魔女と王子の幸せな午後
ツィドスを騙る逆賊がヘンリエッタによって討伐されてから一ヶ月が経ち、アイオンたちは南部へ帰ってきた。
今回の事件には今なお解明されていない部分が多く、アイオンに最後の詰めを任せてきたヘンリエッタも隠し事をしているのは明らかだ。
ギャレイたちを従えていたあの男は本当に偽物だったのか?
女王とヘンリエッタはなにを隠してるのか?
結局アルトベリ家やギャレイたちはなぜあんな凶行に及んだのか?
疑問はいくらでも出て来るが、平穏が戻った今も一向にヘンリエッタは種明かしをしようとしないし、アイオンも無理に聞き出そうとは思わない、
ヘンリエッタのことだ、黙っているのはアイオンか他の誰かのためなんだろう。「なぜ」を明かさなくても無茶振りできる間柄だと、甘えられていると思えば悪い気はしない。これはもともとセーラが言った表現らしいが、確かにアイツの生態は甲斐性が服を着て歩いてるようなもんだ。そういう女が気兼ねなく頼れる相手として俺を選んだってことなら、歓迎してやってもいい。
教育係にして長年の右腕だった男と見知った侍女を失ったハイラントに関しては、またさらに妙なこじらせ方をするかもとアイオンは危惧していたのだが、意外と元気そうにしている。
そんな風に吹っ切れた主な原因は十中八九ヘンリエッタだろう。
なんかめちゃくちゃ手紙送ってきてるし。あの手この手で縁談断り続けてるし。ふざけやがってあの野郎。色々あったが無事に帰ってきて良かったとかいう感情が遙か遠くに吹っ飛んだわ。
事件の後、会議の場でヘンリエッタを好き放題貶したり貧乏くじ押しつけたりしてくれた貴族どもの前で交際宣言もしたってのに――事前に相談されてなかったヘンリエッタは絶句していた――、どういう神経してたら元婚約者に恥ずかしげもなく絡み続けられるんだ。明け透け過ぎてそろそろ王宮の外にも噂が漏れ始めてんだよ。マジでふざけんな。
ヘンリエッタが「アイちゃんを不安にさせるようなことはしないよ~」と毎度ハイラントに断った上で手紙を見せてくれるのでこれでもまだマシだが、もし裏で文通されてたら今頃百回ボコしに行ってるところだ。
向こうは向こうで一層鍛錬に打ち込むようになったらしいが知らん。かかってくるなら絶対負けねぇ。
やけに絡んでくるといえば、女王もそうだ。
アイオンたちの生活を気遣う手紙や王都の美味いもんを送ってきたり、王都に新居を構えないかと御用達の建築士を紹介してきたり、今度ヘンリエッタと一緒にお茶でもどうだと誘ってきたり。
どういうわけか、女王はアイオンとヘンリエッタの関係を応援するつもりのようだ。
今でも彼女がなにを考えてるのか分からないし、正直アイオンとしては一定の距離を保っておきたいのだが、とはいえ平民であるヘンリエッタに後ろ盾が必要なのも事実だ。女王が支援してくれるというなら越したことはない。
それに当のヘンリエッタが女王からの誘いに乗り気なので、今のところアイオンも彼女に合わせてなるべく付き合うようにしている。あんまり会話は弾まないけど。
行政監督庁の面々は相変わらずだ。
事件後しばらく寝込む羽目になったヘンリエッタがなぜか「ウーレンベックに会いたい、ウーレンベックを呼んで」としきりにせがんだときは、半ギレで医者の手配をしていたイースレイが「ちゃんと寝てろ!」と全ギレに進化した。心配がいきすぎて爆発したんだろう。ヘンリエッタに対する最近のアイツはたまに小うるさい母親かなにかに見える。
それを思うとオリバーのほうが比較的冷静だった。イースレイが仕事に戻るタイミングを見計らって、まだ王都に滞在していたウーレンベックを連れてきたのは彼だ。顔面蒼白で駆けつけたウーレンベックは「ヘンリエッタ様が早く良くなるように」となにやらまじないのようなものを施していたが、実際それからヘンリエッタは徐々に快復していった。たぶんウーレンベックも今回の作戦に一枚噛んでた……というよりヘンリエッタに頼まれて噛まされてたんだろう。
