第三話 傾奇者というもの
夜の雑木林は、なんとも静かなものであった。
人の気配は一切なく、微かに林に生きる小さな獣や虫の音が聞こえるばかりである。
そんな静寂も、慶次にとっては心地よいしるべに聞こえていた。戦場での華やかな活躍や、人の目を惹く様な派手な格好で知られる慶次であるが、その実は和歌や芸能に通ずる、深く文化的な教養人としての一面もある。
普通の人ならば、武器も持たずに闇夜の林にひとりきりなど、気が狂いそうな話だろう。だが慶次にとっては、それすらもまた、人生の余興と言えた。
「惜しいな。いまであれば、いい歌が思いつきそうだが……書くものがない。仕方がない。諦めて、虫の声を楽しもうではないか」
小屋の中にあった小さなベッドでは、巨躯の慶次では満足に寝ることも出来ない。
慶次はそのまま床に寝そべり、天井を眺めつつそんな事を呟く。
そうして、異世界へと渡ってきた最初の夜は更けていった。
翌朝。
入り口を失くした小屋に朝陽の光が射し込む。その眩さに目を覚ました慶次は、雑木林を抜けて感嘆の声を漏らす。
元々慶次のいた日本では、山々に囲まれている土地が多い都合上、地平線の向こうから昇る朝日は拝みにくい。海の近くであれば、水平線の朝日などは拝めるが。
しかし、水平線と地平線では、その趣は違って見える。
雄大に広がる大地の、その向こう側から昇る太陽は、慶次にとってここがかつて自分が駆けた国ではないと、改めて実感を抱かせるものだった。
「これは……素晴らしいな! うむ、こうやって未だ見ぬ景色や人を見るのも、異世界とやらの楽しみであろうな。はて? そういえば、アルテミシア殿がなにか俺に、この世界でやって欲しい事があるといっておったが……?」
正直なところ、自分の肉体の変化に気をとられ、アルテミシアの説明をまともに聞いていなかった慶次は、この世界に連れてこられた意味を知らなかった。
その事に今さら気がついたのだが、もう遅い。確認する術もないなと、慶次は心の中で謝りつつも、仕方がないと切り替えることにした。
そんな慶次を照らす朝日に、一筋の影が差した。
よくよく見れば、いくつかの荷物を抱えるようにして近づいてくる、テレンスの姿であった。
「おはよう、ケイジ。早起きなんだね」
「あぁ。おはよう、テレンス。昨日は助かったよ。いい寝床をありがとう」
「ごめんね、狭いとこに押し付けちゃって。あ、これ、ちょっとだけど食料と……入るかわからないけど、お父さんの着ていた服を持ってきたんだ」
「テレンスの父上の物を? それは、大事な物ではないのか?」
テレンスから荷物を受け取った慶次は、その中にあった上下の衣服を手にとって、自分の体と見比べる。若干、慶次にとって小さそうではあるが、入らない事も無さそうだ。
だが、入る入らないの問題ではない。テレンスの父親の物であれば、それは形見ということだ。
「いいの。……もう、着る人もいないし」
「…………そうか。ならば、恩に着る。いつか、テレンスの父上の墓には酒を持っていかねばならんな!」
「お父さんのお墓に、お酒を?」
慶次の言葉に、テレンスは不思議そうな表情を浮かべる。
獣人は酩酊状態を忌避する為、あまり酒を好む者がいない。酒といえば傷口の消毒や、祭りでの儀式で捧げ物にされるくらいの物で、飲んで酔いを楽しむという文化が無いのだ。
だが、慶次がそれを知るのはもう少し先の話である。
「それで、おおばば様とやらに、話はついたかね?」
「それなんだけど……おおばば様は、一度会ってみないと判断出来ないって、仰ってたの。だから、村へ連れていく許可は出たんだけど……」
「そうか! なれば、早く向かった方がいいだろう。村はあちらの方角か?」
「え? あ、ちょ、ちょっと! 待って!!」
