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予測不能の王太子

 ヘンリエッタとアイオンはその後、大魔女が生きて戻ったという大ニュースに蜂の巣をつついたようになった王宮を出て、ワイヤードの屋敷で手当を受けた。各所にシャペロンを飛ばして首尾を報告したので、夕方にはフェザーストーン公爵も駆けつけ、ワイヤード夫妻とともにヘンリエッタとの再会を喜び合った。

 そのまま夕食をご馳走になり、デザートのプラムケーキにフォークを伸ばす頃合いでワイヤードがヘンリエッタに訊いた。

「そういえばヘンリエッタ、今晩も王宮の客室に寝泊まりするつもりですか? 陛下の許しを得られたのは重畳ですが、このタイミングで戻ったら上へ下への大騒ぎが待ってますよ?」

「ハイラント殿下もいらっしゃいますしね……」

 フェザーストーンも心配そうに付け加える。

 しかしヘンリエッタはにこにこと彼らの憂いを笑い飛ばし、

「今さらそれくらいで参ったりしませんよぉ。女王のお墨付きをもらった今、ハイラントだってこっちがおとなしくしてる限りは自分から手出ししては来ないだろうし、だいたい私とはもう仕事でどうしても関わらなきゃいけないとき以外は会いたくないでしょ。今頃『死んでも死なないなんてますます恐ろしい~!』とかってビビり散らかしてるに決まってますよ!」

 正直、当初のヘンリエッタの計画では女王と会って自分の処分をひとまず保留にでもできればまぁ御の字ってくらいに思っていたので、そのときはハイラントが自分を排除しに動くかもと考えていたが、さまざまな巡り合わせが働いて女王の許しどころか後ろ盾を得ることができてしまった。こうなるといくらハイラントでもヘンリエッタを堂々と攻撃することはできない。むしろ得体の知れなさが増して怖い怖いと縮こまってくれるだろう。……彼は最初からヘンリエッタに怯え続けてたらしいから。

 へらへらしているヘンリエッタに、この中で一番付き合いの長いワイヤード夫妻が食い下がる。

「それなら私たちのために今晩は泊まっていってくれない? 話したいこともたくさんあるわ」

「そうですよ、自分の部屋もあるんですし!」

「あはは、絶対ダメ~!」

 ヘンリエッタは笑顔で断固たるノーを突きつける。

「ディナーまではまぁ復職の挨拶のついでにできるけど、泊めてもらうのはアウトですよ。宛がわれてる王宮の客室に私が戻らなかったら余計に勘ぐられて騒がれるだろうし。そこへきて上司一家がいきなり帰ってきた魔女に混乱するでも怪しむでもなく、三年前のままにしてあった部屋に泊めてやるなんてどう考えても疑いを招くでしょ?」

「「え~……」」

「露骨にしょんぼりしないの! ダメったらダメです!」

 気心知れたワイヤード夫妻がなんと言おうが譲れない。彼らに累が及ばないようにここまでどうにか立ち回ってきたんだから、首尾良くいってるときほど油断は禁物。残心はしっかりしないとね。

 フェザーストーンとまで結託してあの手この手で引き留められるのを振り切ってワイヤード邸を辞し、マリオネット馬車で王宮に戻る頃には夜十時を過ぎていた。客室へ引っ込んでいくヘンリエッタとの別れ際、アイオンが思い出したように「お前とワイヤードってどことなくノリが似てるぞ」と笑って言ってきた。なにがどうなったらそんな見解が出てくるんだろ。この春のぽかぽか日和みたいな団長と私が似てるなんて言い出すのはアイちゃんくらいだよ。


 廊下ですれ違った人々はまるで幽霊でも見たような顔をしてヘンリエッタから飛び退った。分かる分かる、話に聞くのと実際に見るのではインパクトが違うよね。死人、よりにもよってあの魔女が堂々と闊歩してたらあまりの異常事態に誰だって逃げる。

 王宮の上層部は確かにてんやわんやなんだろうけど、幸か不幸かヘンリエッタの周囲に限ればみんな腫れ物を触るような態度で、わざわざ部屋まで突っかかりにくる猛者もいなかった。扉の前に監視よろしく衛兵が立ったのは気配で分かったものの、部屋にいる分には静かなもんだ。

