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下っ端に取り入ろう

 夜中と早朝に密かにオリバーが偵察しに来たが、ヘンリエッタはどちらも事前に察知して飛び起き、アイオンを背後に庇って適当に相手しては追い返していた。本当に一晩中意識のどこかが覚醒している状態でいたようだ。それを把握しているアイオンもまた、当然ほとんど一睡もしていない。

 翌日もヘンリエッタの要求に沿い、世話役はオリバーが一任されていた。

 想定外だったのは、この日もアイオンの身体は小さいままだったことだ。

「私のそばにいながらここまで魔術が持続しちゃうとは思ってなかったなぁ」

 夜半、ヘンリエッタが矯めつ眇めつ調べていた酒瓶を机に置き、小さくなったアイオンを心配そうに見下ろしてきた。

「……普通はもう戻ってる頃合いなのか?」

 訊ねるアイオンの声は図体の小ささのせいで思ったより心細げに響いてしまった。ヘンリエッタは苦笑し、

「そうなんだよねー、想定より長くここで粘らなきゃいけなくなった。……アイちゃんをちっちゃくしたせいでかえって見つけにくくなって、ずっと捜索を続けてるのかな、敵方もあんまこっちに人数が割かれてないっぽいのはラッキーだったね。あっちは私がなにも知らないと思ってるから、とっくにアイちゃんを確保して人質にしてる振りしてるけど」

 ヘンリエッタはそう分析こそしたが、だからといってアイオンなしでもこの隙に脱出しようなんて勇み足になることもなく、ただ少し方針を変えた。

 今度はなにかと用事を小出しにしてオリバーを呼びつけることを優先しだしたのだ。

 おなかが空いた、喉が渇いた、虫が出た、アイオン捜索の進捗はどうかとか、つまらないことでいちいち騒いで部屋の前の見張りの手を煩わせ、オリバーを寄越せと駄々をこねる。見張りが「うるせぇんだよおとなしくしてろ!!」と怒鳴りつければレース編みの糸で仕掛けたトリックでモノを動かしたり壊したりして魔力暴走の予兆ありと装い、のらりくらりと怒りをいなし、オリバーが来るまで絶対に引き下がらない。

 何度も何度も繰り返すうち、用が済めば言葉少なに即撤収していたオリバーが部屋に居残り、自分から「あの、他に用事はありませんか?」と訊いてくるようになった。

 ヘンリエッタは「用事? あー五分もしないうちにまた思いつくんじゃない? ていうか居残れるんなら話し相手になってよオリバー」とまるで他意のない振りでにこにことオリバーを手招いた。翌々日には、日中のオリバーは基本的にヘンリエッタたちの部屋にいるようになった。

 オリバーは魔力暴走の予兆を見せているヘンリエッタに怯えてはいたが、実際にそばで多くの時間を過ごして普通の会話を重ね、状況に慣れが出て来るとどうしてもその緊張を維持し続けることができなくなったようだ。


 ……アイオンにはヘンリエッタのこの方針変更がどういう意図によるものなのかいまいち読めなかった。

 状況が変わり、予想より長くここで生き延びなければいけなくなったのは分かるが、だからといってこんなひ弱な子どもを囲い込んでどうするんだ。戦力になんかなるわけがない。アイオンの魔術が解けるまで生き延びるにあたっての安全な世話役としてだけ利用するのなら、ここまで深入りする必要はないだろうに。

 だがアイオンが「これ以上のなにかをオリバーにさせたいのか?」と訊ねても、ヘンリエッタはなぜか「んん、まーね」と曖昧に誤魔化すばかりで、いつものような明快な説明を寄越してくれない。


「……家族はみんな死んでしまって、飢えて冬の森を這いずっているところを頭領に拾われたんです。大きくなってからはずっとこんな仕事を……」

 ヘンリエッタが手応えの有無にかかわらず質問をぽんぽん投げるので、次第にオリバーは自分の話をするようになった。ヘンリエッタは彼の話に絶対に口を挟まず、ときに愛想良くときに真剣に聞き入って見せていた。

 日頃は声を発する機会が少ないせいか、オリバーの喉は少し喋っただけで嗄れてしまう。彼が口を閉ざすと、その都度ヘンリエッタは「お酒はダメだけどこっちは食べて良いよ」と彼にイチゴを押しつけた。

 オリバーは焦りと戸惑いに身を仰け反らせ、

「そんな、い、いいです、もらえません……」

「え~私がいいって言ってるんだからいいじゃない。誰にも告げ口しないよ? イチゴ嫌い?」

「……ごめんなさい」

 オリバーは唐突に決壊した。ヘンリエッタが察しの悪い振りをして首を傾げると、彼は堰を切ったように謝り始める。

「あなたにも王子様にもひどいことして……あなたは加害者の僕さえ助けてもいいと言ってくれたのに、なにもできなくて……あの、ごめんなさい……」

「まぁされてるのはされてるよね、ひどいこと」

 いつも穏やかに話を聞いていてくれるヘンリエッタに真顔で一刀両断され、オリバーが顔をくしゃっと歪める。常にぼうっと遠くを見るような目つきで機械的に言われたことだけを実行していた子どもが、初めて年齢相応に泣き出しそうな顔をした瞬間だった。

 それを見て、ヘンリエッタは一転柔和な笑顔になる。

「自覚してくれたなら充分だよ」

「じゅ、充分なんかじゃ……! 僕っ、僕になにか出来ることはありませんか? 償えませんか?」

 とオリバーが嗚咽をこらえながら食い下がる。

 ヘンリエッタは面白そうに笑い、

「人に親切にできないことが辛いなんて、君って珍しい子だねー。でもそんな気持ちなんか一時のものだよ。もしここで感情に任せて私を逃がしたりしたら、そのあと君は一味の中でどんな目に遭う? 私が人質に遠慮するのに飽きて全部吹っ飛ばすのに巻き込まれるのとそう変わらない結末が待ってるんじゃない?」

