後日談①:魔力暴走封印中?
「――結局私、今も魔力暴走は使えるのかなぁ」
晩春の南部行政監督庁。
宮廷魔術師としてアイオンの護衛という仕事を日々こなす合間に、ヘンリエッタは悩んでいた。
なんせ蘇らされてから一度も魔力暴走を起こしていない。ツィドスとの対決ではそもそも魔力暴走頼みの戦法では勝ち目がなかったため、起こさないことを前提とした作戦で勝ったし、あれ以来いまの自分の力量を確かめる機会がない。平和なのはいいことなんだけどね。
「そなたでもやはり不安か?」
夕ご飯ができるまで――今日の当番はオリバーだ――自室に戻ってゆっくりしていると、開け放した窓からひらりと飛んできたシャペロンが平然と女王の声で喋る。
ヘンリエッタはもはや驚くこともせず半笑いになって、
「当たり前のように中身入ってるぅ~……」
「手軽にそなたらの様子をうかがえる方法があるのに使わないわけがなかろう。アイオンの好物なども調べられる」
「開き直ってるとそのうちアイちゃんたちにもバレますよ?」
女王がときどきシャペロンを使い魔にしてヘンリエッタたちの様子を見に来ていることは、まだヘンリエッタしか知らない。ツィドスの妄執に端を発したレンスブルク家の悲劇についても同様だ。後者はともかく、前者はいっそバラしちゃったほうがいいのではと最近のヘンリエッタは考えているのだが、女王はそれを嫌がる。
今だってシャペロンの姿でかぶりを振ってみせ、
「それはいけない。露見すればもう二度と茶会に来てくれなくなるかもしれぬ……」
「だったらやめましょーよ、シャペロンに入るの!」
「しかし親としては、離れた土地で暮らしている息子のことが心配なのだ。そなたはなぜそんなにやめさせたがる?」
「あはは、なぜ? なぜって……?」
女王が不思議そうに訊いてくるので、ヘンリエッタはふふふと暗い笑いを漏らした。
びしっと背後の机を指さし、
「そんなの! 夫婦揃って私のとこに来るからに決まってるでしょ!」
机には反故紙が散らかっており、その上空でペンが独りでにゆらゆら揺れている。
ヘンリエッタの批難を受けて、そのペンが慌てて反故紙へ文章を書き付けだした。
『いや申し訳ない、つい……』
言うまでもなく、ペンを動かしているのはアルフレドだ。
ヘンリエッタを依り代とした降霊術のおかげで魂を再構成できた彼は、ウーレンベックに術を解いてもらったあともなんやかんやでここに留まっている。
ヘンリエッタは一度死んだことでいわゆる霊感に目覚めてしまったようで、たまにならアルフレドの姿を知覚できるようになっていた。アルフレドのほうも、一度憑依したことのあるヘンリエッタのそばでならこうして物体を動かすことができるらしい。
だからヘンリエッタはそれを利用して、先日女王とアルフレドを改めて再会させた。
ツィドスとの対決では、ウーレンベックにヘンリエッタの魔力で降霊術を行使してもらうために女王に協力を仰いだが、状況が状況だったので当時は詳しい事情を話せなかった。敵は物理的な障害をものともしない霊体だったし、味方にツィドスのシンパが潜んでいる可能性を考えると、アルフレドを召喚することは女王やアイオンにすら明かせなかったのだ。
『でも実際あのアイオンとヘンリエッタさんが交際してるなんて知ったら、親でなくても見に行きたくなるのが人情というか』
「将来的には家族になるのだし、今のうちから気さくな距離感を作っておきたいのもある」
「舅と姑がちょくちょく恋バナ仕掛けにくるって終わってないですか!?」
アルフレドが自分を犠牲にしてからずっと抱えていたわだかまりも解消されたことだし、この夫妻ときたら次はお前たちだとばかりにヘンリエッタとアイオンの世話を焼こうとしてくる。
半目になるヘンリエッタに、女王はシャペロンの身体でふんぞり返る。
