女王の信用を得よう
許可をもらえた謁見希望者は会食室で待機することになっていて、順番が来た者から隣の謁見室に通される。
ふたりは頭から数えて八番目だった。今回はあくまで南部行政監督庁長官として謁見を申し込んだからなのか、第二王子だからといって特別扱いはしないという女王の方針なのか、はたまたちょっと我慢すればいいだけなのに特権を行使して無駄に周囲の反感を買うこともないだろうとアイオンが判断したのか。その全てかもしれない。
待機中もアイオンはひっきりなしに挨拶や相談を受けていた。
「頼りにされすぎるのも大変だね?」
とヘンリエッタが小声で茶化せば、アイオンはわざとらしく凝った肩を鳴らして、
「まったくだ。……いよいよ本番だが、とりあえず俺は口出ししないほうがいいのか?」
「うん、女王と話すのは私に任せてほしいかなー。一蓮托生も同然なのに悪いけど」
「いや、それが正解だろ」
お行儀良く順番待ちしていると、昼前にはヘンリエッタたちの番が来た。
「ではアイオン殿下、謁見室へどうぞ」
女王付きの侍女がふたりを促し、謁見室の女王に次の訪問者を告げる。
メレアスタ女王は玉座の間の象牙製のものと比べれば実用的で座り心地の良さそうな布張りの高背椅子に座っていた。
だがアイオンとヘンリエッタが入室するとすっと椅子から立ち上がった。
「みな下がれ。この場には私とこの者たちだけにせよ」
女王が命じると、従者たちはすぐさま従った。
しんと静まった謁見室には女王とヘンリエッタとアイオンの三人だけが残され、女王の視線がこちらへ注がれる。どうも雲行きが怪しいなと徐々に張り詰めていく空気を肌で感じながらヘンリエッタは思った。
「あぁ、今さら礼などよい。……さて」
形式通りの挨拶をしようとしたふたりを制し、果たして女王は、アイオンではなくその隣で控えているヘンリエッタに白い指先を向けた。
「かの大魔女ともあろう者が、この私の前でなんとも安い芝居をするではないか?」
「……」
うわバレてた。
初っぱなから用意していた段取りが消し飛んだ。
あーあ、この三年でますます偏屈になったって話は本当だったか。
アイオンが「どうする?」と目顔で問うてくるが、ヘンリエッタは首を横に振って素直にベールを取り、顔を晒した。仁王立ちしている女王ににっこり微笑みかけ、
「ご無沙汰してます女王陛下。サプライズがお気に召さなかったみたいで残念です」
「じゅうぶん驚かされているとも。私とて死人と再会するのはこれが初めてだ」
言葉とは裏腹に氷か鋼を思わせる無表情のまま、女王は手元で魔力を編み上げる。
「!」
次の瞬間、超高密度の魔力が立て続けにヘンリエッタを襲った。それらはヘンリエッタに着弾する手前で勝手に砕け散り、白銀の粒子に還っていく。
「……クソっ、!」
「相変わらず常識外れの魔力量だな。確かにそなたは本物のヘンリエッタ・ブラウトのようだ。だが」
舌を打つやヘンリエッタの腕を掴んで引き寄せようとしたアイオンにも容赦なく魔力の塊を叩きつけ、その場に氷漬けにした女王は傍らの王笏を取り上げる。その力で増幅した彼女の全力の魔術は人間に行使していい出力をとっくに超していたが、だからこそヘンリエッタにぶつける価値があった。
白く輝く魔力の濁流が視界を焼き、きーんという耳鳴りを起こした後、ヘンリエッタとアイオンは完全に分断されていた。魔力で編まれた壁が玉座を中心にヘンリエッタと女王を取り囲んでいる。封じ込められた、と状況を理解したときにはざぁっと周囲が黒く塗りつぶされ、見通しがきかなくなっていた。
とはいえヘンリエッタの身体や命はかけらも損なわれていない。
自分に魔力暴走の兆候がないことを確かめたヘンリエッタはにっこり笑って両手を上げ、抵抗の意志がないことを示した。
女王は外界から隔絶された小空間の中心で冷たく言う。
「……ここは私の魔力で満たされた水槽のようなものだ。そなた相手ではここまでしてもそう長くは持つまいが、中のあらゆる情報は外から観測できぬ。中から外の様子を見ることも聞くこともできないようにな」