セーラは父親があの会議でヘンリエッタに食ってかかろうとしてアイオンに止められたと後になって知り、「サイッッアク! 家の恥すぎるんでちょっと一回話し合ってきます!」と叫んで数日実家に帰っていた。
初めて娘から説教されて引っ込みが付かなくなり、逆ギレした父親と決闘してきたという土産話にヘンリエッタは爆笑し、セーラが完勝したと聞いてさらに笑いが止まらなくなった。アイオンから見ても結構な面白エピソードだと思う。つーかあのときの貴族ってセーラの父親だったのか。ヒゲと眼鏡のせいで人相の印象が薄かったから気づかなかった。まぁ反省したならなによりだ。
「ヘンリエッタ、……あ」
今日は休日。
庭の水やりを終えて書斎に戻ったアイオンはとっさに口をつぐんだ。
アイオンの上着をブランケット代わりにして、カウチでヘンリエッタが眠り込んでいる。
……昼寝日和だしな。
アイオンは起こさないようにそーっとカウチを回り込み、腰を折ってくーくーと小さく寝息を立てているヘンリエッタを覗き込む。
最近彼女はこうしてちゃんと眠るようになった。アイオン以外の前では眠たそうな仕草すら見せないが。
あと食事も進んで取っている。最初は単純にそのときのメニューが好物だったのかなと思ったが、アイオンが作ってやったときだけ食欲が増しているんだと気づいた。
いやこれでかわいくないわけないだろ。
黙っていれば可憐な人形めいて整っているヘンリエッタの白い頬が、健やかな眠りのおかげで桃色に染まっている。
コイツが日々普通に寝たり食ったり、生きて喋って動いてるだけでいちいちアイオンは感動している。なんでまだ結婚できてないんだろうと本気で不思議になるが、どうやってプロポーズにするか俺が決めあぐねてるからかと自己解決する。自分がこういうところ妙に凝り性だったとは我ながら意外だった。
「……おいそろそろ起きろよ。また夜寝れなくなるぞ」
「……んん? ん~……」
名残惜しさを振り切って軽く肩を揺すれば、ヘンリエッタはむずがりながら灰色の大きな目を開ける。
アイオンの姿を認めると相好を崩して手を伸ばしてきた。
「おはよぉ~……」
「おはようじゃねぇよ。まだ眠いのか?」
「う~ん……眠いぃ……」
初めてアイオンの前でうたた寝したとき、目覚めるなり「意識の連続が長時間途切れるってやっぱ怖くない?」とかなんとか真剣に悩んでた姿はもう見る影もない。
アイオンは眠気でぽかぽか温かいその手を取り、
「眠気覚ましに散歩行くか?」
「ん~? なに~?」
「散歩。そこの湖まで」
「んー……」
ヘンリエッタは目をぱちぱちさせて首を傾げる。
「アイちゃんも行くならいいよ~」
「あ? ……しょうがねぇな……」
しぶしぶ承諾する振りをしてヘンリエッタを抱き起こす。
悲しい出来事を思い出すからだろう、以前の彼女は必要に駆られなければ湖に近づこうとしなかったが、最近はそうでもない。機嫌が良いときは、かつてラローシュ領にあった小さな村の思い出話をぽつりぽつりと話してくれたりもする。
起きた拍子にかぶっていたアイオンの上着がずり落ち、ヘンリエッタが「わっ」と声を上げる。
「あ、ごめん借りてた」
「どんどん借りていい。他のヤツのは借りんなよ」
即答するとヘンリエッタは面白そうに笑った。
立ち上がって机のほうへ向かい、ティーポットに残っていたぬるいお茶をカップに注いで飲み干した辺りで、次第に目が覚めてきたらしい。手ぐしで髪を整えている横顔からはもうぼんやりした雰囲気が消えている。
……少しだけちょっかい出してみてもいいか迷う。別にビビってるとかじゃねぇけど、アレだ、付き合い始めに自分勝手な構い方すると幻滅されやすいってよく聞くし、今が幸せなだけに慣れない悩み事も増えるもんなんだよ。
すると、アイオンの躊躇を察したようにヘンリエッタがこっちを振り返った。
にやっと笑いながら手招きして、
「自信持ってよ、アイちゃん」
と昔さんざん聞かされたセリフをもう一度ささやいてくる。
「……」
……敵わねぇな。
アイオンは逸る気持ちとかすかな緊張を胸の奥に押し込めて、嬉しそうににこにこしている彼女のもとへ歩み寄っていった。




