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蘇る死者(前)

 一夜明け、王都は完全に厳戒態勢となった。召使いたちは破壊された庭の片付けと余波で負傷した舞踏会参加者の救護に追われ、王宮と町は調練通りに動いた。

 ヘンリエッタはほとんど引き出されるようにして女王の執務室で開かれた会議に出席していた。アイオンはもちろん、フェザーストーン公爵やワイヤードも同席している。当たり前だが、武官文官問わず誰の表情も険しく、今にも弾けそうな危うい空気が支配する。

「……ワイヤード、姿を消した王太子とギャレイ宮廷伯の追跡が完了したそうだな」

 紙のような白い顔色で玉座に座った女王が言う。

「は、浮上したロードライト城にいらっしゃるようです」

「無事なのか?」

「……ご存命です。ロードライト城は昨夜莫大な魔力を動力源に浮上を開始し、南部王領地からゆっくりと北上。今のところ進路上の街や村にそれによる損害は出ておりません。現在は王都の東――プリムダール岬の海上およそ百メートルに位置し、なおも上昇を続けています。信じがたいことですが、ロードライト城を掌握している魔力反応はやはり、先王ツィドス様のものと思われます」

 ワイヤードの回答にざわめきが起こる。

「も、もう間近まで来ているのか……!?」

「ではあの声明は、ほ、本物っ!?」

「ロードライト城を動かせる人間なんて本物のツィドス様以外には……」

「馬鹿な、悪質な騙りに決まっているだろう! 死者の名を汚す不届き者が!」

「そ、そうだな、ツィドス様ご本人のわけがない! あの声明だって真っ赤な……嘘……」

 希望的観測によって盛り上がった貴族たちの視線は、しかし勢いを失うに従ってぞろりと女王に集まる。まるでおぞましい怪物を見るかのように。


 ――私の死の真相を誰ひとりとして見抜けなかった愚民どもよ、聞くがいい。私は実の娘であるメレアスタと、その王配アルフレドによって殺されたのだ。あろうことか親でもある王を弑し、玉座を簒奪した逆賊に鉄槌を下すべく、私はこの世に舞い戻った。世の民が道理をわきまえ、我が霊威を受け入れるのであれば今一度慈悲を与えよう。だがそれすら叶わぬほど蒙昧ならば、借り物のこの身体を使い、娘ともども私がこの手で裁きを下す。


 ロードライト城が何者かの魔術によって起動し突如浮上を始めたという一報とともに、先王ツィドスを名乗る人物の声明も王宮に伝えられていた。

 ……女王とアルフレドがツィドスを殺したという真相を知っているのは、今やこの世で女王本人とヘンリエッタのふたりきりのはず。そしてツィドスには――これも女王とヘンリエッタしか知らないことだが――霊魂の状態でアルフレドを乗っ取りかけた前科がある。魔力反応が一致した点から見ても、これは……。

「ヘンリエッタ」

 長男を事実上人質に取られ、疑惑の渦中に放り込まれた女王が低く呼びかける。

「王太子とギャレイに最後に会ったのはそなただ。この事態をどう見る?」

「……」

 ヘンリエッタはギャレイの様子を思い出しながら慎重に言葉を吟味する。なるべくこの場で明かせない情報には掠めないように話さなくちゃいけない。

「あのときギャレイ宮廷伯の様子は明らかに異常でした。自分から近づいて来てるのに殿下に逃げるように懇願してましたし、なにかに取り憑かれてるみたいだったと思います」

「と、取り……!?」

 ふたたび座に動揺が走る。

 まぁお化けに取り憑かれるなんてバカバカしい話、いい大人が信じられなくて当然だし、本当にツィドスの霊魂が蘇って自分たちに裁きを下そうとしているなんて受け入れられないんだろう。苛立ちのはけ口と現実逃避の手段としてヘンリエッタに食ってかかる貴族もいた。

「このっ……平民ふぜいが! ふざけたことをのたまって我々を惑わす気か!」

 襟元を掴もうと伸ばされた手を一瞬で払いのけたのは、面倒くさそうにぬっと前に出てきたアイオンだった。いくら貴族でも女王の御前で第二王子に阻まれたとあっちゃ、「あ……う……」と呻きながら手を引っ込めるしかない。おぉう、さすがだねアイちゃん。

