雨空とケーキ
長年の気持ちを整理できると思えた日から。
直ぐにでも切り替えたいけど、そう上手くはできない自分に落ち込む男の子。
梅雨の走り、鈍色の空から落ちた雨粒が壁を伝い校舎の窓を濡らしている。
昇降口に着いて少しだけ湿っていた鞄の表面をハンカチで拭い、閉じようとした傘から髪へ垂れた露を払った。この時期特有のまとわりつくような湿気に少しだけ眉を顰める。
(アイツは濡れてるんだろうな)
教室へと向かう途中、ふと昔から傘を差すのが下手くそな友人のことを思う。傘を差しているにも関わらず、5分もすれば制服はしっとりと水気を帯び、ローファーの中に入った雨水が靴下を濡らしていた。
本人は「気をつけてんのに」と毎回嘆いているが、歩く道すがら並列している俺からすると、話すことに夢中になるにつれて肩を支点に地面と持ち手がほぼ並行になっている傘を見れば一目瞭然の理由があった。足元は大股な歩き方も原因の一つだろう。大きく跳ね返った雨水が逆足を前に出そうとすることで靴にかかってしまう。何回か伝えているがなかなか変わらないヒロムの癖だった。
「風邪引くし、いっそ合羽でも着れば?」と提案したことがあった。しかし「隣が傘差してんのにオレだけ合羽とか、なんかダサいだろ。チャリでもないのに」と、学校から借りたドライヤーで人様に制服を乾かしてもらいながら、自身の濡れた髪をタオルでガシガシと拭っている体操服姿の馬鹿に「呆れた」と溜め息混じりに笑ったのは随分前の話だ。
「アキくんおはよう」
「っ!」
なんとなく昔のことを思い出しながら廊下を歩いていると後ろから声を掛けられた。
この声が聴こえると、いつも少しだけ喉に何か詰まるような感覚に陥った。
ヒロムへの気持ちを少しずつ整理できると思えたあの日から、頭の中で何度もシミュレーションはしていた。だけどいざ自分から声を掛けようとすると足がすくんでしまい行動できなかった。
(逃げるな、逃げるな)
いつものように体が怯みそうになる前に、その感覚ごと振り切る思いで、グッと背筋を伸ばし声の主へと身体を翻した。
「相田さん!」
「うわ!びっくりした」
振り返ると直ぐに彼女と目が合った。
「あ、驚かせてごめん、おはよう」
逃げるように視線を下へずらしてしまう。すると彼女の持ち物に目が留まった。
「そのタオル…」
相田さんは淡いクリーム色のタオルを胸に抱えて立っていた。端には菜の花だろうか、黄色の小さな花が刺繍されている。たしか相田さんの下の名前は菜の花と書いてナノカだった。
「あは、いや私が急に声掛けちゃったから。タオルはヒロムくんが雨にだいぶ濡れちゃったみたいで。風邪ひくとよくないから」
「傘は持ってきてたらしいんだけど…」と眉を少し下げながらも微笑む相田さんは誰の目から見ても健気で可愛らしいヒロムの彼女だ。
「なんでだろうね」
「バカだから風邪ひかないよ」と、校内のどこかでずぶ濡れになっているらしいヒロムを茶化すと、彼女はコロコロと笑っていた。
ヒロムの傘を差す時のクセは、きっとこれから二人の間で気づき、笑い話として日常に馴染んでいくのだろう。その過程もきっと楽しい。だから、俺から言うのは違うと思った。
「あ、予鈴鳴っちゃう」
腕時計を見てヒロムの元へ急ごうとする彼女を呼び止めた。
「相田さん!・・・その、ヒロムから聞いた。遅くなったけど、おめでとう」
一瞬頭にハテナを浮かべたような顔をしたが、その後合点がいったようで「あっ」と少しだけ頬を赤らめながら「ありがとう」とはにかんだ彼女を見送った。
ふと窓に目を向けた。窓ガラスに打ちつける雨粒は変わらず等しく降り注いでいる。
ーーーーー
『よかったらうちの文化祭来ない?』
スマホに届いたメッセージとかれこれ20分程睨み合っている。
朝から降っていた雨は止む気配もなく、帰りのホームルームが終わった今もまだ降り続けていた。部活へ向かう友人らを見送った後、せめて雨足が弱まってから帰ろうと教室で時間を潰しているが一向に帰れそうにない。
あの日、葉月と連絡先を交換して以降ゆるゆるとメッセージのやり取りは続いていた。
