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従者を装おう

「女王には俺から謁見を申し込んだが、表向きは護衛としてセーラを同行するってことで申請してある。だからお前は女王と三人きりの話し合いに持ち込むまではセーラの振りしてろ」

「りょーかい。女子メンバーが入ってくれて助かったよね~」

 ヘンリエッタは座席の脇に置いた鳥籠をちょいちょいと指先でいじる。走り出したマリオネット馬車の揺れで転がり落ちてしまわないように注意しないと。

 アイオンが首をひねり、

「シャペロンも連れてきたのか?」

「ん? うん、やけについて来たがったからさ。久しぶりの再会だったからかなー? いよいよホントの鳥みたいになってきたねぇこの子」

 荷造りをするヘンリエッタの上着の裾や髪をくちばしで軽く引っ張ったり、手を伸ばした先に飛んできて邪魔したり、あげくに自分から鳥籠のフックを咥えて運んでくるので、仕方なく連れてきたのだ。身も蓋もないこと言っちゃえばマリオネットなら庇ってやらなくてもいいし、シャペロン自体も頼りになるからまぁいっかって。

 アイオンもシャペロンくらいなら構わないかと思ったようで、ふーんと気のない相づちを打つ。


 ……密室でふたりきりって状況に警戒してたけど、なんか大丈夫そう? それもそっか、今から女王陛下と会うのに色ボケてる場合じゃないもんね。よかった~逃げ場のない道中で気まずくなんなくて。


 馬車での旅は大きな支障もなくスムーズに進んだ。

 王都に近づくにつれ、人々の活気と喧噪が馬車の窓越しにも伝わってくる。

 宵に王宮の通用門を通るとき、門番がベールで顔を隠しているヘンリエッタに怪訝そうな目を向けてはきたが、アイオンの連れということであっさり見逃してもらえた。セーラが騎士の修行にばかり打ち込んでいる変わり者かつ伯爵家の三女で、王宮内で顔が売れていなかったのも幸いして、王都到着初日にして正体を追及されるような事態にはならずに済んだ。

 アイオンは行く先々で政務官や貴族や騎士に呼び止められ、仕事の相談を受けていた。参内していた令嬢たちにもきゃーきゃー言われてるし、護衛の振りをしているヘンリエッタも恋敵認定されて睨まれるしで、三年前がウソみたいだ。ヘンリエッタは初めこそベールの奥で密かに面食らったが、すぐに「いやアイちゃんの実力がちゃんと認知されたらこうなって当然だよね」と思い直した。なによ、モテモテじゃない。なんで順当にあの辺のレディの誰かとくっつかないかなー。


 ふたりが王宮に到着したその日、女王とハイラントは公務で不在だったけれど、翌朝には王宮に戻ってくる予定らしい。ヘンリエッタとアイオンは他の謁見希望者同様、明日帰宮した女王と会える手筈になっている。

 ここでも年月の経過による喜ばしい変化があって、ハイラントと同等の寝室・居間・執務室・図書室・庭園・侍従がアイオンにも与えられていたのだ。女王も今はアイオンを認めているってことだろう。いや三年前の時点であるべきだったんだよ遅いよ。ベールで隠せているとはいえ喜んだり思い出し怒りしたり、つい百面相してしまう。

 アイオンは掛けられる無数の声にそつなく応対しつつもヘンリエッタの様子をうかがい、笑いを噛み殺しながら、自分の居間へと連れて行った。

 と、そこにいたのは。

「ご到着、心よりお待ちしておりました。お帰りなさいませアイオン殿下、ヘンリエッタ様」

「……マディ!?」

 また懐かしい人物に恭しく迎えられ、ヘンリエッタは一瞬でもろもろの経緯を悟った。アイオンとマディが再会を済ませていたってことはつまり……。

「うげー……てことは私がいない間にマディが出張るような事件が離宮であったんだ。ご苦労様だったねぇ。私が死んだ後も約束守ってくれて嬉しいよマディ」

「当然です、その程度のことでヘンリエッタ様にいただいたお役目を放棄するなどあり得ません。お二方のお役に立てて幸いにございました」

 不覚にも目尻に滲んだ涙を指先で拭うマディの声には、万感の思いが籠もっている。

 先王の愛妾ゲートルードの庭である離宮は彼女のルールが支配する一種の閉鎖空間で、客を選ぶし外からの干渉を極度に嫌う。だからヘンリエッタは、アイオンがもし離宮で嫌な目に遭いそうなら内部から助けてほしいとお願いして、マディをチーブル家の遺産ごとゲートルードに送りつけた。マディは相変わらず一念で突っ張るタイプというか、約束を果たしてもまだ恩だなんだと言ってきそうなところは困りものだけど、保険が機能してくれたのは良かったな。

 横からアイオンが遠い目をして言う。

「いつまでもスパイ生活させんのも何だし、離宮の予算削減に伴う人員整理でマディを侍女に引き抜いたんだよ。ゲートルードは癇癪起こしてたけどな。お前の蘇生には関わってないが、南部を発つ前に『鳥』を飛ばして簡単に表向きの事情を知らせといた。こいつお前が絡むとマジでうるせーからよ」

