本番
チャリティーウィークはつつがなく過ぎていき、とうとうアマチュア演劇組が本番を迎える日がやってきた。
この日公爵は所有している劇場を無料開放し、身分や財力を問わず観客の入場を許可して通路を使用人たちに行き来させ、舞踏会のときのように寄付金を募るという。
広場や市場などにはそれぞれの演目と出演者の情報が掲示され、バザー会場でもさかんに大声で告知されたりビラが配られていたから、朝から劇場周辺は人でごった返していた。
実際の舞台を使った本番さながらのリハーサルは開場前、早朝から順番に一回ずつしか行えず、全員がアマチュアなもんだから時間が押しがちだ。
前の貴族グループがなかなか撤収しないので舞台袖から様子を見ていたアイオンだが、まぶたが重たくなってきたあたりで諦めて裏へ戻ることにした。なるようにしかならない。
宛がわれた控え室に入ると、ヘンリエッタとレオナルドが公爵から貸し与えられた使用人たちと談笑していて、対照的にがちがちのイースレイは壁際のソファに腰掛けて緊張の面持ちで台本にかじりついていた。
裏方としてだけでなくエキストラとしても出演する使用人たちも含め、全員がすでに衣装に身を包んでいる。今回の劇で使うものは全て公爵が若い頃にサークルで使っていたものなので、かかった元手はゼロだ。いつもは随所で財力を見せつけ競い合う他の貴族たちも、公爵の威光の手前、みんなイミテーションや誰かのお古だけを使っているようだった。
ヘンリエッタは、黒地に金の刺繍飾りがあしらわれたいかにも魔王らしいドレスを着て、アイオンが贈った赤いガラス玉のペンダントを堂々とつけている。
「……」
やっぱやるよなお前は。やる女だよな。
舞踏会でもつけてたし、言ったところでやめやしないのは目に見えてるからもう無駄な労力は割かない。……本当に、なにがそんなに気に入ったんだか。変わり者め。
はぁと溜め息をつき、何食わぬ顔で彼らに近づく。
「おい、見てきたが、前の組の連中はまだ少しかかるっぽかったぞ」
「そっか。くそ、押してんのになぁ」
レオナルドが不満げに頭を掻く。
するとお化けのようにのっそりイースレイが立ち上がり、
「舐められてるんだ……俺たちが木っ端貴族出身者と平民を抱えている演劇初挑戦ながら注目度ナンバーワンのグループだからって、嫉妬されて嫌がらせを食らってるんだ……!」
「あはは、どうどうイースレイ。顔色やばいよ?」
「これを機にまた名を成そうと張り切ってただけに、イースレイが一番緊張してるよな~」
もともと宮廷魔術師という危険や重責の伴う職にあったふたりは錯乱するイースレイを微笑ましく見守る余裕さえある。
アイオンは今のイースレイの相手をすることを避け、念のため自分が使う小道具を確認する。
この数日ですっかり手に馴染んだ模造剣のかったるい重み。
――あ~~~~やっぱめんどくせぇ。とにかくなにもかもさっさと終われ。慈善活動だからっつって割り振られんのが「魔王」殺しの役だとかこっちは想定してねーんだよ。
そう口には出さないまま、なんら問題も故障もない剣を鞘に収め、アイオンは気だるげに壁に寄りかかった。今そこで呑気にイースレイをからかっている「魔王様」を振りでも刺すときの動きを、なるべく想像しないようにする。
しばらくするとコンコンとドアがノックされ、中年の貴族女性が顔を覗かせた。
「失礼。リハーサルが終わったのでお次、どうぞ?」
婦人は顔だけにこやかに、しかし嫌味っぽく予定の時間をオーバーした引け目などちっとも感じていない様子で言ってきた。こりゃわざとだな。
