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もう一度  作者: ショコラ
3/8

夢の欠片

疲れていたはずなのに、ベッドに入っても、なかなか眠れなかった。


欠片は、机の上にそっと置いた。

それなのに、まるでまだ手のひらにあるような気がして、何度も握って確かめる仕草をしてしまう。


“この欠片は、私のものだ。”


そう思った理由が、わからないのに確かなのが、不思議だった。


目を閉じると、うっすらとした音がした。

風の音とも違う。耳の奥で、誰かが話しかけているような、そんな微かな声――


「ボクはここだよ。きっと、探し出して……」


……誰?


その問いだけが、耳の奥に残った。


白く霞んだ空間。

遠くに、小さな灯り。

足元には、草のような、でもどこか柔らかい床の感触。


名前も知らない世界に、私はひとり、立っていた。


私は、灯りのほうへゆっくりと歩き出した。

足元の感触はたしかなのに、進んでも進んでも景色は変わらない。


「……誰か、いますか?」


呼びかけてみる。でも、返事はなかった。


足元に何かが落ちていた。

拾い上げると、それは見覚えのある欠片。


さっき机に置いたはずの、あの、バラ模様の皿の欠片だった。


「ボクは……ル……ボクは…ここ…よ……きっと…して……」


また、微かに声がした。

だけど、はっきりとは聞こえなかった。

……なんて言ったのだろう?


「ボクは…ル……??」


そう声に出した、その瞬間――

灯りが、ふっと消えた。


灯りが消えたと同時に私は目を覚ました。

その瞬間私はもう夢の中にいたんだど気づく。


部屋の中はまだ薄暗く、カーテンの隙間から朝の気配がゆっくりと忍び込んでくる。

さっきまでいた、白く霞んだあの空間はもうどこにもなかった。


だけど、心の奥に残っていた。

耳に焼きついた、あの小さな声。


「……ル……」


思い出そうとしても、意味は浮かばない。

けれどその音だけが、どうしてか、やけにくっきりと残っていた。


部屋はまだ静まり返っていた。

外から聞こえる鳥の声と、わずかに差し込む朝の光だけが、現実の存在を知らせている。


夢だったんだ。


だけど、あの声の余韻が、まだ耳の奥に残っていた。

言葉は途中で途切れていて、意味はわからない。

でも、“ル”という音だけが、不思議と、心のどこかに引っかかっていた。


私はしばらく天井を見つめながら、胸に手を当てた。

なぜこんなに、静かなのにざわざわするのだろう。


そんなことを考えながら身支度を始める。

スーツに袖を通し、口紅を塗る。

ポニーテールにまとめた髪をゴムで結び、急ぎ足でバッグの中を整える。


慌ただしい、いつもの朝、のはずだった。


だけど、ポケットに手を入れたとき、指先に柔らかい布が触れた。


(……あれ?)


取り出してみると、小さく折りたたまれた白いハンカチ。

端には、淡いピンクのバラが刺繍されている。


(こんなの、持ってたっけ……)


胸の奥が、かすかにざわついた。

思い出せそうで、でも思い出せない。


そのとき、机の上に置いた皿の欠片が、

カタリ、と小さく音を立てた。


風なんて、吹いていなかった━━



駅までの道を歩きながら、

まだ夢の中にいるような、ふわふわとした感覚が抜けなかった。


目の前の景色は確かに現実なのに、

心だけが少し遅れて、どこかに取り残されたまま。


会社に着いても、それは変わらなかった。


パソコンの画面を見つめ、ルーティンの作業をこなす。

報告書を提出し、電話を取り、同僚と交わす会話に笑って見せる。


でも、頭のどこかで、ずっと考えていた。


(“ル”って……なんだったんだろう)


言葉の切れ端。夢の欠片。皿の音。

全部がひとつに繋がりそうで、繋がらない。


結局その日は、大きなミスもなく業務を終えた。


けれど、何をしていたのか、あまり思い出せなかった。


帰宅ラッシュの電車に揺られながら、ずっと窓の外を見ていた。

街の灯りが流れるたび、心の奥に眠っていた何かがかすかに軋んだ。


玄関の鍵を開け、部屋に入る。

照明をつける手が一瞬だけ止まったのは、気のせいじゃなかった。


(灯りが消えた……あの瞬間)


夢の記憶がふとよみがえる。

“ル”という声。その名残だけが、現実の中で生きている。


着替えを済ませ、温めたスープをすすりながら、机の上の欠片に目をやった。


白い陶器に、淡く描かれたバラの模様。

それは今も、そこにあった。ただ静かに、変わらずに。


(……昨日よりも、少し近づいている気がする)


何に?誰に?それはわからない。

ただ、そんな気がした。


湯気の立つマグカップをそっと置き、

欠片の隣に、ポケットから取り出したハンカチを添える。


そしてベッドに潜り込むと、天井を見つめたまま、つぶやいた。


「……また、あの夢に会えたらいいのに」

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