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蘇る死者(後)

 急遽女王が用意してくれた、潜入用の特別製のマリオネットとやらが巨大化したシャペロンにしか見えないのはちょっと笑ってしまった。

 プリムダール岬で待機している軍勢は主に傭兵で構成され、フェザーストーン公爵が率いている。ワイヤードは王都の魔術防壁を強化・維持しつつ、王宮で女王の護衛だ。傭兵の中にはアイオンと顔見知りの面々もいたから、彼が同行していても連携に問題はないだろう。


 ロードライト城は国王の住まいにしては奇妙な、鳥籠のような形をしている。

 夜明け前、巨大シャペロンはヘンリエッタを城の中庭に降ろした。周囲に人影はなく、中庭を十字に切り分けている回廊の長辺は、神殿にも似た威容の礼拝堂に繋がっている。空に浮き上がってから水路と切り離されているはずの噴水が、何事もなかったかのように豊かに噴き上がっている辺り、強烈な非現実感がある。

 ここはある種の別天地だ。

 ツィドスが設計したらしいが、こんな場所で気が休まる人の気持ちが分からない。

「君はここまでね」

 送り届けてくれた巨大シャペロンに別れを告げると、かなり粘った後にしぶしぶ地上へ飛んでいった。ありゃ中身入ってたな。でも、女王に繋がってるマリオネットとツィドスを接触させるわけにはいかない。


 ……ツィドスたちはたぶんあの礼拝堂の中だ。


 高度が高いため風が強い。遙か下からは潮騒が聞こえ、薄くかかった雲を挟んで濃紺と薄橙色に別れた空を純白の礼拝堂と大階段が背負っている。

 ヘンリエッタは回廊を通って中庭を渡りきり、大理石の階段を一段一段上っていく。

 果たして、白と金で統一された美しいものだけの世界の中に、目的の人物は立っていた。


 あれはギャレイであってギャレイじゃない。

 ツィドスの魂によって支配されているギャレイの身体は高貴な衣装をまとわされ、飾り布で覆われた祭壇の前にいる。

 その傍らにある安楽椅子には意識を失ったハイラントが座らされている。

 夜明け前のわずかな自然光が大きな窓からそのふたりだけに集まり降り注いで、まるでスポットライトでも浴びているようだ。

「――ハイラントになにをしたの?」

「案ずることはない、眠らせただけだ」

 口調もすっかり染め変えられている。

 ギャレイの中に宿るツィドスが言う通り、ハイラントに怪我はないようだ。

 ツィドスは老人とは思えない、妙に若々しく艶然とした笑みを浮かべる。

「これはこれは……いやまったく、こうして『本物』を目にすると感動で若返ってしまいそうだ」

 一方的に感動されてるこっちはただただ不快なんだけど。

 ヘンリエッタはうんざりと溜め息を落とし、

「そりゃ奥さんや娘の命を弄んで私の同族を造り出そうなんてバカは、相当心が若い人じゃなきゃできないでしょ。いい歳してなにやってんのよ、ツィドスじいさん」

「……ん、メレアスタの手勢は岬に居残っているのか」

 聞いちゃいない様子でツィドスは下界の気配を探るような目つきをする。

「選択を迫ったのは私だが、かといって本当に貴殿ひとりに命運を託すとは……貴殿、もう少し不平や恨み言を申しても良いのではないか? このぶんでは普段から実力と希少性に相応しい扱いをされてはいまい。よく見れば贅沢というものをあまり知らぬ顔をしているしな……」