 ヘンリエッタは女王をちらりと見た。こんなめちゃくちゃな状況に加え、声明の中で過去の罪を暴露されたせいで味方に迷いが生まれてしまっている。女王が選べる行動はそう多くない。

「ギャレイを操っているのが本当に死者の霊魂であろうと、そう偽っている生者であろうと……空を押さえられている以上どう工夫しても避難は徒労に終わろう。国土全域を王都と同等の魔術防壁で覆うことなどできぬ。実力で止めぬ限り、いずれ上からの攻撃でみな死ぬか……」

 女王の言葉に、しんと水を打ったような静けさが全員を覆った。

 無意識なのか、彼女は真っ先に避難という逃げの選択肢に言及してしまった。充分な才覚を備え、どんなときでも揺るがなかった自分たちの主君が、お化けなんかを真に受けて進退窮まっていることにみんなが絶句し、絶望しているのが分かる。

 まずい。

 悪い流れを感じ取ったのは女王も同じだったようで、すぐさまこう続ける。

「ギャレイが何者かに憑依され、操られている可能性は認めよう。しかし此度の賊を我が父と認めることは断じて許さぬ。父の名を騙る逆賊の誅伐――現時刻をもってこれを我が国の目標とする。生きていようが死んでいようが敵は敵だ。よいな?」

「は、はっ!」

「……」

 公式にツィドスとして扱わないと明言したのが功を奏してギリギリ軌道修正こそできたが、一丸になれているとは到底言えない状況だ。

 貴族たちが女王をいまいち信じ切れていないのは、彼女がヘンリエッタを問答無用で再び宮廷魔術師に登用したせいもあるんだろう。新聞にも「王家は魔女に弱味を握られているのか?」とか書かれてたし、一部の貴族が同じような疑念を抱いていてもおかしくない。

「……っそうだ、そこの魔女を使えばいい! 相手が貴人でないのなら平民が相手をしても構うまい!」

 ひとりの貴族が期待に双眸を血走らせながら拳を振る。

 さすがにいざとなれば前線を担う騎士たちは比較的落ち着きを保っているが、貴族たちは互いに顔を見合わせ、力を得たようにうなずき合う。

 隣のアイオンが舌打ちをしたのが聞こえてきた。

 しかし期待が高まりかけたところで痩せぎすで気弱そうな男が「ダメだ!」と猛烈な勢いで否を唱えた。

「この女が賊と繋がっていない保証がどこにある? この魔女が王都へ戻ってきたとたん並外れた魔力を操る逆賊が現れた。しかもだ、王太子殿下とギャレイ宮廷伯は攫われ庭園はぐちゃぐちゃに壊されたのに、この女は無事だったじゃないか! これが偶然なんてことがあるか!? 消息を絶っていた三年、いったいどこで誰となにをしていたのか洗いざらい吐かせるべきだ!」

「ヴィレガス伯爵! 言葉が過ぎますぞ!」

 フェザーストーンに名指しで一喝されてもヴィレガスは止まらない。

「いいや公爵、あなたこそ肩入れが過ぎる! 過去にこの魔女にどんな借りを作ったのか知らないが、建設的な話し合いができないのなら黙っていていただきたい!」

 ヴィレガスがここまで強硬に主張するのは、たぶん農地造成の件で髑髏の聖痕に譲歩するようヘンリエッタが進言したことへの恨みからか。まぁもともとの好感度も低かっただろうしね。


 ……実際、罵られても仕方ない。現場にいたのにハイラントとギャレイをみすみす攫われてしまった私の失態だ。


「……あの、少々発言をお許しいただけますでしょうか」

 そのとき、朝食を食べる暇もなかった出席者のために隅で飲み物と軽食を準備していた侍女たちの中から、艶やかな黒髪の若い女性が進み出てきた。

「リネット・ギャレイと申します。ギャレイ宮廷伯は私の兄です」

 リネットの発言で人々の表情に戸惑いと同情が浮かぶ。

 妹さんか、言われてみれば面差しが似てるな。

「畏れながら、ヘンリエッタ嬢が本当に共犯者なら兄まで攫う理由が分かりません。それに兄は王太子殿下やアイオン殿下を通じて何度かヘンリエッタ嬢と仕事をしたことがあり、その能力にも人柄にも信頼を置いていました。私は兄を信じております。確たる証拠もなしに作戦からヘンリエッタ嬢を外すのは、得策ではないと存じます」