「あらーわざわざどうもー。んじゃ早速行こっか!」
この緊張っぷりで腹まで立てたら頭の線がぷっつりいきそうなイースレイをとっさに抑え、ヘンリエッタがへらへらと婦人をあしらってみんなを促す。
彼女が横を通り過ぎるとき、婦人が口元を笑みの形に歪ませ、低い声で「舞台上で死に顔を晒す役を喜んでするなんて、素晴らしく下民らしいわ」と嘲笑ったのをアイオンは確かに聞いた。
いちいち顔を覚えちゃいないが、たぶんこいつは舞踏会の喫茶室で大魔女様に寄付金を巻き上げられたうちのひとりだったんだろう。ちまちま嫌がらせしやがって、下民らしいのはどっちだよ。
もちろんヘンリエッタは取り合わなかったし、アイオンももう気にしないことに決めているが……。
「……」
そうだな。たまには悪巧みしてみるのも悪くねぇか。
◆
全てのリハーサルが終わり、朝十時には劇場の幕が開いたものの、アイオンたちは大トリを務めることになっているので出番は午後遅くになる。
劇場は開演直後から満員御礼。激しいアクション要素のある題材を選んだのはアイオンたちだけで、ほとんどが流行りの喜悲劇やロマンス劇だが、控え室にいても割れんばかりの拍手と歓声が揺れを伴って聞こえてくるくらいだ。
そんな大盛り上がりの途中、休憩時間も挟んだりしなければいけなかったため、結局アイオンたちの番が回ってきたのは日の入り直前だった。
「『はぁ、今回も退屈だったわ! 人間たちときたら懲りるってことを知らないのかしら!? 何度かかってこようと私に返り討ちされるだけの脆弱な生き物だってそろそろ理解してもいい頃なのに!』」
ちっとも緊張をうかがわせない堂々とした態度でヘンリエッタが舞台に現れると、お祭りの熱に浮かれている観客たちは初めて直接目にする大魔女の姿に、なんだかよく分からないノリで湧いた。噂に聞く彼女の滅茶苦茶さへの畏怖と、それに不釣り合いな可憐な容姿やこの南部に来てからの貢献ぶりへのミーハーな感情が入り交じったリアクションだった。
物語の流れはこうだ。
圧倒的な力で世界を支配する「魔王」の牙城へ向けて、かつて彼女の友だったひとりの剣士が王命を受け出立する。
彼の前には魔王が差し向けた罠や魔物が立ち塞がり、苦難に足を取られる。神官は剣士の祖霊から受け取った託宣を彼に授け、罠のよけ方を教える。鍛冶屋は魔物たちの特性に応じた武器を鍛え上げては渡し、剣士は次々と魔物を撃破していく。そしてついに魔王の喉元へたどり着き、一騎打ちで彼女を下したことによって世界は平和を取り戻す。
しかし戦後、剣士は力を使い果たして急激に衰え、国中に讃えられながら息を引き取る。どうにか彼を救おうとしていた神官は万策尽きて死者の蘇生まで試み、その力を恐れられて他国へ追放されてしまう。友人たちを立て続けに失ったことで鍛冶屋は栄華とは裏腹に気を病んでいき、平和を取り戻したはずの国内では権力争いからの内戦が勃発。遠からず倒れるだろう愚王に、オーダーされた長剣ではなくちんけなナイフを献上して死を覚悟するシーンで物語は幕を閉じる。
「『けっ……剣士よ、父祖の託宣に従い船にて血の川を下れ! そうすれば魔王の罠を避けられよう!』」
飛び抜けて緊張しているイースレイ演じる神官が、小刻みに震えながら戦場へ剣士を送り出す。
「『この剣を持っていけ! 魔物のまとう炎さえ、この剣なら切り裂ける!』」
レオナルドがレプリカの剣をアイオンに手渡す。
二足歩行する黒山羊のような姿をした魔物のガワを公爵の使用人たちが動かし、炎を模した赤い旗を振り回す。
アイオンはひたすら覚えた通りのセリフと殺陣をなぞった。
