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古巣の要請に応えよう

「……ふふふ、よく描けてるなぁ」

 南部の冬は中央に比べれば断然暖かい。

 昨夜までは大荷物を抱えた住民たちが集まり、固唾を呑み身を寄せ合って騒ぎの行く末を見守っていた広場は、すっかり元の平和を取り戻している。

 鳩を追いかける子どもたちのはしゃぎ声が近づいては遠ざかっていく。ベンチに腰掛け、白っぽい冬の日差しを受けながら、ヘンリエッタはビラに描かれた剣士のイラストを眺めていた。

 フェザーストーン公爵領シーウッドで上演した南部行政監督庁のアマチュア演劇は、大衆にウケにウケた。主演のアイオンが結末を土壇場で変えたのも結果的にあの一回きりの公演の唯一性を高めたようで、あの場にいた人たちの自慢話のネタにされているそうだ。肩すかしを食らって悔しがってた貴族たちも、マウント取りの手札になると分かるや手のひら返し。期待を裏切らない連中だよ。

 とりわけ、アイオンの人気っぷりといったら。

 舞台上で無茶な殺陣を軽々とこなす怜悧な剣士の姿は、ヘンリエッタの思った通り爆発的な人気となり、各地で路上の絵売りに似顔絵を頼む人が続出した。

 シーウッドには自殺者を慰霊する追慕の森があるし、チャリティーウィークでは全国から人が集まってきていた。彼らが演劇を観て地元に戻り、「要らない子」扱いされていた第二王子の知られざる勇姿をあっちこっちで吹聴してくれているわけだ。

 おかげさまでアイオンの人気はめでたく全国区になりつつある。

 そこへ、市庁舎から出てきた男が近づいてきて、「ヘンリエッタ」と優しく声をかけてきた。

「ヘンリエッタ、報告終わりましたよ」

「ん? あぁ、お疲れ様です」

 顔を上げて、ヘンリエッタはその男に軽い調子で返事する。

 腰までの金髪をうなじ辺りでひとつにくくり、白地に金の装飾が施された制服を着た初老の男。

 誰かといえばなんと元上司なんだよね。現宮廷魔術師団長、デリラ・ワイヤード。こうして会うのは久々だ。

 彼は何の気なしにヘンリエッタの手元のビラを覗き込み、

「おや、これは第二王子殿下のイラストですか。なかなか上手い。いいお土産になりそうですねヘンリエッタ」

 弾んだ声で言われ、ヘンリエッタはビラを丁寧に折りたたんでコートのポケットに仕舞う。

「あっ……またそんな意地悪なことを。私も買ってこようかな? 妻にも見せたいですし」

「仕事は終わりでいいんですよね? 帰っていいですか? いまアイちゃんひとりに留守番させちゃってるんです」

「待って待って。夕食の予約をしてあるんですよ。あなたは放っておくと寝食をおそろかにしがちなんですから」

「クビになった職場の人たちと夕ご飯食べても味しませんよ! 今回レオもいないし」

 ドのつくマイペースなワイヤード団長は「気にしなければいいんですよ」とかのほほんと言うかもしれないけど、市庁舎の前に整列してこちらの様子を気にしている元同僚たちの目つきはどう見ても不満げだ。

 まぁクビになった経緯が経緯だし、なのに左遷された先でもなんか面白おかしくやってる上に、団長が自分たちを差し置いてそいつに協力要請してましたとなったらそういう顔になるか~。


 南部行政監督庁に突然ワイヤードの「鳥」がやってきて、至急ヘンリエッタに協力を求めたいという旨の書簡を渡してきたのがおとといのこと。

 折悪しく、チャリティーウィークも終わって大きな仕事は一段落したからと、アイオンがようやくイースレイとレオナルドにまとまった休暇を出してあげられた矢先だった。

 ふたりはこの休暇を利用して各々実家に戻っていたので、ただの預かりの身とはいえヘンリエッタまで出掛けるとなると動ける人員はアイオンひとりになってしまう。強力なマリオネットが何体配備されていようが、人材の層の薄さはこういうところで響いてくる。

