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ふたたび王都へ

 三年ぶりに接する実物のヘンリエッタは、久しぶりに高山や洞窟から地上に戻ってする深呼吸に近いものがある。

 ヘンリエッタが生きて動いて喋っているだけで我ながら笑えてくるほど幸福になれた。この三年間、骨身を削って死者蘇生術の再現に注力してきた苦労もすっかり吹き飛ぶくらいに。

 ヘンリエッタは婚約者の弟じゃなくなっても相変わらずアイオンに甘い、というか他人に甘い。

 本心では自分の能力に執着がなく、普通に暮らせればそれが一番だと言う割に当たり前のように周りの人間を庇うために行動する。

 個人的な関わりのない人々から向けられる好意や崇敬は嫌がって上手くあしらうが、親しい人間となると過剰なほど相手の意志を尊重しようとする。根が世話焼きなのだ。

 彼女のそういう性質を利用して自分のそばに引き留める作戦も成功した。――大勝利だ。アイオンは人生でもっとも欲した願いのひとつを叶えることができた。

 ヘンリエッタと出会う前は、自分が願望を抱いたりそれを実現するなんて到底考えられなかった。

 それを思えば現状でも成果は上々。ここで満足しておくべきなのかもしれないが、ヘンリエッタには不幸なことに、アイオンにはまだまだ欲がある。


 ……さすがに「好きです」「ハイ」とはならねーか。ならねーよなぁ。


 実のところ、ビックリさせついでになんとかして頷かせられないかと思っていたのは否めない。

 とはいえ事態を理解するなり「ヤバイことになった予想外だどうしよう」って顔になられたのは心臓がちょっとズキズキ痛んだ。

 いや生き返ってから一年くらい経ってたんなら兄貴のことも吹っ切れてんじゃねぇかって期待くらいするだろ、憐れみでここまでしねぇって分かるだろ、お前のこと化け物なんて思うワケねぇだろ冗談でも言うな、クソッ――――ものすごく釈然としない。アイオンから見ればハイラントなんか三年前の時点で男としては下の下の下もいいところなのに、ヘンリエッタはどうもそう思っていないらしい。

 以前、ワイヤードはアイオンに「彼女は戦略的に傲岸不遜な魔女というイメージを世間に売り込みましたが、実際は情の深さで貧乏くじを引きがちなんですよ」と溜め息交じりに語っていたが、たぶんそれは的を射ているんだろう。

 なにを置いても女王の理解だけは得なければという点にはアイオンも同意するが、まず誰かをメッセンジャーにするでもなく、初手から自分が王宮に参上しようなんて普通は言い出さない。持ち前の合理主義と効率主義で自分の首を絞めている。


 間違っても兄貴とは出くわさないように段取りしねぇと。


 いちおう、王都へ発つ前に南部行政監督庁の他の面々にはヘンリエッタと自分の行動方針を伝えた。

「万が一のとき、王子の俺はともかくお前らはヘンリエッタの一味としてもろともサクッと処されかねねぇからついてくんなってよ。王都には俺とヘンリエッタだけで行くわ」

「そうか、まぁその通りだな。しかし敵地のど真ん中へ乗り込むのにひとりだけ同行させるとは、彼女の性格を考えればずいぶん信頼されてるじゃないかアイオン?」

 この手の話は問答無用で拒絶していたあのイースレイが丸くなったもんだ。アイオンへのからかい半分、ヘンリエッタの心配半分でそんなことを言ってくる。

 しかし初対面からヘンリエッタに振り回されっぱなしのセーラはスピード感についていけず、気を揉んでいる様子で、

「いやでも大丈夫なんですか? 陛下に『大魔女が生きてる不都合』のほうを重く見られたら終わりでしょ? 一度正面切って喧嘩を売った過去がある以上、陛下から見たヘンリエッタの心証ってあんまり良くなさそうですし、もっとみんなで作戦を練ってからでも遅くはないのでは?」

「そうですよ、もうしばらくヘンリエッタ様には隠れていてもらいませんか? フェザーストーン公爵やワイヤード団長とも相談したほうが……」

 セーラとオリバーの言うことはもっともだが、ヘンリエッタはそのふたりのことも蚊帳の外に置きたがっている。

「公爵と団長にはもうシャペロンを飛ばして連絡済みだっつったら、それで充分だって言ったからなあいつ。相談もなにも、ふたりに俺たちを手助けする時間を与えたくねぇんだろ。本当に自分と俺のふたりきりで速攻かける気だ」

 オリバーが青ざめて視線を書斎の床へ落とす。

「……相手はあの女王陛下なのに……いくらヘンリエッタ様といえど穏便に収められるでしょうか……」

 アイオンは軽く口の端で笑い、

「こればっかりはやってみなきゃ分かんねぇな。ま、いざとなったらあいつ攫って国外に逃げて二度と戻らねーから。そうなったら後はお前ら上手くやれよ」

「あぁ、知らぬ存ぜぬの演技でも練習しておこうか」

「わ、笑えませんよその発言……」

 イースレイはともかくセーラは頬を引きつらせるが、アイオンは至って本気で言っている。オリバーが不安がるのも当然で、今の女王は三年前に輪を掛けて張り詰めていて気難しい。だが作戦の成功率に関わらずどのみちアイオンにヘンリエッタから離れるという選択肢はないので、かえって迷いなく「いざとなったら逃げる」と言い切れるだけだ。

「……ていうか、最悪の別れ方した元婚約者と顔合わせるかもしれないとかたいがい踏んだり蹴ったりじゃない。それでまた王太子殿下に魔力暴走起こしでもしたら結局は死刑でしょうに……」

 三者三様の反応を見せる男三人をよそに、セーラは今にも雨が降り出しそうな曇天の下にでもいるように物憂げな顔で独りごちた。


 翌朝、三人は王都へ発つアイオンとヘンリエッタを門前まで見送りにきた。ヘンリエッタは少なくとも表面上はいつも通りの態度で、心配のあまり顔色が真っ白なオリバーに「大丈夫大丈夫~すぐ帰ってくるからさ!」と笑いかけてみせさえした。毎度ながら堂に入ったやせ我慢っぷりだ。

 されるがまま、にこにこぺしぺしと肩を叩かれているオリバーをヘンリエッタから引っぺがし、意外にもセーラが彼女に口酸っぱく諭すように言い聞かせる。

「い、いいですか、あなたもともと王太子殿下となんて縁がなくて当然なんだし、いっそこっちから捨ててやったくらいの気持ちでいけばいいんです! 男なんて星の数ほどいるんですからさっさと忘れて次にいくなり、イースレイさんみたいに恋愛以外に生きがい見出すなりしなさい! 三年も前の失恋なんか気にしないこと! あなた大魔女なんでしょ!」

「セーラ……、なんでそんな急に抉ってくるの?」

「……」

 同情しつつハイラントに対する魔力暴走を牽制しているつもりだとは知らないヘンリエッタは、突然豹変したセーラに目を丸くしている。もちろんセーラに言われたくらいじゃヘンリエッタも大真面目に心を痛めたりはしないから、あれはただ単に不思議がっているだけだろう。

 妙な距離の縮め方をしているふたりにアイオンは喉で笑い、マリオネット馬車のステップに足を掛けた。

「がんばれよ」

 イースレイが真剣な顔で励ますように声を掛けてくるのに「おう」と鷹揚に頷き、馬車に乗り込む。小鳥が鳴きながら飛んでいく春の空は、まだしばらくは過ごしやすい晴天を続けてくれそうだった。

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