なるほど、女王の言う通りすぐそこにいるはずのアイオンの姿が見えないし、声も聞こえない。真っ暗な小部屋に押し込められたような状態だ。
ヘンリエッタは女王の全力で編み上げられた魔力壁をコンコンとノックして強度を確認し、
「陛下に対して正体を偽った非礼はお詫びします。私を警戒して隔離するのは分かりますけど、どうして陛下まで?」
ヘンリエッタを隔離してもその結界に自分まで入り込んだら、外からの助けも期待できないし安全を確保することも叶わない。本末転倒だ。
マリオネットを開発するほどの術者である女王が犯すとは思えないミスに首を傾げる。
「…………」
なぜか女王は押し黙った。さっきまでと明確に態度が変わったのが分かる。
「ていうかこんな大がかりな自衛に出てもらう必要ないですよ。三年前の死に際だって私は陛下に忠実だったでしょう? こうして生き延びてもちゃんと報告に来ましたし、コソコソ暗躍したり王家やこの国に危害を加えるつもりなんかさらさらないんです」
どうあれ無言でいてくれるなら都合がいいので、すかさず明言しておくべきことを並び立てるヘンリエッタを、女王は「分かっている」と意外な言葉で遮った。
「そんなことは分かっている。そなたが私や私の家族を害することなどあり得ぬと。だから実のところ……」
言葉を切り、女王は舞台を降りた役者のように疲れた息をついてから続ける。
「これは罰でも自衛でもないのだ、大魔女よ。私はそなたに話しておかねばならないことがある。それこそ安い芝居を打ってでも、アイオンには聞かせられぬことだ。それゆえにわざわざこのような結界まで張った」
「……?」
女王が私に、個人的に話しておきたかったこと?
もちろんヘンリエッタには心当たりはない。
どうにかして女王の理解を得るのがもともとの目的だったのに、女王の口ぶりはまるでとっくの昔にヘンリエッタに信用を置いていたみたいだ。ヘンリエッタが生還していたことも事前に知っていたようだし、想定していた状況とはなにもかもが違いすぎる。
……私が蘇った経緯と関係者についてはどこまで知ってる?
作戦を立て直すにしても情報が足りない。話があるというのならおとなしく聞かせてもらったほうが良さそうだ。
「そこまでするなんて、いったいどんな話ですか?」
女王はほんのわずか躊躇ってから答えた。
「……レオナルド・アルトベリから聞かされただろう。私がそなたの『模造品』だという馬鹿げた推論……あれは真実なのだ。私は父ツィドスによって造られた、偽りの魔女。本物には遠く及ばぬ出来損ないだ」
◆
「模造品……出来損ない? 仰ってる意味が分かりません」
ヘンリエッタは訳が分からないというように困惑してみせたが、それは腹の底を舐める悪寒から目を逸らそうとしての所作だった。
女王の口から同じ言葉を聞かされるまでは、レオナルドとアルトベリ家がなにか勘違いしていただけだと信じ続けることもできたのに。
「だいいち私の模造品が私より年上なのはおかしいじゃないですか! どこでそんな与太話仕入れてきちゃったんです?」
一縷の希望に縋り、ヘンリエッタは疑問をぶつける。そうだ、女王はヘンリエッタより二十以上も年上だし、先王のツィドスに至ってはとっくに世を去っている。ヘンリエッタを真似てツィドスが女王を生み出すなんて順番がおかしい。
しかし女王は冷静に言う。
「正確には、そなたから見た先代――神話の『魔王』を人の手で造り出そうとした結果、降霊術を応用した大魔術によって母の命を代償に生まれた失敗作が私だ。それでもそなたが生まれるまでは私こそが現代の『魔王』だったのだし、父も妥協していた」
ツィドスは女王以上に卓越した魔術師であり、賢君と讃えられた偉大な為政者だったと聞いている。女王の開発したマリオネットがたった十年で目覚ましい発展を可能にした今でもなお、その治世を懐かしむ声も多い。
ヘンリエッタは眉をひそめ、
「……先王にはそんな愚行に走るイメージも、理由もないように思うんですけど」
神話の時代の化け物を現代に蘇らせて、一国の王になんの得がある?