 当然ヘンリエッタは気が進まず、「状況的に今いる正規の宮廷魔術師でなんとかできるでしょ」と一蹴しようとしたが、アイオンがそれを止めた。

「文面的に、このワイヤード団長ってのはお前のお節介焼きな本性を知ってて頼ってきたんだろ。見る目のある元上司で何よりじゃねぇか。錯乱した魔術師が街に迫ってるなんてそこそこ危機的だし、お前もイメージアップのチャンスと思って行ってこいよ。お前らの留守中になんか問題が起こったら……まぁ、マリオネットでもなんでも使って急場しのぎするわ」

 と思わぬ説得をされて、半ば強引にヘンリエッタは旅立たされてしまった。といっても、ワイヤードに指定された現場はヘレネー司教領のとある街で、遠出ってほどではなかったけど。

 ていうかちょっと前まではそんな「大丈夫だから任せとけ」(意訳)みたいなこと冗談でも言わなかったのにかっこよくなっちゃってさぁ、ずるいよね。そんな風に言われたら行くしかないじゃん。こういう態度の変化も、自分の努力が実る経験を重ねてだんだん自信が付いてきたってことかなぁ。


 ワイヤードは眉を下げて困ったような笑顔を浮かべ、

「すみません、レオナルドが休暇中で不在だったというのはさすがに予想外でした。でも、あなたが来てくれなければ私たちは元同僚から更生の道を奪い、責任を持って殺さなくてはならなかったでしょう。彼らもそのことはちゃんと理解しているんですよ。だからこそあなたをああして睨んでしまうんです」

 プライドを持って仕事してるがゆえにね、とワイヤードが言う。まぁ宮廷魔術師時代からレオを除く同僚たちは終始この調子だったし今さら構わない。ヘンリエッタはベンチから立ち上がり、腰に手を当てる。

「そっちはもういいですけど、っんとにどうなってるんです? 一度は宮廷魔術師にまで上り詰めた人が隠居したとたんお酒に依存して前後不覚で魔力暴走なんて、どんだけ無責任ですか」


 今回ヘンリエッタが急遽呼びつけられたのは、引退した宮廷魔術師がこの街の近くで魔力暴走を起こしたためだった。

 森の中に勝手に建てた小屋に引っ込み、酒浸りになっていた彼は、その行状を聞きつけて駆けつけたワイヤードたちを見て恐慌状態に陥った。全盛期が嘘のようにふやけきってしまった脳みそであろうことか魔力を暴走させ、一瞬で森を吹っ飛ばしたらしい。

 元宮廷魔術師だけに理性のタガが外れたその力はすさまじく、昼日中に突如起こった轟音と地鳴りを伴う爆発に住民は大混乱、あくまで対話しようとしていたワイヤードたちは不意を衝かれたかたちになったせいでらしくもなく対応が後手に回った。

 ワイヤードは住民に避難を呼びかけ、宮廷魔術師クラスの魔力暴走からでさえも人々を守れる切り札としてヘンリエッタ(とレオナルド)を呼び寄せた。あいにくレオナルドは休暇で実家に戻っていたけど。

 マリオネット馬車で大魔女が現着したとワイヤードから知らされると、三日三晩おびただしい魔力を放ち続けていた元宮廷魔術師は真っ青になって硬直し、その隙を突かれて捕縛された。

 で、今し方市庁舎の地下にある魔力封じの牢に入れられたという顛末だ。


 今回の場合、別にヘンリエッタという戦力の有無が街の無事に影響したとは思えない。

 バリバリ現役の宮廷魔術師がこれだけ揃っていながら街や住民に被害を出さずに鎮圧できないはずはなかっただろうし、実際ヘンリエッタがしたことといったら、脅し文句に名前を貸し、有事に備えて一晩街で待機していただけだった。

