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そんなんじゃないよ

 自分達が確保した振りをしていた人質という大魔女に対する最大の切り札が、実は最初から機能していなかったと突然明かされたオリバーは完全に自失していた。

「おい……!?」

「アイちゃん黙ってて」

 事前に相談もなくオリバーの前に引き出されたアイオンが血相を変えて呼びかければ、ヘンリエッタがすかさず遮る。彼女に問答無用で黙ってろなんて言われたのは初めてのことだ。

 アイオンは絶句して、載っけられたテーブルの上から傍らのヘンリエッタの整った顔を見上げた。オリバーの手前悠然とした笑みを浮かべているが、大きな灰色の瞳の奥には揺らめくような焦りがかすかに見え隠れしている。


 なんでわざわざ俺のことをバラす?


 アイオンの存在という爆弾を落としてこの膠着状態を破り、敵の目標物にして特大の足手まといを自分が抱えていると明かしたのは他ならぬヘンリエッタだ。この暴露は意味なく自分から不利を背負いにいったようにしか見えず、アイオンは困惑した。

「ってことだから。そろそろ日も暮れるね。いったん戻らないと、オリバー」

「……ぁ、ぅ、……」

 にこにこと腹の読めない笑顔でヘンリエッタに言われ、オリバーが壊れた人形のようにかくんと形だけ頷く。

 あいつも心中ぐちゃぐちゃだろう。

 アイオンを人質に取られているからこそ、ヘンリエッタはオリバーに取引きする価値を見出していたはずなのに、実際はアイオンの身柄は最初からヘンリエッタの保護下にあった。こうなるとヘンリエッタがオリバーに固執する理由はない。オリバーにはヘンリエッタの真意を推し量る術がなくなった。

「……本当はアイオンを確保できてないって、私を縛る人質なんていないんだっていつ打ち明けてくれるかと思ってたけど、結局言ってくれなかったね」

 君は嘘つきだね、とヘンリエッタは優しく微笑んだままとどめを刺した。その言葉でアイオンははっと理解する。

 孤独と罪悪感につけ込んで甘やかしたり突き放したり、辛い身の上話を聞き出した直後に一緒に行こうと手を差し伸べ、思考停止をやめて自分の言葉で喋るようになったところで、対等に作戦を練ろうという提案を翻して「やっぱり君は信用できない」とはしごを外す。ヘンリエッタがやったのは要するにそういうことだ。これまでの行動は、全部たったひとりの子どもの情緒を効率的に打ちのめすためにあった。

 だがなぜそんなことを?

 オリバーは死刑執行直前の囚人のような絶望を浮かべ、がっくりと消沈して声もなく大粒の涙をこぼした。それから逃げるように部屋を出て行く。


「……あーあー泣かせちゃった! さすがにアイちゃんでも引いたんじゃない? ね、怖い? 怖い? 私のこと!」

 ヘンリエッタがアイオンを見下ろしてにんまり笑いかけてくるが、あいにくアイオンはオリバーや他の大勢のように恐怖でコントロールされるつもりはないし、実際ちらとも怖がっちゃいない。

「そういうのいらねーから。茶化してねぇでいい加減なに考えてんのかきっちり説明しろ」

「強がっちゃって~」

「お前を怖いと思ったことなんか一度もねぇよ。俺にかかった魔術が思ったより解けないって分かってから、お前ますます焦ってんだろ。オリバーをあそこまで翻弄したのだって何かの作戦ってことは分かる。ただ今回はその中身を訊いても全然話さねぇからそりゃ『なんで?』って思うだろ……」

 これっぽっちも怖くない。

 母にしても兄にしてもこの魔女にしても、アイオンはどうしてこんなことをするのか分からないから分かりたいだけだ。ヘンリエッタの貼り付けたような笑顔を見上げながら必死こいて頭を巡らす。


「……お前のほうが、話して俺にどう思われるか怖がってんじゃねぇのか?」


 一瞬、ヘンリエッタが押し黙った。

 作り笑いが緩慢に解けて、ふいに真剣な目がこちらをひたと向く。

「……オリバーを利用するって決めたときから最後にはこうするつもりでいたの。半端な魔術は私のそばじゃ長続きしないって言ったよね?」

 ヘンリエッタはアイオンの問いかけには真っ向から答えず煙に巻き、代わりに本題を切り出してきた。不満はあったがまただんまりに戻られても困るので、仕方なく「ああ」と相づちを打っておく。