「……」

「敵の討伐のみならず、人質を……いいえ、王太子殿下を無事に保護することこそが目標だと考えれば、ヘンリエッタ嬢の力はとても心強いです」

 毅然とした態度で発言を終えたリネットに流し目を向けられ、ヘンリエッタはにこにこと手を振って応えた。家族が巻き添えで人質に取られて大変だろうに兄の命よりハイラントの無事が第一だと暗に主張するなんて、年齢以上にしっかりしている。

「マリオネットは?」

 アイオンが躊躇なく流れをぶった切って女王に訊ねるが、彼女は苦い顔でうつむく。

「……勝ち目は薄い。下手に接敵させれば私の魔力を吸収され、マリオネットを操られる恐れがある」

「……」

 そんな芸当が出来るような相手なのか、と声もなく全員がたじろいだのが気配で分かる。

 女王の予想は正しいだろうとヘンリエッタも思う。ツィドスは女王の魔力を掌握しようと試みた過去があるし、当時の女王はろくに抵抗できず、憑依されていたアルフレドが自死を選んで阻止しなければどうなっていたか分からない。今また直接対決に臨んでも最悪の結果に終わりそうだ。

「ワイヤード宮廷魔術師団長に聞いたところによると、賊の魔力量は陛下を凌ぐほどだとか。もしマリオネットの操作権を掌握されれば配備先すべてに危険が及び、対外的にも隙を晒すことになる……。なによりマリオネットは国中に散らばっております。民に被害が出るより早く全個体を制圧するのは、人力ではほぼ不可能でしょうな」

 壮年の騎士が顎に手を当てて淡々と事実を述べる。

「人間より強力で死ぬことのない理想の兵士どころか、単なる斥候に用いることすら今はリスクがあると考えるべきです」

「……マリオネットは戦わせられないということか……」

 誰もが頼りにしていたマリオネットという絶大な戦力が使えないと分かるや、ヴィレガスは髪を掻きむしり、他の面々も頭を抱えて落胆を露わにする。


 ツィドスが女王のみならず対峙した魔術師の魔力を吸い取れる可能性を踏まえると、実際には彼らが考えているよりも事態はもっと悪い。

 マリオネット同様に魔術師もツィドスとは戦わせられないし、魔術の使えない兵士は言うまでもない。

 つまり、どうやっても人間の力ではツィドスに勝てないのだ。


 もう良い案は出ないだろう。潮時だ。

「んじゃ、やっぱり私が行きますよ」

 ヘンリエッタは肩の力を抜いて明るく言った。

 溺れる者が藁を掴むように、驚きと期待に染まった無数の視線が一斉にこちらへ向く。

「……な、い、いいのか……?」

 ざわめきがさざ波のように広がる。

 女王にも勝る力量の魔術師にロードライト城を掌握され、王太子を含めた人質を取られているなんて状況はヘンリエッタにとっても間違いなく未曾有の危機だ。それを思いの外あっさり請け負われるとかえって疑念と不安が首をもたげてくるのか。やっぱりたった一回きりのことでも、レオナルドに負けたという事実は大魔女の絶対性を損なうには充分だったようだ。

 けどこの期に及んでなにをビックリしてんだか、こんなのいつものことじゃない。今度だって上手くやってみせるわよ。

「だって、最終的にこの戦法に行き着くのはみんな分かってたでしょ? 私が行って殿下たちを取り戻してきますから、他のリスクのある戦略は私が失敗したときに取っといてください」