「……疑問はもっとも。私も他人に個人的な長話をすることなど久しくなかったゆえ、少しばかりの拙さは寛恕せよ」
女王はそう言い置いて数拍言葉を選び、ふたたび口を開く。
「父が魔王を求めたのは、無尽蔵の魔力の供給源、自分に隷従する暴力装置として利用するためだった。魔王といえど自我も覚束ぬ幼児なら、良いように扱い洗脳できる。卓抜した魔術師である自身の血を引いた赤子……私こそが、魔王を再現する器に相応しかろうと父は考えた。現実には、人工では限界があったが」
「それじゃツィドスは、魔王を自分の道具にするつもりで!?」
どんだけ傲慢なんだ。神話を真に受けたうえに自分の娘を犠牲にするなんて常識も倫理もあったもんじゃない。
「人前では王妃に先立たれた父と忘れ形見のひとり娘を装っていたが、結局私は父に支配される道具でしかなく、事実そのように育った。父の目的を果たすには私の魔力でも足りず、父はこの王笏のように魔力を増幅する外付けの装置を開発したが、それでもまだ足りない。父は研究に明け暮れ……その果てだ。エクロス家の虐殺が起こったのは」
女王は痛ましげに金色の眼を伏せる。
「エクロス一族が皆殺しにされた理由と犯人は、いまだに分かってないんですよね」
長話とやらを始めてからこれまでになく人間味をあらわにしている今の女王なら、質問にも応じてくれそうだと踏んでヘンリエッタは遠慮なく訊いた。
「そうだな。……公には不明とされている」
公には、ってことは。
追及したくなる衝動をいったん呑み込む。聞いているとどうも尋常じゃない裏事情があるようだし、ここは女王が話したい順番で話してもらうのが一番混乱が少なく済むだろう。
「その唯一の生き残りであったアルフレドと私を引き合わせたのも父だった。……孤独だった私は彼によって愛というものを知ることができた。彼も同じ気持ちを返してくれた……こんな汚らわしい生き物には分不相応な、大きすぎる幸福だった。私は自分の人生を取り戻すために彼と力を合わせ、父を――殺した。魔術の才だけは無駄に有り余っていたゆえな、私を意志のない道具と侮っていた父の油断をつけば、完璧にやりおおせてしまえた。父の死は老衰ではなく殺人だと、他の誰にも悟られることはなかった」
「……」
思わず絶句したヘンリエッタを赦すような穏やかな声で女王は言った。
「無理もない、おぞましかろう。魔力暴走の果ての事故ですらない、愛する者と共謀しての計画的な父殺しなど、人外の本領と言うべき蛮行だ。そなたならば否定するだろうと想定していた」
「私まだなにも言ってませんよ」
呆気にとられたのはほんの一時のことで、すぐに我に返って一方的な思い込みに反論すると、女王は視線をそっと逸らした。その所作がまだこの先に言いづらい真実があると告げている。
「……そうして私は玉座を受け継ぎ、王配となったアルフレドとともに殺人の上に成り立つ幸福に思うさま耽溺したが、道具だった頃の欠陥には苦しめられた。それは息子ふたりに恵まれても、私たちの罪業を報いを受ける日が訪れてもなお続いた」
「報い……アルフレド王配殿下の自殺ですか?」
そうだ、と女王がほとんどうわごとのように答える。
「そなたはアイオンからアルフレドの死の真相とエクロス家の血筋のことを伝え聞いていたのだったな。……あのひとは過去の殺人を悔悟して家族を置き去り、死を選んだのではない。死者蘇生に手を染めた神官を祖に持つエクロスの人間は、死者の霊魂を時に使役し時に影響を受けてしまう。……悲願を果たさんとふたたびこの世に舞い戻った父は……吸い取った私の魔力で魂を強化し、アルフレドの肉体を乗っ取って蘇ろうとしたのだっ!」
王笏を握りしめる女王の手は血管が浮き、怒りと悲しみ、やり場のない自責の念にぶるぶると震えていた。当時のことは、今でもついさっき起こったことのように思い出せるんだろう。
アイオンは離宮のカップケーキ穴でよく変なものを見たと言っていた。エクロスが元々いわゆる霊感持ちの家系だというのはアルフレドやアイオンの代まで下っても変わらなかったのか。