集中しているせいか、観客たちのどよめきは遠くに聞こえ、思っていたより邪魔にならない。
斬り上げ、斬り下ろし、避け、踏み込む。
アイオンがなにかする度に観客から歓声が巻き起こるのが変な感じだった。「おいおいアレで無能なんて誰が言ったんだよ!」「こりゃ子どもを助けたって話も信憑性あるな!」「いいぞォ王子様ー!」と遠慮会釈のない庶民が口笛を鳴らし大騒ぎしているが、自分にそんな声が向けられていると思うと不思議だ。最近急激に環境が変わりすぎて、現実を受け止めるのに忙しい。
そうこうしているうちに、やがて剣士は魔王の根城へ突っ込んでいく。
「『不遜な剣士め、やっぱり来たわね! この魔王を倒すと豪語するのなら、それはすなわち世界の理を敵に回すということが分からないの!?』」
玉座から立ち上がったヘンリエッタが黒いドレスを翻し、いかにも挑発的な悪い笑顔を浮かべてアイオンの目の前で見得を切った。
悪役の演技中なのに、アイオンの大立ち回りを見ていた彼女の目はやっぱり嬉しそうだ。こいつはいつも、いつもそうだな。
アイオンが剣を構え直したとき、それまでまるで水の中にいるようにぼやけていた聴覚が急に戻ってきた。
「おぉ、ついにあの大魔女も年貢の納め時だぜ!」
「やれぇ王子様ー!」
「やっちまえー!」
このクライマックスに熱狂し、口々に叫ぶ観客たちは舞台上のヘンリエッタを「魔王」ではなく、いつの間にか「魔女」と呼んでいる。
「……」
やるならここだ。
アイオンは筋書き通り斬りつけられるつもりでいるヘンリエッタを見た。
彼女は突然目を瞠って動きを止めたアイオンを訝しみ、「? どしたの?」と小声で訊いてくる。
鋭敏になったアイオンの耳は、すでに出番を終えて舞台袖に紛れ込んだ貴族たちの「さぁ来たぞ殿下、兄君の仇討ちだ!」「及び腰の陛下に代わって、やりたい放題の魔女に一度みじめな思いをさせてやるべきだわ!」「殿下早く、早くやってっ!」という浮かれたささめき声を捉えていた。リハーサルの前、「舞台上で死に顔を晒す役を喜んでするなんて、素晴らしく下民らしいわ」とヘンリエッタに言い捨てていった女もいる。
固唾を呑んでいる観客たちも、無言のうちに繰り返し訴えかけてくる。やれ、やっちまえ、打ち負かせと心を一つにして。
うるせぇ、誰がやるかよそんなこと。
アイオンはおもむろに握っていた剣をその場に放り捨てた。がらんと本物ではあり得ない軽い音が立ち、ヘンリエッタが「えっ」と目を丸くする。観客たちも虚を衝かれて固まっている。
「……『そうだな。こんな魔窟くんだりまで来たのはいいんだが、こんなこと俺はやりたくてやってたわけじゃねぇ』」
思いつくままに台本にないセリフを話し出すアイオンに、いよいよヘンリエッタがえっえっと眼を白黒させた。珍しく完全に面食らっている。おーおー悪くないぜそういう顔。
剣を手放したばかりの手を魔王様に差し伸べる。
「『元の友達に戻れないか? 辺境に落ち延びて誰にも迷惑かけずに細々暮らすなら、他の連中も文句は言わねぇはずだ』」
「……え、な……」
役柄じゃない素の調子で飄然と言われ、ヘンリエッタは困惑している。
元の神話を知っている観客たちも戸惑って顔を見合わせているし、鬱陶しい貴族たちとは逆側の袖で出番を待機しているイースレイとレオナルドもさぞ動揺しているだろう。
「『俺と一緒に逃げてくれ』」
「…………」
ヘンリエッタの灰色の大きな瞳が見開かれる。
ほんの一瞬、劇場内は水を打ったように静かになった。どうしてだかはアイオンには関係ないことだ。