返却されたテストの話から出題範囲の話になった時、改めてお互いの学年を確認した。確認した結果、勝手に同級生だろうと思っていた葉月は、どうやら一学年下だったらしい。
次のメッセージから急に敬語を使い始めた彼に律儀だなと思いつつ「今更変えられると却って気まずい」と伝えた。すると直ぐに「オレも」と返信があり、その後のメッセージからまた砕けた調子に戻った言葉が続いていた。
葉月とのメッセージのやりとりを通して、少しだけ感じることがある。
染めているだろう髪や着崩した制服から受けた印象に反して、意外と礼節を気にしている所がある。歳が近く同じ学校でもない俺にまで気を遣っているあたり、根が真面目というか律儀というか。
初対面の時に情けない姿を見られているこちらとしては、そんな出来た態度をとられると自分との対比に情けなさと恥ずかしさで胸の中を掻きむしりたくなる。
そんな俺のちっぽけな葛藤など意にも介さず、葉月は気さくにメッセージをくれた。
期末テストが落ち着いた葉月の学校では本格的に文化祭の準備が始まったらしい。葉月のクラスは社会勉強と地域貢献を兼ねて、地元のお店から棚卸ししたお菓子の販売をするらしく「楽しみだけど準備がヤバい」と葉月がこぼしていた。
それもそのはず、地元で西校の文化祭は有名だった。
西校の文化祭は学校だけではなく周辺地域の民間団体や地域店とも協力して行われるため、規模が大きく発表や展示、販売も毎年凝ったものが多いと聞く。
去年ヒロムに連れられ初めて見に行った時には、生徒が地域店と共に開発を行ったという、名産を使ったクッキーが販売されていた。ローカルテレビの取材を受けながら商品開発の経緯や苦難を話す生徒が同年代ながらかっこよく見えたのを覚えている。
他にも外部から協力を受けて行われる出し物はどれも目を惹かれるものばかりだった。そんなこんなで西校の文化祭は毎年来校者が多く大盛況らしい。
そんなイベントにまた行けるかもしれないという事も楽しみだが、何より誘ってもらえたことが嬉しかった。
突拍子もない出会いから始まった繋がりが続いていることが、なんだか嬉しい。情けなく咄嗟に逃げ出したあの日の行動が意味を持って報われたような気さえする。
初対面の時の振る舞いといい…
(葉月、人が良過ぎるのでは)
いつか悪いことに巻き込まれやしないか心配だ、と余計なことを考え始めた自分に気づき、改めて手元のスマホに意識を戻した。
とりあえず文字を打ってみる。
『行きたい』
「・・・」
トットッ…
『マジ?やった』
「・・・図々しくないかな」
トットットット…
『いいの?』
「・・・なんか違うな」
打っては消し打っては消しを繰り返し、もうすぐ時計の長針が半円を回りそうだった。
誘われたこと自体は嬉しいのだが、出会って間もないこともあり、なんとなく気後れしてしまっている。
気づけばスマホを掲げるように両手で持ち上げ、曲げた両肘の間に項垂れていた。机とくっついた額が湿気でベタつくのが気になって何度も置き場を探っていると、頭上から耳慣れた声が聞こえた。
「何してんの?アキ」
友人として応援しようと決心したものの、積年の想いを直ぐに切り替えることは難しいようで。
咄嗟に表情を繕える自信がなかったから、せめて動揺を悟られまいと伏せた姿勢のままに返答した。
「あー、雨が酷いから時間潰してる」
「ほんと全然止まないな」
前の席の椅子が引かれる。ヒロムが腰掛けるのがわかった。
「相田さんは?」
ヒロムは告白が実った次の日から相田さんと一緒に下校している。双方照れもあるようで少しだけ距離を空けつつも相手の顔を見ながら嬉しそうに話して帰る後ろ姿が切なくもあり微笑ましかった。
ずっとこのままの姿勢でいるのも変だと思い、机にくっついた額を浮かせ少しだけ顔を横に向けた。窓から暗い光が差している。横髪が顔にかかったが今は丁度いい。
「今日は女子だけでカラオケなんだと」
俺の視線を追うように窓の方を向いて話すヒロムの行動に未練がましく少しときめいてしまう。そんな内心を悟られないように話を続ける。
「ふん、振られてやんの」
「そう、振られちゃったから相手してくれ」
「彼女持ちとは遊ばなー…っ」
軽口に軽口を返そうとした時、つむじ付近の髪が引っ張られるのを感じた。思わず言葉に詰まってしまう。