「仕方あるまい。我が救い主はどうにも恋愛が不得手ゆえ、私たちが全力で背中を押さねば」
「陛下に言われたくないですよ。そんでその救い主ってヤツやめてくださいってば」
「しかし進捗を任せきりにした結果がハイラントとのはきょ……」
『メレアスタ、シッ』
いち早くアルフレドに咎められ、うっかり口を滑らした女王が慌ててくちばしを閉じる。
もちろんアルフレドは筆談で会話に加わっている身なので、咎めるといっても、文字を書き殴った紙を女王の目の前に突きつけることで彼女を黙らせただけだ。
いやシッじゃないわ。ヘンリエッタは心外そうに空中に留まっている紙を剥ぎ取り、
「そういう気遣いも要りませんから! いつまでも過去の失恋引きずってると思わないでくださいよねー、まったく」
「……結構引きずっていたように見えたが?」
「昔の話です~」
ヘンリエッタはふんと鼻を鳴らしてそっぽを向く。
事実、ハイラントについてはすっぱり区切りをつけた。なんかよくは分からないけど、彼が言うにはヘンリエッタの物事の考え方にコンプレックスを抱いていた? らしい? ので、そんなに思考回路を知りたいならヘンリエッタの記憶を覗く魔術でも開発してくれれば協力するとこの前手紙に書いた。そうすればやけに頻繁に寄越される連絡も止まるだろう。……って考えるくらいにはとっくに吹っ切れている。
「ていうかホントに元婚約者のこと考える暇なんかないですし! 私にはサイッコーにかっこよくて優しくて強ぉい恋人がいるんで~」
頬に手を当ててえへへと幸せそうなヘンリエッタに、アルフレドが新しい文章を書き付ける。
『私たちからするとどちらも可愛い息子なので、その辺りは少々コメントが難しいところですがね。話を戻すと、悩み事ならぜひアイオンに相談してやってください』
「……アイちゃんに?」
すると女王も急に居住まいを正して、
「言っておくが、今さら魔力暴走の有無によって私がそなたの価値を上下させたり職位を奪ったりすることはあり得ぬぞ。無論私も手は尽くすが、もし使えぬなら使えぬでそなたが気に病まずとも良い。公表する必要もない。そなたの立場は私とアイオンが必ず守る。アイオンにとっても私たちにとっても、そなたがこうして生きていてくれることこそが大切なのだからな」
「……陛下……」
すごく嬉しいけど、なんでこんないいセリフ言うときに限って、このひと鳥の姿なんだろうな……。あとアルフレド殿下と再会してから劇的に言葉選びが上達したけど、せっかくならハイラントとアイオンに発揮してあげてほしいな……。
同じことを思ったらしいアルフレドが場を取りなすべくペンを動かす。
『とはいえもちろん、魔力暴走が使えなくなったとなれば生き方を根本的に変えざるを得ないとヘンリエッタさんが思い悩む気持ちも分かる。そのうえツィドスや私という魂だけで活動している存在を知った今となっては、あなたならその悩みを口に出すことさえ警戒するでしょう。誰かに聞かれでもしたら終わりだ』
「う、……それはー……ハイ……」
アルフレドの指摘は図星だった。ヘンリエッタはむっと唇を尖らせる。
使い魔といい亡霊といい常人の警戒網に引っかからない密偵が存在する以上、「一度死んで魔力暴走が使えなくなったかもしれない」なんてうかつに口に出来たもんじゃない。それこそ、魔術に長けた女王と、同じ霊体を感知し排除できるアルフレドの両名が揃っているこんな場じゃなければ。未来の舅と姑に恋バナの席を設けられるのはキツイけど、そういう意味では正直助かってもいる。
「ヘンリエッタ、安全は私とアルフレドが保障するゆえ、ひとりで抱え込まずアイオンに愚痴のひとつもこぼしてくるがよい。独立独歩は立派だが、度を超すと以前の私のようになってしまうぞ?」
