不安
その手はとても温かかった。
ふかふかとして温かい毛布に包まれている。それに、なんだかとてもいい香りがした。私はうっすらと目を開けた。屋内のはずなのになんだかまぶしい。つまり、私は窓際で寝ているらしい。
「Good Morning、お嬢さんっ」
近くで声がした。その声は男の人の声で、なんだか聞き慣れない言葉を使っていた。その人はとても楽しげな口調だった。声の方を見ると白いカップをもった男の人が木のテーブルに寄りかかってこちらを見てにこにこしている。焦げ茶のような髪の色、開いた瞳はきれいな赤だった。眉毛がきちんと見えるくらいまで切られた前髪は男の人の表情をはっきりさせている。左耳には銀色に輝くものが2個ついている。飾り、だろうか。
カタカタと奥の方からも音が聞こえる。少し目を音の方へ向けると、男の人の後ろ姿が見えた。大きな鍋からは白いもくもくとした煙がでている。あの煙は何だったかしら、と考える。確か、ばば様から話を聞いた。その鍋で何かをしているようだ。男の人はすらっとしていて耳の半分を隠すくらい短く切られた黒い髪。なぜだか、少し寂しげな後ろ姿だと思った。
ふと、私は考える。今、この状況は一体全体どういう事だろう。私はみんなと帰ろうとしていて、目を閉じて数を数えていたら誰かに呼び止められて、気がついたら目の前は無数の星があって、それで……それで……えーと……。
私はがばっと勢いよく起き上がった。長い髪がふわっと宙を舞う。そして、なぜだか背中の所々が痛い。
「いっ……」
私は顔をしかめた。自然と痛みで声が漏れる。
「わおっ、びっくりした」
さっきのにこにことした男の人が私を見て驚いている。声には気がついていない。私はその人なんかおかまいなしにぐるっと見渡す。さっき見た木のテーブルなど木で出来ている家具がきれいに並べられていて、すっきりとした部屋だ。そこに、男の人が2人いる。
知らない。ここはどこ。みんなはどうしたの。
「おびえている子猫ちゃんみたいだっ」
せわしなくきょろきょろとあたりを見ていると、さっきのにこにこしている男の人がくすくすと笑っているようだった。しかし、私はそんなことにかまっている余裕なんてこれっぽっちも無かった。
「……ど、こ」
不安で胸が押しつぶされそうで、やっとの事で出た言葉だった。私は毛布をぎゅっと握った。何かにすがりたかった。でないと、今にも泣き叫び、あたりをかけずりまわりそうだ。
しかし、すでに目には涙がいっぱいたまっていた。
「あー、お嬢さん怖がらなくていいんだけど……って、泣きそうだし!」
コトンと白いカップをテーブルに置き、私の顔を大きな瞳でのぞき込んだ男の人はあたふたし始めた。なにやらぶつぶつと言いながら明らかに困惑している。なぜ、そんな風になっているのかよく分からない。困惑してるのは私の方なのに。
私はさらに毛布をぎゅっと握り、膝を抱え込む。訳が分からなくて顔を毛布に埋めようとしたとき、白いコップを差し出された。中には黄色のとろりとした液体が入っている。その上にちょこんと茶色い四角のかたまりがのっている。
「飲め」
感情が読み取れないような声で言われた。さっきまで、奥の方でカタカタとしていた男の人だ。おそるおそる両手でカップを持つ。力一杯毛布を握っていたせいで少し手のひらが痛い。しかし、その傷みを和らげるような温かさがカップから伝わってきた。気になってその人の顔を見上げた。声の表情も無かったが、顔の表情も無かった。ただ私をダークブルーの瞳で見つめている。私は何とも言えず、少し怖くなってパッと目をカップに移した。
「いいから、飲め」
「そんな口調で言ったら、怖がっちゃうでしょ。ここはボクがぁっ……ちょっと、いきなり叩かない!」
「腹立つ」
叩かれた男の人はひどいよといいながら叩かれた頭をなでている。カップを差し出した男の人はまた私の方をじっと見つめた。これはどう考えても飲んだ方がいいと思い、私は少しだけ口をつける。
おいしい
甘いしそして優しい温かさがある飲み物だ。こんなもの飲んだことがない。私は嬉しくなってどんどん飲んでいった。ちょこんと上にのっていたのはサクサクとしておいしい。思わずカップを差し出した男の人を見ると、さっきと同じような無表情だがなぜだか怖くはなかった。どこか温かみがある気がした。
いつの間にか飲み干してしまっていた。
聞くとコーンポタージュといって、上にのっかっていたのはクルトンと言うらしい。
「落ち着いたみたいだな」
言われてみて驚いた。さっきほどは不安な気持ちではなかった。それに、目にたまっていた涙も今はもう引っ込んでしまっている。
「……ありがとう、ございます」
「どういたしまし……がっ」
にこにこと笑っている男の人が言い終わる前にその人は私の目の前から消えた。下を見るとうずくまって、う゛うとうなっていた。さっきも同じようになっていたのに、なかなか懲りない人だと思った。無表情な男の人は足下にうずくまるその人を冷たい目で見ている。
この2人は変だなと思うのはきっと普通のことである。
「いててて、手加減なしで蹴るんだから……んじゃっ、落ち着いたとこで君の名前聞いていいかな?」
ゆらりと立ち上がり、ベッドに座っている私と視線を合わせながらにこにこと笑って問いかけてきた。
私は空のカップに残る温かさを頼りに勇気を出して口を開いた。
「ルーシャといいます。12歳です」
なぜか一瞬にこにことしていた男の人の表情が消えた。しかし、すぐに表情はさっきのようににこにことしていた。一体何だったのかしら。
