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追慕の森に向かったヘンリエッタとレオナルドは宣言通り魔力異常をさっくり解決して戻ってきた。分かっちゃいたが手際が良い。ふたりの口ぶりからするに少々珍しいトラブルに見舞われたらしいが、大魔女と名門アルトベリ家の魔術師という取り合わせで問題が起こるわけがない、ということらしい。
アイオンとしては、「いやトラブル自体はあったんじゃねーか」と醒めた気分だ。出がけに方便まで使って引き留めたこっちの気も知らないで、あのおしゃべり女は自分が超マッシブな女傑にでも見えてんのかと疑りたくもなる。
フェザーストーン公爵は「さすが大魔女と名門アルトベリ家の魔術師殿だ!」と大喜びでふたりに感謝し、財力にもマンパワーにも乏しい南部行政監督庁のイベント参加を最大限サポートすると約束してくれたので、一行は領主館の客室のうち、アイオンに与えられた部屋の居間に集合してチャリティーイベントで何の出し物をするか話し合うことにした。
「大前提として、チャリティーイベントであるからには実用の範囲を超えて高級感のあるものはイベントの趣旨に照らしてそぐわない。よって、バザーで売る品物にしてもアマチュア演奏会や演劇で使う衣装にしても内容には節度と配慮が必要だ」
進行と書記を買って出たイースレイが公爵から聞いていた注意点をそらんじる。
つまりチャリティーウィーク中は公爵に招待された貴族たちも清貧を心がけなくちゃいけないらしい。金に飽かせた高級品のばらまきや、豪華絢爛な演奏会・演劇会の開催は自分たちの財力を見せつけたいだけの下品な行為とみなされる。
「俺たちの場合そんな心配はいらねーけどな。元手が足りなすぎるから」
とレオナルドが苦笑する。指折り数えながら、
「バザーは売るもんがないからダメだろ? 演奏会はー……俺ピアノならできる!」
ぱっと他の三人を振り返ったレオナルドだが、三者三様の真顔を見て意気消沈した。
「……俺もソロコンサートは無理だわ」
「殿下くらいしか出来ないよね~そっち系は」
「……」
ほとんど無意識だろう、いつものごとく大好きなハイラントのプチ情報を聞いてもないのに引き合いに出してくるヘンリエッタの言葉に、アイオンは静かに驚いた。あの兄、あれで芸術家肌に育ってたのか。
「演奏会も却下、と」
イースレイが淡々とメモに書き込む。
「こうなるとやれるのはアマチュア演劇くらいかもねぇ」
とヘンリエッタが思案げに細い顎に手を当てる。その花顔がまたなにか企んでいるように見えるのは、アイオンの気のせいだろうか。まぁ気のせいでもそうでなくても、疲れるだけだからここでわざわざ突っ込みゃしねぇけど。
「フェザーストーン公爵は若い頃王宮のアマチュア演劇サークルに入ってたって聞いたことあるし、その頃あった演目に限れば衣装やセットを借りられるんじゃないかな」
「ふむ。いま流行りの演目をやれないのは集客的に痛いが、それが一番現実的か」
「劇場を貸し切る関係上、確か演劇の部はチャリティーウィークの最終盤の予定だったしなっ。練習する時間も最低限は確保できそう」
「んじゃ俺は裏方で」
正直どの出し物にも気乗りしなくて黙って話を聞いていたアイオンは、ここでやっとくちばしを挟んだ。どれに決まろうが、最初からこの主張で切り抜けるつもりでいたのだ。
三対の視線がえっとこちらを振り返るがしらばっくれて続ける。
「楽器もそうだが演劇なんかやったことねーし、そういう目立つの嫌いなんだよ」
「だーめ!」
やっぱりと言うべきか、ヘンリエッタが真っ先に困り顔で立てた人差し指を突きつけてきた。
「アイちゃんは力仕事が得意だから裏方に回るのは合理的だし、目立ちたくない気持ちは分かるけど、今回は我慢して!」
アイオンはしかめ面を作って半身を引き、彼女の人差し指から逃れる。
「なんでだよ?」