 マディが重々しく頷き、

「ヘンリエッタ様が女王陛下を守るため自決なされたと聞いたときは殉死というワードが脳内を乱舞しましたが、ヘンリエッタ様にあのお役目を仰せつかっていたからこそ踏みとどまれました。そうでなければ今ごろ私は生きていなかったでしょう。まして王宮勤めなど望外の出世です」

 マディがあんまり大げさな表現をするので、不穏なものを感じたヘンリエッタは笑顔のままちょっと腰を引かせる。

「……なんか無理矢理また恩に着ようとしてない? もう私とマディの間に貸し借りはなくなったんだよ? 潔く自由になってよねー」

「実際助けられたのは俺だしな」

 アイオンが肩を組むようにいかにもぬけぬけと言うが、これはヘンリエッタに助け船を出してるんだろう。過度に恩義を感じられるのが苦手なのは彼には知られてしまっている。

 マディはひどく残念そうに肩を落とし、うってかわって有能な侍女の顔になる。

「……了解しました、私としても三年越しに生還してくださったヘンリエッタ様をご帰還早々煩わせるのは不本意ですし。夕食はどうされますか? ヘンリエッタ様は客室にお泊まりになる予定とうかがいましたが、それぞれお部屋にお運びしたほうがよろしいですか? 少し冷めてしまうかと思いますが……」

「そーね。王宮の食事なんてもともと味わって食べるもんじゃないし、アイちゃんがこんなに立派になった今となっちゃ特にねぇ」

 単なるアイオンの護衛の振りをしている今は大魔女を狙っての毒やらは警戒しなくていいものの、代わりに今や飛ぶ鳥を落とす勢いの第二王子勢力を狙ってのものを食らう可能性はある――アイオン本人のぶんはマディなり他の毒味役なりが安全を確認するだろうけど。

「あー……毒が心配なら」

 ところが、銀の食器が異変を示さないことを祈って各自部屋でぱぱっと済ませちゃおうと答えかけたヘンリエッタを、アイオンが思いついたように遮る。

「俺が作ってやろうか」



 しばらくして、片手にトレーを持ったアイオンが使用人控えの間に備え付けられたキッチンから戻ってきた。

 パンを甘い卵液に浸して焼き上げたものや蒸かしたジャガイモ、太めのソーセージ、温かい豆のスープ、レモネードといった素朴な料理を淡々と目の前に並べられ、ヘンリエッタは困惑した。

「ほ、ホントにこれアイちゃんが作ったの?」

「驚きすぎだろ、簡単なもんばっかりだろうが。使用人の夕飯ちょろまかしてきたんじゃねぇからな」

 アイオンはヘンリエッタの向かいのソファに座り、マディに目で合図する。彼女はすぐに心得たように一度頭を下げて部屋を出て行った。食後のお茶の準備をしに行ったんだろう。

 ヘンリエッタは大はしゃぎで料理を上から横から矯めつ眇めつし、

「うわぁあ美味しそう! すごいじゃん! アイちゃん料理できたんだ!? しかもこういう庶民料理!」

「王都でも仕事するようになってからは庶民文化に詳しくなったんだよ」

 そういやアイオンは慣れない場所でもお風呂を湧かすために進んで薪を割り始めるような実践派だった。

 ていうか誰かに個人的に手料理を作ってもらうのなんていつぶりだろう。そういう食事ってもし冷めてしまっててもなんだかあったかく感じられるんだよねー。

 ヘンリエッタはまだ興奮冷めやらぬ中でもナイフとフォークを握りしめ、意味もなく覚悟を決めるように深呼吸した。

「ふー……食べていい?」

「どーぞ」

 別にこれくらいたいしたことじゃないと本心から思っている様子のアイオンは気軽に許可を出す。

 いただきまーすと喜んで皿に手をつけ、ヘンリエッタはむぐむぐと黙って食べ進めた。美味しい。平民だし、下町の屋台で売っているようなこういうメニューに親しんでいるとはいえ、食材の質が比べものにならないからってだけじゃない特別な美味しさがある。

 豪華な料理や凝った料理も他にいくらでも食べてきたけど、今まで食べたものの中で一番美味しいかもしれない。うーんなんでだろ? 贅沢の果てに結局シンプルイズベストと悟る、みたいなことなのか、アイオンの料理の腕がそれだけ優れているのか。

「で?」

「?」

 話しかけられてようやくきょとんと顔を上げると、アイオンがレモネードのグラスを片手にヘンリエッタの反応をうかがっている。

「美味いか?」

 あ、そっか感想言うの忘れてた。

 返事をしようにもまだ口の中に食べ物が入ったままなので、ヘンリエッタは口元を手で隠し、うんうんと全力で頷いた。

 アイオンはそれで人心地ついたようにグラスを置き、

「スープは初めて作ったけど割とうまくいったな」

「割とじゃないよ! すっごく美味しいよアイちゃん!」

 ごくんと咀嚼していたものを飲み下してから、ヘンリエッタは力説する。なにかプロ級の絶妙な味付け、焼き加減、蒸し時間などが施されているわけでもないけれど、ヘンリエッタが過去最高と確信するほどの謎の旨味? というか、とにかく理由は分かんないけど美味しいと感じる要素全てを「割と」なんて言葉で表現されちゃたまらない。

