正気の証明
――なんで私まだ魔力暴走してないんだろ。
アイオンが演武場から去ったあと、衛兵に捕まって部屋に戻されたときもヘンリエッタの魔力はうんともすんとも言わなかった。
予想外の展開の連続にストレスを感じてるのは確実なのに、あまりにもなんにも起きてない。生まれつき薄情なのって努力で直せるものなのかなぁ。
アイオンがあんな行動に出たのは間違いなくヘンリエッタのためだ。
そんなの考えれば分かることなのに止めに入り、彼を拒絶した。
とっさにやったことを後悔したって仕方ないけど、もっと別に適切なやり方があったんじゃないかとぐるぐる考え込んでしまう。少なくともまるで他人事みたいに「どうしたの」なんて訊き方をするべきじゃなかった。
ハイラントとの婚約が破棄になった以上、アイオンが義理の弟になってくれることももうあり得ないけど、ちゃんと謝りたい。でもなんて謝ればいいんだろう。
なにもかも自業自得だ。
受け止め切れてないことや懸念事項が山積みでぜんぜん思考に集中できない。
婚約がダメになっても人生は続くし、ちゃんと別の幸せを見つけなくちゃいけないし、ハイラントたちとも表面上だけでも穏便な関係に落ち着かなきゃいけないってことも分かってる。だけど今はその道のりが果てしなく遠く感じて、……ちょっとだけ休みたい。
もうすぐ日が暮れるという頃、突然部屋のドアがノックされてヘンリエッタははっとなった。
どうぞと返事すると訪問者の正体が分かった。レオナルドだ。
「うーす、様子見に来たぞ。……思いがけないことになっちゃったな」
頭を掻き掻き部屋に入ってきたレオナルドに、ヘンリエッタは疲れた顔を隠さずに訊く。
「レオ……あの後どうなった?」
「表彰式に本人が不在ってことを除けば進行自体はいつもと同じさ。めでたくアイオンが初優勝。陛下から待ったがかかるとかもなかったしハイラント殿下も粛々と従ってた。会場の空気はそりゃもーやばかったけどなっ」
レオナルドはその光景を思い出しながらうははと笑う。
まぁでも、陛下の鶴の一声でアイオンの優勝にケチがついたとかそういう展開にならなかったなら御の字だ。
ヘンリエッタはほっと胸をなで下ろしながらも、
「……アイちゃんに謝らなきゃとは思うんだけどなんか疲れちゃってさぁ、気づいたらこんな時間になってた」
「大真面目に謹慎してたのか? らしくないなぁ」
「結果的にねー」
苦笑しながら伸びをすると軽い目眩のような感覚があった。なんだろ、昨日からめちゃめちゃ泣いたりびっくりしたりで慣れないことばっかりだったから調子も狂うか。やっぱり身も心も休憩を求めてるのかも。
「なぁヘンリエッタ、ちょっと街に出ないか?」
こっちの考えを読んだようにレオナルドが提案してきた。
「そろそろ気分転換も必要だろ? アイオンに謝るのは元気が出てからでも間に合うよ。あいつなら怒らないで聞いてくれるさ。な?」
「……」
そうかなぁ、そうだといいんだけど。
曖昧な笑顔で少し考え込んでから、ヘンリエッタは勢いを付けて椅子から立ち上がった。
「……そーね、じゃ行こっか! 日暮れまでに戻ってくれば大丈夫でしょ!」
「お~行こ行こ!」
わーいと空元気丸出しではしゃぎ、ふたりは部屋を出て城下町へ足を向けた。もちろん見咎められないようにルートは慎重に選んで。
◆
夜間外出禁止令も解除されたので城下町は日没が迫っても活気を維持している。
博物館や図書館、市場が密集している区画を越えてもう少し庶民的なゾーンへ行くと、王宮での剣術大会に便乗してちょっとした縁日が大通りで行われている。露天商がオモチャや古着や靴を売り、大道芸人が騎士様の剣術を曲芸にアレンジして披露している見慣れた光景なのに、もうハイラントと一緒にここへ来ることはない。二度とないんだ。
レオナルドはヘンリエッタが面白がりそうな場所を回って励ましたり弱音を聞いたりしてくれたが、彼が期待したほど良いリアクションを返せた自信はない。
