【39】皇子空風円
「皇子……皇子空風円よ」
囁きかけるような胤泥螺の声に、地下牢の真ん中に鎮座している少年が顔を上げた。
座卓を前にして、写本をしている様子だ。
歳は凪早ハレヤたちより1つ2つ下だろうか。まだあどけなさが残るが、それに似つかわしくないほど眼光は鋭く、眉をきりりと一文字に引き締めていた。髪は後ろに綺麗にまとめて高く垂らしている。背筋をピッと伸ばし、厳格にして清廉そうな雰囲気だ。
服装は上が薄緑色の袍、下が青緑色の袴の公家装束を着込んでいる。
「おう、胤泥螺ではないか。久方ぶりだな」
まるで、日常の一部であるかのような落ち着きぶり。すぐさま視線を落とすと、写本の作業を続けようとした。
「皇子空風円よ、我らは、皇子をお助けに参ったでござる」
「我ら?」
つと、眉を動かし、視線を上げた。そして、胤泥螺の後ろから腰を落として畏まる雨巫女髻華羽と紅梨沙理を見やった。
「ほほう、雨巫女髻華羽に紅梨沙理も一緒か。元気そうで何よりだ」
「皇子空風円さま、今は時が急にござります。どうかわたくしたちと共に、天空城へお越し下さりませ」
「天空城とな? では彌吼雷を召喚せしめたか?」
「はい。こちらのお二方が。彌吼雷さまに、従者さまにございます」
「やっほ〜〜い」
凪早ハレヤがにこやかに手を振り、蔦壁ロココが丁寧にお辞儀する姿を、皇子空風円は少し顎を上げて眺めた。
「ふむ。まさしく言い伝えの通りのお姿であるな。雨巫女が務めを果たしたこと、嬉しく思うぞ」
「お褒めに預かり、恐悦至極にございまする」
「さあ、皇子空風円よ。ただいま鍵を壊しますゆえ、我らと共に参りましょうぞ!」
腰をあげて刀を抜こうとする胤泥螺に、皇子空風円が制止を促すように手をあげた。
「待て待て。そなたらは、父上には会われたのか?」
「はい。今晩、宰相狭紆弩の招きに応じまして、天空城より皇都宮中に参った次第でございます。そして大広間にて、皇空理布さまと謁見を」
「ほう。では私の処遇は存じているな? 今は罪人の身だ」
「わかっております。ですが、皇空理布さまが魔人に心を操られております今は……」
「父上が魔人に操られているとな?」
皇子空風円がピクリと眉を上げ、雨巫女髻華羽を睨めつける。
「さようにございます。各国要人とともに、魔人の妖術を国家防備と生活安定に用いるという『五方豊穣平和協定』を策定中でございました。『我は望む! 魔人がもたらす泰平の世を!』と申されて……」
「皇空理布はすでに、十痣鬼となっておられたでござる。おそらくは狭紆弩の計略に相違ござらん。奴こそ此度の件、すべての首謀者……」
「ほう? なぜゆえそう思う?」
「皇空理布はわたくしたちに、皇子空風円さまが牢に入れられてらっしゃることを教えて下さいました」
「拙者の心を、試しておられるようにも……。そして、礼や格式に囚われず、信ずる道を進めとも」
「ふむ」
皇子空風円は、腕を組んでひとつ頷くと押し黙った。牢はしんとして、一同に沈黙が流れた。
「まあ、細かいことはいいじゃん。とにかく、今は魔人を倒さなきゃ。いつ、夜映が墜ちてくるとも限らないしさ」
凪早ハレヤの言葉に、皇子空風円が顔を上げた。
「夜映が墜ちる、とはまことであるか?」
「たぶん、だけど。その可能性はとても高いわ。古の彌吼雷が記した書に、それらしき記述があるの。天空城は、夜映と同じ仕組みを利用している、って。だから、天空城が墜ちたということは即ち……」
「夜映も墜ちる、ということか」
「うん」
「天空城が墜ちましてより、夜映が大きくなりつつあるのは、誰の目にも明らかにございます。それが、この地表に夜映が近づいております証拠……。夜映が墜ちますれば、杜乃榎のみならず、この地表は……」
雨巫女髻華羽の神妙な表情に、皇子空風円はすべてを悟ったかのように深く頷いた。
「なるほどな。つまり、父上の申される魔人の力による泰平の世は、夜映によって潰されると」
「御意に」
「結末が見えている以上、鬼人が……十痣鬼にされる人が増えるのも、良くないと思う」
蔦壁ロココの言葉に、皇子空風円は目を閉じ、天を仰いで「フウーッ」と息を吐き出した。
「父上よ、貴方は失敗なされましたか……」
呟くと、そっと視線を戻して紅梨沙理を見た。
「紅梨沙理よ、そなたはもう良いのか?」
皇子空風円の問いかけに、紅梨沙理は頭を下げたまま身じろぎもしない。雨巫女髻華羽が訝しげに、紅梨沙理と皇子空風円を交互に見つめている。
「そなたの娘……いや、我が異母姉に会うが、そなたの願いであろう? 魔人に魂を売る代償に」
「……娘? 異母姉……?」
「魔人に魂を……?」
雨巫女髻華羽と胤泥螺が、言葉の意味を上手く飲み込めない様子で呟く。
「……どういう事にござりますか?」
怪訝そうな表情で、雨巫女髻華羽が皇子空風円に問いかける。
雨巫女髻華羽をよそに、紅梨沙理は頭を下げたまま、一歩進み出た。
