気まずいお仕事
「遺跡が発見された場所の領主、ヴィレガス伯爵は私の支援者でね、遺跡の発掘権について『髑髏の聖痕』側がアイオンに陳情すると聞いて私を頼ってきたんだ。それでどう裁定するべきか相談しようと思って来たんだが、見たところタイミングが良かったようだね」
ヴィレガス伯爵の名前はヘンリエッタも知っている。あーもー、書類の内容に目を通せてたらヴィレガスに泣きつかれたハイラントが出て来るかもって予想できたのに、完璧に不意打ち食らった。
ハイラントは涼やかな笑みでアイオンに言う。
「ここへ来たのはあくまで仕事上必要な会議を行うためだよ。今度はまさか追い返したりはしないだろう、アイオン?」
「……」
露骨な挑発を受け、アイオンは目元に苛立ちを滲ませる。ヘンリエッタはそれを見て慌てて前に出た。
「あ、あーじゃぁさっそく本題いこ!? みんな暇じゃないんだし!」
ほっといてもハイラントの真意は明日の舞踏会を経ればほぼ判明するだろうから、もう個人的な話し合いに応じる必要はなくなったんだ。
そうと決まれば避けられるものは全力で避けよう。仕事で来たっていうんならさっさと済ませて帰ってもらえばいい。
この場でただひとり状況を把握できていないウーレンベックが目を白黒させてるけど、ごめんちょっと我慢してて。話が早いのはウーレンベックにとっても悪いことじゃないからさ。
「そうだね。資料はヴィレガス伯爵が提供してきたものがこっちにもあるから、いつでも話し合いを始められるよ」
ハイラントはヘンリエッタの空元気と愛想笑いを見透かしたように微笑み――あっ笑った、っていちいち思うのやめたい――、隣のギャレイに手で指示を出す。
ギャレイに恭しく差し出された書類を受け取り、わざとらしく首を傾げて、
「しかし仮にも会議が立ち話に終始するというのは品がないし、出した結論も拙速に過ぎると後でそしられかねない。君が私情で仕事に水を差すのをやめられないなら、せめて椅子とお茶くらいは望んでも構わないかな?」
「……端的に『座りてぇ』『茶飲みてぇ』って言や済むことだろうが。マディ」
隅に控えていたマディが「は」と素早く応じ、ハイラントをソファセットに誘導して熱いお茶を出す。表情と態度はどうにか取り繕えてるけど、オーラが怒ってるのよね……。
「どうぞ」
「ありがとう」
どんなレディも骨抜きにする王太子の微笑にもマディは顔色一つ変えず、しずしずと下がっていく。
アイオンがローテーブルを挟んでハイラントの向かいに腰掛け、ギャレイがハイラントの、ヘンリエッタがウーレンベックを伴ってアイオンのそばに立つ。するとハイラントが紳士っぽい仕草で手を差し伸べ、
「ふたりも座ったらどうだい? 女性を立たせたままというのはどうもね」
いやどうだいって、平然と自分の隣の席を指して言われても。どう考えても針の筵じゃん、座んないよそんなとこ。アイオンの鋭い視線がこっちに向いたのも感じるし、ヘンリエッタはとんでもないとへらへら笑って誤魔化す。
「んん、私はいいや。そんな何時間もかかる長話にはなんないでしょ?」
「わ、私も遠慮します……お気持ちだけありがたく頂戴致しますわ、王太子殿下」
わけも分からず兄弟の発する異様な雰囲気に翻弄されているウーレンベックが、藁をも掴むようにヘンリエッタに同調する。それが結果的にハイラントがこれ以上不自然に食い下がることを防いでくれた。
ハイラントは「そう?」となんとも思っていないようなそぶりでふたりの返事を受け止め、
「それじゃヘンリエッタの言う通り本題に入ろうか」
「農地造成を優先すべきって意見はあんたと一致してると思うぜ」
兄がヘンリエッタの名を口にすることすら不愉快だと言うようにアイオンは結論を急ごうとした。
「こっちのウーレンベックにもさっきそう伝えた。領民の食い扶持を確保することの重要性は理解してもらえたと思ったが?」
「! は、はい。それはもちろん、いついかなるときも人命に勝るものはないと存じます……が……」