「…………」

 オリバーはそれを想像するや血の気を引かせ、数秒の間引きつけを起こしたような浅い呼吸を繰り返した。

「このままならず者たちに加担し続けようが反抗しようが、君の気が晴れようが晴れまいが、詰んでることに変わりないんじゃないの?」

 突き放すようにそう問いかけたきりヘンリエッタは口をつぐみ、オリバーの様子をじっと見つめた。小刻みに震えるオリバーが自分で口を開くのを待っているんだと分かる。会話自体はお開きにしないよう目だけは離さない。

 ……優しく出来ないのが辛いってんならあいつもだ。アイオンは物陰からふたりの様子をうかがいながら内心で舌を打った。

 やがてオリバーはあてもなく視線をうろつかせながら言った。

「……ですね、どっちでもきっと死ぬような目に遭います。でも、僕……」

「うん?」

「……僕、もともと自分が大人になるまで長生きできるとは思えなかったんです。そんな未来想像もつきません。自分が破滅する未来はすごく思い描けるし、あぁ予定通りだなって腑に落ちます。生き延びるためにやってきたことがやってきたことだから」

「……そんな風に分別つけるには若すぎるでしょ、君は」

 オリバーの吐露に、たぶん心苦しさから思わず計画外のことを言ってしまったんだろう、ヘンリエッタがかすかに苦笑しているのが見える。元来子どもに甘いヤツが無理するからだ。

 オリバーは首を横に振り、縋るような目でヘンリエッタを見返す。

「……だってみんな、魔女様みたいに優しくないから……」

「……ふふ、それはどうかなぁ? 私だって優しくはないんだよ」

「…………」

 なんとなくそうじゃないかと思っていたが、やっぱりこの魔女は他人に、特に子どもに優しいと形容されるのを嫌がる節がある。

 ヘンリエッタが混ぜっ返しても、オリバーは動揺を見せなかった。軽口の上で裏切られたくらいじゃ揺らがない信用を勝ち取った証拠だ。

 内心の複雑さをおくびにも出さず、ヘンリエッタがぽんと明るく手を叩く。

「んじゃやっぱ第三のルートでいこう!」

 オリバーがきょとんと目を丸くする。

「だ、だいさん? ……すみません、なんでしょう?」

「最初に言ったでしょ? 君も私と一緒に逃げればいいじゃない!」

 まるで今思いついたようににこにこ顔で提案するヘンリエッタを鵜呑みにして、オリバーがたじろぐ。

「い、いいんですか? 本当に? 僕なんかこんな……連れて行ったって子どもだし力もないし、到底お役に立てませんけど……」


「…………?」


 アイオンだってこれは初耳だ。いきなり何を言い出す……本当にオリバーを連れていく気なのか?


 今にも頬をつねり出しそうなオリバーの薄い肩をヘンリエッタが優しく叩く。

「そんなことないよ。とっても役立ってくれてるし、これからも頑張ってもらうよ?」

「…………」

 ぽかんと口を開けて呆けたあと、とっても……とオリバーが夢見るようにオウム返しする。

 いきなり夢にも見なかった未来を提示されて呆然としていた彼だが、不意にはっと目を瞠り、冷や汗をかいて、

「あっ、あのでも、いちおう拾ってもらって今まで食べさせてもらった人たちだから、一方的に皆殺しとかはちょっと……その……っ!」

「ん? あーそっか、そうなるのね?」

 この期に及んでも君は相手に遠慮するのねと笑い、ヘンリエッタがぴんと人差し指を立てる。

「そういう心配なら安心して! こっちの一方的な展開にはなんないから!」

「あ、あっはい、そうなんですね、それなら……?」

 ヘンリエッタが花顔に満面の笑みを載せて陽気に言うので、オリバーは訳も分からず曖昧に頷いた。大魔女に安心してと微笑まれたからには安心するしかないが、言われた内容に問題が満載すぎる、ってところか。

 物陰に潜んで様子を見ながら、警鐘に似た違和感を覚えてアイオンは眉をくもらせる。


 ……「こっちの」一方的な展開にはならないとは言ったが、その逆はあり得ると含みを持たせているような口ぶりだ。

 そうだ、上手くオリバーをたらし込めたのはいいが、これだけこの部屋に入り浸っているのに敵が裏切りの兆候に全く感づいていないなんてことがあり得るか?

 トラブルに出くわすたび率先して策を弄するヘンリエッタがその可能性を警戒していないとも思えないが、アイオンには相談を持ちかける気配さえない。その態度は作戦を共有するのを渋っているようにも思える。

 アイオンに魔術をかけた犯人が想定以上の使い手だと分かってからヘンリエッタはいきなり不言実行の秘密主義者になった。

 やっぱり妙だ。

 オリバーをここまで懐柔したのはなんのためだ?


 クソ。なにかに思い至りそうなのにあと一歩が足りない。答えはもうすぐそこに隠されている気がするのに。


 さぁやっとここまで話を持っていけたぞ~なんて心の汗を拭っていそうなヘンリエッタは、しかし涼しい笑顔のままで、オリバーからは完璧に本心を隠しきっている。

 そして、どうにかヘンリエッタの意図を読もうとするだけでいっぱいいっぱいな彼の隙を逃さず、彼女は用意していた爆弾を笑顔で落とした。

「――それで実は、君たちが捕まえた振りしてた王子様がここにいるんだけどね?」


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