「冗談じゃなく今まで食べた料理で一番だよ……! ホントに才能ある! 初めて作ったとは思え……待って、これ以外のメニューは誰かに振る舞ったことあるの……?」

 今の言い方だとその可能性はある。そう気づくとなんだか段々もやもやしてきて、ヘンリエッタは眉を曇らせた。

 アイオンは目を丸くし、

「心の狭いこと言い出してどうした? お前が俺のやることを褒めちぎるのはいつも通りっちゃいつも通りだけど他人に披露すんなとは言わねーし、逆に宣伝しにいこうとするだろ」

「んん、そうだけどなんか……。なんか……?」

 確かに普段は真っ先に宣伝して回りたくなるのに、なんでこんなもやもやするんだろ? 食べ進めるのも中断して首を傾げていると、アイオンがなにか愉快な発見があったみたいに目元をほころばせる。

「……お前以外には食わせたことねぇよ。お前は美味い美味いって言うが、自分で食ってみても別に普通の味としか思わねぇし」

「普通ぅ??」

 ヘンリエッタは異次元の生き物でも見るような目をアイオンに向けた。これが普通ってアイちゃんの味覚おかしいのでは。百歩譲って個人の好みとして美味しい・マズいのどちらでもないとしても、この何に由来するものか素人のヘンリエッタでは分析すらできない染み入るような味の深みが分かんないなんて信じられない。

 念入りに豆のスープをもう一口飲んでみたが、やっぱりしみじみと得も言われぬ味わいがする。うん、私の舌は間違ってない。

「特別な隠し味とか入れたんじゃないの? それかアレでしょ、また照れて謙遜してる?」

「してねぇしてねぇ」

 アイオンは顔の前で片手を振り、隠し味とやらを探り当てようと意固地になっているヘンリエッタを面白がるように身を乗り出す。

「心配しなくても俺はお前のため以外に作る気はねぇし、俺のテキトーな料理をそんなに美味く感じるのなんかお前だけだ。ハイ、なんでか分かるか?」

「だからー分かん……、……、……あっ?」

 種明かしをもったいぶられて深く考えずに聞き返そうとしたが、途中でアイオンのこの態度の根本原因にギリギリ思い至って肝が冷えた。

 厄介な話題に持って行かれる瀬戸際で、ぱっとにこにこ笑顔を顔面に復活させる。

「アイちゃん、サムいこと言ってないでお食事中は静かにしよう!」

「まだ言ってはねーだろうが」

 料理の隠し味といったら愛情だろとかなんとか言ってヘンリエッタをからかうつもりだったんだろう、目論見が外れたアイオンがつまらなそうに鼻を鳴らして食事を再開する。ヘンリエッタも貼り付けたような笑顔のまま、動悸の激しさを隠してそれに倣った。


 ……いやあっっぶな~~! なにそのネタの仕込み方、いったいどこで覚えてきたのよ?


 気を抜くと三年前のノリで接しちゃうから、すぐ向こうのさじ加減で地獄みたいな空気になる。

 王都への行路ではおとなしかったのにはしゃいじゃってさ、こっちはついてけないよ。この件については守りに入る側が主導権を握る余地がないのがもどかしい。



「……、よっし」

 翌朝、ヘンリエッタは与えられた客室でいつも以上に完璧に身支度を済ませた。

 姿見の前でくるりと一回転して仕上げにベールを身につける。

 大丈夫。これがハイラントを味方につけろなんて話なら白旗振ってるとこだけど、今この国の玉座にいるのはメレアスタ女王だ。全然マシだわ、気楽にいこう。

 女王が謁見に応じている時間はハイラントも自分の謁見希望者の相手をしているから、彼が同席することはない。うっかり遭遇しさえしなければ、彼とはただ同じ建物の中にいるってだけのこと。

 ハイラントはまず間違いなく私を排斥なり抹殺なりしにかかるだろうし、どうやって生還したのか、誰が裏で糸を引いているのか容赦なく追及してくるだろうけど、最低限私の生存が王宮内に伝わるまでは対決を避けていられる。……だから、そっちは女王の説得がうまくいった後で思う存分心配すればいい。

「んじゃ頑張ってこよっかな! 良い子でお留守番しててねーシャペロン」

 鳥籠を突っつくが、今朝のシャペロンは生き物モードがオフの日のようでろくな反応も返さず彫像みたいに静かだ。そうつれなくされると、かえってちゃんと帰ってきてまた構ってあげないとなーって気持ちにさせられる。

 ヘンリエッタは気まぐれなマリオネットに苦笑して、その創造主のもとへ向かうべく客室を後にした。

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