そういう状況だったなら、アルフレドが自死した理由はひとつしか思い浮かばない。
「……王配殿下は、ツィドスから家族を即座に守るために死を選んだんですね」
「…………」
女王は玉座の背に手をつき、うなだれてたわんだ背を上下させるほどに大きく荒い呼吸を繰り返していたが、やがて苦々しげに口を開いた。
「……偉大なる大魔女よ、私はな、あのとき父をどうすることもできなかったのだ。単なる道具であった日々に戻ったかのように怯え、凍り付き、魔力を吸い上げられ始めても魔力暴走も起こさなかった。ちょうど家族団らんのさなかであったゆえ傍らには息子たちもいた、それなのに……私のこの無感動さはなんなのだ? アルフレドがああしていなければ父は蘇り、今度こそ不死の王としてこの国に君臨していただろう」
「くだらない悲願だわ」
「……だがそれこそを求める民もいよう。畢竟、私が幸福にできたのはただ己のみであったのだから」
女王は肺の中身を空にするほどに深い溜め息をつき、よろりと姿勢を戻した。
「そして……そう。あのとき父の霊魂は私を嘲笑うため、エクロス家虐殺の真相を明かした」
「ツィドスは犯人を知ってたんですか!?」
「――――あれをやったのは私だった」
血反吐を吐くように、確かに女王はそう言った。
「父は死というものを克服しようとしていた。死者蘇生術を行使できる肉体を確保し囲い込み、同時に死者蘇生を阻み得る邪魔者を根絶やしにする。父はそのために強化した操心術などで私を操り、私の意識が眠っている間に、御しやすい子どものアルフレド以外のエクロスを滅ぼした。……私は完璧な一族殺しを遂行するために造られたのだ。私はとうに殺人者であり、アルフレドにとれば憎い仇だった。そうと知らされても自死を選んだアルフレドはきっと、私を憎悪しながら死んでいったのだろうな。我が子のことも頭から吹き飛んだ。狂うかと思った。だが実際には、私は魔力暴走の予兆すら起こさなかった」
ヘンリエッタは声を失って立ち尽くした。ハンマーで殴りつけられたように頭がぐらりと揺れ、女王の声が一瞬遠くなった。
女王はのろのろと昏い目をこちらに向けた。
「……さぁ、ようやくそなたの話だ。三年前そなたは私を守るために死んだが、実のところ私はそれ以前にもそなたに一度救われている」
思わぬ言葉にヘンリエッタは目を瞠った。
「え……いつですか? 女王陛下と関わり合う機会なんかありませんでしたよ?」
「父は私を道具として操り、意識の混濁した状態で虐殺までさせたと申しただろう。通常、こんな凶行を操心術で実行させるのは困難だ。しかし、操心術との合わせ技でそれを可能にする麻薬があったことを、そなたはよくよく知っているはずだ」
麻薬――そうか、まさか。
ヘンリエッタの表情の変化を見て、当たりだと女王は頷く。
「そなたが平民の身で宮廷魔術師に抜擢され、魔女の名を世に知らしめるきっかけとなった事件で、そなたは魔力暴走であの麻薬をこの世から根こそぎ消し去ってみせた。当時中毒に苦しんでいた者たちも健康体に戻しただろう。その奇跡で救われた者の中には私も含まれていた」
「……あんなもんで娘を操ってやりたい放題する人間なんか親じゃないでしょ。憎むだけ憎んだら忘れて、二度と気にしてやらないくらいでいいんじゃないですか」
怒りに歯を食いしばるヘンリエッタに、女王はほんの少し驚いたような顔をした。
しかしすぐに落ち着きを取り戻し、本題に立ち戻る。
「だから、順序が逆なのだ、大魔女。私は初めからそなたをハイラントの婚約者としてではなく、自分自身の救済者として遇してきた。ハイラントに傷を負わせても婚約を破棄させなかったのもそれゆえ。……そしてまた、私はそなたという『本物』に縋り、甘えてもいたのだ」
そう呟くと、女王は懺悔するような口調になった。
