第二話 美しい毛並みを持つ少女
慶次の眼前に立っていたのは、なんとも異形の姿をしたおなごであった。
顔面は狼の様な顔つきで、腕なども体毛に覆われている。まるでそれは、怪談話で聞くような異形の者……物の怪の類いにも見えるものであった。
だが、慶次はそんな事は一切思わず、ポロリと心に浮かんだ言葉を溢した。
「美しいな……」
「…………え?」
「その毛並みの話さ。どんなに豪華な毛皮にも、その美しい灰色の毛並みが勝つことは叶わんだろうな。いや、誠に見事也!」
──ニンゲンに、そんな風に褒められたのは初めてだ。
そんな事を、美しい毛並みを持つ、灰色狼の獣人の少女・テレンスは思った。だが、それと同時に、眼前にいる『敵』とも呼べる存在に、警戒心を解くことはない。
テレンスは身を守るために腰に提げていたナイフを抜くと、震える手でそれを構えて慶次に相対する。
「なぜ、ニンゲンがこんな場所にいるんだ!」
「ん? あぁ、すまなかった。この辺りはお前たちの縄張りかね? 俺の名は、前田慶次。訳あって、いまはそう……放浪の旅人の様なものだ」
「う、嘘だ!」
慶次の言葉に、テレンスは精一杯の虚勢を張る。
目の前にいる慶次という巨躯の男は、自身を旅人だと自称している。だが、おかしいではないか。
旅人が、何故こんな何もない場所で、全裸で立っているのか。そして、その体に刻まれている古傷の数々は、どう見てもただの旅人が付けていて良いような数でも大きさでもないのだ。
「おぉ? あっ! すまん、すまん! 俺もこんな格好を好きでしているわけではないのだ。だが、生憎服も褌も取りに行ける場所に無くてな。よければ、何か身に纏う物を戴けると助かる」
「ど、どうでもいいから、早く前を隠せぇ!!」
テレンスは赤い顔をして、鞄の中に入れていた手拭いを慶次へと投げつける。
胸や腰といった、女性らしさの感じる体つきであるテレンスだが、それでもまだ成人前の少女である。些か、慶次の持つ常人離れをした半身は、刺激が強すぎた。
「これはかたじけない。っと、本当に腰を隠す位しか叶わんな。だが、まぁ良いだろう。して、美しい毛並みのおなごよ。ここは何処で御座るかな? 出来れば、俺を人里まで案内して貰いたいのだが」
「……テレンス」
「ん?」
「私の名前だ。グレイフィルが族長の孫、テレンスだ」
「おぉ、そなたの名か。先程も名乗ったが、俺の名は前田慶次と申す」
「マエダケイジ……?」
「気軽に慶次とでも呼んでくれ」
そう言ってニカッと笑う慶次に、テレンスは少しばかり困惑する。
自分達獣人にとっての、否、まさに親の仇と言っても良い存在であるニンゲンなのに。どうして、慶次に対してはそんな悪感情を抱かないのか。それが不思議でならなかったのだ。
時は、十年と少しばかり前。
モンスブルクという、獣人達の国が存在していた。国土は狭く、資源も少ない国ではあったが、獣人持ち前の身体能力と、仲間を大事にする気質によって、それでも長く続いていた国であった。
しかし、それまで良き隣人としてあったコルセニア王国が、突如として牙を剥いてきたのだ。
後に『獣人戦争』と呼ばれるこの戦いで、モンスブルクは首長が討たれ、数の暴力によって国土も失った。いくら個が優秀な獣人とて、その数倍から十数倍にもなる数の差では、戦局を覆すことが出来なかったのだ。
どうして、いままで仲の良かった国が、突然襲いかかってきたのかは、定かではない。領土拡大を望むコルセニア国王の采配か、この戦争の少し前からにわかに広まり始めた、亜人排斥を掲げる宗教によるものか。
とにもかくにも、獣人たちは家族を、仲間を、国を失ったのだ。
テレンスも、両親と弟をこの戦争で失った。幸い、村長である祖父祖母は無事だった為、天涯孤独の身とはならなかったが、それでも多くのモノを失ったのだ。
