第1話 何のために生きてんだ
「ただいまー……つっても、誰もいねーんだけど」
靴を脱ぎながら、つい独り言が口をついて出てしまった。
返事なんて、あるわけがない。俺しか住んでないんだから。
六畳一間の狭苦しい部屋は、よどんだ空気を漂わせていた。
指先で壁のスイッチを押す。
蛍光灯がチカチカと瞬いて、やがて白い光が狭い部屋を照らした。
脱ぎっぱなしのワイシャツ、転がった靴下、冷めたカップラーメンの容器。
まるで、俺自身の怠惰をそのまま具現化したような風景だ。
「あー……しんど……」
ネクタイを首から引き抜く。
シャツのボタンを外した瞬間、ようやく呼吸がしやすくなる。
ベッドの端に腰を下ろすと、スプリングが小さく軋んだ。
今夜の飲み会を思い出す。
課長はいつもの説教を始め、後輩たちは愛想笑いだけして早々に帰りやがった。
残されたのは、吐きまくる先輩と、勘定の押し付け合いだけ。
結局、全部俺が払った。幹事でもないのに。
思い出すだけで、胃の奥が熱くなる。
「……あー。ふざけんなよ、ったく」
頭がぼーっとする。酒のせいだ。
こめかみのあたりがズキズキと痛む。
「明日、絶対二日酔いじゃねーか……」
ベッドに横になる。天井を見つめる。
白いはずの天井が、少し黄ばんで見える。
あれが俺の人生の色か?なんてくだらないことを考える。
明日も仕事だ。六時半に起きて、七時には家を出る。
通勤電車の中では、無表情な人間たちの波に混ざって立っているだけ。
俺も、その中の一人だ。
篠折蓮司、三十歳。
平凡な会社員。彼女なし。趣味も特技も特になし。
何の取り柄もない、ただの“働く機械”。
仕事は楽しくもないが、かといって嫌いでもない。
惰性で生きている、という表現が一番近いだろう。
会社を辞める勇気もなければ、自分自身が変わる覚悟もない。
ただ、"今日"をやり過ごし、"明日"を迎える日々。
その繰り返し。
「……何のために生きてんだ、俺は……」
天井に問いかけてみても、当然返事はない。
聞こえるのは冷蔵庫のモーター音と、外の車の走行音だけ。
急に、世界が遠く感じた。
酒のせいかもしれない。
「あーあ……隕石でも落ちねーかな。会社でも、この家でも、どっちでもいいけど……」
俺はそのまま、まぶたを閉じた。
自分の脈の音が、どくどく聞こえる。
意識が遠のいていく。




