逃避
俺はただただ、逃げ出した。
目の前にいるのは確かに、俺の母だ。
ああ、でも、なんでか、顔が白いな。
なんだか、手を握っても、全く温かくないな。
なんだか、全く動いてくれないな。
なんだか、笑いかけてくれないな。
なんだか、話しかけても、返事がないな。
なんだか、なんだか……。
死んでいるみたいだな。
「……使ってください」
いつの間にか隣にいたアステリの伸ばされた手のひらには白いハンカチがあった。
「……ハンカチ?」
受け取ったハンカチの上に雫が落ちてきた。
俺は恐る恐る自分の頬に手をあててみる。その手は、濡れていた。
ああ、俺は泣いていたのか。
突然の母の執務室訪問からわずか3日後に母の容態は急変した。誰の声にも反応を見せてくれなかった。容態が急変したその日に母は息をしなくなってしまった。
俺はその場に居合わせることができなかった。ちょうど、地方視察の日だったため、俺は王都ではなく地方にいた。母の容態が急変したのを聞いたのは王都から離れた地方の村だった。
そこから俺たちは馬を走らせ、王都に急いだ。……しかし、俺が着く前に母は亡くなってしまったのだ。
「王妃様は最期にニコ様に笑って、リュエル様にごめんね、とおっしゃっていました」
医師からその言葉を聞いてどうしたらいいかわからなくなった。そこに、そこに母はいるのに、母からの言葉が違う者によって発せられる。どうしたらいい。
リュエルは必死にこらえているようだったが、その言葉を聞いた瞬間泣き崩れてしまった。リュエルも母のことを慕っていた。確かに、対立はしていたこともあったが、それでも、母のことを慕っているのは間違いのないことだった。
そこから、俺はふらふらと城内を歩き始めた。
ジュラとアステリには1人にしてくれと言ったらあっさり許された。まあ、俺のことを気遣ってくれたのだろう。さすがに今日は感謝したくないジュラにも感謝している。
ふっと、気が付くと俺は母の自室の前に来ていた。そして、ゆっくりとその重い扉を開ける。少しの期待と大きな悲しみを抱えて。
暗い母の自室にもちろん、母はいなかった。
明かりをつけて母の部屋を見渡した。今にでも母が来て「勝手に入ってはいけませんよ」と笑顔で言ってくれるような気がしていた。
ふと、机の上にあるノートに気が付く。表紙には「Diary」と書かれていた。母の、日記だった。
俺はそれを今この場で開く勇気がなかった。ここで見てしまったらきっと、きっと、何もかも嫌になってしまう。母がいないものだとはっきり知ってしまう。
俺はその日記を手に取ってそのまま自室へと向かった。 その日はすぐには眠ることなんてできなかった。今日は、あの日であるからだ。今日が終わってしまったら、母のことを忘れてしまう。もう、あのまなざしを思い出すことができなくなってしまう。この世界は残酷で、死者の記憶すらすべて奪ってしまう。大切な、大切なものなのに。
だから、俺は勇気を出してベッドの上であの日記を開いた……。
最後のあのページの文字見て、俺は耐えられなくなって、布団に顔を埋めた。
目が覚めると、次の日になっていた。
俺は何かをなくした気がしたが、それが何なのかが思い出すことができない。俺は何となく寝返りを打った。すると、目の前に1冊のノートがあった。表紙には「Diary」の文字。誰の日記だろうか。それも、俺の部屋にあるなんて。まず、俺のではない。日記をつけていれば俺が分からないわけがない。
悪い気がしたがその日記を開いてみた。
――
○月△日
晴れ 今日も1日良い日だったわ。ニコが私の為に花の冠を作ってくれてとても――。
リュエルも負けじとニコの真似をして、私は――だと思ったの。
▽月※日
毎日――でいいのかしら?私の――2人の子はすくすく成長して私としては――で、なんだか――てしまって――って思うわ。
でも、これは仕方がないことだと思っているの。
だって私は――。 明日もどんな2人の顔が見えるか――。
□月◇日
リュエルのことは――と思うのだけれど、私も何もできなくて――。
それでも、私はあの子の――ありたい。
私はあの子の母親であるのだから。
ニコとも――してもらいたいわ。成長というのは――ね。