「っならぬ!!」

 女王が弾かれたように玉座から立ち上がった。追い詰められた手負いの獣のような必死の形相で、ぶるぶると全身を震わせる。

「これ以上私の因縁にそなたを巻き込むわけには……!」

「いーからいーから!」

 女王がヘンリエッタを止めたいあまり不用意なことをこぼしてしまう前に強引に遮り、笑顔で人差し指を立てる。

「いったん私に預けてみてくださいよ陛下! こうなったらもう二回も三回も変わんないでしょ?」

 救い主なんて呼び名は心底やめてほしいけど、意図したかどうかに関わらず二度も助けた相手なんだから三度目だってそりゃあるでしょう。

 女王は絶句し、立っているのがやっとの様子で額に玉の汗を浮かべている。

 ヘンリエッタは突然取り乱した女王に唖然としている一同に向き直り、にっこり微笑んだ。

「あ、ちなみにお供とか要らないんで。自分が犯した失態のツケは、自分で払います」



 ツィドスが「慈悲を与える」ために設定した猶予は明日の夜明け。

 女王が頑として譲らなかったために、浮上したロードライト城の間近、王都の東の外れに当たるグラナー岬に軍勢の一部を待機させることになった。城への侵入には特別製のマリオネットを使ってもいいだろうとワイヤードが進言してくれたので、足の心配はいらない。

 ヘンリエッタはアイオンと一緒にイースレイたちに会議の内容を伝え、厳戒態勢の王都で難儀しているだろうウーレンベックと子どもたちを急いで城へ連れてくるように頼んだ。

 賊との対決にはヘンリエッタひとりで臨むと伝えると、イースレイには「なにを考えてるんだふざけるなよ」とキレられるわ、オリバーには「考え直してください!」と泣かれるわ、セーラには「バカなんですか!?」と罵られるわで散々な目に遭った。


 いやでもさ、みんな心配してくれるのは嬉しいけど、一回冷静になって算盤弾いてみてよ。


 結局のところ私の切り札は魔力暴走。要するに肉を切らせて骨を断つカウンター戦法だ。

 でも――これは誰にも言ってないことだけど――生き返ってからの私は一度も魔力暴走を起こしてない。

 前は自分が生きるか死ぬかの状況に持ち込むまでもなく、強烈に感情を揺さぶられるようなこと、情を傾けた他人に被害が出ることでトリガーを引けてたけど、今はどう?

 目の前でハイラントが攫われても私の魔力は動かなかった。

 明らかに今までと同じやり方じゃ足りなくなっちゃってるんだよ。

 やるならもう、自分が生きるか死ぬかの賭けしかない。

 魔力暴走は自分の命が危険に晒され極限まで追い詰められたときに発動しやすいんだから、失敗したら後がないって状況に身ひとつで挑むのが合理的でしょ。現実問題、味方には私が負けたら次のプランなんかないに等しいし。

 ……って、向こうもそれくらい読んでくるだろうなぁ。


 王都では調練で予行演習していたことが現実になってしまった。港は封鎖、井戸には蓋がされ、王城はもちろん教会や礼拝堂には旅行者を含む避難民がすでにすし詰め状態だ。

 日が沈むと軒先に灯りが灯され、人気の絶えた通りを騎士たちが巡回する。

 昨日みんなで遊び回った賑やかな町は幻だったのかと思うくらい、陰鬱に変わり果てた姿を見ると胸が痛む。


 旅行者たちの避難が始まった当初の混乱で行き違いがあり、連絡がつかずにいたウーレンベックたちがようやく王宮へ連れられてきたのは午前一時を回ったころだった。幸いウーレンベックも子どもたちも無事だったが、戦いの準備に追われる王宮内の様子を見てひどく不安がっている。

 ヘンリエッタは彼女と少し話をして用事を済ませてから、客室へ連れて行った。緊急時だし四人で一室ってとこには我慢してもらおう。

「魔力暴走なんか狙って起こせるもんなのかよ? 相手はあんなでっかい城を宙に浮かせて、空から一方的に俺たちを魔術で殺せる凄腕の魔術師なんだろ? もし上手くいかなかったら……」

