落ち着いて話し合おう
ヘンリエッタがハイラントと会う約束の日、夜になってもアイオンは部屋にいた。
窓辺に椅子を持っていき、腰を下ろして考えにふけっていると、コツンと窓に硬質なものが当たる音がする。
シャペロンが戻ってきたのだ。
アイオンは窓を開けて働き者のマリオネットを中に入れてやった。
「……よし、何事もなかったんだな? じゃ今回のお前の仕事はこれで完了だ。ご苦労さん」
名付けられて以来だんだん本当に生き物のようになってきているシャペロンはアイオンの確認に頷くような素振りを見せる。
おとといの晩、こともあろうにアイオンとの関わり方のことで女王と対立し、あげく直接対決寸前までいったヘンリエッタは謹慎を言い渡されている。彼女が規格外の魔女でなければあり得ない軽い処分だったが、庇われた側のアイオンはヘンリエッタに追加の罰が下されたりハイラントとの面会が中止になったりしないかと気が気じゃなかった。
かといって自分が四六時中ヘンリエッタの部屋の前で番をするわけにもいかない。客室は男性棟と女性棟に分かれているのでそんなことをしたら不審者になる。
そこでシャペロンを使うことを思いついた。
「……そろそろ時間か」
この二日ヘンリエッタの動向を見晴らせていたが、幸いなことにアイオンの心配は杞憂に終わり、彼女は無事約束の時間を迎えられたらしい。
サイドテーブルの上で落ち着く場所を探しているシャペロンに目を落とす。シャペロンに見張りをさせていたとはいえとてもなにかの訓練に参加するような気分になれず、アイオンが部屋に籠もって過ごしていた間も演武場のほうからは何度も何度も割れんばかりの歓声が響いてきていたため、ハイラントは無敗を通しているらしいとここからでも分かった。
結果的に観戦しなかったアイオンは兄が実戦でどんな動きをするのか知らないし、あの傭兵と対峙したときのように「勝てるか?」と自分に問いかけても直感はイエスともノーとも言わない。
◆
いやぁ一時はどうなることかと思ったけど謹慎程度で済んで本当によかった……。
アイオンを優先した自分の行動に後悔はなくてもさすがに胃が痛んでいたヘンリエッタは、約束の時間が来るまでにハイラントの使いが面会中止を告げに来なかったことに心底ほっとした。
ふ~~大丈夫大丈夫……もう中止はないね。よし、行こう。
握った両方の拳をぐっと胸に近づけて気合いを入れてから部屋を出る。
今日の空には雲一つ風一陣すらなく、おととい女王と対決したときよりも幅を太くした月が王宮を白く照らしている。
時間が止まったような夜を通り抜け、王宮の中心部の中でも王配の居室が並ぶ領域の手前にある王太子用の執務室へ向かう。ここは図書室や遊戯室と隣り合っていて、それらと同じくまだ王宮に不慣れだったヘンリエッタがハイラントとよく遊んだ場所だ。
パネルで装飾された両開きの扉をノックして「殿下?」と呼びかけると、「どうぞ」とすぐに返事があった。
中で待っていたのはハイラントひとりだけだ。女王譲りの水色がかった銀髪、金色の目。端正だけど少し頑固そうな感じがちゃんと滲んでる顔立ち。間近で見ただけでぞわぞわ鳥肌が立つくらいに嬉しさと懐かしさがこみ上げた。また背が伸びたような気がする。
部屋の内装は記憶とほぼ変わっていなかったが、布で中身を覆い隠された高さのあるなにかの荷物がひとつ増えていた。なんだろうコレ? 見ただけじゃ正体を推測できそうにない。
「ヘンリエッタ」
荷物に目を向けていたところへハイラントの声を聞き、引力にひかれる石ころのように意識が引き戻される。こうやって静かな波のような声で名前を呼ばれるのも好きだ。
「うん、なぁに?」
いつも通り返事したつもりだけどヘンだと思われなかったかな。
ハイラントは胸襟を開くように手を差し出す。部屋の中は昔いっしょに遊んでいた場所と同じとは思えない緊張に支配されている。
「先の一件についてはお互い水に流すということで異存はない?」
「ない」
いやまぁホントのホントは浮気相手って誰とかなんで浮気したのとか全然まだまだ引っかかりまくってるけど、魔力暴走かましたのは事実だし反省するってアイオンにも宣言してきちゃったから応じるほかない。
