王都
退屈だった日々はいつのことだったか。
これはルーシャが迷子になってしまうより何時間も前のこと。 華やかな街並み、活気あふれる人々の声。そして、たくさんの人、人、人……。
「相変わらず人が多いな……」
人が多いのはあまり得意ではない。だいたい、人はうじゃうじゃと動き回ってあっちこっちで話をして、視線も飛び交う。とてもじゃないが、耐えられない。
「今さら何言ってんの。全く頼りないなー、ニコは」
人をきれいにかき分けながらジュラは俺の横を歩いている。何を言ってもこいつの言葉は腹が立つ。昔からだったため、少しは抑えることを覚えたが、やはり一発殴らないと気が済まない。しかし、この人だかりでジュラを殴ることはさすがにしない。いや、できない。
「早く買い物済ませちゃってルーシャちゃんとあーそーびーたーいー」
「うざい。子供か、お前は」
こんなやつとは来たくはなかったんだが、ここは王都セレナード。この国の中心の都市で多くの人や物が集まる。また、王族が住んでいるピアノリア城もこの王都にあり、貴族の者も多い。 人のいないノクタルン村とは正反対の街であり、村では買えない野菜以外の必要なものを買うためにここの大きな市場で買い物をする。俺は人混みが嫌いなため、来るのはせいぜい3週間か1ヶ月に1度程度だ。 今日はその数少ない買い出しの日である。連れてきたくなかったジュラと市場にいるのである。
「ニコは1人で出かけるわけにはいかないもんねぇ~」
俺の気持ちを感じ取ったのかジュラは笑いながら言った。その表情も人をバカにしているようで腹が立つ。
「ボクじゃなくて、ルーシャちゃんと来たかったぁ?でも、我慢し・て・――」
「少し黙れ」
ただでさえ人が多くていろんなところから人の話し声が聞こえてきてざわざわしているというのに、隣で騒がれるなんてたまったもんじゃない。
「もー、殴るの禁止! 痛いってばー」
「なら、喋らなければいい」
受け答えも面倒くさくなって俺は黙って市場をどんどん進んでいく。
「最近ニコ、ルーシャちゃんといると楽しそうな顔するじゃん。前より――」
『明るくなったね』
え。
ズキンズキンと頭の奥が響いている。あれだけ騒がしかった人の声も耳に入ってこない。目の前が真っ白になる。まるで、俺だけ別の空間にいるように錯覚する。
『ニコ』
いったい誰だ。この声の主は。でも、聞いたことがある。この声の主は俺にとって――。
「――コ、ニコー!」
はっとなって気がつくと、目の前にいたのはジュラだった。
「ぼーっとしないで。危ないなー。手でも繋ぎましょうか?」
「……悪い。それと、その手へし折るぞ」
「ごめん、冗談だって」
何だかよくわからなかったがまずは、タンパク質系のものを買わないとけない。俺は行きつけの肉屋に足を運んだ。なんだかんだと文句を言いながらもジュラは俺の後をついてきた。
「久しいね、あんちゃん」
「ああ。肉だが、今日はいつもより少し多めにくれないか」
肉屋のじいさんが優しげな笑顔で俺を迎えた。このじいさんにはまけてもらったり、王都の様子を来るたびに聞いている。それなりに交流もあるため俺のことはだいたい理解してくれている。そのため、俺がいつもより多くと言ったことに少なからず疑問を抱いているようであった。
「なんだい、あんちゃんは1人で暮らしておるんじゃろ? そんなに欲しいかね?」
「いや、ちょっとな」
俺があいまいに返事をするとじいさんはニヤッとした。
「ははーん。もしや、素敵な女性でも見つけたのかい?」
「ぶはっ!」
俺はじいさんの言ったことがあまりに唐突すぎて思考が一時停止した。だが、そんな俺を差し置いてジュラは隣でゲラゲラと笑っている。
「くくく、た、確かに、女性は見つけたよ。くっ、はははははははっ!」
女性って年齢じゃない。
「はー。ジュラ、笑いすぎだ」
「ほほーう。何だいおぬし、なかなか隅におけないのう」
じいさんはすっかり誤解をしてしまっているようで、俺の顔を見てニヤニヤしている。その様子を見てジュラの笑いはさらにヒートアップする。
「そうそう、じいさん、ニコは隅におけないよ。そりゃ、もう、くっ、くくくく」
「ほー」
そろそろ、ジュラの暴走を止めないと面倒くさいことになる。隣で腹を抱えて笑っているジュラを別の意味で腹を抱えている状態にしてから俺はじいさんに理由を話すのだった。