 元凶のくせして余計なお世話よ。鼻白むヘンリエッタにツィドスは憂愁を漂わせ、かつて自分が創造しようとした生き物との会話を楽しもうとしてくる。

「なぁ大魔女よ、無駄な戦いはよさんか」

「この期に及んでやり合いたくないっての?」

 いま雑談が多少長引くのはヘンリエッタにとっても悪いことではないので、適当に受け答えをする。

 ツィドスは大仰に肩をすくめ、

「無論ないとも。貴殿となど、出来るならやり合いたくないに決まっている。私が世を去って後、ずいぶんと世知辛くなってしまったものだ。身分的弱者に手を差し伸べる者が減り、蔑むことで非才の身を慰めようとする者が増えた。私以外の誰がそのような暗愚たちを導き、この国に再び正道をもたらせると思う? 私なら貴殿に正当な待遇を与えられる。貴殿に対して訳の分からん非礼を幾度も働いたこの孫の、曇った目を正してやることもできる」

 気を失っているハイラントを顎でしゃくって堂々とふざけたことをのたまうので、この老人との落としどころを探すのは不可能だとしみじみ分かった。そんなもの最初から期待してなかったけど。

 おじいちゃんの繰り言に付き合うのももう終わりだ。ヘンリエッタは用意していたセリフを告げる。

「おとなしくハイラントとギャレイ宮廷伯を解放するなら、お墓に花でも供えてあげるわよ?」

「……。あぁ、駄目か……」

 ツィドスは心から残念そうにかぶりを振った。

「……気が変わったならいつでも申告を受け付けているが……」

「そんな窓口開けとくだけ無駄よ」


 言うや、ヘンリエッタは袖口に隠していたナイフをツィドスに投擲した。これくらいならヘンリエッタの腕力でも扱える。

 命中すれば塗布してある麻酔薬がツィドスを無力化できるはずだったが、彼はすぐさま魔術で防いだ。

 彼の強力無比な魔力は無数の弾丸になってヘンリエッタに降り注ぐ。

 とはいえストレートな魔術戦では圧倒的にヘンリエッタの有利だ。魔力量の差がそのままヘンリエッタを守る壁となり、ツィドスの魔力は光の粒となって霧散する。

 美しい礼拝堂の内側で激しく光が炸裂し、目がくらみそうだ。

 ヘンリエッタはその光の中に袋に入れた目潰しを紛れ込ませた。

 袋が弾け、ツィドスの視界が遮られる。

 その隙に飛び出してハイラントだけでも先に身柄を取り戻そうという考えだった。

 それを読んだツィドスが儀式用の剣を抜く。

 振りかぶられた切っ先に気づきながら、ヘンリエッタはあえて突っ込んだ。斬られるならそれこそ望むところだからだ。

 しかしツィドスはすんでのところで剣を引いた。

 直後、祭壇が異様な気配を放った。

 ツィドスは初めからこの祭壇に仕掛けを施していたのだ。限界を超えて自分の魔力を増幅し、たった一度ヘンリエッタの防壁に針の穴ほどの隙を創り出すための魔術。

 その魔術は攻撃魔術ではなかった。

 魔力で編んだ糸でただヘンリエッタの動きを封じるだけの、難易度の低い無害なものだ。

 ヘンリエッタは蛇のように伸びてきた糸に拘束されたが、動じはしなかった。これくらいは予想できている。

 だが、次にツィドスが繰り出した魔術がいけなかった。

「……!」

 腹部の激痛と全身に回りかけていた毒が瞬時に癒やされていくのを感じ、ヘンリエッタは目を瞠った。

 ツィドスはこの局面で、ヘンリエッタに治癒魔術を掛けてきたのだ。

「……私が貴殿を傷つけることは決してない。そのような行いは『本物』に対して無礼であるし……なにより、魔力暴走を誘発するだけの悪手だからだ」

 ツィドスは少し上がった息を整えながら言う。

「こと決戦の準備期間では私が勝っていたからな……貴殿の手札を把握するには充分な時間があった。貴殿が王宮という伏魔殿を渡っていくために薬毒を扱う術を身につけたことも、とうに調べはついている」

「……っ」

「毒物については立場上私も学んでいる。拮抗作用というのがあったな……ある毒とある毒を適量ずつ同時に服用すると互いに打ち消しあうため、その作用が切れるまでは中毒作用が抑えられるとか。自傷行為は間違いなく私に止められると予想して、あらかじめ拮抗作用の働く毒を飲んでからここに来たのだろう? 時間を稼ぎ、痛みを堪えて平静を保ち続けることさえできれば、時限式の魔力暴走システムの完成だ。よく考えたものだな……いや、思いついても実行に移す者はそういまい」

