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【証拠はいらない】親の期待を裏切れない

作者: Wataru
掲載日:2026/02/04

相談者は、三十手前の女性だった。


服装も、言葉遣いもきちんとしている。

だが、どこか疲れて見えた。


椅子に座ってから、しばらく黙る。


「……贅沢な悩みだと思うんですけど」


「気にしなくていい」


それだけ答える。


彼女は小さく息を吐いた。


「仕事、親の会社なんです」


「そうか」


「進学先も」

「就職も」

「全部、親が決めました」


指先が、膝の上で絡む。


「付き合う相手も」

「親が反対したら、終わりで」


少し笑う。


「ずっと、いい子でした」


その笑いは、乾いていた。


「でも最近」

「このままでいいのか分からなくて」


俺は聞く。


「何が引っかかっている」


彼女は少し迷ってから言う。


「……私の人生なのか」

「親の人生なのか」


沈黙が落ちる。


「家は出られるのか」


「……出られます」


即答だった。


「ただ」


言葉が止まる。


「親が悲しむと思うと」


俺はカップを持ち上げる。


「ひとつ聞く」


彼女が顔を上げる。


「このまま生きて」

「いちばん困るのは誰だ」


言葉に詰まる。


「親は安心するかもしれない」


少し間を置く。


「だが」


視線を向ける。


「君は納得できるのか」


彼女は黙る。


やがて、小さく言う。


「……分かりません」


「そうだろうな」


責める口調ではなかった。


「親に嫌われるのが怖いのか」


彼女は、静かにうなずく。


俺は肩をすくめる。


「親というのは」


少し間を置く。


「子供が思った通りに生きなくても」

「案外、平気なものだ」


彼女が、思わず笑う。


「……本当ですか」


「少なくとも」


視線を外す。


「子供が自分を嫌いになって生きるよりはましだ」


沈黙。


彼女は、ゆっくり息を吐く。


「……一度」

「自分で決めてみます」


立ち上がる。


「失敗したら?」


「その時、また考えればいい」


ドアの前で、振り返る。


「……親に嫌われても」


俺は肩をすくめる。


「自分を嫌いになるよりは、いい」


彼女は、少しだけ笑って帰っていった。



静かになった事務所で、相棒が言う。


「……親を大切にしたい人ほど、苦しいね」


「ああ」


窓の外を見る。


「だが――」


少し間。


「親の期待する人生を生きる義務までは、ない」


それ以上は言わなかった。


だから――

もう、証拠はいらない。


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