相思
だから、私は出来るんだよ。
サラの持っていたと思われる刃物が床を滑っていった。
「2本持っているなんて聞いてないぞ」
「これくらい当然じゃない」
サラは焦っている様子が分かる。さっき、確かに記憶は取られたはずのニコがここにいる。あの眼はもう完全に記憶がなく、他人を見ている眼だったのは確かなはずなのに。
「想いが強すぎるのも面倒な事ね。存在を消さなければいけないかしら」
信じられなくて目の前の背中に触れてみる。確かに、温かい。
「俺はもう、この記憶を忘れたくない。お前も、お前との記憶も、俺にとっては大切なんだ」
私が触れたことに気がついたのだろう。私の方は向かなかったけれど、はっきりニコは言った。
やっぱり、記憶を奪ってまでこの世界に来たいとは思わない。私たちが大切にするべきは互いにある記憶。一方が知っていても空しいだけ。
あの世界も変わるべきなのだ。
「サラ、やっぱり間違っている。私は変えるべきだと思う」
「この世界がはじまった時から決まっている事を変えられるって言うの!? ふざけるのも大概にしなさいよ!!」
「違う。変えられるかどうかなんて誰も分からなかった。始めから諦めていただけ」
ニコもこの国を変えるために動いた。
だから、私もきっと出来ると思う。
「死者は死を受け入れ、幸せを願うべきなの」
「世界はこれでいいの! 死を受け入れる? 冗談じゃない! 私の両親は生きていけるはずだった、そんな人間も死んだら仕方がないの!? この世に戻ってきてはいけないの!?」
「サラ、あなたの両親はいつも悲痛な顔をして生活していたの?」
「そんな事、覚えているわけないでしょ!?だって、記憶は――」
そう、記憶はない。自分の両親は幸せだったのかは分からない。それでも、残った記憶は悲しいものばかり。そんな記憶に囚われて不幸な生活を毎日送っていたと思っている。
確かに、この国の税制度が厳しかったかもしれない。本当はそんなことなければ死ぬべき人たちではない。それでも、その人に訪れる運命を、死を受け入れなくてはいけない。
「輪廻転生。たとえ、死んだとしてもその魂はいつしかこの世に帰ってくる。だから、あの世界に留まっていてはいけないの。大丈夫、この世界に居たいという願いはいつしか叶うの」
「でも、それは私じゃない」
「……さっきから聞いていれば、ガキの駄々だな。結局真実から目を背けているだけじゃないか。それを叶えるために犠牲を出しても厭わない。誰しも逃げたい時はある。でも、それで何になるっていうんだ。自分さえも苦しくなるだけだ。俺は、それを知った」
「……」
サラは膝から崩れ落ちた。
その眼は少し輝きがある気がする。それとも、それは零れた涙の輝きなのだろうか。
「……この世界を変えると言ったね、ルーシャ」
「ばば、様」
背の低い老婆が姿を見せた。それは、あの世界の長である、ばば様。
ばば様が現れるとまわりの景色は一変し、ニコも隣にはいなかった。来ていたのは私たちがいる世界。
「変わる事を願いながら、他人に任せる者。違うと分かりながらも変わる事を恐れてしまう者。変える力があるにもかかわらず知らぬふりをする者。そして、変わることを望み、強く決意する者。……さて、この世界は変わる事を始めから望んでいた。それらの者たちを試すために」
「世界は、試していたのですか……?」
「ルーシャ、お前がこの世界を変えたのならば、お前という魂はまた一つの魂となり、新しい時を待つことになる。その時、お前の記憶も消える。それでもかまわないか?」
「……かまいません。ニコに記憶が残るし、私も記憶が消えたとしても忘れたなんて思いません」
「その強い気持ちが他の魂をも包み込むだろう」
ばば様は柔らかく笑った。
ばば様は何でも知っている不思議な人だけれど、なぜだか人を安心させる。その笑顔も優しさにあふれていた。
「ルーシャ、その気持ちを強く持って目を閉じなさい」
私は言われた通りに目を閉じた。
体が軽く、ふわふわとした感覚がする。
「……ごめんね、ルーシャ」
泣いていた後で少し鼻声だったその声が聞こえ、私の意識は途切れた。




