バルドの過去
〜1日前〜
バルド・グレイスは、酒場の片隅で杯を傾けながら、目の前の男を睨みつけていた。
「違法許可証が欲しい? へぇ、お前も悪いヤツだな」
フードを被った男がニヤリと笑い、古びた紙切れ をテーブルに置く。
バルドはそれをじっと見つめた。
(悪いヤツ……か)
違う。悪いのは俺じゃない。
悪いのは、この迷宮に縛られたクソみたいな規則の方だ。
バルドは喉の奥で笑いながら、目の前の男の言葉を聞き流した。
今の彼にとって大事なのは――ただ一つ。
「90の迷宮」に入ること。
〜バルドの過去〜
バルドの故郷、レベントン。
タイア王国の端に位置するこの町は、すでに踏破された迷宮を観光資源として活用していた。
迷宮内部では、今も迷宮道具やレアメタル の採掘が行われ、多くの商人や観光客で賑わっている。
迷宮があるからこそ、この町は繁栄した――だが、その影には、故郷を失った人々 もいる。
バルドの母親も、その一人だった。
観光業の発展に伴い、迷宮周辺の土地は政府による区画整理 の対象となった。
観光客を呼び込むための商業施設や宿泊施設の拡張のため、多くの住民が立ち退きを迫られた。
代わりにあてがわれたのは、かつて火山ガスが噴出していた地域に作られた住宅地 だった。
「安全な土地」とされていたが、実際には環境が悪く、住民の多くが体調を崩していた。
バルドの母も例外ではなかった。
数年のうちに体調は悪化し、今ではほとんど寝たきりの状態。
様々な法を犯し金をかき集め、町の医者に診てもらっても、「治療法はない」と突き放されるばかりだった。
(……ふざけんなよ)
バルドは、母のために何かできることはないかと考え続けた。
そして、一つの話を耳にする。
「90の迷宮には、究極の癒しの力がある」
それは古い伝承だった。
この迷宮を踏破すれば、どんな病も治すことができるほどの癒しの力 を得られる――と。
(……もしそれが本当なら)
迷宮を踏破し、母親を救う。
そのためにバルドはアヴェイルへやってきた。
違法許可証の取引
「金額は?」
バルドは短く問いかけた。
「500ルド。安いもんだろ?」
フードの男はニヤリと笑う。
バルドは舌打ちした。
(……高ぇな)
だが、正式な手続きを踏めば、彼が迷宮に入れるのはあと2年後。
そんなに待っていたら、母親は――
(……やるしかねぇか)
バルドは懐から袋を取り出し、硬貨をテーブルの上に落とした。
「いいぜ。契約成立ってやつだ」
「良い選択だな」
フードの男は笑いながら、バルドに許可証を手渡した。
「それと、ひとつ忠告だ」
「なんだ?」
「“90の迷宮” は、ただの未踏破迷宮じゃない。気をつけろよ」
バルドは肩をすくめる。
「どんな迷宮だろうが、入るのは俺の勝手だろ」
90の迷宮、潜入
翌日――バルドは迷宮の門の前に立っていた。
「許可証、確認するぞ」
鎧を纏った守り人がバルドの許可証を手に取り、ざっと目を通す。
(……いけるか?)
内心、バルドの背中には冷や汗が流れる。
しかし――
「よし、通れ」
守り人は特に疑うこともなく、結界の前へとバルドを促した。
バルドは安堵しながら、魔法陣を踏み越える。
(……案外、簡単だったな)
こうして、バルドは正式な手続きを踏まずに、90の迷宮へと足を踏み入れた。
迷宮内の異変
ギィィィィン……
迷宮の扉が閉じると、周囲は一瞬にして静寂に包まれた。
目の前に広がるのは、石造りの古びた通路。
壁にはところどころ古代文字のような刻印 が彫られている。
時折、微かな風のような音が通路の奥から響き、まるで迷宮そのものが息をしているかのよう だった。
「……なんだ、この感じ」
バルドは不快感を覚えた。
迷宮にはいくつも潜ったことがある。
だが、この迷宮は――何かが違う。
(やけに静かだな……)
通常、迷宮に足を踏み入れれば、すぐにモンスターの気配を感じる。
しかし、ここは妙に**「静かすぎる」**。
違和感を覚えながら、バルドは奥へと足を進めた。