突然水を向けられたウーレンベックの返答は、高圧的な問いかけに尻すぼみになっていく。彼女はアイオンの苛立ちの原因など知るよしもないので困惑するのも無理はない。まずいな、できるならあんまり目立たずこの場を乗り切りたかったけど、やっぱり助け船を……。
「そう焦るものじゃない、アイオン」
ハイラントが手のひらを立てて制止する。
「それも理屈ではあるが、さほどの議論も重ねずにこんな結論を持ち帰らせたらこの人はヘレネー司教のお叱りを受けるだろう。……ヘンリエッタもそれを心配して、さっきなにか言いかけてたんじゃないのか?」
あからさまな流し目を向けられてヘンリエッタはぎくりと肩を跳ねさせた。アイオンの気配が強ばったのが分かる。あ、違う、違うから今の。ビックリしただけだよ、だいじょうぶ。
ヘンリエッタは心の中でなぜかアイオンに弁明しながら、努めて普段通りのにこにこ顔をつくり、
「……もうちょっと良い感じの落としどころがありそうだなーって思ってたのはそうかな? まぁでも思いつきだからとりあえず会議進めて……」
「いや、君の『経験則』はいつも正しかったし、助けられてきた。意見があるなら言ってほしい」
「……」
そんな風に思われてたなんて知らなかった……いやお世辞かな。本当に私が正しいことだけできてたなら、今こんなややこしい存在にはなってないと思うけど。
いいやもう、言うこと言っちゃおう。そのほうがこの会議も進んでくれるだろう。
ヘンリエッタはウーレンベックに向き直り、
「んじゃ先にいくつか質問させて。祖霊信仰の遺跡って要は大昔のお墓みたいなものですか?」
「え、ええ、そうですね。祖先の霊を祀っていた場所ですので祭具やお骨が出土します。どれもいにしえの信仰の在り方を知れる貴重なものですわ」
旗色が悪いながらに発掘活動の文化的な意義を語るウーレンベックだが、そこへ穏やかかつ冷静なギャレイの発言が続く。
「ヴィレガス伯爵は農地造成のために他の領地から魔術師を期間限定で借り受けたり、着々と準備を進めてきたそうです。遺跡の発掘で工事期間がずれ込めば領民の生活のみならず領地経営にも甚大な影響が出るでしょう。ヘンリエッタ嬢、必要なら資料をご覧になりますか?」
「どーも」
ギャレイのサポートは相変わらずきめ細やかで痒いところに手が届く。資料を受け取ってざっと目を通すと、注目すべき情報がいくらか見つかった。
「……見る限り、土壌の調査にはあんまり人もお金も掛けなかったみたいですね?」
「予定地自体がかなり広いですからね。国としてもしらみつぶしに調べ尽くせとは言いません。要所要所ではきちんと調査を行い、開発に問題がないことを確認したとのことですが」
「確かに工事しても大丈夫かとか土壌汚染がないかはチェックしてますけど、土の質への言及がないですねー。こっちは調べなかったんだ」
ハイラントが金色の目をきらりと光らせる。
「土の質?」
「人の手を入れないと土地なんてすぐ自然に呑み込まれて荒れ地になっちゃうからね、普通は数年がかりで土を育ててくもんなんだよ。農民が自分の土地に拘る切実な理由のひとつだね。でもたまーに野生の良い土ってのがあるワケよ」
「その『良い土』には見分け方があるような口ぶりだね」
ヘンリエッタは頷く。
「そーね、黒っぽいのが良い土。良い土に埋まってる骨は溶かされずに割と綺麗な状態で出て来るから、それで見分けられるよ」
骨と聞いてウーレンベックが食いついた。額に冷や汗を滲ませて挙手し、
「ええとその、動物や人の死体が栄養になって土が良くなるということですか? お墓ほど良い農地になると……?」
「や、そうとも限らないんですよー。祖霊信仰の遺跡がどこでも農地に適した土地になるわけじゃないから安心してください」
「そ、そうなんですね」
遺跡こそ真っ先に農地に転用されるべきだと言われると思ったらしいウーレンベックは、それを聞いてほっと安堵の息をついた。