 ツィドスはヘンリエッタを拘束したまま念入りに治癒魔術を施し、すっかり綺麗な健康体に戻してしまった。……魔力暴走を誘発できるような傷はもうない。それをこれから作ろうにもまずこの拘束から逃れる必要がある。

 ヘンリエッタとツィドスの魔力量の差を考えればそれ自体は可能だが、少しは時間がかかってしまう。拘束だけして放置してくれるわけはないし、その間に確実な王手を打たれてしまうだろう。

「つくづく貴殿を平民だからと侮る者の頭の出来が哀れだな。貴殿の真髄は実のところ、その特異な魔力の陰に隠れている器用さだ。手品じみた小手先にしても知識にしても、現実に応用する力がずば抜けている。貴殿から勝利をもぎ取ろうと思うなら、それこそを警戒すべきだろう」

 ツィドスは安楽椅子に歩み寄り、そこに座らされているハイラントの襟元をこれ見よがしに掴み上げて、ヘンリエッタを振り返った。

「さぁ上手くいったかな。愛する者がこうされても貴殿に魔力暴走の兆しが現れないなら、この城に貯蔵していた魔力まで使い潰した私の奥の手がきちんと機能していると分かるのだが――」

「ハイラントを離して」

「よろしい、これなら問題はないな」

 やっぱり、ツィドスはこの拘束で一時的にヘンリエッタの感情由来の魔力暴走を抑制している。

 この場で自傷以外でヘンリエッタの虎の尾となり得る存在はハイラントだ。前者を治癒魔術を施すことで、後者をダメージを与えない拘束魔術を利用して抑え込むのが、ツィドスの用意した作戦だった。

 レオナルドのときはあくまで精神的にダメージが続いていたところに魔力暴走の特性を利用されただけだったが、ツィドスはほんの一時的なものであれ、真っ向からヘンリエッタの莫大な魔力を抑えにかかっている。

 女王でも再現できないだろう異次元の魔術。

 ツィドスは確かに比肩する者のない傑物だった。

「私の勝ち……と言うには消費したリソースと与えられた猶予があまりに少ないが、ようやく準備が整った。ハイラントめ、私に抵抗してみせたあのアルフレドの子にしてはエクロスの力に目覚めるのが遅すぎる! 手間取らせおって……」

 わざとウィットを織り交ぜて余裕の態度を装っていたツィドスの顔から、今やその仮面が剥がれつつあった。

 ヘンリエッタはその醜悪さを睨み付ける。ヘンリエッタを抑え込めているこのわずかな猶予で彼がなにをしようとしているのか手に取るように分かった。

「ハイラントの身体を乗っ取る気? アルフレド王配殿下のときみたいに!」

 ツィドスは愉快そうに肩を揺らして笑い、

「それ以外になにがある? 二度目の好機を掴むまで、こうまで苦労させられるとは思わなかったぞ。……とにかく順番が難しかった。エクロス一族を皆殺しにし、私の魂を不滅のものとするには『魔王』の力が必要だ。依り代には魔力量の差でハイラントが適任だが、死者蘇生術を三年かけて実践させるという荒療治でもしないとエクロスの才能に目覚めてくれん。だがハイラントさえ覚醒させればいいかというと、いざ乗っ取ったときに大魔女が健在ではハイラントへの愛ゆえに確実に阻まれる。それを回避するには別途、仮の依り代を調達するしかない」

