其の三 鉄鳥毛(てっとりげ)
「──私の支配に服し、家来となりなさい。さすれば団子を与えましょう──」
「──地のすべての獣、空のすべての鳥、海のすべての魚は恐れおののきなさい。
私と契約する以外、道は無いのだから──」
──ある男の言
木の陰に身を屈め、最後の背中の羽根を抜こうとしていた桃次郎。
けれども、だんだん面倒になってきた。
手は届くが力を入れにくい位置にあるし、なによりこうして隠れているのが癇に障る。正々堂々などという気はない。そも霧に隠れている時点で、相手は卑怯である。
──ええい、もう知ったことか!
桃次郎は呪言を唱え、鬼と化した。
盛り上がる筋肉が羽根を押し出そうとするが、返しのついた刃はまるで呪いにかかったかのように留まり、むしろ奥へ進もうとする。じくじくと背中が痛み、依然それは刺さったままだが、鬼の気と血が流れ込んだことで気分はかなり良くなった。
──ぐううるうるるるう!
小さな唸りを一つあげ、のしのしと山道に出る。
「どこにいやがるッ? ブッ殺してやるから出て来い!」
樹林を仰いでそう怒鳴ると、
ふさああああああ。
木々の間に窺える濃霧が風と共に迫って来た。
とっさに腕を伸ばし、つかみかかろうとしたが──なにやら嫌な予感。飛ぶように後退る。
次の瞬間、さっきまでいた空間に巨大な鳥が羽ばたきながら着地した。
木や猟師に刺さった羽根と同じ、全身が鈍く光る鉄色だった。首から頭までが妙に短いのに対し、その尾羽は束ねられた日本刀のように長く、鋭い。
「ケエエエエエエエエーン!」
耳を潰すかのごとき咆哮。
鉄の鳥は二本の脚で器用に方向をかえ、こちら目がけて乱暴に尾羽を振り回す。
まるで狂人が握った刀の舞踏。尾椎骨の動きと共に、幾重にも白刃が閃く。
堪らず、後方へのステップでそれを避ける。
じりじりと迫り来る巨鳥の尻。山道はまだまだあるが、このまま後退し続けても埒が明かない。さて、どうしたものか──
じゃらららら!
金属と金属が触れ合う耳障りな音。
真っ直ぐに束ねられていた尾羽が、急に分かれて広がった。
扇のような形──さながら鋭利な鉄扇だ。
鉄の鳥はあろうことか、それを上下に振った。尾椎骨が作り出す往復運動。
巨大な扇子は荒々しい風を起こし、こちらの足元がふらつく。
その隙を突き、鋭い尾羽の横一線が桃次郎を捉えた。
「ぐうッ!」
右の胸から左の胸へ、ざっくりとした裂傷。
深くはない。しかし幾つもの刃が通り抜けた傷は、我が事ながら痛々しい。鬼の気を集中させて痛みを和らげ、地面を蹴って大きく距離を取る。
──良いことを思い付いた。
ここは一旦、林の中に向かわねば──
「ケエエエエエエエエーン!」
巨鳥がくるりと正面を向いた。
一度、ぶるっと全身を震わせ、両の翼を小刻みに動かす。短い首の下、胸から下腹にかけての羽毛がゾワゾワと逆立つ。無数の短刀の切っ先が、一斉にこちらを向くかのよう。
さわああああああ。
続く通り雨の音と共に、鉄色の羽根が幾つも飛び出した!
「マジかよッ!」
日本刀を抜き、叩き落とそうと思った。が、今の桃次郎は裸だ。
鬼化したとき、刀は服と共に木の陰に落ちている。
仕方なく左腕で顔面を守り、右の拳で薙ぎ払う。
数本は砕け、数本は手にめり込み──その他多くはザクザクと躰に突き刺さった。
「──クソッがあッ!」
桃次郎は駆け出した。
敵に背を見せるなど不愉快だが、そんな場合ではない。一番近い木に向かってただ突っ走る。
背後からは羽ばたきと、また通り雨の音。
転がって、木の陰へ逃げ込んだ。
辺り一面を羽根の雨が襲い、木や地面に当たってキツツキのような、カカカという音が響く。手に刺さった羽根だけをぶちぶちと抜き、一度息を整えた。そして隠れている木に向かい、腕をまわした。
──そっちが得物に頼るなら、こっちもそうするまで!
腰を落として両脚をふんばり、かつ腹にも力を入れる。
抱きしめた、真っ直ぐなナラの大木。
腰を軸にしてグググと引けば、やがて地面はみるみる盛り上がり、最後はぼこっと抜けた。
見上げれば、三十尺(約9m)はあろうかという大棍棒。
桃次郎はそれを腹で抱えると、腰のひねりを利用して勢いよく振り抜いた。
「キッケーエエエエエエェェッ!」
右の翼への直撃を喰らい、転がるようにすっ飛ぶ鉄の鳥。
危うく落としそうになる棍棒を重心移動で回避しつつ、今度は反対側へ叩き付ける。
鐘でも打つようなやかましい音。
バラバラと無数の羽根が舞い飛んだ。
巨鳥は空へ逃れようと翼をバタつかせるが、折れているらしく浮力を得られない。
桃次郎は躰を逸らせて大木の根を胸へとあげ、そこから一気に鳥の脳天へと叩き落とした。
「──クケッ!」
短く甲高い一声。
木をずらすと、鉄の鳥は未だぴくぴくと全身で痙攣を続けていたが、金属の頭部はべっこりとひしゃげ、変形していた。
「手こずらせやがって──」
ため息をつき、その鉄色の巨体へと近付く。打撃を受けた部分は羽根が抜け、その奥が露出している。驚いたことに、それは鉄ではなく薄桃色をした肉だった。
ぼこぼことした鳥肌──なんと鉄の羽根は、柔らかい皮膚から直に生じていたのだ。
初めは警戒しつつ、徐々に大胆に、桃次郎はその肉体に鬼の手を突っ込んだ。
ときおりぴくりと震える鳥のせいで、羽根のこすれた腕に血がにじむ。
考えてみれば鳥の肝の位置などよく知らないが、それでも鼓動を頼りに進んでゆき、グッと引き抜いた。
取り出してみれば、その巨体に似合わぬ小さな心臓だった。
鼓動は速く、赤く染まりながらも忙しなげに動き続けている。
──ころり。
光り輝く宝珠が転がり出たのは、鳥の開かれた硬い嘴の中からだ。
桃次郎はそれを踏み潰すと、一口で肝を頬張った。
コリコリとした歯ごたえと、濃い血の味。
普段より少し強い鉄臭さは感じつつ──しかし断然、猿よりはマシだった。