「アルフレドを失った私は精神の均衡を崩し、国のためというお題目でマリオネットの開発に逃避した。後にそなたに麻薬の影響を消し去ってもらっても、精神は今さら健全になりようがなかったようだ。アイオンを遠ざけたのは、当時の彼を見ていてこのままでは離宮の特殊な環境で追い詰めなければ自衛できるだけの霊感が開花しないのではないかと考えたからでもあるが、アルフレドの面影を傍に置くことがただただ苦痛だったという理由のほうが大きい。私は自我の崩壊を恐れて息子たちを長い苦境に追い込んだ。ときおり恐怖を忘れ冷静になっては申し訳ないことをしてしまった、失点を取り返し彼らを癒やし導かなくてはと思いはすれど、時は戻らず、私自身うまくできる自信は到底持てたものではなかった」
「……」
「特にアイオンは……、本当に惨いことをしてしまった。関係修復を試みようにも私の手に余るのが明らかであったゆえ、そなたと引き合わせた。かつての私のようにそなたになら救われるはずだという睨みは当たったな。そなたと出会って、アイオンは変わった」
「……」
「……もう少し勝手を詫びさせてもらっても構わぬか?」
話題がアイオンのことに及ぶと彼がこうむった被害を思って別口の怒りがこみ上げ、表情が歪んだヘンリエッタに気づき、女王がすまなさそうにお伺いを立ててくる。この件についてはハイラントにも女王にもつかない、絶対にアイオンの肩を持つと決めているが、話を聞かないわけにもいかないので「どーぞ」と雑に促す。
「感謝する。……その後のことは……本当にすまぬ、甘ったれた八つ当たりであった。相変わらずアイオンへの接し方が分からぬまま対応を誤り続け、そなたに面と向かって『まともじゃない』と図星を指されて唯一の味方に見放されたような気になり、どうしてあのときのように助けてくれぬのだと憤った。恥じ入るしかない……」
「……あそこまで楯突いたのに私を処罰しなかったのはそういう理由ですか……」
「……すまなかった。必要な処罰ではあったが、そなたからは友まで奪ってしまったし……」
「いえ……」
女王は普段の冷徹さからは考えられないくらい弱々しく詫びる。
まぁ本当なら首が飛んでてもおかしくなかったし、ヘンリエッタはそこには拘らず、最優先で確認しておかなければならないことを訊いた。
「つまり、陛下は本当はアイオンのこともハイラントのことも愛してるし、大切ってことでいいんですよね?」
「無論だ。その点に偽りはない」
女王はきっぱりと即答し、それからまぶしいものでも見るように柳眉をひそめた。
「いや、私はそなたに二度と偽りは申さぬ。これが私の身に起こった真実だ。アルフレドとまるきり同じやり方で私を救い、死んでいったそなたがいま生きてここにいるのだ、私には喜びこそすれ邪魔をする理由などないと分かっただろう。私に比べれば誰にも罪などなく、暴かれるべきこともないのだから、私の許しを得る必要はない。安心して幸福になるがいい、我が救い主よ。そなたは強く優しい、報われるべき娘だ」
女王は長い昔語りをそう締めくくった。
ヤな呼び方だなぁと崇拝者嫌いのヘンリエッタは思ったが、思うだけにした。こんな半生じゃ誰かに縋ったり甘えたりしたくなって当然だろう。新しい呼び名のひとつくらい背負ってあげてもいいか。
女王は自分ひとりが罪深いみたいに言うけれど、紆余曲折あったのも血まみれなのもお互い様だ。偽物も本物もない。それに事情を聞く限り圧倒的にツィドスとかいうバカオヤジが悪い。そんなもん万が一あの世で再会するまでは忘れて過ごすのが正解だと思うし、そのほうが家族仲も好転すると思う。なにかをやむなく犠牲にしてしまった人間は、自分の幸せを目指して努力して努力して努力し続けて、運と因果次第では心底苦しみ悔しがりながら報復を受けたり志半ばで死んだりするべきなのだ、きっと。
「……アイオンとハイラントには今の話、どこまで?」
ヘンリエッタの問いに女王はかぶりを振る。
「私はなにひとつ明かすべきではないと判断した。父から始まったこの業は私とアルフレドの代で断ちたい。家族の不和など、彼らが己と家族の正体を知ることで受ける苦しみに比べれば些事だろう」