「なのにアイちゃんの身体はまだ元に戻ってない。ホント、こんなに持続するなんて本来そうそうないことなのよ」

 ヘンリエッタはアイオンに脅威が正しく伝わるよう静かに続ける。

「つまりアイちゃんに魔術を掛けたのはただの野良じゃまずあり得ないレベルの手練れ。敵のごろつきたちは明らかに誰かに雇われてる。でも私を相手取って王子様を狙うとか命がいくらあっても足りないような仕事よっぽど金額積まれなきゃ受けないし、やりおおせたあとは安全に国外に逃がしてもらえる確約だってほしいとこだよね。ついでにいうと、冬イチゴは比較的温暖な地域でしか採れない」

「黒幕のアタリがつきそうってことか? 縁づいてる地域まで?」

 ヘンリエッタは首を横に振る。

「これだけでこいつだ! って言い当てるのは無理……だし、優先すべき議題じゃないね。そっちは大まかに捉えとけばいいから、先に考えるべきはやっぱり『どうして黒幕はこんなリスキーな犯罪に打って出たのか』だよ。なにかめちゃくちゃデカいリターンを見込んでなきゃやんないよね?」

「デカいリターン? ……マジで俺を政敵と見なすバカが出てきてるってのか?」

「かもしれないけど……アイちゃんにはあり得ないって決めつけずに危機感持ってほしいとこではあるけど、そっちじゃなくてね。今はもっと嫌なことをされてる可能性を心配しなきゃいけないかなって」

 もっと嫌なこと?

 具体的になにといって思いつかず、アイオンは眉をひそめる。

「ずーっと泳がされてる感じしない? 観察されてるって言ってもいいけど」

 ヘンリエッタが言う。

「私何度も魔力暴走の予兆アリってアピールしてるし、だいたいストレス溜まったら人質とかお構いなしに爆発する大魔女相手に長期戦なんてどう考えても悪手だよ。あとオリバーがあれだけこの部屋に入り浸ってるのに全然探りを入れてこない。部屋の前の見張りだって、いてもいなくても変わんないってくらい私を放置してる。魔力暴走ぶっ放す以外にはなんにも企まない生き物だとでも思われてるなら別だけどさ」

「俺の捜索で手一杯とか? 人質はお前に対する唯一の抑止力だろ、焦って確保最優先になりもするんじゃねぇか」

「だからアイちゃんが私の手元にいるってオリバーにバラしたの。そこんとこ確かめるためにね」

 さっくりと意図を明かしてきたヘンリエッタにアイオンはわずかに瞠目する。あれは最終確認の一手だったわけか。

「ああなったオリバーはもうアイちゃんのことを仲間に告げ口したりはしないでしょう。でももし私の予想通り敵がこっちの動きを把握していながらあえて放置してたとしたら、オリバーからたった今聞いて知ったってテイでここへ乗り込んでくるんじゃないかな。そうなったらもういざ決戦よ」

「……いや待て、そもそもなんで俺たちを泳がせる必要があるんだ?」

 泳がせて、企みたいだけ企ませて、出方を観察する。なんのために? 人間がそういう行動を取るときはどういう場面だ? ヘンリエッタが単なる身の危険以上に危険視することってなんだ?

 考え込むアイオンに、ヘンリエッタはやっぱり端的に答えを寄越す。すでに似たような局面を経験したことがあるみたいにあっさりと、だけど苦い顔で。

「こうだったら嫌だなーって思ってるのは、私の手札をできるだけ多く見ようとしてるってセン」

「……本当の標的はお前ってことか?」

 まーね、とヘンリエッタが緊張をにじませた小さな頷きを返す。

「企みたいだけ企ませて好きなように動かさせてあげれば、そいつの持ち札もたくさん見られるからね。絶対に失えないモノの命運が懸かった状況で大魔女サマがどんな対処をしてくるか、最後の最後に切る切り札がなんなのか……本命の作戦を実行する前に威力偵察しておけるってこと。もしそうなら大金はたいてド級のリスクを冒す価値はあると思わない? この状況が長引けば長引くほど私は手の内を晒すことになって、あとあと黒幕が本気で挑みかかってきたときにはなにもかも対策されて……、犠牲なしには切り抜けられないかもしれない。焼け野原に私だけがピンピンして立ってたってさぁ……そんなの……」

「……」

「……そんなのダメでしょ?」

「…………」

 てらいもなくアイオンのことを「絶対に失えないモノ」だと言いながら、ヘンリエッタがへにゃっと困ったように笑う。なんと答えていいものか分からずアイオンは口をつぐんだ。

