【18】杜乃榎国の現状
翌早朝、空が明るくなり始めた頃、一行は『雨巫女の修験場』をあとにしていた。
『彌吼雷襲来』が魔人の耳に入れば、あれ以上の軍が押し寄せる危険性があるからだ。太陽が顔を出さぬ間に、一路、『天空城の宿営地』を目指していた。
そこには天空城の墜落地点。杜乃榎国から派遣された整備隊の他に、見習い巫女二人と巫女師範も滞在しているらしい。
「『天空城』ってどうしても必要なのかな?」
「杜乃榎国のみならず、周辺国の豊穣と防衛を司る、重要な要塞なのでございます。周辺国が過去に何度も魔人の脅威にさらされながらも、共に繁栄の道を歩んで来たには、天空城と雨巫女の加護力無くしては語れませぬ」
宙をのんびりと漂う凪早ハレヤの問いかけに、雨巫女髻華羽が恭しく頭を下げながら答えた。
今は巫女服を着こみ、腰には神楽鈴『御譜音』を差している。
そして、蔦壁ロココとともに馬の背にまたがっていた。
「代々、杜乃榎国は天空城を保守管理する役目を負うております。その主たる権限を持つのが、わたくし雨巫女にございます」
杜乃榎国は周囲を山に囲まれた盆地にある小国だ。その周囲は、東に那良門・手津音の二大国が、西には西方諸国、南は南方連合と称される小国や貴族・豪族の共同体が取り囲んでいる。
もともとこれらの地域には雨が少なく、枯れた不毛の大地と称され、長らく人の文化が定着しなかったのだそうだ。
それが、『天空城』とそれに従う『小廟』の登場、そしてそれらを操る『雨巫女』の存在によって、緑豊かな豊穣の地に生まれ変わったのだとか。
さらに雨巫女のもたらす雨には、魔人の魔力を封じ込め、厄災をもたらす力を削ぐ効果があるという。仮に魔人が現れても、雨巫女の加護力が及ぶ地域であれば、魔人の力を半減させられるのだそうだ。
ただし、天空城と小廟のネットワークが存在するとはいえ、広範囲に雨をもたらすには強大な精霊力が必要とされる。そのため、雨巫女にふさわしい人材は限られているのだと。その雨巫女の才能を推し量り、登用を左右する役目を負っているのが、杜乃榎国というわけだ。
それらはすべて、初代の『彌吼雷』が定めたものらしい。
以来、長年に渡って、つつがなく引き継がれている。
今の杜乃榎国は、皇空理布を中心に軍事・内政が取り仕切られ、宰相狭紆弩が外交・流通を担当。皇子空風円がまだ10代の若さながら、すでに皇空理布をよく支え、早くも次代の皇としての才覚を発揮しているという。
そして、雨巫女に任ぜられているのが、髻華羽だ。これを支える巫女として、巫女師範の紅梨沙理、巫女見習いの真茱鈴と流那鈴がいるという。
「その雨巫女が務めに対して、周辺諸国からの献上品によって杜乃榎の禄は支えられておるのじゃ。杜乃榎の狭い領土内で農業を営んでいる民もいるが、決して国全体を支えられるものではない」
肩に漆塗りの木箱を担ぐ霧冷陽が口を挟む。その漆塗りの木箱には、『彌吼雷の秘蔵品』が収められているらしい。
「へええ、国を守るだけじゃなく、みんなを食わせてるってことか。髻華羽ってすごい役目を負ってるんだね」
「さようにございます」
丁重に頭を下げる雨巫女髻華羽だが、その表情は冴えない。
長いまつげを伏せ気味にしたその横顔、襟元から垣間見える白いうなじ、フワリと鼻孔をくすぐる甘い芳香には、男なら誰でもその肩を抱き寄せずにはいられなくなるであろう妖艶さを秘めていた。
歳は凪早ハレヤより1つ2つ上だろうか。