「……、そうですか」
どうして父は死んだのか、どうして母は自分にだけこうまで冷淡なのか。表面上は諦めたような態度でいても、アイオンはいつも「なぜ」の渦で苦しんでいた。でも母が祖父に改造され、父母が祖父を殺し、祖父が父を死なせたという真相を知るよりもそっちのほうがマシだろうと言われればそうなのかもしれない。
どうするのが最善なのか分からないのはヘンリエッタも同じだった。レンスブルク一家に起こった数々の不幸はあまりにも残酷すぎる。
苦い気持ちで吐息して、
「陛下」
と呼びかけると、彼女はそっと視線を上げた。
「理屈で言えば、私になり損ねたあなたが化け物なワケないでしょ? あなたはただの人間。さっき王配殿下が死んだとき魔力暴走も起こせなかったって言ったけど、私がレオにやられたみたいにあなたが自分の魔力で自分を責めるようにツィドスに仕向けられてた可能性もある――エクロス家虐殺の真相をあの場でわざわざ明かしたのはそういう狙いだったのかも。それから、王配殿下は変わらずあなたを愛してますよ。今でも、絶対に」
「……」
ふっと女王は苦く笑うが、ヘンリエッタの言葉を感情的に否定することはなかった。お前になにが分かると怒りをぶつけられても仕方ないところだろうに。
「……アルフレドは私を愛している、か。心遣いは受け取っておく。そなたの言葉であれば、根拠などなくとも縋ってみる価値はあろう」
いいえ、根拠があるから言ってるんだ。この手で象牙で作られたナイフの柄を握りしめた感触を私はまだ覚えてる。死の間際、視界の端で捉えたアイオンそっくりの男の姿も。
でもまぁこれについては詳しく説明しちゃうとこの上さらに女王に業を背負わせることになりかねないので、ヘンリエッタはぽんと手を叩いて話題を変えた。
「あっていうか陛下、なんで私が生きてるって知ってたんですか? めちゃくちゃ怖かったんですけど!」
すると女王は何食わぬ顔で首を傾げ、
「魔術師は使い魔の目と耳を通じて情報を集める、常識であろう? 私が意識を接続している間にシャペロンが見聞きしたことは把握している」
「……えっ」
てことはシャペロンが途中からときどき生き物らしい仕草を見せるようになったのってつまり……。
そのときだ。
ふたりを外界から隔絶していた小空間の天から大きくヒビが入り、瞬く間に蜘蛛の巣状に広がるとバリンと砕けた。
同時に外から結界を殴りつけていたアイオンがその勢いのまま飛び込んできてたたらを踏み、鋭く視線を走らせてヘンリエッタを見つける。
「アイちゃ……」
「ヘンリエッタ!!」
名前を呼ぶ暇もなく血相を変えたアイオンに肩を掴まれ、かと思うと背後に庇われた。彼は女王をぎりぎりと音が鳴りそうなほど睨めつけて、
「……あんたがそのつもりなら……!」
「ま、待ってアイちゃん!」
ヘンリエッタは慌ててアイオンを止めた。不可能を承知で結界を壊すためにどれだけ手を尽くし続けたのか、拳は血まみれで魔力も消耗しきっている。その様子の痛ましさといったらなかった。そうまでして助け出そうとあがいてくれたのかと思うと胸が苦しくなる。
見れば周りにはアイオンを止めに入って返り討ちに遭ったのだろう衛兵や廷臣たちが倒れ伏しわめき散らしている上、混乱の中ちょうど増援が駆けつけてきたところだった。幸い、真っ先に避難させられているだろうハイラントの姿はない。
「アイちゃん私大丈夫だよ、ホラ無傷だし! 陛下との話し合いもうまくいったから! ね、一回、一回落ち着こう!?」
必死に宥めるが完全にぶち切れているアイオンの耳には入らない。
今や謁見室はそりゃもうものものしく、ヘンリエッタたちを包囲しながら衛兵たちが「なぜ死んだはずの魔女がここにいる!?」とか「女王と王子から離れろ!!」とか怒鳴っている。
と、常の冷徹な王の顔に戻った女王が王笏をすっとかざし、
「――控えよ」
の一言で全員の動きを止めてしまった。瞬時に膨れ上がった女王の魔力が大波となって彼らを打ち据えたのだ。