 ヘンリエッタが単身敵地に向かうと聞いたベックが、迷った末にためらいがちに訊いてきた。マヤもケラーもすっかり青ざめて怯えきっている。

 ヘンリエッタはえっへんと胸を叩き、

「私を誰だと思ってんのー? たった一回負けただけで舐められたもんだなぁ」

「だってどっからどう聞いてもヤバイ作戦じゃ……あっ! てかお前帰ってくる気自体はあるんだよな?」

「えっ……やだ、ねぇ相打ち覚悟とかやめてね!?」

「大魔女が奇跡の生還って新聞に載ったばっかりなのに、やっぱり死にましたとか笑えないって!」

「そんなことにはなんないわよ、まっかせなさーい! 勝算はバリバリあります!」

 ホントいい子たちだな-。三人とも見た目はずいぶん大人びたしベックに至っては声変わりもしてるのに、相変わらず面白いこと言ってくれるじゃない。

 ヘンリエッタは明るく笑って三人を宥めすかし、ウーレンベックに少し用事に付き合ってもらってから別れた。相打ちなんてとんでもない。私はいつでも生き延びる気満々だよ。


 午前二時、自室で折良く仕上がってきた宮廷魔術師の制服に袖を通した。

 白地に金色の意匠。単純に慣れ親しんだデザインだから、着てみるとやっぱりしっくりくる。

「……、これでよしっ、と」

 一番最初にアイオンにもらった赤いガラス玉のペンダントを着け、姿見の前で襟を正して、軽く気合いを入れる。

 そろそろ待ち合わせ場所に行く時間だ。


 第二王子に与えられている王宮の内庭はまだ武器も並べられていなければ、救護テントなどの設置場所にもなっておらず、炊き出しの煙が吹き抜けの天井に吸い込まれてもいない。四季を問わず一面に薄水色の花が咲き誇る、暖かく穏やかな空間のままだ。

 待ち合わせた通り、そこにはアイオンがひとりで立っていた。

 彼はにこにこと手を振りながらやってくるヘンリエッタを、キレすぎて一周回って呆れという無風の状態に戻ったのが丸わかりの表情で迎えた。まぁ会議のとき既にものすんごい顔してたもんね。

「俺も行く」

「あはは、無理無理!」

 開口一番、アイオンは予想通りのセリフを口にした。もちろん却下だ。

 両手の人差し指を交差させてバッテンを作るヘンリエッタに、アイオンがぎりりと奥歯を鳴らす。

「無理なことあるか、俺が盾になって適当にダメージ食らうから、そしたらお前は魔力暴走で全部吹っ飛ばす。それでケリがつくだろうが」

「万が一起こせなかったらもろとも死んじゃうじゃない。ハイラントたちも」

「んなもんダメそうなら俺たちふたりで逃げりゃいい! お前っ、……生き返ってもまだ便利に使われてやるのかよ。いい加減嫌気が差さねぇのか?」

 便利に使われるか。私の来歴をそんな風に評する人なんかほとんどいないんだけどなぁ。

 いざとなったらお前を攫って逃げると宣言しただけあって、アイオンのヘンリエッタへの苛立ちは本物だ。彼の場合は自分本位の感情を押しつけてきてるんじゃなく、お互いのためを思えばこそ心の底からヘンリエッタの選択に怒り、失望し、焦っているのが分かる。

 だからヘンリエッタも茶化さずに本音で答えた。

「……アイちゃんはよく私のこと貧弱呼ばわりするけどさ、ぶっちゃけ当たってるよ。大魔女だなんだっていくら立派な看板掲げても私みたいな弱っちい女、三年前の自決以前にとっくに死んでてもおかしくなかったって分かってるんだ」

 あの湖の村の優しい人々を思い出す。かつてここにいられたらどんなにいいかと祈った場所。水と緑に囲まれた村でひととき味わった恵みの春。

「でも実際は死なずに済んでた。なんで私ばっかりこんな目に遭わなきゃいけないんだって思ったこともあったけど、たぶん私の知らない……気づいてないところで、誰かがずっと優しかったんだよ。今もきっとそうなんだと思う」

「…………」

「だからかな? じゃあまぁ今度も勝ちに行くかーって思えんの。これはこれで結構良い気分なんだよ。だから信じて、私のこと。絶対なんとかしてみせるからさ!」

 三年前と今では全然心構えが違うんだ。私は死ぬつもりなんかさらさらない。

「……」

 アイオンは何度か口を開いては閉じ、言葉と感情の渋滞に悩まされている様子だったが、やがてふいと拗ねたように視線を外した。

「その甘っちょろい思考回路で、よく自分が優しくないとか化け物だとか言えたな……やっぱりお前はお人好しだし、ちゃんと人間だよ。身体の構造なんか調べてみるまでもねぇ」

 ヘンリエッタは目をぱちぱちさせて首を傾げる。

「え? なんで?」

「うるせぇ、お前が無駄に根の深いこじらせ方してるせいだろ。俺がこんだけ断言してんだからそーなんだよ。反論すんな」

 そ、そんな無茶苦茶な押し切り方ある……?