「仮の依り代……」

 最初からハイラントに憑依せずギャレイを使ったのは、可能な限りヘンリエッタを刺激しないためか。

「しかしそもそもオカルト嫌いのハイラントが死者をどうこうしたいと考える理由がない。本当に手の掛かる孫だ、それもこちらで仕立ててやらねばならん。アルトベリ家のメレアスタ暗殺計画は渡りに船だった。ハイラントを守ろうとするメレアスタと大魔女を同時に排除できる上、そのふたりを失えばさすがのハイラントも死者蘇生を願う可能性が高い。実際に死んだのは片方だけだったが、ハイラントを覚醒させること自体は成功した。……メレアスタが死んでおれば良かったものを……結局はその代償として、蘇った大魔女を単独で封殺するなどという無茶をこなさなければならなくなった……ふふふ……、これが一番うんざりした」

 ツィドスにとっては時間の浪費にしかならないだろうに、その口は滑らかで止まらない。彼はやっとゴールに到達し、自分で自分の苦労を褒め称え、勝利宣言をしながら自己陶酔している真っ最中なのだ。こんな気持ちの良い、二度と味わえない最高の瞬間を逃す手はないんだろう。

「だがエクロスの力に目覚めたハイラントの身体さえ手に入れれば、いかに大魔女でも私の敵ではない。一度でも死を経験した者はエクロスの支配から逃れられんからな。ハイラントが老いればその子へ、その子が老いればその子へと、エクロスの血とともに私の魂は受け継がれる。今こそ、私はふたたび君臨する……未来永劫、愚衆を導き支配する不滅の存在として!」

 生存欲求と支配欲という妄執が魂を固める鎧と化し、狂気に落ちた老人の顔がぎらぎらと輝いている。

「私は……神になるのだ……!」

 その身体が編み上げられた魔力をまとい始め、ギャレイからハイラントへと魂の住処を移そうとしたそのとき、

「ツィドス!!!!」

 ――と、ヘンリエッタはまた用意していたセリフを叫んだ。



 ハイラントとギャレイが攫われているという状況と女王から聞いた話とすり合わせれば、ツィドスが誰を欲し、誰を排除したがっているのかは明らかだ。

 加えて、ヘンリエッタを蘇らせたのがアイオンではなくハイラントだと、ツィドスが思い込んでいることも最初から分かっていた。

 誰に誘導されたわけでもないのにアイオンも独自に死者蘇生術を研究していたなんて想定できなくて当然だ。どちらがヘンリエッタの蘇生に成功した術者なのかはツィドスとの対決に際してはさほど重要じゃない。いずれにせよ三年かけてエクロスの術を実践した時点で、ハイラントはツィドスのお眼鏡に叶ってしまった。

 逆に言えばツィドス視点ではアイオンは蚊帳の外だから、ツィドスから彼を守る必要はない。これはひとつ安心できた。


 いつだって敵は万全の準備を済ませてから事を仕掛けてくる。

 特殊な第六感を持たない人間には知覚できない魂だけの存在なら、情報収集は得意中の得意だろう。誰がツィドスと通じているかに関わらず、ヘンリエッタがこれまでに一度でも披露したことのあるやり口は、すべて対策されていると思ったほうがいい。