早速着替えを済ませた慶次は、テレンスが来た方向へとずんずんと進んでいく。置いていかれまいとテレンスもあとを着いていくが、その表情は暗い。
確かに、慶次を村へ連れていく許可はとれた。しかし、だからといってそれが村人全員の総意ではないのだ。
かつての戦争で、テレンス同様に家族や友人を失くした者は、村には多くいる。その人々はニンゲンを憎み、恨み、殺し手やりたいとさえ思っているのだ。
中には、かつては共に手をとって平和な時代を生きたと、ニンゲンと再び共存の道を辿れないかと模索している人もいる。だが、やはりニンゲンへの恨みというものは大きすぎた。
特に、それが顕著に見られるのは、若い世代の者だ。父を、母を、兄弟姉妹を。大切な者を奪われた若い世代は、戦争が終わって十年以上経ついまでも、表ではニンゲンに対して服従の姿勢を見せつつ、いつかその素っ首を掻き斬らんと、裏では爪を研いで期を待っているのだ。
そして、テレンスたち灰色狼族は、獣人の中でも特に気高く、誇りを大事にする種族だ。村の中は、反ニンゲン派が主流であり、この後慶次と会わせるおおばば様も、反ニンゲン派を掲げていた。
「だから、ケイジは村には入らずに、外で待っていて欲しいの。大人しくしていれば、その間に私がおおばば様を連れてくるから」
「なるほどな。ふーん……」
慶次はわかったような、わかっていない様な雰囲気の相槌をうつ。その返事にテレンスは不安になるが、もはや村も近づいてきて、これ以上問答をしているといつ誰に話し声を聞かれるかと、気が気でない。
村から少し離れた場所にある、岩の影に慶次を待機させると、テレンスは急いで村へと戻っていく。
その様子を眺めていた慶次であったが、テレンスの姿が見えなくなると、ニヤリと笑って腰をあげる。
残念ながら彼にとって『危ないから止めてくれ』という言葉は、掛けてはいけない言葉のひとつである。まるで悪戯でも思い付いたかの様なその表情は、慶次をよく知る者であればこの後に起こる騒動を感じさせるものだった。
「さぁて、行くかね。人を知るには、まずは会ってみんことには、拳を交わしてみんことにはわからんさ!」
テレンスは理解出来ていなかった。傾奇者という、反骨精神の塊である男たちの生き方というものを。
◆◆◆
「ただいま戻りました、おおばば様」
村の中央にある集会所。その中で待っていたのは、おおばば様と呼ばれた老婆のエクシア。テレンスの祖父である村長のギード。村の警備隊長であるレインの三人であった。
基本的に、この三人が灰色狼族の集落である『グレイフィル』の事を決めている。この度の慶次の来訪も、エクシアとギードが賛成をし、レインが反対としたことで賛成が多数となり、村へ招くことに決まったのだ。
「ご苦労だったね、テレンス。して、その女神様の使徒とやらは何処にいるんだい?」
「あの……やっぱり、村の中に入れるのは、レインさんも言ってた様に危険かなーっと思いまして、村の近くのおばけ岩の所に待たせています」
「それは結構。いい判断だ、テレンス。そんな妙なニンゲンを村の中に入れるなど、危険すぎて私は許可できませんよ、おおばば様」
──いや、危険なのは村というか、村人に襲われかねないケイジの方なんだけどなぁ。
そんな事を口には出させないテレンスが苦笑いを浮かべていると、なにやらにわかに外が騒がしくなる気配があった。
空気が変わった事をいち早く察したレインは、腰に提げていた剣の柄に手を添えながら、集会所を飛び出す。そして、目に飛び込んできた状況に絶句する。
「はーっはっはっはっ! 狼のようななりをしておるから、もう少し骨のある者が来るかと思ったが……こんなものかね!」
その笑い声は、戦の太鼓のように村中へと響き渡った。