「……なるほどな。女の子を預かっているのか」
「ああ、分かってくれたならいい」
「そうそう、ニコはロリコ――」
いつの間にやら元気になっているジュラを睨み黙らせて俺はじいさんと話を続けることにした。ジュラはしばらく放っておきたい。
「ところで最近、ここの様子はどうだ?」
さっきまで柔らかだったじいさんの表情は急に硬くなっていった。ここ最近この話をもちかけるとすぐにこれだ。王政は悪化の一途をたどっているらしい。
「分かっていると思うが、良くはなっておらんよ」
じいさんは重いため息とともにそう言った。
この国は王政であり、国王の独裁政治である。しかも、その王は国民のことなど知ったことではないのだ。この市場の賑わいも、そう考えるとすべてが嘘っぽく見える。結局栄えて、華やいでいるのはほんの一部だけだ。その陰には日々苦しい生活を強いられている人たちが多くいる。でも、誰も抵抗はできない。
「貴族の者共だけだよ、この国で幸せなのは。誰でもいいからこの国を変えて欲しいねぇ」
「そういえば、商人たちで直談判を申し入れる話はどうなった?」
この前に来た時、じいさんは少し希望をもったような表情で王宮に乗り込み直談判する話をしてくれた。だが、その時の表情はもうなかった。
「その話か……。ダメじゃった。王が先手を打ったのじゃ。王宮に入るのでさえ第4階級以下は多額の金が要る」
第4階級以下、つまり8割程度の国民のことだ。
この国は階級制度がとられており、現国王が制定したものだ。第1階級は王族、第2階級は上級の貴族、第3階級は騎士や下級貴族、第4階級は豪商、豪農、第5階級は一般の人々を言う。そして、この制度の大きな問題点は無階級という階級だ。階級自体与えられない、強制的に労働させられるなど苦しい生活を強いられる人々だ。
そんな階級制度だけでも国民はうんざりなはずであるのに、呆れた。国民の声を聞こうともしない、その声を届ける手段でさえも奪ってしまった。本当に呆れる。
「……このままでも、仕方ないとわしは思っておる。もう、どうにもできんのじゃよ」
「……」
俺は黙ることしかできなかった。
「ニコ」
ジュラが静かに呼んだ。その顔はやめてほしい。
「……またな、じいさん」
じいさんは去り際力なく笑って俺たちを見送った。
「何にも言えないんだね」
「黙れ」
苛立ちはつのるばかりだった。
いったい俺に何を言えというんだ。下手な励ましはかえって相手を傷つけることになる。
と、急に道の先から歓声が沸いた。
「今日は何の日だ」
「今日はリュエル様の地方視察の日だって」
「ああ」
人だかりを避けつつ、俺たちは裏の通りへと進んでいった。さすがに王族が通る道にはいられなかった。人がたくさん集まって進みずらいし、苦手だ。
裏通りに入る前にちらっとリュエル王子一行を見る。親が親なら子も子だ。リュエル王子は王の意志を継いでいる。
賑やかな声は遠ざかり、静けさが俺の心に安心感を与えた。
「ふはー、疲れた。ニコ、休憩しよー」
さすがに俺も疲れていた。買い物をしに家から出てきてめてかれこれ5時間以上経ってしまっている。
ノクタルン村から王都に来るだけでも結構大変なのだ。馬を使っても片道2時間近くかかる。それだけ遠いのだから、やはりしょっちゅう買い物に何て来ることはできない。だから、買う量も多くて帰りが大変なのだが……。
休憩して腰をベンチにおろし、ジュラがコーヒーを一杯持ってきた。こういうところは相変わらずしっかりしている。
コーヒーを飲み終えたところで空がだんだんと赤く染まってきた。さすがにこれ以上いるとまずい。
「そろそろ、戻るぞ。さすがに今から2時間経つと暗くなって危ない」
それに、ルーシャを1人待たせてしまっている。12歳の子供が暗い中1人でいるのは耐えられないだろう。
「へーい」
言うと同時にジュラは馬に飛び乗った。ジュラの黒い毛並の愛馬がヒヒーンと鳴いた。俺もキャラメル色の愛馬にまたがり、ノクタルン村へと向かう。
ノクタルン村近辺、ルーシャが迷い込んだ森―
「どうしたのかな、お嬢さん?」
目の前に現れたのは真っ暗の森と正反対の真っ白い馬に乗った、男の人だった……。
1ヶ月も経ってしまいました。
今回はニコたちサイドのお話でした。
いったい、ルーシャが森で出会ったのは誰なのでしょうか?
それでは、次回でもお会いできることを願っています。
2014/5 秋桜 空