 自傷行為、周囲の人間をわざと危険に晒すこと、トリック、毒、中途半端な護身術……これらは決め手に出来ない。

 敵が最優先で警戒してくる魔力暴走なんか一番頼れない。


 ツィドスが全ての手札を封じてくるなら、こっちは今回限りの一発芸で勝ちきるしかない。

 しかも一発芸と一口に言ったって、魂のみでこの世にしがみついている死者を殺せる芸じゃなきゃ無意味だ。


 だからヘンリエッタはシャペロン経由で密かに女王に協力を仰ぎ、事前にウーレンベックと会っておいた。

 レオナルドがやったように、ウーレンベックにヘンリエッタの魔力を使って魔術を行使してもらうために。

 祖霊信仰の教団で用いられる原始的な魔術……降霊術の存在は、三年前のヘレネー領ですでに聞いていたから。



「――な、ぜ――きさま、が――――!?」


 ツィドスの魂がハイラントに宿ることはなかった。

 虚空に引きずり出されたツィドスは、その立体感のない半透明の身体を縦に両断されて驚愕している。

 ヘンリエッタの手には象牙の柄のナイフがある。

 そして背後には、ついさっきツィドスの魂を斬りつけた別の魂が重なるように立っていた。

 その人物はアイオンと瓜二つの端正な顔をヘンリエッタに向けて、言った。


「すみません、合図もなしに飛び出して……身体は大丈夫ですか?」

「ヨユーです! それよりアルフレド殿下、あと一発入れなきゃいけないみたいなんで気ぃ抜かないでください!」

「ふ、ふざっ、ふざけるなァ!!!!」

 ここにいるはずのない男の登場に、ツィドスは完全に恐慌を来している。

 普通の人間ならつむじを起点に左右に泣き別れした肉体のままこの世に留まれはしないだろうが、彼は違う。血も流れない魂の傷を庇うように後ずさり、威嚇しようとめちゃくちゃに拳を振り回す。

「この小娘が、いったいなにをした!? とっくの昔に自ら命を絶ったアルフレドがなぜここにいる!? 魂のみで現世に存在し続ける秘法は開発者の私しか知らぬはずだ!! なんの魔術も使わずに留まっていられる道理はないっ!!」

 アルフレドは自分の魔力で織り上げた剣の切っ先をツィドスに突きつけ、挑発的に首を傾げてみせる。

「さあな、なにしろ私は自死を選ばされ、弔いさえ許されなかったあの世のつまはじき者だ。死ねばこの世をさまようのが定めなんじゃないか? アルトベリ家による暗殺の危機からメレアスタを救ったとき力を使い果たしたと思ったが、大魔女を依り代とした降霊術なんてもののおかげで魂を再構成できたようだ。ヘンリエッタさんは妻を救ってくれたばかりか、この手で貴様に引導を渡す機会まで与えてくれた……今度は逃がさんぞ、ツィドス。老いさらばえたその魂、塵に返してやろう」

 アルフレドは死後も魂となってずっと女王を見守っていた。一度は退けたツィドスの脅威がふたたび妻を襲うと予見した彼は、追慕の森でヘンリエッタに自分の遺品であるこのナイフを回収させ、いざとなれば自分に代わって妻を救ってほしいという念を勝手に託したのだ。

 三年前、死の間際にアルフレドの魂を一瞬知覚したヘンリエッタは、蘇ってから女王の話を聞いて彼が自分になにをしたのかを悟った。

 アイオンにもハイラントにもそんな素振りはなかったから、どうやら今は女王のそばにいられない状態みたいだが、彼がヘンリエッタに負い目を感じているのは確かなようだったし、なんたって妻と息子のピンチだ。呼び出すことさえできれば間違いなく味方になってくれる。

 魂だけで生きながらえている死者を殺せる存在がもしいるのなら、それはきっと魂に干渉できる力を持つ死者だけだ。

 ウーレンベックの降霊術でアルフレドを自分に降ろし、彼にすべての因縁の決着をつけさせる。

 それこそヘンリエッタがここまで隠し通した奥の手だった。服毒にせよ魔力暴走にせよ、それ以外の手は最初からツィドスの注意を引きつけるための囮として準備しておいただけだ。

 妻を守るためヘンリエッタに干渉したことで力を消耗し、自我を保つことができなくなっていたアルフレドだが、大魔女が依り代となった異例の降霊術によって輪郭を取り戻せたらしい。

 召喚は大成功。

 アルフレドは二度目の帰還を果たした。

「馬鹿な、そんな……ことが……あるものかァ!!」

 狂乱するツィドスは立て続けに攻撃魔術を放ってきたが、ヘンリエッタにかけられた拘束魔術もちょうど無効化される頃合いだ。

 単純な魔力量の差でツィドスの魔術はヘンリエッタとアルフレドに届く前に消し飛ばされる。

 閃光が磨き上げられた床に反射し、ステンドグラスが虹色に輝く。

 ツィドスはもはや為す術もなく一歩、また一歩とよろよろ後ずさる。

 彼は手のひらをこちらに向けて、

「ま、ま、待てッ……分かった謝る、すまなかったアルフレド! 貴様と貴様の一族とッ、妻と息子たちへの罪はどんなことをしても償う! だが一度だけ、もう一度だけ王配としての務めを果たすんだ! 民衆の行く末を背負う身が憎しみで思考を放棄してはならん! この国の未来と民の幸福を永久に保証できる王は私だけだ! 死人が過去のことに拘り、生者の未来を脅かしてはならない! 分かるだろう!?」