 客室のソファでゆっくりしていると、空っぽの鳥籠が目に入った。シャペロンは今「生き物モード」をオフにして南部のイースレイたちのもとへ飛んでいる。女王に真相を聞かされたからにはもう無邪気に可愛がれなくなっちゃったのがちょっと寂しい。ペットがいたらこんな感じかなって思ってたとこだったのに、中身が女王じゃなー。


 一度死んで生き返っても睡眠の才能には乏しいままのヘンリエッタはソファの背に身体を預けてごろごろしながら今夜もやり過ごそうとしていた。

 そんなときだ。監視の衛兵が足音とともにさっと遠ざかり、代わりに別の誰かが扉の前に立つ気配がしたので素早く起き上がる。これは兵士じゃない。なにかヘンリエッタに用事があって部屋の中の様子をうかがっている気配。

「……、どちらさまー?」

 機先を制するために軽い調子でその何者かに呼びかける。

 こんな真夜中になってからようやく一人目の挑戦者とは、まためんどくさいなぁ。

 相手をしなくて済むならそうしたいけど明日に持ち越すのもヤダし。

 沈黙を続ける訪問者に痺れを切らし、ヘンリエッタはソファから立ち上がった。

 灯りをつけ、ちょいちょいと身なりを整えて面倒事はさっさとケリをつけてしまおうと扉へ向かう。内鍵を開けてドアノブを握り、わずかに扉を押し開けたちょうどそのとき、


「ヘンリエッタ」


 と聞き覚えのある声がして全身が強ばった。

「遅くにすまない」


 ――なんで。


 押し開けた扉の隙間の向こう、間近にハイラントが立っている。

 ここに来るはずのない人物に背筋が凍り付き、胃が痙攣した。ドアノブを握る手が震えて力が入らない。

 なんで? 驚愕と同時にまだ冷静な頭の片隅が、ハイラントの様子をざっと見て「良かった、元気そう」と呟く。

 変な間が空いて動揺を悟られるのが怖かった。分裂しそうな思考の手綱を無我夢中で握り、どうでもよさげな愛想笑いを作った。

「――びっくりしたぁ、こんな時間に誰か来るなんて思ってなかったから」

 心臓が耳元で鳴ってるみたいに暴れている。

 ドアノブから手が滑りそうになったのを誤魔化しながら半身を引いて扉を完全に開けた。こんな半端な隙間から出てこないのは不自然だろう。

「まぁでも驚いたのは殿下のほうか! 今さら私が生きて帰ってくるなんて思わなかったでしょー? いやー久しぶり!」

 へらへら笑いながらハイラントの表情を観察する。嫌悪、恐怖、義務感から来る殺意、警戒心、猜疑心、どの匂いがするか注意深く、しかし向こうにはバレないようにあくまで自然な態度で。

「さっそく私の様子を確認しに来たのかな? 懸念を先送りしないのはさすがだねぇ」

 ……変だ。ハイラントから読み取れたのはそのどれでもなく、押し殺した興奮らしきもの。この状況でヘンリエッタに向けるような感情じゃない。

 内心の困惑を隠し、ヘンリエッタは出方を見ようと小首を傾げて軽い挑発を投げた。

 これでヘンリエッタの目的を詰問してくるなら女王の話に持っていけばいい。そうすれば謁見の場で彼女に危害を加えてはいないことと彼女の許しを得たことを念押しできる。

 頭の中でめまぐるしく会話を組み立てるヘンリエッタに、ようやくハイラントが口を開く。

「いや、……顔を、見たくて」

 なにを言われるだろうと密かに身構えていたのに、またしてもハイラントは緊張気味に予想外の言葉を口にした。

 顔を見たいってどういう意味だったか一瞬分からなくなって考え込んだ。大体はしばらく離れていた親しい人間相手に使うもののはずだが、ハイラントがヘンリエッタに言うのはおかしい。皮肉なのかなんなのか、いずれにせよ裏の意図を読むべきだ。

「私の顔なんか変わり映えしないけどね。殿下はちょっと大人になった? いいなぁ羨ましいよ、兄弟揃って成長期~」

 愛想良くのんきな口調を心がけて会話を繋ぎながら脳裏にアイオンの顔がよぎった。助けて、なんて言葉がどうして今浮かぶんだろう。ハイラントは少なくともこの場でなにかしてくることはなさそうだし、ヘンリエッタのほうが勝手に緊迫しているだけで魔力暴走の予兆もなく、状況は平和そのもの。いつも通り誰の手も必要ないのに。大丈夫、ひとりで平気だ。