最後には女王にそう後押しされ、ヘンリエッタは迷いながらも頷いた。
◆
「……ってわけで実は生き返ってから魔力暴走一回も起こしてないんだよねー。もしかしたら使えなくなっちゃったのかもって、ちょっと不安でさ」
「ほぉ」
ほぉ、とは。
みんなで夕食を食べた後、アイオンの書斎に引き上げて相談を持ちかけた結果がこの返事だ。
どういう感情の「ほぉ」なのかなコレ。「つまり使えないかもしれないって分かっててあんな危険な真似をしてやがったワケだな、了解そこに直れ」っていう「ほぉ」じゃないといいんだけど。
ヘンリエッタはカウチに浅く腰掛けたまま一心に祈ったが、アイオンはゆっくりとデスクに頬杖を突き、
「ってことは、前回だけでいっても魔力暴走が使えないかもしれねぇのに敵の根城に単身討ち入りに行ったんだな?」
あっやっぱりそうなる……。
ヘンリエッタはわたわたしながら弁明する。
「で、でもホラ、ねっ? 本命の勝ち筋は魔力暴走抜きで用意していったから! それでバッチリ勝ったじゃん!」
「その本命の勝ち筋とやらがなんだったのかも俺は聞かされてねぇよ」
「ん、んん……だよねー……」
当時は味方側に紛れ込んだスパイ――蓋を開けてみればリネット・ギャレイだったわけだけど――が聞き耳を立ててないとも限らない状況だったし、今でも女王やアルフレド、ツィドスが互いに殺し殺された間柄だという真相まで芋づる式に明かさざるを得なくなりそうなので、そこんとこはどうしても話せない。
やっぱり相談しないほうが良かったかなぁ。これじゃただ自分から痛い腹を探られに行ったようなもんだし、アイちゃんだって不愉快だろうし……。
とりあえず曖昧な笑みを浮かべたまま次の行動を選べずにいると、アイオンが呆れたように溜め息をつく。
立ち上がってこっちに近づいてきたかと思うと、
「バーカ」
「んぇ?」
いきなりほっぺたをつままれて軽く引っ張られた。
「い、いふぇふぇ」
「『いてて』ってほど力込めてねぇだろ」
お茶を濁そうと思ってわざと痛がってみせたのもお見通しみたいだ。
アイオンはヘンリエッタの頬からぱっと手を離して、
「前にも言ったよな? 俺にとって重要なのはお前が帰ってくることと、ご機嫌取りの方便じゃなくちゃんと俺や周りを頼ること、あとは、お前が必要だと判断した嘘や秘密なら俺に許されて当然だと思うこと、極論言えばそんだけだ。嘘や秘密を抱えてても信用するって俺が言ってんだから、ビクビクしてんじゃねーよ。そのせいで俺を頼ったり甘えられないんじゃ本末転倒だろうが」
言いながらアイオンは空っぽの鳥籠を一瞥する。手紙を出すためにシャペロンが帰っていないかを確かめたんだろう。残念ながらシャペロンは今中身が入ってるし、もう少ししないと鳥籠に戻ってきてはくれないだろう。
「魔力暴走のことはひとまず俺から女王とワイヤードにだけ話を通しとく。単に一時的な体調不良みたいなもんならそのふたりの診察を受ければ解決するだろうし、原因が分からない場合でも、お前がその不安の真偽を確かめたいってんなら……実験できるように手配する。結果がどうでも大丈夫だ。俺に預けとけ」
「わ、分かった」
アイオンは想像以上に冷静で、ヘンリエッタの不安に対する具体的な打開策も提示してくれた。ヘンリエッタはこくこくと頷きながら安堵する。
本当に実験することになればヘンリエッタはまた自分の身を危険に晒さなければいけなくなるだろうが、アイオンはそれを頭ごなしに否定することはしなかった。どうしても必要なことなら、彼はきっと心配を呑み込んでヘンリエッタに付き合ってくれるんだろう。そしていざとなったら自分の手でヘンリエッタを守り、助けてくれる気なのだ。
ていうかビクビクしてんなって言われて気づいたけど私、アイちゃんのために隠し事してるせいでアイちゃんに頼れなくなっちゃってたのか……目から鱗だ。