「ルーシャちゃんかぁ、かわいい名前だっ」
この男の人は本当に楽しげな口調だ。表情も明るい。カップを差し出してくれた男の人とはまるで逆だ。
「あっ、ボクらも自己紹介だねっ。ボクの名前は桃嶋・ジュラ。こう見えても26歳だぞ」
そして、一回転ターンをしてにこやかに笑う。それを見たもう1人男の人は盛大にため息をついた。
ターンした姿を見て今更気がついたのだが、後ろの髪は長く白いリボンで1つに束ねられている。正面からは短髪であることしか分からなかった。
そのことより、年齢を聞いて私は開いた口がふさがらない。確実に10代くらいだと考えていた。ジュラには悪いけれど、26歳には全く見えない。彼の顔が少し幼いからだろうか。彼の口調もあるのだろうか。なんというか、全体的に子供っぽいような気がする。子供の私が言うのも変だろうけど。彼を見たら10人中10人とも彼の年齢は当てることは出来なさそうだ。
「……はぁ。俺はニコだ。19歳」
彼、ニコはちらっとジュラを見てまた溜息をつく。こっちはこっちで落ち着いている雰囲気がジュラより年下ということが信じられない。でも、やはりどこか少年らしさを感じる。
どうやらここは彼の家であるようだ。ノクタルン村という村だと彼は言った。
「ルーシャって言ったな。お前は俺の家の薪置き場に倒れていたんだが、見事にその薪置き場を破壊したんだ」
私は崩れた薪置き場の中心に仰向けになっていたらしい。その状況から考えるに私は真上から落ちて来たことになる、らしい。どうりで背中が所々痛いわけだ。
確かに意識を失う一歩前私は中に浮いていた気がした。無数の星が広がっていたし、空が地上より近かった。
「壊してしまったことは本当にごめんなさい。でも、覚えていなくて……」
「っていうか、ホントに空から落っこちてきたわけ?」
「……多分」
私は自信がなかった。でも、浮いていた感覚は確かなもので嘘ではない。しかし、いくら何でもはい、そうですかとすぐに納得してもらえるわけではないことは分かっている。現実に人が浮いているところを見たらなんてびっくり仰天きわまりない。
「……それは信じるほかないとして、お前は一体何をしていた?」
「……」
私はニコの問いかけに答えず、下を向くしかなかった。言えるわけがなかった。
私たちはこの人たちの記憶を奪う者であり、憎い存在に違いない。誰だって楽しい、嬉しい記憶はとられたくないはずだ。だったらそれをする私たちは憎い存在だ。恐ろしい存在なのだ。だから、答えたくない。
「……はあ、まあいい。それ以上は聞かない。人に言いたくない事は誰しもある」
私はニコの顔を思わず見上げる。その顔は相変わらず無表情だったがやっぱりあまり怖さは感じない。不思議な人だと思った。優しいのかそれともただ無関心なのか。
「しかし、俺の家の薪置き場を壊したことは変わらないからな。その分働いてもらう」
前言撤回。この人は怖い。
「12歳の女の子に何を言うと思ったら。これだからニコは怖いんだよ」
「お前みたいにへらへらしているのは気味が悪い」
またもやニコの鋭い一言がジュラに突き刺さる。いつもこのようなやりとりをしているのだろう。仲は悪くはなさそうなのに。
「働くって言ってもご両親とかも心配するんじゃないの、ねっ?」
そういえば、私に両親なんていない。いつもみんなと一緒で特に家族というものが無いような気がする。しいて言うならみんなが家族だ。そして、帰る方法も分からない。でも、確実に分かることは1年後には必ずみんなと会えると言うことだ。記憶を奪うあの日。あの日にみんなに会えれば帰ることが出来る。それまではどうにか暮らしていかなければいけない。
「……両親はいなくて。その、街のみんなが家族というか……。それで、帰り方も分からなくて、1年経てば迎えが来るというか、また会えるかもしれないけ――」
「じゃあ、会えるまでいればいい」
「え?」
私はてっきり追い出されるものだと思っていた。だって、いきなり来て薪置き場破壊して、空から落ちてきたこんな赤の他人を普通は関わろうとしないはずだ。やっぱり優しい人なんだ。表情がないだけで。
「それまで、薪置き場を破壊した責任をとってもらう」
やっぱり前言撤回。
「えー、こんなかわいい子と2人で暮らすの? A・YA・SHI――」
「消えろ」
ニコの低い地鳴りのような声が響いたかと思うとそれきり、ジュラは何もしゃべらなくなった。いや、しゃべられなくなった。
「背中はまだ痛むか?」
「……少し」
さっきジュラに向けた言葉とはだいぶ違い、優しい口調で言われた。一体いつ私が背中を痛めていることに気がついたのだろうか。その後ニコは少し休めとまた私を布団に寝かせた。もう少ししたら朝食ができると言っていた。そう言ってニコはまた奥へと行ってしまった。そして、再びカタカタとリズミカルな音が聞こえてきた。
なんだか優しいお兄ちゃんが出来たみたいな感覚になった。無表情だけど優しいニコ。へらへらして懲りずにニコに怒られるようなことを言うジュラ。
少しだけ、期待が持てる気がした。
「分かった! ニコって実はロリコ――」
バコーン
家の中に音が響く。ジュラの頭に鍋が見事にあたった。
期待は、持てないかもしれない。
でも、ニコの作る料理には期待が持てると思った。
ニコはロリコンじゃないです(苦笑)
ジュラは強烈にうざくしたいと思っているんですがなかなか難しいです。
やっと始動し始めました。これからどんなお話になっていくのやら……。
それでは、また次回お会いできることを願っています。
2014/3 秋桜 空