「皇子空風円さま、もはや一刻の猶予もなりませぬ。皇空理布は魔人の手に堕ちたのでございます。この先、杜乃榎の未来は貴方様が中心となって切り拓かれるより他、ございません」
「……魔人を討てば十痣鬼の生命も無い。それはそなたも存じておろう? 我が父上も、そなたも助からぬ」
「はい」
「魔人を討つは即ち、我が肉親の生命を奪い去ることだ……それでもそなたは、私に魔人を討てと申すか?」
「はい、それは、皇空理布も望まれた結末にございます。そして、私の願いと生命なぞ、杜乃榎の未来に比ぶれば、唯の小事にございます……」
紅梨沙理の言葉に、皇子空風円は腕を組み、思案げに顎に手を添えた。
「お待ちください。まるで、紅梨沙理が十痣鬼のようなおっしゃり様……」
「うむ、その通りだ雨巫女よ。なぜなら────」
思案気な表情のまま、ふっと皇子空風円は目を閉じた。
「────紅梨沙理こそ、魔人召喚の儀を執り行った張本人なのだ」
「えええっ?」
凪早ハレヤが素っ頓狂な声を上げるほかは、蔦壁ロココですら言葉を失っていた。
「ただし、事の首謀者は、父上と狭紆弩である。紅梨沙理はその計に乗ったのだ。それゆえ、紅梨沙理もすでに十痣鬼となっている」
「まさか……そのような……」
雨巫女髻華羽は身体を小さく震わせ、胤泥螺はがっくりと頭を垂れている。
「空風円さんはその事知ってて、みんなに黙ってたの〜?」
「うむ、そうだ。父上の、皇空理布のたっての願いでな。宰相狭紆弩に気取られぬよう、知らぬフリをしていたのだ」
「解せぬ! 皇空理布が、なぜそのようなことを!?」
「ふむ、話は簡単だ。父上は、過去に魔人討伐を果たされておる。そして、あの類まれなる剛気をお持ちだ。それが故に、魔人を操りその力を我が物としようとされたのだ」
「……偉大な王や戦士、騎士たちが陥りやすい罠にハマったのね。自分なら、悪魔すら御せると……」
「そうだ。この世に豊穣をもたらし、杜乃榎とその周辺国を、未来永劫に安泰とするべくな」
「で、では、ぐ、紅梨沙理はなぜ?」
「……私は……私の娘、空羽絽良と会いたいがために……」
「空羽絽良……?」
「────17年前、紅梨沙理は皇空理布の子を産んだのだ」
皇子空風円の言葉に、雨巫女髻華羽が信じられないといった様子で目を見開く。頭をひれ伏し、肩を震わせる紅梨沙理をただただ、じっと見つめていた。
「バカな! 雨巫女は処女に非ずばその力を失うはずでは!?」
「そうではない、ということを紅梨沙理が身を持って証明したということだ」
「それがゆえに、皇空理布は雨巫女なぞ糞食らえと……?」
「うむ」
「私が……私が悪いのです。常々より空理布に……娘に会いたいと……生きているのなら、一度でいいから、再びこの腕に抱きたいと……」
そう言って、紅梨沙理は両手で顔を覆った。頬を伝う涙が、その細い顎からポタリと滴り落ちた。
「紅梨沙理のせいではない。その想いを、父上と狭紆弩が利用したのだ。魔人召喚の儀を執り行うに、紅梨沙理の力が必要であったからな」
静寂に包まれた地下牢に、紅梨沙理の漏らす小さな嗚咽だけが聞こえてくる。
「……空理布さんと狭紆弩さんにとって、いろいろな条件が揃っていた、というわけね」
蔦壁ロココの呟きに、皇子空風円が黙って頷いた。
「でもさ〜、じゃあ空風円さんはどういう役目?」
「……父上が失敗なされた場合の、魔人討伐と杜乃榎再興を託されている。狭紆弩には内密でな」
「皇子空風円の政治力、雨巫女髻華羽の加護力、剣士胤泥螺の戦闘力、整備士午羅雲の『機械仕掛』、霧冷陽の人望……それらに彌吼雷の力が加われば、例え我が決意が砕けようとも杜乃榎は必ずや再興し、安泰の道を歩むであろうと……空理布の言葉にございます」
嗚咽を堪えながら、紅梨沙理が言葉を紡ぎだす。
胤泥螺と雨巫女髻華羽は俯いて、ゆっくりと首を振った。
「さりとて、これほどの劇薬、重すぎまする! ご自身、杜乃榎の民のみならず、各国要人までも十痣鬼に引き込んで……!」
「魔人の魔力に心惑わされる輩なぞ、未来の杜乃榎に必要なし。父上は自身が敗れる時、心の隙ある者ごとまとめて葬り去るおつもりなのだ」
「なんと……!」
「胤泥螺の心を試したのも、そのような思いからである」
皇子空風円の鋭い眼光を受け、胤泥螺がハッとした表情になる。
「父上は常々申されていた。胤泥螺は実直すぎる、とな。太く硬い鉄の棒はなかなかに折れ曲がらぬものだが、万が一にも折れ曲がった時には、それを直すも至難の業と……。故に、多少のことは受け流し、それはそれと認める柔軟さ……清濁併せ呑む心の広さが、胤泥螺には必要であろう、と。だが……」
胤泥螺を見据える皇子空風円が、すうっと目を細めた。
「────それゆえに、万が一の場合に魔人を討てるは……胤泥螺、そなたしかおらぬだろう、ともな」
皇子空風円の言葉に、胤泥螺は沈鬱な様子で眉を潜め、目を閉じた。そして両の拳をドッカリと地面につき、頭を垂れた。
「……己の未熟を嘆くほかござらん……」
ここからどうするつもり?