 ただ結果的にワイヤードたちは仲間だった男を殺さずに済み、彼は施設に送られることになって更生の機会を得た。とはいえ森は吹っ飛んじゃったけど。


「私も毎回間に合うわけじゃないんですからねっ。自棄になったりボケちゃったり何かに依存したりで正気じゃなくなった魔術師なんか爆弾と変わりません。野良はもちろん引退した認定魔術師のその後にまで目を光らせるなんて宮廷魔術師だけじゃとても無理ですよ。依存症の人たちの更生支援をしてくれる団体が南部にも増えてくれれば、あの人のことももっと早くに報告があがってきてたかもしれないのに……」

 どこの国でも魔術師を資格制としているのは、居所や行状を国が把握していないと今回みたいな惨事に繋がるからだ。痴呆やメンタルの不調、依存症などの人生の波は魔術師だろうと一般人だろうとついて回るものだから。

 ワイヤードは顎に手を当てて鷹揚に微笑む。

「うん、慈善家で知られるフェザーストーン公爵と仲良くなったばかりですもんね。さっそく彼の影響を受けている。素直なところは昔から変わりませんねヘンリエッタ」

「ま、じ、め、に、聞いてください」

「えぇえぇ」

 すみません、と謝ってはくるけど騙されないからね。この人ぜんぜん心から反省してないから。すみませんってとりあえず謝っとくのが口癖なだけだから。

 ヘンリエッタは冷たい木枯らしに顔を背け、

「じゃぁ今度こそ帰りますね。王都に戻ったらぜひ退職者の一斉素行調査を各行政監督庁に命じるように上奏してください、ウチでもやるんで。健康状態に問題がなくても、身寄りのない魔術師がいたら監視すべきかもしれません。今回みたいに、いずれ末路に他人を巻き込む危険があるでしょ」

「もちろんそうしましょう。残念ですが夕食はまた次の機会に誘うことにします。あ、そういえば」

 ワイヤードが思い出したようにぽんと手を叩く。歳とか関係なくこの人はこういう無邪気な仕草をよくする。

 胡乱な目を向けるヘンリエッタに彼は内緒話をするようなトーンで、

「今月末、王都で行われる冬期軍事調練にね、ギャレイ宮廷伯の進言でアイオン殿下が初めて呼ばれるそうですよ。あなたも同行できます。きっと南部でのがんばりが認められたんです。いつも通りハイラント殿下も参加されますから、会えますよ」

「え……」

「あらら。そんな露骨に目をキラキラさせて」

 面白がるワイヤードに一言返すことすら忘れて、ヘンリエッタはぽかんと口を開けた。


 ――殿下に会える。


「ほ、ホントにっ!?」

 もしこれも適当に言ってたとかだったら次に魔力暴走を起こすのは間違いなく私だ。

 ホントだって言え言って言わなきゃ許さないからと念じまくってるのが伝わったのか、ワイヤードは声が上ずる勢いで聞き返してきた元部下をこれ以上からかうことはせず、祝福するように微笑む。

「ホントですよ、私があなたに嘘をついたことがありますか? アイオン殿下にも伝えてあげなさい。長く不遇に耐えられてきた方だ、きっとお喜びになるでしょう」

「了解帰ります団長も風邪とか気をつけて!!」

 最低限言うべきことだけ叫び、ヘンリエッタはきびすを返して駆け出した。「こけないように注意するんですよ~」とのほほんとした声が背中にかけられたけど、そんなの今はどうでもいい。

 会える、殿下に会える! アイちゃんも王都の重要行事に参加できる! あの分からず屋の陛下にアイちゃんの成長を見せられるんだ!

 寒さも忘れて足取り軽くマリオネット馬車へ急ぐヘンリエッタは、帰庁後に降りかかる特大のトラブルのことをまだ知らなかった。

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