即答するとハイラントはヘンリエッタがそうすると分かりきっていたように頷き、
「あとは、初めに合意しておくべきことがある」
「合意?」
「そう。つまり……落ち着いて話し合おう、お互いに。きっと君には君の考えがあると思うし、私も過去はともかくおととい女王陛下に公然と挑みかかったことに関しては水に流せない。冷静に考えを伝え合うために譲歩するところはしていかないか?」
「う……、分かった。そのこと出されると私もなぁ……」
ぎくりとしたヘンリエッタは苦笑とともにこれも了承した。後悔はしてないといってもハイラントの実母と対立したのは事実だから無条件に許せとは言えない。
「私の言い分は言い分として今は沸点下げてこーってことね。話し合いはふたりが協力しないとできないって理屈は殿下らしいや」
「ありがとう。それじゃあ結論から言うけど」
ハイラントは言葉を句切って息をつき、ヘンリエッタの目を真っ向から見た。
「私は君と結婚することはできない。別れてほしい、ヘンリエッタ」
「……」
ヘンリエッタは口元だけで微笑んだままで聞いた。
笑おうとしていたわけでもなく、馴染みのある仮面を嵌めた状態で凍り付いたといったほうが近かった。
大丈夫。大丈夫、落ち着いて話し合うって言ったばかりなんだから、落ち着かなきゃ。
「え、やだ」
「いつもの即答は引っ込めてもらっていいか?」
なんの捻りもない返しをしたヘンリエッタに、ハイラントは穏やかで落ち着き払った口調で言う。なんの事情も知らない子どもが聞いたら冗談かと思って笑い出しそうな言葉とテンションだ。
「だって頷けないもん。やだよ」
だからこっちも柔らかく、それでいて強固に突っぱねる。
ハイラントは我慢強く言う。
「ヘンリエッタ、もうその感じで乗り切れない話を私はしてるんだ。君の真剣な部分で会話してほしい。話し合うって言っただろう」
「……」
付き合いの長さゆえの理解度で先回りされ、ヘンリエッタは言葉に窮した。珍しく。
「……真剣だってば。真剣に聞いてるし話してるよ」
「違うだろ。受け入れられないことを言われて軽い調子で話し続けるのは決定的な結論に至らないように誘導するためだ。それくらい分かるよ」
「違わない!」
「怒鳴らないで」
かっとなった瞬間を見逃さずにハイラントが咎める。「落ち着いて、魔力が揺れる」と重ねて言われてしまうととっさに二の句が継げなかった。ゆとりを失い、ヘンリエッタは大きく一度呼吸してから声を絞り出す。
「怒鳴ってはないでしょ、言うほど大きな声出してない……」
「ヘンリエッタ、会話を長引かせれば私が翻意すると思うのか?」
また先回りされている。もうヘンリエッタの姑息な考えは子どもじみたあがきにもなっていない。ハイラントは少し同情的ですらあるまなざしでこちらを見た。
「私は君に付き合えない。君も私の伴侶にはなれない」
ヘンリエッタはかぶりを振って叫んだ。
「付き合えてたじゃん実際! 五年も! 理由はなんなの。私が納得できる理由を教えて。魔力暴走食らったことを怒ってるんならそう言えばいい」
「……他の人に心変わりしたとかじゃなくて、魔力暴走のことを怒ってもいないし蒸し返すつもりもない。だが私の君に対する感情はあり得るとしても親愛でしかないから、伴侶にはなれないんだ。結果的に君の五年を無駄にさせたことは本当にすまなかった」
「……」
心臓がびくつくように跳ねた。無駄? 無駄ってなにが? 勝手に話を終わらせないでよ。
「………………私は、」
とりつく島もないハイラントに魔力がゆらゆら波立つのが自分でも分かる。浅い呼吸を繰り返してそれをどうにか押さえつけながら言葉を探す。
はっきり言いたくないことや察していてもらいたかったことを喉の奥から引き出して言葉にしなくちゃいけないときって、内臓をさらけ出すような恐怖と頼りなさで頭がくらくらする。言わない限りは笑われたり拒絶されずに済むという安心を一息で失うのが怖い。
自分の内側と外側が完全にひっくり返るような自己開示は結局できなくて、ヘンリエッタはその寸前の部分だけでどうにか交渉できないかと計算した。それだって今までは言わずにいたことだし、口に出すのは躊躇われたけれど。