:
×月☆日
そろそろ、私はダメなのではないかと考えてしまう。あの子たちに会えなくなってしまうのは私には――。
私にはあの子たちが――で私の――はあの子たちで、もっと一緒に――。
もしかしたら、この日記を見つけてくれるかもしれない。私のことを――。
私はね、ニコ、リュエルのことを――。
――
俺は強い喪失感を感じた。
これは、俺の母親である人が書いた日記だ。それも、この人はもう、この世にはいない。それは、ところどころ、消えてしまっているこの日記が証明している。
感情が表れている文章は、あの日を境にかすれて読めなくなってしまうのだ。そして、死者の場合はその文章がかすれるのではなく、完全に消えてしまう。その人がこの世から消えてしまったように、感情を示した文字も消えてしまうのだ。
俺は改めて自分の母の日記を読み返してみる。
「なんだよ、なんだよ、これっ。俺らのことばかりっ」
出でくる文字は俺とリュエルの名前が大半だった。この人は俺たちのことをどれだけ思っていたのだろう。でも、肝心な部分は全く分からない。
そして、一番俺がむかつくのは、それを見ても、全く何の感情もわいてこないということだ。他人としか理解できない。何もかも、忘れてしまっている。
なんで、なんで、なんでなんでなんでだ!!
日記を見ても、俺には喪失感しかない。イライラする。
思い出が、思い出が、全くない。
日記から何も分からない。自分自身からも全くなんの思い出も、気持ちもない。
ただ、すごく、むかついてしまう。
「くそっ!」
俺はなぜか泣いていた。だから、楽しい思い出なんか、なんの意味もないんだ。全部消えてしまうなら、こんな気持ちになるなら、楽しいことなんて最初から作らなければいい。もっと、もっとちゃんとそうしていればよかった。そしたらこんなにむかつくこともなかったのに。
コンコン
と、ノックの音が聞こえてくる。こんな時に誰かと思ったが、時計を見ると9時近くになってしまっている。
「ニコ、朝なんだけど」
俺は日記と涙を慌ててかくして、ベッドから飛び出た。 「今、支度する」
「はいよ」
ジュラは出ていこうとしたが、そこで何か思い出したかのように、「あ」とつぶやいた。
「今日は王妃様のお葬式だから、それなりの格好でお願いしますよ」
それを聞いて、一瞬手が止まる。
「あ、ああ」
慌てて気持ちを整えると、俺は急いで部屋を出た。日記は机の奥にしまい込んだ。きっと、もう見ることはないかもしれない。いや、俺が見たくない。
俺は朝食をとったのち、王妃様の顔を見に行くために、葬儀の前に王妃様がいる部屋へと向かうことにした。
部屋に近づいていくと、部屋の扉が少し開いており、中の人物の声が聞こえてくる。中に誰かすでにいるようだ。
さらに近づいていくと誰の声であるかはっきりとわかってきた。声の主は陛下だった。何を話しているのかと思いながら、部屋に入ろうとした、が……。
「葬儀のための金はどういたしましょうか、陛下」
「最近、何かと金が足りんからな。まあ、これもいい機会だ、お悔やみを民衆から徴収しておこう。お悔やみならだれしもしぶることはできんだろう」
「では、そのように」
俺は、駆けだした。
こんな時まで、あの人はお金のことばかり……!
こんなの耐えられない、無理だ、もう、何もかも、
嫌だ。
俺は葬儀に出る前に、城から抜け出した。
もう、こんなところにはいられなかった。
――
×月☆日
そろそろ、私はダメなのではないかと考えてしまう。あの子たちに会えなくなってしまうのは私にはとても耐えられない。
私にはあの子たちが必要で私の宝物はあの子たちで、もっと一緒にいたかった。
もしかしたら、この日記を見つけてくれるかもしれない。私のことを思い出してくれるかもしれない。
私はね、ニコ、リュエルのことを愛しているわ。
今回は2話頑張ってみました。
若干、王様の言動が行き過ぎかもですが
許してください。
過去編は結構長くなりそうです(ーー;)
記憶のお話なので仕方ない!
と思っていただくと嬉しいです。
では、また次回お会いできることを願っております。
2014/6 秋桜 空




