其の六 浦ノ島海岸を覆う影
バシン、バシン。ドシン、ドシン。
どこまでも真っ白な砂浜に、なにやら物騒な音が響く。
「えい、やあ!」「食らえ!」
さらに子供のかけ声も加わり、実に騒々しい。
桃次郎は淡いさざ波のうち寄せる浜辺を行き、音の方へ近付いた。
そこにあったのは、たくさんの子供たちが作る人の輪だ。
ただし、その子供は──人間ではない。
──亀人間。
全身が真緑色、背中に甲羅をもち、直立二足歩行をするもののけ。
ときに河童と混同されるが、まったくの別物だ。
その亀人間の子供たちが、皆で何かを囲み、殴ったり、蹴ったりしている。
よくよく見ると、それは釣り竿と魚籠を下げた、人間の青年であった。
「──おい、ガキ共。なにしてやがる?」
そう声をかけると、こちらをふり向いた子供たちは皆、ギョッとしたような顔をした。
無理もない。なにせ桃次郎の躰は七尺(約2.1m)ある。
鬼に変化などしなくとも、そのままでじゅうぶん人間離れしているのだ。
「──え? てか──アンタだれ?」
「人間? 化け物じゃね?」
「──ちょっと、マジキモいんだけど──」
子供たちは口々に話し始め、さっきよりも余計にうるさくなった。
──と、彼らの中から、今まで黙っていた頭一つ大きい子供が進み出た。
「これから殺して喰うんだよ。オイラたちはそうやって知恵を得る。あのお方も、それが正しいことだってオイラたちに教えてくれた。つまり、なんていうか、それが自然の摂理? 適者生存? ──で、なんか文句ある?」
「──いや、文句はない」
全員を睨みながら、桃次郎は言った。
「喰って強くなるのは当たり前だ。弱い者は喰われ、強い者だけが生きる。
その法則になんら異論はない。が、残念なことに、俺はその男に用がある。
渡さないというのなら、力づくでも。お前たちが弱い場合、とうぜん俺はお前たち全員を喰う。──準備はいいか?」
彼らは一瞬、互いに顔を見合わせた。
「──お、覚えてやがれッ──」
亀の子は、蜘蛛の子を散らすように、あるいは脱兎のごとく逃げ去った。
「──た、助かりました! 本当にありがとうございます!」
亀のように丸まり、暴行に堪えていた青年。
こちらに駆けてきて、ぺこぺこと頭を下げる。
「危うく、もののけに喰われるところでした! なんとお礼を申し上げればいいか。──よかったら、釣った魚をお納め下さい」
「いや、要らん。腹は減っていない。
──それより、お前が隠し持っている不思議な箱を渡してもらおうか?」
その言葉を聞いた途端、青年の目が明らかに泳いだ。
「──え? 箱、ですか? いやあ、なんの話だろうなあ。ちょっとよく解らないですね」
桃次郎はなるべく優しく、男の左腕を小突いた。
──ベキン。腕が折れた。
「うぎゃあああああああ! ──な、なにを、するんだああ!」
青年は砂の上に屈み、折れたところを必死にかばう。
桃次郎は同じように背を低くすると、相手の耳へ向けて優しく話し始める。
「──近隣の漁村でこんな噂を聞いた。百年以上前から老けもせず、同じままの姿の男がいると。そしてそいつは、どうも海の中の化け物の手下で、生贄にたくさんの人間を捧げてる、ってな? どうせさっきの亀どもも、やがては供物にするつもりだったんだろ?」
青年の悲鳴が止まっていた。
ふいにこちらを向くと顔面を肉迫させ、ぎょろりと睨む。
その顔は、目玉が飛び出しそうなほど大きい、魚類に似たものに変わっていた。
「──チッ。お前が邪魔しなかったら、今頃ぜんぶ上手くいってたんだよ──ボケェ」
桃次郎は男の右腕を握った。