「……」

 必死に言いつのるツィドスにアルフレドは冷たい一瞥をくれただけで、聞く価値もないと言うように剣を構え直した。

 ツィドスはその反応におののき、一転ヘンリエッタに向き直る。

「だ、大魔女! こんな復讐は無意味だ! 私なら貴賤を問わず万民に幸福をもたらせる! なにも知らない無辜の人々を不幸にするつもりか!?」

「いやーあいにく私は復讐して前向きになれたタイプなんだよねー!」

 ヘンリエッタは老人の妄執をにこやかに笑い飛ばす。


「ていうか民以前に娘にも孫にも惜しんでもらえない人が神を名乗るとか、おこがましすぎるでしょ。死人が見る夢はもう終わりにしなきゃね?」


「死人というなら貴様らとて同じだろうがァ!! 嫌だッ――――や――やめ――」


 ツィドスが命乞いをするより先にアルフレドの剣がその全身を切り刻む。

 この瞬間家族全員を食い物にして妄執の糧としてきた老人の魂は粉々に砕け散り、無に還った。

 外では東の空が白み始めている。

 窓を通じて差し込み、純白の礼拝堂を淡い紺紫に染めていた光も色を失っていく。

 同時に、ツィドスの魔術で動いていたこのロードライト城もゆるやかに崩壊と落下を開始した。轟音と揺れが襲う中、ヘンリエッタは倒れ伏したギャレイとハイラントに駆け寄って容態を確認した。

「良かった、とりあえず無事……」

「ヘンリエッタさん、悠長にしている暇はない」

 アルフレドが天井から降ってくる細かな破片を見上げながら鋭く警告を発する。

「降霊術は依り代の肉体にかかる負担が大きすぎる……少しでも休ませてあげられれば良かったのですが、そうもいかない。消滅しかけの状態から再構成された魂だからか、私の魔力はツィドスとの一戦で尽きてしまったようです。早くハイラントを起こして彼の魔術で岬まで逃げましょう」

「ですね、ほらほらハイラント~起きて~! 助けに来たよ~!」

 ぺちぺちと頬を叩くと、やがてハイラントはそっと瞼を持ち上げた。

「……ここは……?」

 だが目の焦点は合っていないし、反応も覚束ない。お父さんの魂がすぐそこにいることにも気づいてないだろう。

 その隙にアルフレドは姿を消していったんヘンリエッタの中に引っこんだ。あとでちゃんとウーレンベックに降霊術を解いてもらわないとな。

 ヘンリエッタはまだ状況が分かっていないハイラントにこの場でなにをどこまで説明すべきか迷った。分かりやすく事細かに話している時間はない。そもそもハイラントは実の祖父が身体を乗っ取ろうとしてきたってことは把握してるんだろうか。

 ヘンリエッタが口を開こうとしたとき、ハイラントが掠れた声でうわごとのように呟く。

「……お祖父様は? 先王は……どうなったんだ? 私の……中には……見つからない……」

「見つからない、って……。…………まさか、あのまま乗っ取らせてやるつもりだったの!?」

 ハイラントの口ぶりはこの危機的な状況ではなく、ツィドスの魂が感じ取れないことを不安がっているように見える。

 ツィドスの目的を理解した上でそれを了承しようとしてたっていうの?