「要は、普通なら数年がかりで手を加えないと作り出せない良い土の在処を見つけるのに、遺跡の発掘活動が役立つんじゃないのって話。土の質によってホントに生産効率変わってくるからさ、初手で巨額の財源ぶち込んで手当たり次第広範囲を開拓するより、まず教団に軽~くロハで発掘させて骨が綺麗な状態で出土した場所を中心に絞り込んだほうがいいかもだよね? そこ以外の、痩せてる土地に建ってる部分の遺跡は『髑髏の聖痕』に発掘権を与えて保全させてあげるとか、それくらいなら妥協点としてアリじゃない?」
「ヘンリエッタ様……!」
「発掘活動を実質的な土壌調査として使うのですか。面白い案ですね」
ウーレンベックがようやく一筋差し込んだ希望に感激し、ギャレイが口元に手を当てて思案する。
ハイラントも資料に目を落としながら興味深げにしていた。
……宮廷魔術師としてハイラントのそばで働いてた頃はこんな感じだったな。あの頃はレオもいて、私の話をハイラントと一緒に聞いてくれてた。
ハイラントにとっては内心びくつきながら過ごしたしんどい日々だったんだろうけど、私は楽しかったなぁっていまだに思っちゃう。良くないよねぇ。
「なるほど。ヴィレガス伯爵もヘレネー司教と対立したくはないだろうし、打診してみる価値はあるね。試してみよう」
ハイラントが紙面から視線を上げてヘンリエッタを見る。彼はどこか弱々しい疲れた笑みで、
「……こうしていると君と一緒に仕事していた頃が懐かしくなってくるな。人に盗られないと価値に気づけなかった自分が悪いのは、とっくに分かってるんだけど……」
「……、ヴィレガス伯爵からの返答はどれくらいでもらえます?」
「いま伯爵は王都の自邸に滞在しておられますから、そう時間はかからないかと」
ヘンリエッタがどう受け取っていいか判断に困るハイラントの発言をやんわり流そうと話を振れば、ギャレイがすぐさま必要な情報を提示する。彼も優秀な秘書の仮面の下でこの場のこじれようを憂いているんだろう、ハイラントが会議を長引かせようとしたとしても加担はしなさそうだ。
「ウーレンベック殿がもうしばらく王都に逗留してくださるのなら、伯爵の返答が届き次第こちらから宿泊先へお知らせいたしますが、いかがですか?」
「は、願ってもないことです。そうしていただけると助かりますわ」
「アイオン殿下もそれでよろしいでしょうか?」
ギャレイに訊ねられ、アイオンが「あぁ」と言葉少なに応じる。
「ではそのように手配しましょう」
よしよし、ウーレンベックも異存はないようだし、早めに話がまとまってくれて良かった。
ハイラントが拍子抜けするほどあっさりソファから立ち上がり、しかし有無を言わせない態度で言う。
「さて。名残惜しいが他の仕事もあるし今日はお暇しようかな。久しぶりに君の手腕を見られて楽しかったよ、ヘンリエッタ。また来るね」
「……えー、別にもう私と話すネタなんかないじゃん」
「いいや、長い付き合いの私たちの間でしか通じない話がたくさんあるよ。今度はアイオンも余計な口出しをしないでいてくれるだろう。今のでその辺りのことをよく理解してくれたはずだからね」
途中からとんと喋らなくなったアイオンに思いっきり釘を刺しつつ、ハイラントは無言の勝利宣言かのようににっこり微笑んでギャレイとともに部屋を出て行った。
……そういえばハイラントをどう躱すかに集中しすぎて全然アイオンの反応を見てなかった。
遅れて気づいたヘンリエッタは背中に悪寒が走るのを感じた。それを横目で見て察したウーレンベックが真っ先に逃げを打つ。
「そ、それでは私もこれで失礼しますね。殿下、ヘンリエッタ様、お忙しいところお時間を割いていただき本当にありがとうございましたっ」
「えっ、ちょっ……!」
呼び止める間もなくウーレンベックも部屋を辞して行ってしまい、ヘンリエッタが慌ててマディに目をやると、彼女まで訳知り顔で隣の控え室へ下がっていくところだった。待ってそれ気を利かせてるつもり? 私の望みと正反対なんだけど!