ゆっくり、ゆっくり、力を込めて行く。
ミシミシと、悲鳴のように骨が鳴った。
「ひ、ひぎいいッ!」
「さあて、魚クンよお? 右の腕も折られたくなきゃ、さっさと箱を寄こせ。それでも足りなきゃ、両脚もへし折るぞ?」
「ず、ずみまぜんッ! 止めで下ざあい! 言うとおりにしますからッ!」
放してやると男はよろよろ立ち上がり、自分について来るよう言った。
大切な箱なので、普段は持ち歩かぬのだという。
「──騙したら承知しねえぞ?」
「ハイ、もちろんです! さあ、こちらへ──」
*
青年が桃次郎を連れて行ったのは浜辺の先、岩場にできた天然の洞穴の中だった。ぽっかりとしたドーム状の空間──それが天井高くどこまでも広がっている。
辺りの岩肌はみな、見事なまでの六角柱。すべてが同じ形に連なったその様は、奇妙でありながら壮観でもある。
ドームの真ん中に置かれた台座の上には、たしかに箱があった。
黒い漆塗り、金蒔絵や螺鈿も施された、見事な逸品だ。
「──あの、さきに伝えておきますが──」
箱の前に立ち、青年が言った。
「これは本当に、つまらん物です。開けるとロクなことにならない。
実はトラップが仕掛けられていて、残りの寿命を奪われてしまう。だから僕も、開けたことはないんです──」
桃次郎は男の折れた方の腕を、再び小突いた。
洞に響き渡る、実に痛々しい叫びと嗚咽。
「──嘘を吐くな! 俺は秘密を知ってるんだ──」
一般に、開けると歳を取ってしまうと信じられている、その漆塗りの箱。
しかし、実際は違うのだ。
魚クンこと、青年が仕える化け物の居城は深い海の底にあるとされるが、普通に考えてそんな場所への行き来は簡単ではない。ならば、必ず特別な移動手段が用意されているべきである。
「──この箱、本当の役割は空間転移の呪具。──違うか?」
「チッ。なんでもお見通しかよ。──で、アンタ、それを使って何をする? まさか竜宮城へ乗り込んで、僕の仲間を皆殺しにする気か?」
「ふん。それはそれで、面白そうではあるがな──」
桃次郎の真の目的──
それは箱の力を使い、皆が「あのお方」と呼ぶ男に迫ること──
計り知れぬ神通力を操り、あらゆる空間すら超越する脅威の存在──
奴を倒すためには、どうしても箱の力が必要だったのである。
「──箱の使い方を教えてもらおう。どうすれば望む空間へ転移できる? 言っておくが──騙したら殺す。いや、煮つけにして喰ってやる!」
「──どこへ行きたいのか知らないが、まずは箱を開けるんだ。そして、目的の場所や相手の姿を思い浮かべる。──それだけだ」
桃次郎はゆっくりと台座の前へ立った。
漆塗りの表に結ばれている美しい朱色の紐──やはりゆっくりと解き、箱の上蓋に手をかける。
ぶわわあぁわああああぁ。
持ち上げた瞬間、白い煙がいきなり噴き出した!
強い呪いの力がこもっているのだろう、息ができない。
「ぎゃはははは! バァーカ!」
煙の向こうから青年の声。
「トラップは無えけど、セキュリティ・システムは作動するに決まってんだろ、ボケェ! そして開いたからには、今や向こうからも行き来は自由!
──さあ、箱を渡っておいで下さい! 我らの母なる乙姫よ! 永き夢見より目覚め、古の館よりお出まし下さいッ!」
ドドドッ、ドッドオオオォォォ!
地面が激しく揺れた。
煙の向こう、重量のある気配がもりもりと膨れ上がる。
それと同時に、いわく説明のできぬ禍々しい風がごおっと迫ってきた。
「──おい、マジかよ」
桃次郎は天をあおいだ。
消えゆく煙の先──
身の丈三倍以上の怪物が、そそり立っていたからである。