「ここだけ茶髪だ。てか赤い?」
髪の毛越しに少しだけ冷たい指の温度が伝わってくる。
「ちょっと、やめろよ」
早く離してほしくて頭を左右に振ったが、そっと掴まれる束が増え、時折優しく引かれる感覚が繰り返し続いた。
「意外と編めるかも。動くなよアキ」
普段通りのヒロムの声のトーンに、自分だけがテンパっている状況を自覚し、小さく自己嫌悪する。
「・・・短いだろ」
「5センチくらいは編める」
「暇かよ」
「振られたって言っただろ。・・・やっぱり三つ編みって難しいよな」
「なんで、急に三つ編みなんか…」
「ナノカがデートの時にしてたのが可愛くてさ。セットも大変だったのかなとか思うと余計グッとくるじゃん?」
不意の呼び捨てと惚気のダブルパンチをモロにくらってしまった。己の諦めの悪い部分を引っ叩かれたような、痛恨の一撃だった。だからこそ、辛うじて言葉を返すことが出来た。
「ナ…、の、ろけかよ…」
「へへ、浮かれてんの」
ヒロムは鼻歌混じりに俺の髪を編み続ける。
こんな浮かれポンチの一挙一動に相変わらず振り回される自分なんか早く消えてしまえばいいのに。
(いやだ、聞きたくない。やっぱり苦しい)
ポコン
沈んでいく胸の内とは裏腹に、手の中のスマホから軽快な受信音が鳴った。
「連絡きたぞ」
「わかってる…」
スマホを見ようと身体を起こしながら、不自然にならないようヒロムの手をそっと払った。
メッセージの相手は葉月だった。
『大丈夫?』
(大丈夫ってなんだ?返信遅かったから?)
不思議に思い、今までのやりとりを読み返そうとして直ぐに質問の理由がわかった。
『待つ検査バステストMATSU』
「は?」
「どうかした?」
送った記憶のない文章が間違いなく自分の方から葉月へと送信されていた。文章というか言葉の羅列…
(は、まさか誤タッチで送信して…!?これ予測変換で!?)
『急で困らせた?断ってくれても全然DAIJOUBU』
次のメッセージが届く。
(いや、さすがに誤送信って気づけ!なんだそのローマ字、これ若干茶化してるのか?)
「アキ、大丈夫?」
「大丈夫じゃない!」
ヒロムの心配を制し、葉月の気を遣いすぎているのか揶揄っているのか、いまいち意図の読めないメッセージに慌てて返信を打つ。
『ごめんミスった!誤タッチ!』
ポコン
直ぐにヒラメのようなカレイのようなマンボウのような、やはりモチーフがよくわからないキャラクターがじぃーっと怪しむようにこちらを見ているスタンプが返ってきた。
『ほんとに?』
『困ってないから!誘ってくれて嬉しいよ』
ポコン
『よかった』
今度はメッセージに続けてヒラメのような(略)キャラが「わーい」と嬉しそうに手を上げているスタンプがついた。更に続けてメッセージが届く。
ポコン
『TANOSHIMI』
やっぱりふざけているだろう葉月の返信に思わず笑ってしまう。とりあえず「やめろそれ」と返事を送った。変な誤解をとけたことにホッとする。
勢いで返答してしまったし気づけば行く方向で話が進んでいる。
(いや、もともと戸惑ってただけで断るつもりはなかったけど)
心の中で誰に対してかわからない弁解をした。
「最近なんか付き合い悪いと思ったらそういうことかよ〜」
何やら目の前でニヤニヤとしているヒロムと目が合った。
「何だよその顔」
「その子、葉月チャン?好きなのか?」
「は?てか、なんで名前…」
「さっきスマホ掲げてた時に見えた。文化祭に誘われるなんて、もう脈アリだろ」
ヒロムは「告っちゃえよ」と下手くそなウインクをしながらサムズアップしている。俺は立てられた親指をそっ…と手の平で包み、そのままグッと関節の逆方向へと力を込めた。
「イタタタタ」
「葉月はそんなんじゃねーよ!この浮かれポンチが!!」
親指を庇うように椅子から崩れ落ちたヒロムを放って「一人で暇してろバカ!」と捨て台詞を吐きながら勢い任せに鞄を掴み教室を飛び出した。これが八つ当たりなことは自覚している。ヒロムにも申し訳ないと、ほんのうっすらとだけ思っている。俺が未練がましいのが悪いこともわかってる。
だけど。
(だからって、失恋の念押ししすぎじゃないか神様!!)