「……アイオンの護衛の振りをして謁見を申し込んだらしいね」

 流れをぶった切り、出し抜けにハイラントが言った。

「ん? うん、それがどうかした?」

 ヘンリエッタは鷹揚さを装って答える。

「戻ってきてすぐ、アイオンを頼ったのかい?」

 ハイラントの声音は低く昏い。そのトーンはともかく、意図の読めない問いではない。

 どうやって九死に一生を得て三年もの間どこでなにをしていたのかという疑問と同様に、なぜ南部行政監督庁とアイオンを真っ先に巻き込んだのかという疑問も浮かんで然るべきだ。ハイラントはその点を探ろうとしてるんだろう。

 ヘンリエッタはアイオンたちの蛮行が間違っても露見しないよう慎重に言葉を吟味しつつ、鼻で笑ってみせる。

「だーって、アイちゃんってば権力持っててお人好しで丸め込みやすいの三拍子揃ってるんだもん。頼るっていうより利用させてもらったっていうか? 南部なら潜伏しててもバレにくいしねー」

 アイオンが進んでヘンリエッタを庇い立てしたわけじゃないと強調しておく。

 ハイラントが抱いているヘンリエッタの印象とも齟齬はないし、これなら疑われないはず……。

「アイオン付きの宮廷魔術師になると聞いたけど」

 いや疑われてるな。

 女王がわざわざ「アイオン付き」と限定したところを勘ぐられてるみたいだ。優秀な王太子殿下は目の付け所がいい。

 もちろん女王とアルフレド王配殿下が墓まで持っていくと決めた秘密に触れさせる気もない。ヘンリエッタは笑みを崩さず、もう一押しする。

「あぁそれ、アイちゃんと一緒に私を南部へ下がらせたいんでしょ、陛下は。戦力としては必要だけど王都に置いとくと周りがうるさいから、それが一番丸く収まるって考えたんじゃないかな。前に使ってた宮廷魔術師の制服は南部に置いて来ちゃったし、新しいのが早くもらえるといいんだけど……」

「君がそう望んだからじゃないのか?」

「私が? なんで?」

「兄から弟に乗り換えたって噂は本当なんじゃないのか?」

 ……へぇ、そういう方向から攻めてくるのね。

 胸なんだか胃なんだかみぞおちなんだかよく分からない部位が刺すように痛んだ。

 弟が悪い魔女にいいようにされてるんじゃないかと心配してるにしても酷すぎるつつき方だ。誰が私を振ったのかもう忘れたの?

 悲しみのあまり怒鳴り返してやりたくなる衝動を頭の中で叩いて殺す。弱味を見せたくないし、感情的になっても魔力暴走のリスクが増すくらいでひとつも得はない。今はハイラントの疑念の矛先をアイオンたちから逸らすことが先決だ。

「んなワケないじゃーん! そんなバカげた噂を真に受けるなんて殿下らしくもない!」

「アイオンはいつも君を気に掛けているだろう、三年前も、……謁見の間でも君を救い出そうと躍起になってたそうだし」

「お人好しなんだよ。見知った相手が二度も死ぬのは見過ごせなかったんでしょ」

「優しさだけで拳が裂けるほど殴り続けられるか? 陛下に楯突いてまで?」

「言葉にしてみるとアイちゃんもおっそろしいことしたもんだよねぇ。でもホントにそれくらい優しーんだよ、殿下の弟くんはさ。この三年少しは仲良くしてた?」

 なぜかハイラントの顔つきはヘンリエッタが話せば話すほど険しくなっていく。……質問しても答えないのは、まだ疑われてるから? 無理のない流れで話題を逸らしたつもりだけど、なにか下手をうっただろうか。

 作り笑顔の裏で不安が暗雲のように垂れ込める。

 いやでも、焦ってボロを出したら終わりだ。もし万が一ハイラントが女王のような離れ業ですでに核心に迫っていたとしても、彼女と違ってヘンリエッタやその味方に恩情を掛けてくれる見込みはない。長丁場になるほどこっちの不利になる。