今は長い黒髪を、横だけ真っ直ぐに胸元まで垂らしている他は、後ろにキッチリと結い上げて、雨巫女の証たる綺羅びやかな『雨之髻華』を差している。
「その、対魔人防備の要である天空城が墜ちたのはいつ?」
蔦壁ロココの問いかけに、雨巫女髻華羽は目を伏せたままそっと口を開いた。
「八月前ほどにございます。わたくしが天空城を留守にした折に……」
「髻華羽が天空城を留守にしたら、天空城が落ちちゃった、ってわけ?」
「さようにございます」
雨巫女髻華羽が沈痛な面持ちで頷く。心に深く、傷を抱いているようだ。
「原因は?」
「当初は天空城機関システムの故障かと思われましたが……派遣した整備士の午羅雲の言によりますと、『機関システムに不具合はない。浮遊力の基幹を担う「アマノフナイト」がその力を失っているようだ』とのこと。各国に設置されております小廟も、同時期に落ちたとの報告を受け、おそらく同じ原因であろうと」
「じゃが当時、その件と魔人を結びつけて考える者自体がおらなんだわ。今まで魔人が現れた折にも、天空城が墜ちるなどという大事は無かったからのお」
杜乃榎国とその周辺国にはたびたび魔人が現れているのだそうだ。
前回は18年前。東方二大国の那良門国に現れた魔人に対し、霧冷陽は杜乃榎国の若き皇空理布や当時の雨巫女の紅梨沙理らとともに魔人討伐に加わった英雄だという。
「へええ! 霧冷陽さんて、すげー人じゃん!」
「ふん、さようでもない。皇と雨巫女の付き人程度の働きよ」
「以前に魔人が現れたことはあっても、天空城が墜ちたっていう前例が無かったから、みんなそれほど慌てなかったのね」
「さようにございます」
天空城が落ちてからしばらくして、各地は炎天下に見まわれ、水源が干上がり始めたと雨巫女髻華羽は話す。
「ですが夏という時期もございまして、当初は魔人の厄災によるものと疑う者は無く……」
魔人が南方連合に出現し、ようやくに「天空城が墜ちたのは魔人の仕業では?」「この炎天下も魔人の厄災では?」という話になったらしい。
「その魔人が現れたのはいつ頃?」
「天空城が墜ちて二月ほど後の事にございます。南方連合の、とある荘園領主の館が焼け落ちたのが、最初かと」
各地からの伝聞では、『燃ゆる炎の髪に黒鉄の仮面。二振りの幅広剣を振るいて、行く先々を焦土と化す』と伝えられているらしい。
「天空城の加護も無く、南方連合に属する貴族や豪族が魔人の炎に為す術なく焼かれ、幾多も生命を落としたという話にございます」
魔人は南方連合を蹂躙しつつ、東方二大国の一つである手津音国の国境に向かって北上。手津音国の国境警備隊を壊滅させたという。
「そのまま手津音国を蹂躙し、那良門国にまで進撃するものと思われましたが……」
「急に西方諸国に現れたのじゃ」
杜乃榎国を挟んで真反対の、西方諸国北西沿岸部に突如として現れ、港町を一つ壊滅させたという。
「まさに、神出鬼没」
雨巫女髻華羽と蔦壁ロココがまたがる馬の手綱を引く胤泥螺が、信じられぬと言わんばかりに首を振る。
「一瞬にしての長距離移動など、人の業ではあり得ぬ」
「実は、魔人が手津音国境に迫った折、那良門国を筆頭に魔人討伐連合軍編成の動きがあってじゃ」
「杜乃榎にも派兵の要請があり申した」
「へえ〜。じゃあさっさと、その大連合軍で魔人を討っちゃえば良かったのに」
凪早ハレヤの言葉に、霧冷陽が無念そうに首を振る。