ヘンリエッタは腕組みをしてうむむと唸る。
「なんかアイちゃんと話してるとさぁ、たまーに叱られて嬉しいみたいな感覚になるのよね。大丈夫って言われるとならいっかーって納得しちゃうし……最初は私がお姉さんポジションだったのに、遠くに来たもんだよねぇ」
「お前真面目に聞いてねーな。いっぺん喧嘩しとくか?」
「やだ~! 仲良しでいてよ!」
んじゃこれからは堂々頼るねと約束すれば、ようやくアイオンは満足げに眉間の皺を解いてくれた。
おっよしよし、雰囲気を変えるのにこのタイミングを逃す手はない。こっちこっちとカウチの隣のスペースを叩く。
アイオンは急かされるままにおとなしくそこへ腰を下ろし、
「なんだよ」
「実験させてくれるんでしょ? だったらアイちゃん、ちょっと私に嫌いって言ってみてよ!」
いいこと思いついた! とにこにこ顔で提案すると、アイオンの眉間の皺がすぐさま復活する。
「はぁ? なんだそりゃ」
「だって私アイちゃんに嫌いって言われたら間違いなくショック受けるもん。それで魔力暴走が起きたら陛下たちまで巻き込まずに済むじゃない?」
もちろんこんなのはお遊びだ。アイオンが言うわけないのは承知の上でほんの少し困らせてみたかっただけの思いつき。それでも彼は本気で嫌そうな顔をした。
「んだよそのつまんねー遊び。俺は乗らねぇぞ」
長い脚を組んでほんの気持ち身体を離そうとするアイオンに、ヘンリエッタはウキウキでにじり寄る。やっぱ乙女心的には、ただの遊びでもそんなの御免だって実際にアイオンの口から聞いてみたいもの。
「え~冗談でも言いたくないってこと~?」
「……お前最近俺をからかうときマジでイキイキしてんな……」
「当たり前じゃん、今やアイちゃんが私の生きがいなんだよ?」
「そういうセリフはもっと違う場面で言ってくれ」
アイオンはめんどくさそうに言い捨てつつもヘンリエッタの隣から動こうとはしない。そんなだから余計に楽しくなってきてしまう。
「ねぇ一回でいいから言ってみてよ~」
「しつけーな」
「そんなに嫌? お試しでも?」
「嫌だね。……つーか」
アイオンはとうとう遊びに付き合うのは終わりだとばかりにきっぱり断ってからヘンリエッタに向き直り、一言一句を強調しながら訊く。
「たった今『仲良しでいて』っつったのはどの口だ?」
「ふふふ、この口~」
と言い終わるか否かというところでアイオンが唇に軽く噛みついてきたので、ヘンリエッタは目を丸くして全身を強ばらせた。
時間の感覚が狂うくらい緊張に満ちた数秒のあと、アイオンは顔を離し、息をつくように小さく笑った。
「……何回やってもいまいち慣れねぇよなお前。お前の場合悪口よりこういう系のがよっぽど効くんじゃねぇか?」
「……………………だっ、ふ、不意打ちはズルじゃ……うわわ!」
「気が変わったわ。ホラ実験すんだろ、言い出しっぺの責任取れよ」
耳まで真っ赤になってカウチから逃げ出そうとしたヘンリエッタの首根っこをアイオンの手が掴み、引き戻す。
あっヤバ……これってからかった分だけやり返されるヤツでは?
意外といちゃつくチャンスに敏感なアイオンならそういうことする。百パーする。最近はもう初期の遠慮がちな態度もなりを潜めちゃってるし。
いやゴメンやり過ぎたすいませんでした、とヘンリエッタは慌てて謝罪を雨のように降らせたが、一気にご機嫌になったアイオンは分かった分かったと言いながら全然分かってくれなかった。
数分後、アイオンの腕の中から今度こそ這々の体で脱出したヘンリエッタは「実家に帰ります!!」と叫んで自室(実家)に引っこんだ。こ、こんなんでホントに魔力暴走起こした日にはさすがに末代までの恥だよ……。




