦壁ロココはフルフルと首を横に振る。
「わたしはいいの、慣れてるし、心配する家族もいないし……。だから、悪魔を倒すのはわたし一人で行けばいいって……」
凪早ハレヤは、ジッと蔦壁ロココの灰色の瞳を見据えていた。
「でも、凪早くんなら……この状況を楽しんでいる凪早くんなら、きっと上手くやれると思ったの。だから……!」
ぼんやりしていた凪早ハレヤだったが、ふっと我に返ったようにポリポリと頭を掻いた。
「グスタフとか言ったっけ? アイツだけじゃダメなのかい?」
「グスタフは使い魔だから。今回みたいに『ベースポイントの保守』や『バグ探知』『索敵』の手助けをしてくれる程度なの。でも従者は違うわ。それこそ……マスターである異世界ウォーカーとほぼ同等、目となり足となり、サポート以上のこともできる存在。だから……」
蔦壁ロココはそっと胸に手を当て、心の底から言葉を紡ぎ出す。
「お願い、わたしの従者になってほしいの────」
宙を漂う凪早ハレヤが、はばたくように手を動かし、フワリと地表付近まで降りてくる。
そして少し上から蔦壁ロココの顔を覗き込むようにして顔を寄せ、にこやかに微笑みかけた。
「同等ってことは、従者になったら、俺も俺も俺もあんな風に戦えるんだよね?」
「う、うん」
「悪魔にだって対抗できて、誰もが羨む英雄にもなれるんだよね!?」
「なれるかも、ね」
「マジかあああああっ! よおおぉぉぉしっ!!!」
両拳をグッと握りしめ、エビ反りになって吠える凪早ハレヤ。
「なるよ! なるなる! 『全銀河No.1のハイクオリティ従者』に俺はなる!!」
なんすかね? ハイクオリティ従者って……。