 驚愕するヘンリエッタに、ハイラントは顎を引くようにして頷いた。

「……天下に名高い名君が……帰ってくるなら……いいじゃないかもう、それで……。私が王になる必要は……ない……。どう転ぶか分からない生者よりも……功績のある死者に継がせるほうが……確実なんだから……」

「……」

 ヘンリエッタはここに来てやっと、ハイラントが長年抱えていた苦悩のかけらに触れられたような気がした。

 王太子に生まれた彼はその責任の重さに押しつぶされたあげく、歴代の死者たちに勝とうとしてしまったんだ。勝てなきゃ自分は無価値だと思い込んでしまった。……人生丸ごと他人に明け渡そうとするくらいに。

 彼が背負ってきた想像もつかない重荷に同情はするが、だからといって今捨て鉢になられちゃ困る。

 ヘンリエッタは彼を引き起こそうと悪戦苦闘しながら、

「バカなこと言ってないで帰るよ! こうしてる間にもお城がボロボロ海に落ちていってんの!」

「……。だったら、君たちだけで逃げるといい」

 ハイラントは手元で自分の魔力を編みながら、疲れ切った顔で言った。

「城が落ちてるってことは、結局……お祖父様も君に負けたわけだ。魂だけで生きていられる死人を……どうやって倒してみせたのか、私には想像もつかないが……さすがは君だな……」

「……」

「はは、……本当に君は……いつも正しい。いつも、誰よりも……!」

 ハイラントのうつろな哄笑はすぐに苛立ちと自嘲に変わっていき、自分が吐く言葉で自分を傷つけているかのようだった。

 こんなの聞いていられない。

 ヘンリエッタは他人の魂を宿したせいで軋みを上げる身体を急かし、強引にハイラントを起こした。

「あのねぇ、本当に私が正解だけを引き続けられるヤツだったら、今ごろ湖の綺麗な村でお父さんとお姉ちゃんと弟ととのんびり暮らしてるっての。的外れな嫉妬でトラウマ思い出させないでくんない?」

 呆れ顔でそう言い放って、引っ張っていたハイラントの腕をぱっと離す。

 どうにかこうにかひとりで立ってはくれたものの相変わらず目の焦点は合ってないし、今なお崩壊を続ける城のど真ん中でもいっさい焦りを見せない彼の姿にその孤独の深さが表れている。

 けどこっちだって、大魔女という看板のままならなさをよく知りもしないくせに好き勝手言われて振り回されて、じわじわムカついてきてたところだ。

「……もういーよ。ハイラントがハイラントでしかいられないことがそんなに辛いなら、好きにすれば?」

 うなだれているハイラントの肩がぴくりと跳ねるが、ヘンリエッタは構わず続けた。

「でも言っとくけど、ここにいるのがツィドスじゃなくてハイラントだから私たちは助かるんだよ。ハイラントがいてくれて良かった。――ありがとう」

「…………」

 バラバラと天井の破片がふたりの間に落下し、ステンドグラスが割れて薄黄色の朝日が春風とともに礼拝堂の中を駆け抜ける。短時間で高度が下がったせいで耳の奥がきーんと痛んだ。

 黙ってハイラントの答えを待つ。

 ヘンリエッタはこれからハイラントがなにを選ぼうが後悔はないし、その後に起こるだろう出来事への覚悟も済んでる。ああしてほしいこうするべきだと責務を説いたりしない。彼はいま、自分の人生を生きて好きな道を行けばいい。それが最期の選択になるとしても。

 やがてハイラントは溜め息をつくように小さく笑った。

「……ずるいね、君は」



「ヘンリエッタ!」

「ハイラント殿下! ヘンリエッタ嬢! よくぞ……!」

 ハイラントの魔術で岬へ降下すると、今か今かと待ち構えていたアイオンたちが駆け寄ってきた。城が崩壊を始めた時点でヘンリエッタの勝利を確信した彼らは、先に救護テントを張って待っていたのだ。

 気絶しているギャレイをハイラントが救護班に任せ、彼自身も軍医の診察を受ける。

 ここまで来ればもう大丈夫。ヘンリエッタは気が緩んだせいか急なめまいに襲われ、その場に片膝をついた。うぇ、他人の魂と共存するのってこんなにしんどいもんなんだ~……。

