其の一 猩々(しょうじょう)
「──この赤子には、桃太郎と名付けよう。
なぜなら、桃の中から生まれたのであるから──」
──とある老人の言
百姓が案内しようとしていた平屋の中は、簡単に言って地獄絵図だった。
騙し、誘いこんで殺した人間の遺体──
それを加工して作られた保存食が幾つも軒に吊るされ、風になびいている。
棚には人骨で作られた食器、なめし革の小物入れ、たくさんの歯を並べた首飾りまであった。もののけの類は通常、人間を喰らうことでその知恵を奪うが、してみるとかなりの数が犠牲となったに違いない。
桃次郎は箪笥を漁り、衣類を探した。構わぬといえば裸でも構わぬが、やはりどうして居心地が悪い。
人の皮を組み合わせた精緻な胴服が見つかるが、それでは裸と変わらぬので、薄汚れた格子柄の小袖を羽織った。
百姓が言っていたロープやブーツは、結局どれだけ探しても見つからない。
「──エテ公が」
そう独り言ちつつ、平屋を出た。
桃次郎が猿山へ向かうのには訳がある。
さきほどの人に化けた猿共──実にお粗末な術だが──には元来あのような力はない。人を喰って知恵は得るが、容易に姿は変えられぬ。
となれば答えは一つ。
サル山には必ず、ボス猿がいるのだ。
切り立った崖の岩肌を、己が腕力と握力で登って行く。
腰の刀が酷く邪魔で、背中に回すがときおり引っかかる。
ふと捨てて行こうかとも考えたが、たしかなかなかの業物だったのを思い出し、止めた。
指の疲労に堪えつつ岩壁を登りきると、広がったのはちょっとした空地と苔むした社だ。
一体どうやってここまで資材を運んだものか。周囲は岩盤に囲まれ、吊り橋はおろか梯子さえない。手入れもされていないのか、社の切妻屋根は一部が崩れ瓦も散っている。
「──おお。まさかこんな辺鄙な場所にお参りとは。珍しいことじゃ」
張り出した屋根の下、正面階段には老人がいた。
つるりと禿げあがった頭、腰まで伸びるような白い髭。
胡坐をかき、目が痛くなるような橙の衣をまとい、その手には丸っこい酒徳利が握られている。
どこからどう見ても、ただの人間──しかしその故に妖しさ満点であった。
「上手く化けたな。──テメエがボス猿か?」
桃次郎が刀を抜くと老人は衣をなびかせ、ふわりと立ち、こちらに向かって酒徳利を差し出した。
「──取り引きせぬか、お若いの? おぬしが村の小猿たちを屠ったは知っておる。されど、儂は死にとうない。そこで──この霊酒をおぬしにくれてやろう。村の小猿に僅かながら、変化の力を授けた酒じゃ。
──どうかの? これで手を打たぬかえ?」
「僅かな力、ね──」
桃次郎は刀を持ち上げ、中段に構える。
「──俺は大きな力にしか興味は無い」
「そうか。──それは残念じゃ」
老人は麻の荒縄が結えられた徳利を傾け、一口飲む──
と見せかけて、バシャリと中身をぶちまけた!
「──うッ!」桃次郎は呻く。
目の中、鼻の中に飛び込んだ飛沫が、焼けるように熱い。
肌に受けた水滴もまるで火のようだ!
「ウキャキャキャキャ!」
視界の利かないこちらに対し、間近から声。
「ウカツな野郎だ! てかお前、マジでアホじゃね? いや、ミラクルレベルの大アホだッ!」
──ドスン。
桃次郎の脇腹に重い何かが命中する。思わず肺の空気をすべて吐き出してしまう衝撃だ。
──目に見た訳ではないが、拳ではなく蹴りであろう。
刀を振って牽制するが、刃先が捉えるのはただ空のみ。
そうこうしていると今度は反対の脇腹に、ドシン! と足の甲がめり込んだ。
「──騙されて飲んでくれたら、最強に笑えたのになぁ」
太ももに衝撃。
「今からでも遅くねえから、ちょっと飲んでみてくんない?」
背中に痺れるような痛み。
桃次郎は口を結び、微かな物音──そこから生ずる空気の流れに意識を集中する。鬼の力は使うまでもない。ボス猿の打撃力は激しいが、けっして激し過ぎはせぬ。
聞こえてきたのは──地面を踏む音。
絹のようなふわりとした一歩で、相当の距離を跳び進むらしい。
左──右、また左。
エキセントリックに居所を変え、しかし刀の間合いにはやすやすと飛び込まぬ。
──なるほど。
ならば、飛び込ませてやろう。
盲目のまま、慣れた手付きで刀を収め、両の腕を自由にした。
すかさず、空気の塊が獰猛に動く。
致命を与えようと脚を高く伸ばし、側頭部への蹴りを狙いにくる!
──かかった!
腰を落として角度を調整──進んで来るものを右腕で巻き取り、左腕もからめて挟み込む。
摺り足で姿勢を変え、そこへググッと力を加えれば──
──グチャリ。
足首が九十度、反り返った。
「ウギャァあああああああああぁ!!」
視力が回復してきた。
やや霞む視界の先には、地面に伏して悶える、妙に手足の長い大猿の姿。
足元には例の徳利が転がり、幾らか中身がこぼれ、煙を生じている。
桃次郎はそれを拾うと大猿をドカリと踏みつけ、頭めがけて残りを垂らす。
「ウキャキャ、キャアアアァァー!」
笑っているのかと勘違いするような絶叫。
しゅうしゅうという猛烈な熱気と共に、鼻を突く異臭が広がった。
「ヤ、止メデグれ! 頼む! お願イだ!!」
「──うん? どうした? さっきの威勢は?」
「──本当にすいません! 嘘です、ただのジョークです!」
「そう言われてもなあ。なにせ、俺はミラクルレベルのアホだからな──」
中身の無くなった徳利で、何度も殴りつける。
残念なことに、たった四回で割れてしまった。どうやらたいした呪力は持たない呪具であったらしい。
「──解ッた! け、家来になる! あんたの仲間になるよ。あのお方みたいに、どうせそれが目的なんだろッ?」
大猿がこちらを見上げてそう叫んだ。
桃次郎は踏みつけていた足を離すと、相手に屈みこみ、
「──残念だが、俺が欲しいのは強い力。つまり──お前の肝を喰って得られる神通力だ」
鍵爪のごとく右手の先で胸を突き、皮と肉を貫いて、ググウッと心の臓をつかみ出す。
どくん、どくん。未だ脈動を続ける大猿の肝。
その逆に、相手の眼からはたちまちに光が消え、口から漏れる長い吐息を最後に、赤ら顔は虚しく色を失ってゆく。
──ころり。
命の輝きが完全に失われるその刹那、猿の躰から掌サイズの玉が一つ、転がり出た。
まるで宝珠かと思われるような、眩い光を放つ真球。
桃次郎は激しく睨みつけると、思いっ切り足の裏で踏みつけ、粉々に砕いた。
そして鮮血滴る生肝をただもっちゃり、もっちゃりと食べ、
「──クソ不味い──」と言った。