割り切りたいのに、割り切りたいのに。些細なことでいまだにブレてしまう自分に腹が立つ。
どこにぶつけたらいいのかもわからない苛立ちを払うように、走る足に力を込めた。日頃の運動不足がたたり踏み込んだ足首が少し痛んだが今はどうでもいい。とにかく腹が立つし、一周回ってまた泣いてしまいそうだ。
それでも今回は室内履を外靴へきちんと履き替え、傘も取って昇降口を抜け出した。手にした傘は閉じたまま、けれど人に当たらないよう縦に持って走り続ける。
雨なんか知ったもんか!
涙が隠せて丁度いいくらいだ。
今朝から降り続ける雨は、あいも変わらず降り続いている。もう止むことはないのかもしれないと錯覚する程に、遠くに見える山の稜線まで重い雲が満ちている。
それでもきっと、少しずつ少しずつ晴れ間が見えると信じたい。
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「葉月って言葉は秋の季語らしい」
「え?」
先日の雨は徐々に雨足を弱めつつ、止んだり降ったりを繰り返しながら数日続いた。それでも時間が経てば雨雲は流れ、今日は日中気持ちのいい青空が広がっていた。草木も連日の雨で生き生きしているように見える。昼間に窓から見えた中庭の紫陽花も陽を反射する雫とともにキラキラと鮮やかに賑わっていた。
「だから、葉月って言葉は葉が落ちる頃って意味が語源の秋の季語なんだと。説の一つだけど、現国の資料集に載ってたんだよ」
「・・・また授業そっちのけで資料集読んでたな」
30分前のこと、授業も終わり久しぶりに図書室に寄ろうと思い立ったのが間違いだった。図書室のある棟へ行く為渡り廊下に向かう途中、委員会の集まりに出席している相田さんを待つ間暇を持て余していたヒロムに見つかった。
「寝るよりマシだろ?」
「授業聞いてないんだからどっちも一緒だろ」
「周りからの見え方が違うからな」
「昔から授業態度だけはいいもんな」
「だけじゃねーわ!俺は態度で成績にバフ掛けてっから。てか『葉月』と『アキ』って言葉が繋がりあって運命的じゃんってハナシだよ」
「ぐ…」
数日前に葉月とのやりとり画面を見られてから、葉月を女の子と勘違いしたままのヒロムはしつこくこの話題を振ってくる。
今まで二人の間でする恋バナといえばヒロムに関することばかりだった。だからなのか、急に降って湧いた俺の恋バナの予感にウキウキとした視線を隠しもせず、話してほしそうに毎日俺を見かけては寄ってきて恋バナの糸口を探ってくる。
葉月は男だと説明しようかとも思ったが、失恋のショックを上手く隠せないでいる自分の現状を鑑みると、恋愛対象が女の子なヒロムから見て、別の恋愛の影が見える方が都合がいいのかもしれないと思った。だから説明はしていない。
俺の場合、男であるヒロムを好きだったことを考えると、ヒロムの盛り上がりは案外的外れでもないのかもしれない。それでも失恋から立ち直ろうとしている最中、好きだった奴からそう言われるのは、どうやっても穏やかには流せない。仮に俺がそういう勘違いをするのは葉月の優しさに対しても失礼だ。
「・・・だから何」
「何って…もしかして勝手に画面見たこと怒ってる?それは悪かったよ、ごめん。でもアキだって教えてくれてもよかったくない?親友じゃん」
「『よかったくない?』てどっち?」
「よかった“ん”じゃない?」
話題を逸そうと言葉尻に触れたが、そうはさせまいとヒロムは直ぐに言い直した。逃がさないと言わんばかりに一歩距離をつめてこちらを覗き込んでくるヒロムに気圧されそうになる。なんでそんなに食いついてくるんだ、放っといてくれ。
ペチンッ
「いたっ」
色々と負けそうになる自分に喝を入れるように、大きな音を立てるようにしてヒロムのデコを指先で叩き、軽く押し返した。