「! ヘンリエッタ様、どこかお怪我を?」

 すぐさまマスクをつけた女性看護師がひとりやってきて、ヘンリエッタの容態を確かめようとする。

 しかしその手首をアイオンが掴んで止めた。

「……? アイオン殿下? あの、ヘンリエッタ様の治療をするので離してください」

「……」

 怪訝そうに見上げてくる彼女を、アイオンは鋭い目で見下ろした。

「思った通りだな。このタイミングで仕掛けてくると思ってたぜ」

「……なんのことですか? 意味が分かりません」

 アイオンと看護師の間の雰囲気がにわかに緊張を帯び、周囲の注目も自然と彼らに集まる。

 やっぱこうなっちゃったか。

 ヘンリエッタはへろへろの身体に鞭打って素早くアイオンの後ろに避難した。最後の最後で物理的に至近距離でグサッとやられたら終わりだ。

「コイツが言うには」

 アイオンが背後に庇ったヘンリエッタを指さしながら言う。

「誰かさんの差し金で会議じゃ大して疑われずに済んでたが、ギャレイが本当にただの被害者とは限らねぇ。兄貴に例の魔術を試すように提案してきたのもギャレイだって話だし、王太子の教育係って立場を利用すれば、まだ兄貴がギリギリ純粋なガキだった頃からおかしな強迫観念を植え付けることだってできたかもしれない。自分で自分を追い詰めていくようにな」

「!?」

 看護師は周囲のどよめきに気圧されるように顔色を変え、アイオンの手を無理矢理振り払う。動揺して思わずやっちゃったって感じの動きだ。

 アイオンの言う「例の魔術」がなにを指しているのか知っているフェザーストーン公爵がぎょっと目を剥いて、

「ギャレイ宮廷伯が内通者だとおっしゃるんですか!?」

「そうじゃなきゃこの女が救護班に紛れ込んでるわけねーんだよ」

 アイオンは公爵の問いに飄然と答え、その佇まいだけで驚きに呑まれた人々の喧噪を収めさせた。

「看護師の振りをしてるが、コイツの正体はギャレイの妹――リネット・ギャレイだ」

 ハイラントがひゅっと息を呑み、声にならない驚きを示す。

 全員が看護師……リネットを振り返る。

 追い詰められた彼女がごくりと唾を飲んだ音が、潮騒よりもはっきりと聞こえた。

「ギャレイが内通者だとしたらその身内も疑っとくべきだろ? 敵はヘンリエッタのことを最大限警戒してたはずだ。万が一自分たちの主が敗北した場合、後詰めとしては疲労困憊のヘンリエッタに仲間の振りして近づき、勝ったと思って油断したところを不意打ちで仕留めるくらいのことは計画してたろ。リネットが変装してまでここに現れ、真っ先にヘンリエッタに接近しようとした以上、ギャレイ兄妹はクロだ」

 出発前、ヘンリエッタはその不意打ちから自分を守ってほしいとアイオンに頼んでおいたのだ。ヘンリエッタも単純で迅速な暴力の前ではただの貧弱な少女に過ぎないと分かっている彼なら、必ず守ってくれると信じたから。


 もはやこれまでと悟ったリネットと気絶している振りをしていたギャレイは、その直後最後の賭けに出たが、アイオンが完璧に機先を制した。いつものことながらつくづく鮮やかだねぇ。

 剣すら抜かず体術のみであっという間に昏倒させられた兄妹はそのまま捕縛され、フェザーストーン公爵の指揮で王都に移送された。


 後日、アルトベリ家のとき同様王家の秘密が漏洩することを防ぐために公開処刑は許されず、女王みずから彼らを葬り去った。

 厳しく聴取されても兄妹は黙秘を貫いたが、動機について訊かれたとき一度だけ「万民の幸福のため」と答えたという。


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