明日には持ち越さないってもう宣言しちゃったんだけどな~……。
「……う~ん、やっぱそんなすぐには浮上できねーよな」
王都で一番大きい公園を散策しながら、夕陽を頬に浴びたレオナルドが同情的に言ってくる。
ヘンリエッタはぎくりとして笑顔を作り、
「いやいや気は紛れたよ。ありがとねレオ」
「そう?」
夕方の園内は仲良くデートしているカップルも多く、どこに目をやっても地味に苦しまされる。自分の意識を逸らすために縁日で買ったクッキーをかじるけれど、この一枚で終わりだった。思わず溜め息が漏れる。
「……ゴメン嘘……デート中のカップルとか今見るもんじゃないわ……」
「こ、公園は避けて通るべきだったかぁ……」
どよんとした目をするヘンリエッタにレオナルドが頬を引きつらせる。
公園内には乗馬して通れる歩道が整備されており、安全柵の向こうでは着飾った上流階級の人々が愛馬と散歩を楽しんでいる。うん、冬薔薇を指さして微笑み合っているカップルよりあっちを眺めたほうが断然マシだね。
するとレオナルドがふと思いつきを口にするような軽さでぼやく。
「けど、なんだかんだで案外平気そうだよなヘンリエッタ。もっとズドンと、空元気出す余裕もないくらい底まで落ちちまうと思ってた。腹さえくくったらすぐさま『別の幸せ探す』って言い出したのは予想外だったよ」
ヘンリエッタはそう言われるとなんだかばつが悪くなり、彼の顔から視線を外す。
「んん……まぁ、体感がどうでも実際魔力暴走しなかったしね」
「だよなー」
本当に暴走していたらきっとレオナルドにも後始末を手伝ってもらうことになっていただろう。そうならなかったこと自体は良かった、って言うべきかもしれない。
「でさ、だから追加情報なんだけど」
ヘンリエッタがあくまで虚勢を張り、常のおちゃらけた態度を繕おうとしているからか、レオナルドも普段通りの軽い調子で言う。
「んー」
「ハイラント殿下が調練直前まで議会のほうで色々やってるって言ったじゃん」
「うん」
「そんで殿下の働きかけでさ、今度――」
敷き詰められた砂を、マリオネットではない生きた馬が踏みしめていく音がかっぽかっぽと小気味よく響く。夕暮れの赤の下からそろそろ紫がかった紺色が沁みだしてくる時間帯だ。
「貴賤結婚が法律で禁止されるんだ」
ヘンリエッタは耳慣れない言葉に眼を瞬いた。
「……きせん、けっこん?」
「おう」
「ってなに?」
ほとんどなにも考えずに素直な疑問を投げかけると、レオナルドは柔らかい苦笑で応えた。……変だ、表情や口調はいつも通りのレオナルドなのに、どうして胸騒ぎなんかするの?
「あ、知らなかったか。だいぶざっくりだけど、身分違いの結婚が近々違法になるってことだけ分かってりゃいいよ」
「……」
「別れを告げてもヘンリエッタが手段を問わず殿下を手に入れようとしたときに備えて準備してた法案さ。この国の法が、殿下と君の結婚を許さない」
――なにを言われてるのか分かんない。
内容もそれを言ってるのがレオナルドだってことも全然理解できない。
「な、分かるだろ? 殿下はこれからも君を考え得るすべての手段で拒絶し続けるよ。魔力暴走一発で全部ひっくり返しちまう君が口でなんと言おうと、殿下は絶対信用しない。本当に、心底君のことを憎んでるんだよ」
「…………………………、っ?」
突然ひどい耳鳴りとともに全身がひび割れたように激痛が走り、胸を押さえて腰を折る。
なに?
なんなの?
今ってどういう状況? 分からない。
さっきからなにも追いつけてない、痛い、痛い痛い痛い!!!!
ダメだ考えないと、違う、これは。
これはなに? おかしい。
単にショックを受けてどうこうじゃない、現実に、身体が壊れていく痛み――。
呻き声を絞り出し、胸を掻きむしる。
目の前のレオナルドが「ここまでやってようやくかぁ……」としみじみ溜め息をこぼした。