「……」
「……」
あっという間にヘンリエッタとアイオンのふたりきりになった執務室に、淀んだ空気が充満する。
そりゃあんな捨て台詞されちゃムカつくよね~……でもあんなのハイラントが勝手に言ってるだけで私の考えとは全然ちが……あ、そうだ舞踏会の話まだしてなかったんだった。
「アイツがなにを考えてんのか知りたいってお前は言ったが、やっぱ自分で聞き出したいか?」
ヘンリエッタが口火を切ろうとした矢先、アイオンがぼそりと訊ねた。
「お前を兄貴とふたりにはさせたくねぇし、だったら俺が割って入るついでに聞き出しゃいいかと思った。けどお前が兄貴とサシで話す機会を奪い続けると、それはそれでお前がいつまでも兄貴を吹っ切れねぇ原因になる気がしてきたんだよな。どっちがいいんだ? この場合」
「……はぁ~~?」
なにそれ、久しぶりにお兄ちゃんに凹まされちゃったかと思って心配してたのにっ。
本人は真剣に言ってるみたいだけどこっちは肩すかしを食らった気分だ。
場の雰囲気ごと毒気を抜かれ、少しずつ膨れていた緊張の風船がぱちんと割れる。ヘンリエッタは呆れ顔で、
「殊勝な振りしてそんな算段立ててたの!? 全然私の好きにさせてくれる気ないんじゃん!」
「お前の好きにさせたら最後、どーせわたわたしてる内に兄貴に絆されて爆速で元サヤだろうが。やってられっか、断固邪魔する」
「そんなことしないよ!」
……ん、なんで「できない」とか「あり得ない」とかじゃなくて「しない」って言った?
強く言い返してから自分で首をひねる。まぁいっか、とっさの言葉選びなんて。それより頭を切り替えて訊くべきことを訊かなくちゃ。
こほんと軽く咳払いして居住まいを正す。
「ていうか状況が変わったの。ワイヤード団長が言ってたんだけど明日の舞踏会ね、実質ハイラントのお見合いの場になるんだって。その縁談にどんな反応を返してくるかを見ればハイラントの真意を測るには充分だから、もう話し合う必要はなくなった。少なくとも私とアイちゃんはね」
「……反応を見るだけで充分?」
彼にとっても悪くない話のはずなのにアイオンはじっとりと疑いの目を向けてくる。……ど、どういう感情?
「……なぁにその目?」
「必要がなくなったとしてもそうきっぱり割り切れんのか? よりによって見合いときたらやっぱ気になるだろ」
「! そーだよ、アイちゃんはどうなのよ?」
向こうから水を向けてくれたので全力で乗っかった。気になってることっていったらそこだよ、そこ。
「アイちゃんも明日舞踏会に出るの?」
ハイラントと同じくアイオンもいまだにフリーなんだ、いっしょくたにお見合い攻勢を仕掛けられても不思議じゃない。
「……」
アイオンは当てつけがましい白けた態度を引っ込めて、なぜかぱちりと目を瞬いた。まさか自分にはお見合いなんて無縁な話とか思ってたんじゃないでしょうね? こんなに立派になってもまだ自己肯定感がそんなレベルだったらヤバイよ。
やがてアイオンは自力で我に返り、前のめりで答えを待っているヘンリエッタを手で制した。
「俺は出ねーよ」
「……ホントに?」
「出てほしいのか?」
そう問いかけられて初めて、アイオンの舞踏会への出欠が気になる気持ちの中身が「出てほしくない」とほとんど同じだということに気づく。いやあの、いま自分がなにを言ってるか分かった。出てほしくないはちょっと、立場上どの口が言ってんだって感じでは? 誤解されかねない発言なのでは?
アイオンの目はヘンリエッタの返答を待っている。
言葉に詰まったヘンリエッタはえーとえーとと悩んだあげく、
「へ、変な意味はないけどー……まぁ……出ないでほしい……」
とりあえずどんなときもワガママは言っとくに越したことないか。
大魔女として世に憚ってきたノウハウに基づき、ヘンリエッタは思考を巡らせるのをやめて率直な今の気分を答えた。
アイオンからしたらまず良い気はしないはずだし、半端に気を持たせるようなことをするなと腹を立ててもいい場面だ。でも彼は苛立った風もなく、小気味よさげに小さく笑って「分かった、女王にお前が止められたから欠席するっつっとく」と言った。
陛下に使う方便にするってそれは困るなと思わないでもないけど、つまり出ないでくれるみたいだ。ならひとまず安心ってことで良……、いや良いのか……?




