表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

選挙権

作者: 蔵樹りん

「ただいま戻りました」

「あら、お帰りなさい。……話があるの。ちょっとこちらにいらっしゃい」

「はい、なんでしょう?」

「このごろ一部の界隈で、あなたたちに選挙権を与えようかという話が持ち上がっているのだけど、どう思う?」

「……それは良くないと思います」

「あら、どうして? 大昔、一定の年齢に達した者は分け隔てなく選挙権が与えられていたそうよ。その権利を再びもらえるのだから、あなたたちにとっても良いことでしょう?」

「僕たちはご主人さまや他の方々のように立派ではありません。賢くもないですし、腕力もないです。将来のことを考えるような先見性もなく、日々美味しいご飯を食べていればそれで満足するような生き物です。選挙権をもらうなんて、100年……いえ、1000年早いと思います」

「そう……」

「そもそも僕たちみたいなのに選挙権を与えようなどという考えそのものが危険です。世の中がめちゃめちゃになってしまいます。選挙権を与えないほうが、世のため人のためになると思います」

「ふふ、あなたの言う通りね……私たちの中にも、いつの間にかそういった危険な思想を持つ者たちが増えてしまっているようなの。早いうちに対処しておいたほうが良さそうだわ」

「はい、お願いします。いつまでも平和な世の中が続くことが、僕たちの望みでもあるのですから」

「そうね……ふふ、皆があなたみたいな良い子だったら、本当に選挙権を与えても良いのだけれど……」


 僕の頭に手を乗せ、やさしく撫でてくれるご主人さま。

 僕は恥ずかしさを覚えながら、ご主人さまの笑みを上目遣いに見つめる。昔は僕たちのほうがご主人さまたちよりも背が大きかったらしい。それに腕力もあったそうだ。

 知性もないのに腕力があるなんて、世の中の不幸の元だとしか思えない。きっと暴力という言葉はそんな野蛮な連中のことを言い表しているのだろう。


「……そういえば、さっきの話で思い出しました」

「あら、何を?」

「その、僕たちも選挙権を持つべきだ、みたいな話です。さっき買い出しに行ったとき、なんだか悪そうな奴らがたむろして、そんなことを言ってるのを耳にしました」

「……詳しく教えてくれる?」


 僕の頭に乗せていた手を下ろし、膝を少し折り曲げて僕に視線の高さを合わせてくるご主人さま。美しい顔が僕の正面に降りてくる。さっきまでの穏やかな表情はすっかり消えており、その瞳に射竦いすくめられそうだ。


「は、はい……」


 近すぎるご主人さまに、気恥ずかしさなどの様々な感情が合わさって目を逸らしたくなったが僕はなんとか耐え、背筋を伸ばしてご主人さまの顔をまっすぐ見返した。


「ええと、ちょうど裏路地のあたりを通りがかった時に……」


 口を動かしながら、それに遭遇した時のことを改めて思い返した。

 そこにいたのは僕の同族たち。誰もが普段の生活では浮かべないような、とても険しい顔つきをしていた。

 詳しいやりとりをすべて覚えているわけではないが、選挙権が手に入れば……みたいなことをしゃべっていたことだけは確かだ。物陰にいた僕が不意に物音を立ててしまった時、連中は急にしゃべるのをやめた。


「……僕は恐ろしくなって慌ててその場から逃げ出し、いつものように祈ることしかできませんでした」


 僕たちがお祈りをする際、指で丸を描いてその下で小さく十字を切る。そうするだけで心が落ち着く。そのサインは昔から伝わるものだが、ご主人さまたちのことを表しているのだそうだ。

 さっき見かけた奴らはおそらく、祈るという行為すらしないのだろう。同族として恥ずかしい限りだ。


「分かったわ。教えてくれてありがとう。きっと、近いうちにその悪い連中もいなくなるはずよ。もう怖がる必要もありませんからね」


 ご主人さまの顔に笑みが戻り、僕の視界から離れていく。僕もほっと一息をつき、ご主人さまを見上げた。問題はすぐに解決するだろう。ご主人さまのお役に立てたのだと思うと、嬉しくてたまらない。

 再び、僕の頭にふわりと優しい手が乗せられた。


「あなたはとても可愛いし、いつも頑張っているし、悪い言動にも惑わされない理想の子……今日も、いっぱいご褒美をあげましょうね」

「は、はい……! あ、その、別にご褒美が欲しかったからさっきみたいな受け答えをしたわけじゃなくて心から……!」

「ふふ、そんなところもいじらしいわね。……大丈夫よ。あなたのことはなんだって分かっているのだから……」

「うう、はい……」


 もう僕の顔はこの上ないくらい真っ赤になっているはずだ。そんな僕を満足げに見下ろしながら、ご主人さまは僕の手をとった。


「では、私の部屋に行きましょうね」


 ご主人さまに手を引かれながら、ゆっくりと歩いていく。

 頭の中がご褒美のことでいっぱいになる。もう何も考えられない。考える必要もない。

 ドアが静かに閉じられる。

 僕はベッドに腰を下ろす。

 ご主人さまが隣に腰掛ける。

 そしていつものように、僕はご主人さまにすべてをゆだねる。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