その怨敵であるニンゲンが目の前にいる。だのに、不思議と慶次という男に、テレンスはその憎しみを抱くことが出来なかった。
だからといって慶次を村へ連れていけるか、というと話は別である。
「ケイジ……悪いけど、村へは案内できない。知ってると思うけど、獣人はもうニンゲンとなにかを共にするなんてことは、今後一切ない。村へ連れていくなんて、もっての他だ」
「ニンゲンと? それは、どういう意味だ? 俺もまだこの世界とやらに来て短い。その辺りの事情を教えてくれると助かるのだがな」
「この世界に? それは、どういう……?」
慶次の言葉に、困惑の色を濃くするテレンス。
──別に、アルテミシア殿に口止めされている訳でもなし。事情説明くらい良いだろう。
そう考えた慶次は、テレンスに自身に起こった事を包み隠さず話した。
それに対し、テレンスは驚いたり不審に思ったり。また、女神を抱きたいと豪語する慶次に対し、赤面したりと、コロコロと表情を変えて話を聞いた。
そして、その話を聞いたテレンスがとった答えが。
「わかった。ケイジの話が本当かどうか、私にはわからない。けれど、もし本当に女神様の使徒であるのなら、放ってはおけない。村に戻って、おおばば様に判断をしてもらう必要がある」
「その、おおばば様というのは?」
「おおばば様は、女神教の司祭を為さっているお方だ。村の大事な決め事にも関わる」
「ほう、相談役というものか。わかった。俺はここで待っているがゆえ、もし村へ連れていってくれるのであれば、また迎えに来て欲しい。ダメであれば、迷惑にならん範囲で物資を頼みたいのだが」
「ここ、で……? それは、危ないよ。ここは森とは違って、そこまで危ない生き物もいないけど、それでも夜は危ないんだ。村へは連れていけないけど、ボクの隠れ家に匿ってあげる」
自慢げに言うテレンスが慶次を連れていった場所は、平原の中でも少しばかり木々の生えている、雑木林のような場所であった。
微かに獣臭が漂うその場所は、確かに少しばかり身を隠すには良い場所であった。ただ、これだけだだっ広い平原にポツンとある雑木林だ。潜伏するには、些か逆に目立つとも言える。
しかし、一晩ほど隠れるのであれば問題はないだろう。そう判断した慶次は、テレンスに感謝の言葉を述べ、雑木林の中にあった小さな掘っ立て小屋へと入る。
「これは……む? あ、ダメだな。壊してしまった……」
建付けの悪い襖だと、慶次は入り口を思いっきり横に引っ張ってしまった。すると、その『扉』はあっさりと壊れ、ただの木片へと化してしまった。
まだ西洋建築がそこまで広まっていない時代に生きた慶次である。扉はノブを握って引いたり押したりすると、そんな常識はないのだ。引き戸かと勘違いした結果である。そもそも、廃材で建てられた小屋ゆえに、元々壊れかけでもあったのだが。
風通しのよくなってしまった小屋に、慶次は一人佇む。大柄な慶次にとっては、この小屋は『箱』と呼んでもいい。だが、そんな小屋にはテレンスがここで生きてきたであろう痕跡が見えた。
道中に語られた、『獣人戦争』の話。そのなかで、テレンスは家族を失ったというものもあった。
慶次とて、戦乱の世に生きた戦人である。戦の影に命を落とし、涙を流してきた存在というものも知っている。だから、そういう事もあるだろうとは、頭では理解している。
だが、それは決して、そういう事を肯定している、ということではない。
華やかに戦舞台に立つ傾奇者とて、その根底は人なのだ。
家族がおり、友がおり、生きておる。そんな人間、ヒトだからこそ、命の尊さや輝きを重んじるのだ。
傾くとは、決して命を粗末にすることではない。命を賭さんと獲られないものがあるからこそ、傾くのだ。
テレンスが大事にしていたであろう、家族を描いたであろう肖像画。それを手にし、慶次はやるせない気持ちになるのであった。