「ま、家族との距離感くらい殿下の好きなようにすればいいけどさ」

 ヘンリエッタは半ば自己暗示のように軽く笑う。

「一応これからはレオの抜けた穴の分も陛下とアイちゃんを助けてくから、殿下もこれも仕事と思って適当なところで納得してね。尋問はこの辺で終わってもらえる?」

「尋問……」

 ハイラントは困惑した様子で一語のみを繰り返し、なにか言いかけてはやめる。

 どういう感情からくる行動なのか真意が読めないが、会話自体を打ち切ってしまえばいちいち恐々としなくてもよくなるだろう。彼との間に横たわる溝を、何度も何度も思い知らされることもない。

「それじゃおやすみ~。久しぶりに話せて良かったよ」

 ハイラントはヘンリエッタの睡眠事情を知らないから、おやすみと言えば応じるはずだ。

 最後までにこやかに、不審がられないよう名残惜しげなくらいの所作で扉を閉じようとするヘンリエッタを、「あ、ま、待ってくれ!」とハイラントが慌てて引き留める。

「……なーに?」

 絶対に守り通さなければいけない秘密を抱えて背筋を凍らせるヘンリエッタに、ハイラントは餌に食いつく魚のように必死で続ける。

「確かに今夜はもう遅いし、非常識な時間に押しかけた私が悪かった。でも三年ぶりの再会だろう? もうちょっと話したいんだ」

 ……いやいやいや。

 これにはさすがに笑みが引きつる。まだ問いただし足りない箇所があるの?

「……あのさ、ぶっちゃけ今のこの状況って傍目から見たら完全に密会だから。お互い外聞ってもんがあるでしょ。話がしたいならまた後日仕切り直して」

 多少強引にでも話を切り上げ、ヘンリエッタが今度こそ部屋に引っこむ間際、ハイラントが緊張に顔を青ざめさせながら一息に言った。

「ヘンリエッタ、やっぱり君以外考えられない。私の王妃になってくれないか?」



 女王との対決は想定外に次ぐ想定外だった。なのに戦果はほとんど最高といってもいい。なにがどうなってこうなるんだよ。

 女王がヘンリエッタを連れて結界に引きこもったのも、アイオンを気遣うような発言をしたのもあまりにも唐突で、相変わらず行動原理が理解不能だが、ヘンリエッタはとにかく丸く収めたらしい。彼女が女王のことはもう心配ないと断言するなら信用できる。しかも結界に引きずり込まれといて至って平和に話し合いで事を収めたらしいから訳が分からない。

 ふたりの間で行われた話し合いとやらの具体的な内容が気にならないわけではなかったが、ヘンリエッタの無事が最優先だ。なにをどうしても結界が破れず、邪魔してくる廷臣や衛兵をちぎっては投げていた間は本当に生きた心地がしなかった。

 となると、アイオンの興味は次に移る。ヘンリエッタの心情だけに的を絞れば、問題になるのは女王よりも兄のほうだからだ。

 断言できる。絶っっっ対に、兄貴と会えばあいつはまたろくでもない目に遭うに決まってる。

 婚約を申し込んだこと自体実は不本意で、本心ではヘンリエッタのことがずっと恐ろしかったとのたまい、彼女が自分の意志で女王を殺そうとしていると本気で思い込んでいたようなふざけた男だ。彼女がこの世に舞い戻ったと知ったらどういう反応を見せるだろう。

 当のヘンリエッタはもう自分には会いたくないでしょと言っていたが、本当にそうか? 彼女に対する兄の行動がこれまでアイオンの予測を超えなかった試しがない。悪い意味で。


 三年前のアイオンは、ヘンリエッタが振られればいいと思っていたくせに実際に彼女が泣かされたらハイラントをぶちのめさずにはいられなかった。その結果、彼女にドン引きされて喧嘩までした。

 ……今度はどうすべきなんだろう。まだ分からない。

 彼女はまた傷つくかもしれない。その果てに、兄のあの振る舞いさえ許してしまう可能性もゼロじゃない。そもそもヘンリエッタと兄の奇跡の再会自体がアイオンには不愉快で腹立たしくて許しがたく、まるで自分が必死になってふたりの仲をお膳立てした道化か仲人みたいに思えてきてそこら中を破壊して回りたいほど苦痛なのだ。

 まぁ、あれほどヘンリエッタを拒絶していた兄と元サヤに収まることはないだろうが……。

「……早いとこあいつと南部に帰りてぇ」

 気を揉みながら、アイオンは深い溜め息をついてベッドに入った。同時刻、ヘンリエッタとハイラントが再会を果たしていることも、その願いが翌日さっそく砕かれることも、そのときはまだ知らなかった。


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