 本当にいっさいの反論を受け付けないつもりらしいアイオンは、肩をすくめて飄然と言う。

「お前が生物学的に何者だろうが、今回の敵が本物の先王だろうが偽物だろうが、俺にはどうでもいい。お前さえ戻ってくるならな」

「……」

 やっぱり、女王とヘンリエッタだけがなにやら通じ合っている様子なのを気づかれていたみたいだ。

 アイオンは本当に自分の祖父が魂だけで蘇り、敵に回ったかもしれない可能性を受け入れている。それをヘンリエッタが倒そうとしていることも、俺はなんとも思わないと先に言ってくれている。……別にそれで現実のなにが変わるワケでもないのに、なんだか「じゃそれでいっか」って気持ちにさせられる。こういうとこなんだよねぇ、敵わないのは。

 ヘンリエッタは調子よく破顔する。

「もっちろん、戻ってくるよ! ただそのために、アイちゃんにもちょっと手伝ってほしいんだよねー。事情があって詳しい理由や作戦は話せないんだけど、軍と一緒にプリムダール岬で……」

 そうそう、そもそもアイオンに頼みたいことがあるって名目でふたりっきりになる約束を取り付けたんだった。

 ヘンリエッタが手短にその内容を説明すると、アイオンは驚き訝しみはしたが、お前が言うなら必要なことなんだろうと納得してくれた。

「……頼みってのはそれだけか?」

 顔をしかめるアイオンの不満は、ろくな説明もなしに頼まれ事をされたことよりも、ヘンリエッタにそれ以上を求められなかったところにあるようだ。

「ん……だけ、っていうか……だけじゃないんだけどー……」

 ヘンリエッタは視線をうろつかせながらへどもどと言い訳をする。

 うわホントに動悸がしてきた、信じらんない。アイオンに視線で先を急かされてますます居たたまれなくなる。落ち着け落ち着け、それこそアイちゃんはいっつも会話の合間にサラッと言ってるじゃない。


 ……うん、えーと。

 そーね、言っ……言う、言おう。ハイラントと話してやっと気付けたんだもんね。ここへ来る前に気合い入れたのだってこれを伝えるためだったし、予定通り……よし。


 ヘンリエッタは平静を装おうとした不格好な笑顔で、糸で吊られた人形が右往左往するように二、三度一番適切そうな態度と切り出し方を模索し、ようやく言った。


「その……終わったらさ、帰ってきてもいい? アイちゃんのところに」


 い――――言えた。言えた、やった! 完璧! 私えらい!


 ヘンリエッタは内心ガッツポーズを決め、一番伝えたいことを伝えなくちゃいけないという緊張から一足早く解き放たれる。


 アイオンは……目を見開いて完全にフリーズしていた。


 しかし、しばらくしてなにも呑み込めず時間だけが流れていく段階を過ぎると、彼はいきなり爆発した。

 声がけもなく屈強な身体ごとぶつかってこられて、ヘンリエッタはぐぇっとカエルの潰れたような呻き声を上げた。同時に顔がカッと熱くなる。

 こ、こんな大事なシーンでこんな間抜けな声出したくなかった。無性に泣きたくなる気持ちの内訳が、純粋な嬉しさだけじゃなくなっちゃうじゃん……いやでも喜んでもらえて良かった……。無言で固まられてる間めちゃくちゃ焦った。

 容赦してんだか出来てないんだか分からないほどの強い力で、腕を巻き付けるようにきつく抱きしめられた不自由な体勢のまま、ヘンリエッタはアイオンの不安定な呼吸と燃えるような熱をただ感じていた。


 大丈夫。君が待っててくれるなら、全部片付けて帰ってくるよ。

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