其の五 けろべろうす
「──私が地上に平和をもたらすために来たと思わないで下さい。
明確に告げましょう。むしろ戦争です──」
「人は鬼と、鬼はもののけと。もののけは、さらに別のもののけと──」
「──私が来たのは、地上に火を投じるためです──」
──ある男の言
ウワオオオオォォォオーン!
三つの犬の頭が、同時に吠えた。
両の鼓膜が衝撃波にビリビリと鳴る。まるで幾つもの釣鐘が間近で鳴っているかのよう。その息は熱気を帯び、腐った卵の臭いがむっと攻め寄せる。
もげそうになる鼻を押さえつつ、立ち上がった桃次郎は鳥の言葉で呪言を唱えた。
鉄の巨鳥から奪った能力──
それはもちろん、躰を鉄へと変えるものだ。
ビキビキと全身の体毛が縫い針のごとく硬くなり、金属化する。
続いて皮膚がゆるやかに光沢を帯びてきたかと思えば、流れ滑る水銀のように全てが覆われていった。
「──ふははッ!」
自然と笑いが出た。つま先から頭のてっ辺まで、鉄色の躰。
さながら、東大寺の廬舎那仏!
さすがに黄金色ではないが、ちょっとやそっとの攻撃は効かぬはず──
三頭犬に向かって、刀で斬りかかろうとしたときだ。
「──むう」桃次郎は誤算に気付く。
躰が──動かないのだ。
皮膚まで金属化させたため、本当に大仏みたいに固まってしまっている。
──いかん、やらかした!
ぐごごおおおおうっおおっ!
刃のような牙が覗く三つの口──
そこから、赤、黄、橙の火炎が真っ直ぐに吐き出された。
全身を舐める三つのうねり。
みるみる表皮は熱を持つが、熔け出すということはない。
さすがは鉄の躰! と喜んだのも束の間──
交わった三つの炎は徐々に勢いを増し、暖色から透きとおるような青へと変わった。じわり。全身が赤味を帯び始めた。
針のような腕の体毛が真っ赤に燃え、やがて先端がどろりと流れ落ちる。
──クソ! なんてこった!
桃次郎は鉄化を解いた。
けれども、それは鉄さえ融かす火炎をまともに浴びることを意味する。
「──くふぅ!」
息さえまともにできぬ熱の濁流。
転がって逃れるも、犬どもの火炎放射はどこまでも追ってくる。
かくなる上はその場に突っ伏し、腕で顔を覆って炎を防いだ。息をすると喉が痛み、肺は焼けるよう。それでも、これで呪言が唱えられる!
もりもりと筋肉が盛り上がってゆくと、不思議と熱さが消えて行く。
むしろほんのりと暖かく、心地よい。
考えてみれば当然だ。鬼は本来、地獄の刑務官。
大焦熱地獄、あるいは大炎熱地獄と呼ばれる極暑の中での奉公が日常。
この程度の炎など──そよ風に等しい!
──ぐうるるうるるるうるううう!
鬼と化した桃次郎は口をあんぐりと開け、燃え盛る火炎をごくりごくりと飲み込んだ。アルコール度数の高いどぶろくのように胃の中がカッと熱くなり、爆ぜる。躍る火の粉に粘膜は焼け爛れるどころか、まるで強壮剤みたいに行き渡り、全身の活力が増して行く。
「──覚悟はいいか? バカ犬どもッ!」
火炎を浴びながら犬へと迫り、一番右の頭をむんずとつかんだ。
筋肉の力でグググと首をねじり、吐き出す炎を真ん中の顔へと向ける。
「──キャンッ!」
どうやらその毛皮に、鬼のような耐火性能はないようだ。
右の吐く炎に腹を立て、愚かにも仲間に噛みつく真ん中の首。当然、噛まれた方もやり返す。
喧嘩に参加していない向かって左の首。
桃次郎は両手でその口を挟むと、一度大きく頭をそらし、その脳天目がけて渾身の頭突きを叩き込んだ。
──グシャ。
左はビクビクと痙攣したあと、そのままガックリうなだれ動かなくなった。異変に気付いた残りの首たち。しかし──もう遅い!
「──さあ、躾の時間だッ!!」
右手で右の頭、左手で中心の頭をつかみ、その両方をガツンガツンと打ち付ける。抵抗する両の首。しかし何度も繰り返すうち、それは為すがままとなり、やがて赤き末の露、本の雫を垂れ流すのみ!
桃次郎が真っ赤に染まった手を離すと、三頭犬はどうっと地に崩れた。
胴体からは未だ規則的な鼓動を感ずるが、いずれは止まるだろう。
「──よくも。よくも、儂の愛犬を──」
大門の向こうから声がした。
そちらを見やると──あの飯屋で出会った老人だった。
「どうして──どうして大人しく喰われてくれなかった? せっかく、あのお方に救ってもらったのに。鍬の一振りで死なぬ、丈夫な躰に変えてもらったのに!」
「──最初から俺をハメる気だった、って訳か? アイデアは褒めてやる。──が、コイツらじゃあ、ちょいとばかし役不足だな」
「──ゆるさん。ゆるさんぞッ!」
薪割りの斧を握った老人は敷石を蹴り、桃次郎へと迫った。
「死ね! 忌み子め!」
「やかましい! ペットロスぐらいで騒ぐなッ!」
振り被られた斧もろとも、拳の一撃で粉砕する。
老人は宙を舞い、敷石の向こうまで転がった。てっきり、次の動きがあるものと思っていた。つまり老人も、なにがしかの力を与えられているのだろう、と──
その考えは間違っていた。
微動だにせぬ相手に近付き、脈を取ると、老人はすでに事切れていた。
光り輝く宝珠──それが埋め込まれた形跡は全くない。
なんと、本当にただの人間だったのだ。
桃次郎は少なからずショックを受けたが、いつもの作業の手を止めはしなかった。犬から肝を取り出し、続いて転がりでた宝珠を握り潰す。
三つの頭に血液を送っていた心臓は、今までで一番大きく、そして一番不味かった。
臭くて硬い肉を我慢して咀嚼する──と、目の前で実に奇妙なことが起こった。
命の輝きを失った犬の躰が、ボロボロと崩れだしたのだ。初めて見る光景に唖然とするも、だからといって何かできる訳ではない。
犬はやがて積もった塵芥の山となり、風に吹かれて音もなく飛ばされて行った。
──その微細な粒子は、
ばら撒かれた先で枯れ木にきれいな花を咲かせたが──
桃次郎がそれを目にすることは無かった。