「それにこの場合、黒幕があとで特大の悪さする予定なのもほぼ確定しちゃうしね。私としてはこれが一番嫌な可能性。だから決着を早めたかったの。これ以上私の情報を取られたくない。……アイちゃんのこと、相談もなしにバラしてごめんね」

 謝らせたかったわけじゃない、こうやって理由を話してくれるなら構わない。

 アイオンは反応するのもおざなりに慌てて次の疑問を口にする。

「けど敵の出方を見るっつっても、本当にここへ乗り込んでこられたら実際まずいだろ。暴力で押してこられたとき、お前のその貧弱さでどうやって対抗すんだよ。犠牲になるのはお前なんだぞ」

 目を吊り上げるアイオンをいなすようにヘンリエッタが微笑む。いつもと違ってどこか影のある、後ろめたさでも覚えているかのような笑みだ。

「だーいじょうぶ、魔力暴走の予兆を見せてる以上、向こうの目論見がなんであれ私のことだけはそんな粗略に扱えないもの。だからアイちゃんは、ひとりだけ安全圏でふんぞり返ってる私のことなんかより自分の心配してて。一向にちっちゃいままなんだからさ」

「粗略に扱えない? はっ、ごろつきどもの理性にずいぶん信用を置いてるんだな?」

 アイオンは皮肉っぽく鼻で笑う。考えろ、考え続けなけりゃ一生こいつの頭の中の景色にはたどり着けない。

「どんなに強大な力を持ってようが、小娘に脅され挑発されワガママ放題されればカッとなって後先考えず手が出るバカだって世の中には大勢いるんだぜ。連中が常に損得勘定効かせられる利口な人種に見えるか? だいたいしょっぱなから頭ぶん殴られて拉致されてんだから、魔力暴走って切り札があろうがお前だけは安全なんてまるで大嘘じゃねぇかよ」

 アイオンがこうして難色を示すと分かっていたからあえて言及せず、気づかれていないならそれでいいとばかりにこの話を締めくくろうとしてたんじゃないか。

 こいつは自分が人に心配されるなんてことはあり得ないと思っているし、俺がちょっとでも身を案じると「優しいね」と困惑と尊敬が混じったような目で見てくる。……だから、今回に限って作戦の肝を共有せず事後報告ばかりで勝手に事を進めたのは、自分が俺に心配されるようなことをしようとしている自覚があるからじゃないのか。


 どうにかしてこいつがなにを考えてるのかを分かりたい。

 ぐるぐると様々な可能性が頭に浮かぶ。これが正解だと確信を持って言えるほどにはどれもしっくり来ないが、途中で投げ出すのは嫌だ。


 今回のヘンリエッタは今までと違い、明らかにアイオンを企みごとの蚊帳の外に置こうとしている。まともに受けて立ってもアイオンの対人経験値じゃ普通に考えれば勝ち目は薄いだろうが、完全な負け戦とも思わない。誰も彼もこいつの嘘に乗せられて本人が望むままに危険を冒させてきたんだとしたら、それはきっとそいつらが思考停止でこいつに依存しきっていたせいだろう。やすやすと同じ轍を踏んでやるか。

「俺が腹立ててんのは相談なしに動いたからじゃねぇ、お前が大上段に構える振りして自分ひとりでリスクを引き受けようとしてるからだ。その証拠に、直接対決を誘った理由は説明しても、そっから具体的にどう行動して勝つプランなのかは言わねぇもんな?」

 自分にもヘンリエッタにも、ただただもどかしさと腹立たしさが募る。

 この予想が正鵠を射ているとは自分でも胸を張れないながら、なんとか彼女の分厚い仮面を崩したくて怒りをはらんだ声で指摘すると、ヘンリエッタは静かにかぶりを振った。

「……違うよアイちゃん。勘違いしないで、そんなんじゃない」

 笑って誤魔化すような口調は鳴りを潜め、心底嫌気が差した様子で絞り出す。聞いたことのない声音だった。

「自分が真っ先に傷つくやり方を選ぶような殊勝さなんか私にはないわよ、ひとりで身体張ってもいないし。私に肩入れして危機察知センサーが鈍っちゃってるね? ……ごめんねって言ったのに伝わってなかったか」

 虹彩の奥をゆらゆらと炎のように燃やしながら、緊張を帯びた灰色の目がアイオンからそっと逸らされる。

「――私がアイちゃんがここにいるってバラしたことで一気に危なくなったのは私じゃなくて、オリバーでしょう?」


 彼女がそう言い終わるかどうかというとき、果たして荒々しく扉が蹴り開けられた。


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