そうして外野の邪魔が入らないようにしてから、彼女はヘンリエッタとアイオンを振り返った。
「騒ぎ立てるような大事など起こっていない。私のために身を挺し、傷を負ったヘンリエッタ・ブラウトが長い療養からようやく帰還してくれたのだ。少しばかり話に付き合わせていただけのこと。私の命を待たずして短慮を起こし、言うに事欠いて王子に実力を行使したうえ敗北するような無能者を麾下に加えた覚えはないぞ。――ヘンリエッタ、その働きに労いと感謝を。今ここに、そなたをアイオン王子付きの宮廷魔術師に任ずる」
「!?」
「謹んで拝命しまーす!」
女王の目配せを受けてヘンリエッタはにこやかに一礼し、ぎょっと目を瞠るアイオンの腕を取る。
「それじゃ私たちはこれで!」
「うむ、……アイオン、傷の手当ては怠らぬようにな」
女王は臣下たちを釘付けにしたままそうぎこちなくアイオンを気遣い、そそくさと退出するヘンリエッタたちを見送った。
ヘンリエッタは小走りでアイオンを引っ張っていき、謁見室から充分離れた人気のない廊下でやっと立ち止まった。
とりあえずハンカチでアイオンの手を止血しながら「もうホントなんなの、無茶しすぎだよ……!」と眦を吊り上げる。
「結界殴ってこうなったの!? 人間殴ってこうなったの!?」
「……両方」
混乱の極地からかろうじて我に返ったアイオンがぼそっと低く言う。
それから自分の感情と情報をじっくり咀嚼するように数秒黙り込み、その果てに深い溜め息を吐き出した。
「どうなってんだ……マジでうまくいったのか?」
「もっちろん! まったくもー、任せるって言ったんだから私のこと信用してよね!」
「完全に終わったと思うだろうがあの状況はっ!」
極度の緊張から解放された安堵のあまり、アイオンは地団駄でも踏み出しそうだ。目的が完遂できたのは良かったけど心配のしすぎでムカついてきた、みたいな感じだろうか。
アイオンには悪いけど、そんなに心配してもらえたのはちょっと嬉しい。まだ三年前の彼の記憶が鮮明なヘンリエッタは、本当素直になったなぁと微笑ましい気持ちになる。
「終わったと思ったのにあんな大暴れしたの? フツー今後の王宮内での好感度とかちょっとは気にしない?」
アイちゃんはそんなタマじゃないだろうけどね。そう分かった上でヘンリエッタがからかうと、アイオンは呆れたように言う。
「知るかよそんなもん。ダメならお前を連れて逃げる気だったんだ」
ヘンリエッタはぱちりと灰色の眼を瞬く。
「……私と一緒に逃げるの? アイちゃんが?」
「あ? お前自分が誰のワガママで蘇らされたのか忘れたのかよ」
「それはそれこれはこれじゃん、今のアイちゃんは押しも押されぬ大人気王子様なんだしさ……」
「だからなんだよ」
なんだよ、って。
昔みたいな無愛想さで当たり前のように言われて、ごく軽い電流に打たれたような、背中がくすぐったくなるような、なんだかよく分からない気持ちになった。なんだコレ。考えてみても感情として正しい呼び名が見つけられないので、「ふーん……」と曖昧な相づちを打ってお茶を濁す。
止血の仕上げにハンカチの両端をきつく結び、
「はい、これでヨシっと。アイちゃん治癒魔術は使えるようになった? 医術の知識も要るしあれが使える魔術師ってかなり少ないけど」
「いや」
「じゃぁワイヤード団長にでも治してもらいにいこっか。私もめでたく宮廷魔術師に復職することになったワケだから頼みやすいし。あとはみんなに目下の懸念はだいたい解決したよーって報告しなきゃね」
なんにせよ、あんな打ち明け話をしたからには女王もこれを機にアイオンへの態度を改めていくはずだ。アイオン側からすれば困惑とわだかまりがあって当然だけど、ふたりがもっと家族らしく話せるようになる日も来るかもしれない。
最悪の場合アイオンが本気でヘンリエッタと逃げるつもりだったのなら、そういう未来を彼から奪うような事態にならなくて良かった。これについては、きっと女王も同じことを言うだろう。




