表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
もう一度  作者: ショコラ
2/8

忘れ物預かり所

中はしんと静かだった。

古い図書室のような匂いと、ほんのり紅茶のような香りが混ざっている。

棚には、整然と並べられた箱や袋、小物たち。

名前のない持ち主たちの品々が、静かにこの空間を埋めていた。


「なずな……迷い込みましたか?」


その声に、びくっとした。

部屋の奥――古びたカウンターの向こう側に、ひとりの人のような影があった。


小さな体に、真っ白なシャツと外套を纏っている。

穏やかだけど、どこか人の目を見ないような、遠くを見るような視線。

その姿には、懐かしさと違和感が不思議に入り混じっていた。

そして今、私の名前を呼ばれた気がした…


「ここ……なんですか?」


思わずそう訊ねると、彼は一瞬だけ考えるように沈黙し、ふっと微笑んだ。


「ここは、忘れられたものたちの仮の居場所です。

持ち主が思い出してくれるまで、しばらくのあいだだけ、ね。」


「思い出すまで……?」


「はい。ときどき、それが必要な人が現れるんです。」


その言葉の意味を考える前に、視線が自然と棚のほうへ向いた。

そこに並ぶのは、壊れた腕時計、使いかけのリップクリーム、片方だけのイヤリング――

どれも、どこにでもありそうで、だけど“どこかに意味がありそう”なものばかりだった。


「これ、触ってもいいですか?」


私がそっと聞くと、管理人は一度だけゆっくりまばたきをしてから、言った。


「どうぞ。ただし――あなたが、その重さを受け取れるなら。」


その声は優しくて、どこか切なげだった。


管理人の言葉に小さくうなずいた私は、そっと棚に並んだそれに手を伸ばした。


小さな皿の欠片だった。

おままごとで使うような、子ども向けのティーセットの一部かな。

表面には、色あせたバラの花が描かれていて、

裏には、うっすらと手書きの文字――「N &」の隣に、かすれたようにして、もうひとつの文字が消えていた。


どうしてこれに惹かれたのか、わからない。

だけど、指先が触れた瞬間、胸の奥で何かが小さく、静かに音を立てた気がした。


それは記憶じゃない。懐かしい景色が浮かぶわけでも、音が聞こえるわけでもない。

ただ、理由もないのに、その欠片を手放してはいけない気がした。


ほんの欠片にすぎないのに。

意味なんてないかもしれないのに。

それでも私は、目をそらせなかった。


「……持っていても、いいですか?」


気がづけば、私は管理人にそう尋ねていた。


彼は静かに瞬きをして、わずかにうなずいた。


「もちろん。ボクは、あなたがそれを、必ず選ぶと、信じていました。」


その言葉を聞いたとき、何かが心の奥で、音もなくほどけたような気がした。


私は欠片をそっと両手で包んだまま、静かに立ち上がる。

管理人は何も言わず、ただ見送るように、少しだけうなずいた。


ドアを開けると、そこにはうす曇りの空と、静かな路地が広がっていた。

振り返ったとき、扉の向こうにはもう、あの部屋の気配がなかった。


誰かがそっと布をかぶせたように、全体が霞の中に沈んでいくような、そんな静けさだった。


私は欠片を手の中に握りしめたまま、何も言わずに、その場をあとにした。



夕方、駅を出る前に、私は忘れ物センターに立ち寄った。


白いカウンターの向こうで、駅員さんが淡々とパソコンを操作している。

壁際の棚には、似たような傘や、透明な袋に入れられた落とし物が並んでいた。


「昨日の夕方ごろ、ワイヤレスのイヤホンを落としたんですけど……」


「場所は?」


「えっと、たぶん5番線あたりです」


検索されたデータには、イヤホンらしきものはなかった。

掲示された拾得物の一覧にも、それらしいものは見つからない。


「申し訳ありません。届いていないようですね。」


私は「ありがとうございます」と頭を下げて、その場を離れた。

でも、なぜだろう――

自分が何を探していたのか、それすらもぼやけてしまっていた。


ポケットの中で、手が何かを握っているのに気づく。

取り出すと、それは小さな陶器の欠片だった。


バラの模様の皿の一部。

裏には「N &」と、その隣にもうひとつ何かが刻まれていたようだったけれど、

それはすっかりかすれて、読むことができなかった。


――いつ、これをもらったんだろう?


覚えていない。

けれど、不思議と不安ではなかった。


この欠片は、たしかに私のものだ。

その理由がわからなくても、そう感じていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