「それがじゃのう、人の業ならぬ移動力の前に、二大国の王が尻込みをされたのじゃわ。『我が首都を守らば国の存続なし』と曰もうての。天空城の加護が無くなっていたことも、尻込みされた一因であろう。大軍もろとも、それぞれの首都に引き篭もってしもうたというわけじゃ」
「大軍を率いた遠征中に、魔人が首都に現れて、国が壊滅させられるリスクを恐れたのね」
「王も将も、戦うは民のため。我が身果てるは恐れねど、守るべきを守れぬは武士の名が廃る。まあ、そういうわけじゃ」
「なっるほどね〜。まあ、無防備な留守中に空き巣に遭ってりゃ世話ないよね〜」
「以来、東方二大国からの献上品は滞り、杜乃榎国の兵糧に多大な影響を……」
「踏んだり蹴ったりだね〜、きっつ〜」
「魔人討伐連合軍の編成は白紙とされたがゆえに、遅ればせながら杜乃榎は『彌吼雷召喚の儀』に踏み切ることになりましてございます」
雨巫女髻華羽の言葉に、霧冷陽が大きな溜め息を漏らした。
「すべては後手よ。天空城が墜ちた折に、すぐに魔人の出現を疑っておれば、このような切迫した事態にならずとも済んだやもしれぬのに……」
「当初、宰相狭紆弩殿の『各国と足並みを揃えよ』との方針に異議を唱える者など無く」
胤泥螺が重苦しい声で呟くように漏らすと、雨巫女髻華羽も霧冷陽も、ゆっくりと頷いた。
「まあ、それも致し方無かろうて。杜乃榎は天空城と雨巫女を管理奉るだけの役目を負った小国。軍備も兵も兵糧も、献上品頼みであるからの」
「兵も? 兵糧だけじゃなくて?」
「そうじゃ、兵もじゃ。見よ」
そう言って、霧冷陽が隊列の前から後ろまで手を差し伸べて指し示す。よく見れば、確かに兵たちは様々な人種が交じり合っているようだった。黒い肌もあれば褐色の肌もあり、大きな犬耳を持つ獣人もいる。
同じ兵装をしてなければ、何の集団かわからなくなりそうだ。
「天空城を守るは、即ち、故郷を守るも同然。自国の徴兵を断り、杜乃榎に仕える者もおるのじゃ」
「杜乃榎への献上品のため厳しい取り立てに遭い、泣く泣く兵に身を貶す者も多くござる。若年兵に不満が多いのは……」
「これ、胤泥螺。そのようなことを申すでない。兵は皆、等しく杜乃榎に忠義を感じておる」
「しかし事実でござろう。『杜乃榎は天空城と雨巫女の必要性を誇示するがため、定期的に魔人を呼び出しておるのでは?』などとあり様もない謗りを漏らす者もおりましてござる」
「西方の者に多い嫉みじゃな。周辺国の嫉みは今に始まったことではない。皇空理布が宰相に狭紆弩を取り立ててからは、各国の王侯貴族からそのような謗りを聞く機会は減っておったがのぉ……」
胤泥螺と霧冷陽のやりとりを聞きながら、凪早ハレヤは昨日の事を思い出していた。魔人の魔力に操られたり、兵糧に愚痴をこぼしたり。それは杜乃榎国や現状に不満を抱いている事の、現れだったのかもしれない。
「政治的外交で、表面上は関係が改善していたのね。皇空理布としては、その関係を悪化させたくなかったと……」
「まあ、そういうことになるじゃろう」
グッと眉間に皺を寄せ、雨巫女髻華羽が俯く。
「わたくしが……わたくしがもっと強硬に、『彌吼雷召喚の儀』を申し出ていれば……今ほど状況が悪化することもなかったでございましょう」
「決して髻華羽殿のせいではござらん! 当時の髻華羽殿は、水不足にあえぐ各地に『清湧水の儀』をして回っておいでだったではござらんか。あのような多忙の日々に、誰も髻華羽殿を責める者などおりはせぬ」