「・・・よかったくない」
俺の恋バナなんて、お前に言える訳ないだろ。
「・・・ん?その場合どっちだ?」
「はぁ、知らない」
疑問符を頭に浮かべているヒロムを置いて歩き出す。
「相田さんそろそろ戻ってくるんじゃない?散った散った」
振り返りシッシッと片手で追い払う仕草をするとヒロムは「恥ずかしがんなよー、ケチー」としょぼくれた顔で文句を垂れながら反対方向へ相田さんを迎えに行った。
「はぁ」
気づけば日が傾き、空は少しだけ赤みがかっていた。今から図書室に行っても直ぐに終了時間になってしまう。目当ての本があるわけではないが、本の世界に没頭したい気分だった。そして、新刊を買うには心許ない小遣い事情。
(図書館に行こう)
学校の近くに市立図書館がある。少し歩くがそこなら閉館時間までまだ余裕があった。
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図書館を出る頃には更に日が沈み、夕焼けに染まった雲の上部に夜の影が出来ていた。
「〜♪」
以前読んだ本の続刊が出ていたのだ。前巻はだいぶ前に発行されたものだったから、続きが読めるとは思っていなかった。
(帰ったら速攻で風呂入って宿題して…)
帰ってからの予定を立てつつ、嬉しさに緩む口元を袖口で隠しながら足を早めた。
「うわぁぁぁん!」
「!?」
どこからか子供の泣き声が聞こえた。慌てて周囲を見渡すが子供らしい姿は見えない。それでも続く泣き声の方へ耳を澄ませ走って向かった。すると道沿いに構える洋菓子店の前に小さな影が見えた。
とりあえず急いで駆け寄ると店前にある小さな駐車スペースの縁石に座りこんでいる女の子がいた。歳は小学校低学年くらいだろうか、顔全体を拭うように小さな両腕を何度も動かしている。
「う〜…っひっく」
「大丈夫!?どうしたの」
「っ!」
突然知らない高校生に声を掛けられたら怖いだろうか。どうしたらいいか迷い、とりあえず二、三歩離れた距離から尋ねた。女の子は驚いた様子で泣き止み、こちらを見つめ返すのみだった。一見したところ怪我などは見当たらない。
「どこか怪我した?痛いとこある?」
問いかけに女の子は小さく首を振った。
「痛いとこはないか、よかった。とりあえずここは車が来るから危ないよ」
怖がらせないように出来るだけ柔らかい声を心がけながら一歩近寄る。周囲に保護者らしい人は見当たらなかった。後ろの洋菓子店は定休日なのか、もう閉まっているようで明かりはなく、目を凝らすと木製の扉中央にCLOSEと書かれた札が掛かっている。
「・・・っおば…」
「おば?」
カランコロン
「キャーー!!」
「!?」
女の子の背後にあった扉が突然開き、ドアベルの音が聞こえた。普段は客の入店を知らせているだろう軽やかな鐘の音に女の子は驚いたようで悲鳴をあげながら俺の方へ飛び込んできた。
驚きながらも咄嗟にキャッチできたが勢いあまって尻餅をついた。痛みに眉を顰めつつ恐る恐る開いた扉を見上げる。
扉の向こうには髪を後ろにまとめ上げ、エプロンをつけた20代くらいの若い女性が立っていた。女性も女の子の声に驚いたようで「わっ!どうしたの?大丈夫!?」と直ぐにこちらに駆け寄り目線を合わせるようにかがみ込んだ。
その声に反応するように女の子が勢いよく頭を上げたことで、くの字の形で女の子をキャッチしていた俺の鳩尾にクリーンヒットし、俺は「ぐぇ」と潰れたカエルのような声を出して後ろに倒れ込んだ。
そんな俺を気にも留めず、女の子は状況がわからずにどちらを心配するべきか戸惑っているお姉さんの方へ振り返り、グーに握った右手を出しながら「ケーキください!」と大きな声で言った。その時に女の子の顔を見たお姉さんも「ももちゃん!」と更に驚いた様子で名前を言った。
ーーーーーー