「……私……私だって今日まで、殿下にそう言われる想像がちっともよぎらなかったわけじゃないよ。私魔女だし、親も生まれも分かんないし、もうとっくに血まみれだし、今さら生まれ持ったもの以外を理由に好かれるとか、この性格と経歴じゃまずナイって自覚あるし、……」
冷や汗が止まらなかった。長年かけて胸に溜まった重たいものを吐き出すように、ハイラントに口を出す暇を与えないように矢継ぎ早に言う。
「……誰かが羨ましかったり、疲れたなって思うときに……いつも私には帰る家なんかないって気づくの。血が繋がってなくても家族になろうとしてくれた優しい人たちもみんな失った。お金も地位も要らないから、帰る場所と家族がほしかった。家の鍵がポケットに入ってたり、帰ったら好きな人がいて一緒にご飯食べてっていう生活が私の夢で……だから殿下に『結婚するか』って言われたとき本当に、本当に嬉し、くてっ…………」
話すほど怖くなってきてもう誤魔化し笑いも浮かべられなかった。どうなるんだろう。取り繕うこともできずにこんなことを言ってしまって、この先どうなるんだろう。
ひとりぼっちで生きていくために王宮に来た。でもハイラントに出会って、結婚しようって言ってもらえて、こんな未来があるなんてって夢みたいに幸せだった。あの湖の村の人たちを失ったときだってあんなに苦しかったのに、ハイラントまで失ってまたひとりになったら――。
喉が引きつって視界が潤み、頬より上が熱くなる。泣きそうになるのをふた呼吸で抑え込んで震えながら視線を持ち上げ、ハイラントの透徹とした顔を見返す。
「……別れないから。殿下だって私の性格はよく知ってるでしょ」
みっともなく縋り付くようなことしか言えない自分が嫌になる。
ハイラントの気配が途端に冷たくなり、ゆらりと金色の目が据わる。
「……知ってるからこそ、脅しにしか聞こえないな」
「ちがっ、脅してなんか……」
「魔力の揺らぎもどんどん酷くなってる」
ハイラントは自分を圧倒する莫大な魔力の波に眇めた目元を引きつらせ、
「君は本質的に私の変化を受け入れてはくれない。お互いの気持ちが本当には一致していなくても、自分の安寧や幸福が私の沈黙の上に成り立つならそれでいいのか? 自覚があるのか知らないが、君はこうやって私を黙らせようとする。いつだってそうだ」
「そ、そんなことしてない!」
思いがけないことを言われてヘンリエッタは動揺した。ハイラントを黙らせようなんて考えたこともない。なにかを強制しようと思ったこともない。だいたいハイラントだって簡単に揺らぐ人じゃないんだし、私が騒いだって影響されずに自分の意志を貫いてくれるはずだ、だから私はこの人の隣なら思ったまま感じたまま自由にいられた。
――そうじゃなかったの?
「……君が言葉では分かってくれないのは理解できたよ」
そう言うや荷物にかかっていた布を取り払う。
「……え?」
ヘンリエッタは目を瞠って硬直した。
布に隠されていた荷物の正体はウェディングドレスだった。王家に伝わる製法で何年もかけて作られる特別なもの。前に製作途中のものをねだって見せてもらったことがあるけれど、それ以来見るのは初めてだ。今もデザイン画に比べたらまだ細かい装飾が足りてない。これを着る日を夢見て、これに似合うレース飾りを作ろうと試行錯誤するのが趣味になった、そのウェディングドレス。
なんでそれがここに?
ハイラントは覚悟を決めるように切羽詰まった表情で一度深呼吸し、トルソーから背中を開いたドレスをむしり取る。恐怖や躊躇を押して突破するような荒々しさに嫌な予感が背骨を駆け上がった。
「……ま、待ってなにを……っ」
「私は、君のことが――」
ハイラントがドレスを引きずったまま暖炉の前に大股で移動する。
頭が縄で引き絞られるように痛み、唇がわななく。彼を止めたいのに足が根を張ったように動かない。
「ハイラントっっ!!」
「――君のことがずっと、怖かったんだ!!」
幼い頃の呼び名で必死に呼んでもハイラントは止まらず、その手が暖炉にドレスを投げ込んだ。