衆人環視の大舞台でいきなりアドリブに振り回され、息をするのすら忘れているようだったヘンリエッタだが、不意にくすくすと笑い出した。素と変わらないにこにこ顔でアイオンを見返し、台本にないセリフを返す。
「『……ずいぶん昔のことを覚えてるのね。危険を冒し数々の試練を乗り越えて、そんなことを言いに来たの? 私と決着をつけるんじゃなく?』」
どうにか話のつじつまを合わせようとしているらしい。魔女ってのはまったく親切だ。
アイオンはひとまず彼女に乗っておく。
「『そーだよ。斬りつけるのも嫌なんだ。悪いか?』」
「『逃げたとしても、私のせいで大切なものを失った人たちが放っておいてくれるわけないでしょう。私の力に価値を見いだしている人たちもね。ここで勝とうが負けようが英雄になれるはずだったあなたの名も地に墜ちる。それに、私と本気で斬り結んで力を試したくはないの? あの働き者の鍛冶屋にもらった剣も哀れなことね』」
「『あいつにとってもお前は友達だった。多少の涙は呑んでくれるだろ』」
適当にうそぶくと、ヘンリエッタは少し考え込むように間を置いた。
さてどう出てくるかね。彼女には、アイオンのセリフを一笑に付して魔王と剣士の対立という構図に戻し、予定通りの殺陣に移らせる選択肢だってある。というか、それが一番楽だろう。
アイオンがちょっと冒険してみたところで、結末は変わらないかもしれない。最期に退治される役回りだろうが観客や貴族どもがやっちまえやっちまえとはやし立てていようが、本人はちっとも堪えてない様子だし、アイオンがなにをそんなにこだわっているのか察せてもいないだろう。
……剣を取れと殺陣の続行を迫られるかもな。
そう予想していたのに、結局ヘンリエッタはそうしなかった。しょうがないなという雰囲気の苦笑をこぼし、
「『……いいわ、私に人類随一の実力者であるあなたがそのつもりなら、もはやこの世に敵はなし。どのみち世界は私のものだわ。わざわざ自分から魔王のオモチャになりに来た可哀想な旧友に、少しだけつき合ってあげましょう』」
細い手がアイオンの手を控えめに握り返す。傲岸不遜な魔王様には似つかわしくない戸惑いがちな動きだ。流暢にアドリブのセリフを喋る一方、こっちは役柄に沿った演技というより彼女の素から出た仕草だとすぐ分かった。
――行動の意図が読めなくても君のやりたいことなら信じて任せるよと、灰色の眼が言っている。
「『君が選んだ結末なんだから、そうそうへこたれないでよね?』」
「……、『あぁ。もちろん』」
期待外れの軟着陸に困惑の声とまばらな拍手があがる中、アイオンは構わずヘンリエッタの手を引いて退場した。
幸い、それまでのアクションパートで寄付金は充分集まっていたらしい。二階部分の特別席で観覧していた公爵はこの筋書きの変更を責めず、「むしろこの結末のほうが私は気に入りましたよ! 最高でした!」と手放しで絶賛してくれた。エピローグ部分の出番が丸々なくなったイースレイとレオナルドさえもアイオンのことを怒ってこなかった。ただ「そこふたりに関しては、絶対なにかしらやらかすと思ってたから」としみじみ言われた。特にレオナルドの視線が妙に生暖かいのが気に掛かる。
だがまぁ、それもすぐに気にならなくなった。
アイオンにとって、今回のアマチュア演劇は人生で初めて「計画通り、大成功」と言い切れるものになったから。
こうして南部行政監督庁初のチャリティーウィークは、世間のアイオンのイメージに「実は有能だけど型破りであまのじゃく」という一文を上書きして幕を閉じた。