お姉さんに案内され店内へ入ると、柚子だろうか、柑橘系の爽やかな香りと焼き菓子の甘い香りがした。明かりが落とされた店内を見渡す。扉同様に木目調を主とした造りは温かさと居心地の良さを感じさせた。
ショーケースの上には水玉の傘を手に持ちカッパを来たクマの折り紙が飾られている。黒いボタンが貼り付けられた素朴な瞳と目が合った。
奥に設置されたカフェスペースへと通される。お姉さんの対面に腰掛けようとすると、その隣に座ろうと女の子が両手をついて椅子に飛び乗ろうとした。慌てて手伝おうか尋ねたが「自分でやる!」と話したので、ひっくり返らないように椅子を押さえた。小さい体を目一杯使って着席する様子を見守った後、お姉さんが話を切り出した。
「ももちゃんはお得意様だもんね」
「おとくいさま?」
「たくさんお店にきてくれるお客さんってこと」
「うん!ももちゃんね、ママとよくここにきてるよ」
先程までの涙はあっという間に引っ込んだようで、ももちゃんと呼ばれた女の子は元気に俺の方を向いて教えてくれた。
「知り合いだったんですね」
「そうなの。今日はママと一緒じゃないの?」
「おばあちゃんがね、コンコンしてるからね、ママはお家でカンビョーしてるの」
会話に混ざろうと両手を机に乗せて前のめりに話す姿を微笑ましく思いながら、ひっくり返りそうになる椅子の背もたれをそっと抑えた。
「そのおばあちゃんにケーキを買っていってあげたかったんだ」
「うん。おばあちゃんケーキが大好きだから」
「そっか、優しいね。でも一人で来ちゃったのは良くなかったかも。ももちゃんがいなくてママきっと心配してるよ」
「うん…」
お姉さんに注意され少しだけシュンとする。そんな女の子の様子を見てお姉さんは思いついたように両手をパチンと合わせた。
「よし!じゃあママに連絡してお姉さんと一緒に帰ろっか。ケーキもちょうど試作品が出来たところなの。美味しく出来たし日持ちするものだからおばあちゃんに持っていってあげよう」
「・・・うんっ!」
「さっきもらったお金はお返しするから、また今度おばあちゃんが元気になったら一緒に買いに来てね。君もよかったらもらっていって。困ってる子に優しくしてくれたご褒美」
「そんな、ご褒美なんて…俺何もしてないので」
「遠慮しないで、それとも甘いのは苦手?」
「う…正直なところ、大好きです」
「ふふ、よかった。包むから二人ともちょっと待っててね」
そういってお姉さんはショーケースの奥へと移動する。女の子のほうを見ると大きな瞳と目が合った。
「おばあちゃんきっと喜ぶね」
そう言葉をかけた俺に、女の子は「うん!」と嬉しさいっぱいの顔で返事をした。
ーーーーーー
「気をつけて帰ってね」
「お兄ちゃんありがとう!またね〜」
最初に見掛けた時の大泣きが嘘のようにニコニコと元気いっぱいに手を振るももちゃんと、その隣で同じく手を振るお姉さんに倣って俺も手を振り返した。少しだけ年相応に気恥ずかしさもあったが、ももちゃんの無邪気な言葉に自然と頬は緩み、手を振り返さない選択肢など無くなった。これが兄心というやつなのかもしれない。
(またね、だって)
ほくほくとした気持ちを胸に、改めて帰路に着く。外はすっかり日が暮れ、車道から届く点々としたライトの眩しさに目を細めた。
右手にはお姉さんにもらった柚子のケーキ、左手には楽しみな新刊が入った鞄を持っている。
(俺、今すごく幸せかもしれない)
数時間前の落ち込みも吹き飛び、心が軽くなったように感じる。
この幸せを誰かとシェアしたいと思った。
雲ひとつない空からは、散りばめられた星々が地上へと淡く光を届けている。すれ違う人は少なく、日が隠れた今は少しだけ冷たい夜風が頬をくすぐった。
ふと、鯛焼きの温かい甘さが頭に浮かんだ。
ヒロム〜〜!