「それは、そうかもしれませぬが……」
「お独りで心を痛めるのはおよしくだされ。一同の者、すべてが心をひとつに、責務を全うするが最善」
「ありがとう、胤泥螺……」
「うう〜〜ん、泣けるねぇ」
凪早ハレヤがわざとらしく目頭を押さえる。
「それで、今、魔人がどこにいるか、わかってはいるの?」
「それが、不明なのでございます。先程も申し上げました通り、神出鬼没でございますゆえ……」
「魔人軍であれば、今、杜乃榎におるのは間違いないじゃろう」
西方諸国でひと暴れしたあと、魔人は独自の軍勢を編成したらしい。その軍勢とともにこの杜乃榎国の国境まで迫ってきたのが、二月前の話だそうだ。
霧冷陽は当初、国境での防衛ラインを任されていたが、無残にも敗戦。皇都横に広がる久地湖の城壁防衛ラインまで撤退を余儀なくされたという。
「皇都防衛ラインには、『皇都最終防衛シールド』なるものがあるのじゃ。天空城のものと同じ効果をもつ鉄壁の防御壁でな、雨巫女のみが発動できる超防衛システムじゃ。魔人軍の妖術に手を焼いたワシは、紅梨沙理が皇都におればそれをあてにできると退却を決断したのじゃが……。紅梨沙理はすでに『天空城の宿営地』に出向いた後。さらに宰相狭紆弩めがじゃ、あろうことかワシを防衛軍指揮官から解任しおったのじゃわ」
「えええっ、どうすんの、それ?」
「那良門と手津音、それに南方連合より援軍が参ると申しておったわ。魔人討伐連合軍あらば、敗戦の将たる老霧冷陽はいらぬとな」
「んああ? でも、その魔人討伐連合軍って、破棄されて引き篭もってたんじゃないの?」
「うむ、そのはずじゃ。だからこそ、あのように言うた狭紆弩めには、それ相応の策があるということじゃろうな。皇空理布も、訳知りのご様子であったわ」
「それでは、もとより霧冷陽殿の失脚を狙ったようにしか思えぬ」
「さあ、どうじゃろな。ともかくどういう策であれ、皇都が無事に持ち堪えておれば、幸いじゃがのぉ……。しかし、『巫女の修験場』にまで魔人軍の手が伸びたということはじゃ……」
一同の間に、重い空気が流れる。気が付くと、太陽は東の空に高く上り始め、グングンと気温が上昇していた。
宙を泳ぐ凪早ハレヤはもとより、馬に乗る蔦壁ロココでさえも、頬を伝う汗を拭っている。
「魔人の軍は現れど、魔人は姿を眩ませている、ってことでいいの?」
「そのようになります」
「そんなことってあるのかな〜?」
「わからぬ。此度の魔人は、前回の魔人とはまるで違うからのぉ。代々の皇が残した雨巫女と天空城を用いた策も、今度ばかりは張子の虎よ」
「あまりに裏を掻かれすぎにござる」
「……事情をよく知る誰かに、魔人が取り憑いて利用している可能性もあると思う」
蔦壁ロココの言葉に、一同に緊張が走った。
「……疑心は内紛の種にございます。杜乃榎国にそのような人物は無いとだけ、申し上げまする」
「あ……ごめんなさい」
「まあ、いいじゃん。そういう可能性を探るのは、俺たちみたいなよそ者の仕事でしょ」
「はははは、彌吼雷さまであれば、見抜けるじゃろうて!」
「ああ、そうともさ! そのために俺たちはここに来た、ってことさ!」
凪早ハレヤがクッと胸を張る。
「とりあえずさ、今やるべきことはただひとつ!」
ピッと人差し指を立てて天に向けて突き上げる。
「────天空城の復活! それしかない!!」
問題山積じゃないですかヤダー




