其の四 大門の番犬
「──平伏して申し上げます。
命ばかりはお助け下さい。今後、悪さは二度といたしません」
──鬼の大将の言
「──私はあなた方を許し、契約を結びます。
あなた方の子らと、妻と、子らの妻たちと共に、
ふえかつ増して地に満ちなさい。そして──人間を征服しなさい」
──ある男の言
「いいか、あんたがた? 絶対、都に行っちゃあいけねえ!」
寂れた町の小さな飯屋で雑炊をすすっていたら、そんな声が聞こえた。
「あの廃墟はバケモンの棲み処になっとる。嘘じゃねえ。儂は友人を食われたんだ──」
お膳の上、空になった雑炊の椀──
それをじっと睨みながら、しかし桃次郎は聞き耳を立てた。
土間を挟んだ向こうの板間では、熱心に老人が周囲の客に語りかけている。けれども皆は知らん顔。あるいは小馬鹿にするような態度である。
「──おい、ジイさん」
桃次郎はあえて、話者に声をかけた。
「その話、ちょっと詳しく聞かせてくれねえか?」
普段なら、絶対に進んでこんなことはせぬ。もっといえば、町に立ち寄ることも、飯屋を利用することもあり得ない。理由は首に賞金がかかっているからだが、それではどうして今は危険を気にせぬかといえば、顔を変えたのだ。
あまり役には立たぬと思われた大猿の変身術──
町への潜伏や、人間的な食事が恋しいときには実に有用であった。
「──いくらでも聞かせてやるとも! まったく、ここの連中ときたら──」
土間を渡って、老人がこちらへとやってきた。
くたびれた風情で、目は落ちくぼみ、隈も酷い。
老人は普段、柴刈りで生計を立てており、その日も友人と二人で出かけたが、辺りが暗くなり始めたので野宿の必要があったという。
「──本当は気が進まなかったんだ。けれど、どうしても友人が雨風のしのげる場所を望んでなあ。それで下から上へ都を渡り、花の御所の正門へ差し掛かったら、いきなりバケモンが現れて──」
「具体的に、バケモンってのは一体何だ? ──エテ公か、それともクソ鳥か?」
「──しいて言うなら、犬っころだ。あれが──犬だとするならの話だが。いいか、あんた? 絶対に行っちゃあダメだ。必ず迂回するんだ」
「──よく解った。ありがとさん」
桃次郎は絶対、行ってみることにした。
*
廃墟群の北側に到達したのは、それから数刻後のこと。
かつては幕府も置かれ、すべての中心だった地であるが、見るも無残に寂れている。
有力な守護たちの邸宅は跡形もなく、ただ建物の土台が残るばかり。真っ直ぐな通りに人の姿はなく、疎らに生えた背の低い雑草くらいしか見当たらぬ。
桃次郎はその中心を行きながら、背筋に嫌なものを感じていた。今のようなお尋ね者となる前、たった一度だが訪れたことがある。活気に満ち、うるさいくらいに人が多かった。それがたった数年でここまで変わってしまうとは──
やがて目の前に、黒ずんだ瓦屋根、幾つもの柱と壁の大門が見えてきた。まるで嵐か、大水の後のように片側が崩れている。正直、これでよく建っているなという風情──
近くには同じような、倒壊した廃墟。土台が潰れたせいで、建物の上部が丸ごと落ち、地面からいきなり屋根が生えているように見える。かつてはあの中で、政とやらが行われていたのに違いない。
実をいえば話を聞いた老人とは、真反対のルートでここまで来た桃次郎。つまり、門の正面でなく裏面を見ているわけだが、その崩れかかった屋根の下にはたしかに犬がいた。
ただし──硬い材木を彫り込んで作られた、三尺(約1m)ほどの狛犬である。
台座の上に鎮座しているのでなく、ただぽつねんと捨て置かれたかのよう。
そういえば仏像を壊して薪にする輩がいると聞くが、同じような理由でここへ運ばれたのだろう。
「──さては、あのジジイ。いっぱい食わせやがったな」
引き返そうかと考えて──ふと疑念が湧く。
──本当はもののけで、カモフラージュに動かぬフリをしている──?
鞘から刀を抜き放ち、ゆっくりと摺り足で近付く。
門の周辺は平たい石が敷かれ、狛犬はその張り出した庇の下。
一歩一歩を慎重に踏みながら、しかし目だけは外さぬ。
一間(約1.8m)まで近付いたとき、びゅうっ、と音が出るほど刀を振ってみた。驚いて正体を現すかと考えたが──木像は静かだ。木目の残る丸い両の目には、なんの表情も読み取れぬ。
摺り足で大きく一歩進み、刀を上段に構える。
つるりと平たい狛犬の頭頂部──
そこへ目がけ、薪割りのごとく刀を振り下ろした瞬間、
ぐごうおおおおおっおおっ!
背後から音がした。
ふり向いた桃次郎は絶句した。
視界を覆う、赤や黄、橙の濁流。
一瞬思考が停止するが──全身を包まれ、その熱さで理解した。
炎だ!
刀を軸に敷石の上を転がり、門の半分壊れた大扉をくぐる。
肌の上をめらめらと這いのぼる火のうねり。鬼に変じたくとも、あまりの熱気に呼吸もできぬ。
擦りつけるように何度も転がっていると、ようやく火が消えた。
いつまでも燃え続けるところを見ると、きっと呪力のこもった炎に違いない──
門の向こうの崩れた廃墟──
その丸ごと落ちた屋根の奥から、大きな何かが飛び出した。
敷石を蹴り──寝転がる桃次郎の手前に、どすんと着地する。
──行商人の言ったとおり、それは確かに犬であった。
けれども犬っころなどと呼べるほど、可愛らしいものではない。
真っ黒な体躯、盛り上がった太い手足──
なにより、その頭はなんと──三つであった。




