王都へ行こう
王都は東側を海に張り出し、南北それぞれに湾を抱え込むような地形をしているため、守りも堅ければ交易の中心地として栄えてもいる。内陸には城壁が張り巡らされ、軍港には海賊の取り締まりで鍛えられた練度の高い船団が組み上げられている。もちろん魔術的な防備も万全だ。
冬期軍事調練に参加するヘンリエッタたちのマリオネット馬車は、小雪のちらつく黄昏時に両側を塔に守られた王宮の正門をくぐった。車寄せには今回の調練に呼ばれた貴人・軍人たちの馬車が続々と到着し、出迎えの侍従たちが受け取った荷物を運び込んでいく。その順番待ちの最後尾について案内を待つ間、車内では雑談に花が咲く。
「そうそう王宮ってこんなだったよね! なんかすっごい久しぶりに来た感じ! ただいま実家~! 実家じゃないけど!」
「うはは、初っぱなからそんなに飛ばしてで大丈夫かぁヘンリエッタ? 殿下と再会する前にはしゃぎ疲れちまうぞ~」
「さすがに俺も調練に参加するのは初めてだが、文化的なイベントとはどうも雰囲気からして違うな。アイオンが誘拐された直後だけによけい物々しいというか、気合いが入っている。俺には少々居心地が悪い……」
宮廷魔術師としてこういう行事に参加した経験のあるレオナルドとヘンリエッタとは違い、元書庫番のイースレイは窓の外の様子を興味津々で眺めている。
ヘンリエッタはそわそわしている彼を見てふふふと笑い、
「イースレイさぁ、いまどき文官だから弱くてもいいだなんて不心得じゃないの? そんなんじゃまーたアイちゃんの盾にもなれないで終わっちゃうよー?」
からかわれたイースレイはわざとらしく澄ました顔で腕組みをし、
「俺が盾になるよりアイオンが拳でなんとかするほうが確実に早いと思うが。むろん努力を怠るつもりはない。この調練期間の前半は文官向けの体術・魔術訓練もあると聞くからな、そっちに参加する」
「お、そんじゃ後半の剣術大会にも出るか?」
「いや出ないが」
レオナルドに訊かれると、イースレイは真顔で食い気味に首を横に振った。レオナルドとヘンリエッタは揃って眠たげな半目を向ける。
「鬱陶しい目をするな。女王陛下の御前で名のある騎士だのなんだのに順繰りにボコボコ殴られてこいって言うのか俺に?」
「あげくシメに待ち受けてんのはあの王太子殿下だもんねぇ」
調練期間の後半には女王の御出座があり、我こそはという剣士たちが御前試合を繰り広げるのが恒例になっている。
この剣術大会には立場上ふだんは危険な競技に出場するのを禁止されているハイラントも特例で参加していて、ここ数年は不動の頂点に君臨しているのだ。「殿下ホントに実力で強いんだよ~! めちゃめちゃ頑張って鍛えたの!」とウキウキで語るヘンリエッタに、レオナルドは「自分が褒められたときより嬉しそうだなぁ」と慣れた調子で笑う。
「そりゃ嬉しいよ、やっとここまで来られたんだもの! あ~~早く殿下来ないかなぁ、後半が待ち遠しい~~!」
調練前半は国境警備の要となる城塞都市を視察して過ごすのが慣例の殿下と女王陛下は、後半にならないと王都に戻ってこない。
だからまだしばらくは待ち時間だけど、ここにいれば絶対会える。
これで浮つくなって言われても無理だよ。
引き続きアイオン誘拐を画策した黒幕の動きに備える必要はあるけれど、やっぱり期待に胸が膨らむ。
まぁでももちろん、自分の欲望だけにかまけているわけにもいかないな。しばらく黙りこくってなにか考え事をしているいるアイオンをぱっと振り返る。
女王が調練への参加を許可してくれてようやく長年の冷遇が終わりそうとはいえ、即位記念日以来の女王と殿下との面会を控えて緊張してるんだろうなぁ。離宮に追いやられてたんだし王宮という場所自体にもあんまり馴染みがないのかもしれない。
「ね、アイちゃんも剣術大会出る? アイちゃんの実力ならきっと褒められるよ、ていうか殿下にも勝てるんじゃない? どうする~? 劇で演じたみたいに国一番の剣士になって女王陛下の度肝抜いちゃう~!?」
アイオンに対する女王の急な心変わりの背景には、ギャレイ宮廷伯やフェザーストーン公爵の進言があったんだろう。当人はこの急展開にどうしても不信感を拭えないみたいだが、悪いのは今の今までアイオンのポテンシャルに気づかなかった世間と女王のほうだ。それだけの話。
ご機嫌なテンションで焚きつけようとすると、心ここにあらずという様子だったアイオンの紫色の目が倦んだような色を滲ませてちらとこっちを向く。
「……んっとに浮かれてんな、大好きな兄貴が負けるとこなんか見たくねぇくせに適当言うんじゃねーよ」
む、言われてみると普通は好きな相手の負けを楽しんだりはしないかも。
一瞬納得しかけたけれど、自分の考えを改めて精査してみてすぐけろっとした顔で首を傾げる。
「んん、別にそういう拘りないけどなぁ」
「は? 応援してやんねぇのかよ」
「え~でも、誰かに勝ってるから殿下のこと好きなわけじゃないし。もし殿下がこてんぱんに負かされたって私的にはなにも変わんないよ?」
「……あーハイハイのろけごちそうさん。兄貴が来る後半までせいぜいお行儀よくしてろよ」
アイオンはヘンリエッタの答えを聞いても顔色一つ変えず、特段意外そうにもしなかったが、その平板な反応と不釣り合いに苦々しげな声音で会話を切り上げた。
え、機嫌悪い? ようやく長年の苦労が報われるっていうのに、なんかずっとこんな調子なのよねー……理由を訊いても答えてくれないし。
アイオンの様子を不思議がりながらもさすがに今は他の心配事で手一杯のヘンリエッタをよそに、レオナルドとイースレイは固唾を呑んで内心冷や汗をかいている。