アイオンの拗ねたような問いかけにヘンリエッタはにっこりと笑う。
「そりゃもちろん、私とアイちゃんが集客のカギだからに決まってるでしょ?」
「あ?」
「流行りの演目ができない不利は、王子様と大魔女っていう豪華キャストで帳消しにする! これぞどこより強烈な客寄せよ!」
南部での私たちの評判は上々だし客入りはこれでバッチリでしょ~とヘンリエッタは得意げに胸を張る。冗談じゃねぇ、俺たちは珍獣か何かかよ。
「バカ言うな、ふたりして物笑いの種になるだけだろうが。人が大勢集まったところで嘲笑う対象に金を落とすか? ハナから相手にされねぇよ。骨折り損だな」
アイオンはそう一笑に付した。
まったく、ハイラントと会えずじまいになって、一瞬取り繕うのも間に合わずひどく傷ついた顔を見せたくせに、なにもかもサボって惰性で生きるってことがつくづく出来ないヤツだ。
この魔女も貴族社会に敵が多い。ファザーストーン公爵に招待されている貴族たちの中にだって隙あらば彼女を笑いものにしようとする連中がいるかもしれない。なのに客寄せ目的でステージに立つなんて火中の栗を拾うようなもんだろう。
確かに見た目元気そうに振る舞っちゃいるが、こんな集まりに出たらまたぞろ嫌な思いをする羽目になるんじゃないのか?
しかし消極的なアイオンに慣れっこのヘンリエッタはにこにこ顔で押してくる。こいつ、やっぱりなにか企んでるな。
「南部行政監督庁の評判がめきめき改善されてきてる今、笑われるばっかで終わりゃしないわよ! それに寄付金がかかってるんだよ? 公爵は信頼できる方みたいだし、私たちがちょーっと劇をやるだけでたくさんの人の暮らしが間違いなく改善される。こんな楽なお仕事ないよ?」
「……、だ」
「あ、もちろん『だったら木の役で』とかいう常套句は受け付けませーん」
くそ、先手を打たれた。
口の中で舌打ちしかけたとき、またやってるなと呆れ顔でアイオンとヘンリエッタのやりとりを見守っていたイースレイがすかさず、
「なにも君たちふたりだけにやらせるわけじゃない。舞台にあがるのは俺たちも一緒だ。今回は全員で恥をかくのが仕事なわけだな。だが、これで寄付金を集められれば南部行政監督庁の名声はさらに上がるだろう……出世の道にはこういう経験はつきものだ」
「おう、まぁ出世は別としてもやりがいあるよなっ」
出世の鬼モードに入ったイースレイの扱いにそろそろ手慣れてきたレオナルドがさらっとスルーして声を励ます。
「今すぐ公爵にありったけ台本借りてきてさ、みんなで演目選ぼうぜ! 俺アマチュア演劇は初めてだ~。結構楽しみになってきたかも」
「……マジで演劇でいくのかよ……」
「夜には招待客を集めて前夜祭代わりのちょっとした舞踏会があるそうだし、それまでの空き時間を有効活用しよう。とにかく時間が惜しい」
「あー舞踏会……」
そういえば挨拶したときに公爵がそんなようなこと言ってたか。公爵側はもてなしの一環として企画したんだろうが余計な世話すぎる。向こうの顔を立てつつ内容は質素になんて現実的に両立し得るもんなのか?
めんどくさいイベントが続々畳みかけてきてアイオンの気力は枯渇寸前だ。上の空で復唱しながら魂が抜けかける。
◆
フェザーストーン公爵に借りた台本の数々に目を通しながら、「この話をやるにはメインキャストの数が足りない」だの「この本は全キャラよく喋るせいでセリフ量が多すぎるから嫌だ」だのあーでもないこーでもないと会議しているうちにディナーの時間が近づいてきた。
いつの間にか台本の吟味に集中していた四人は、客間メイドに急かされて大慌てで身支度を整える。
チャリティーウィーク中はその趣旨に照らして貴人であろうと盛装は禁止だ。
衣装は地味なデザインで動きやすく安価なものを着なくてはいけないし、本物の宝石や貴金属を身につけてもいけない。ディナーにしても、酒こそ振る舞われるがメインは肉料理ではなく魚や野菜、乳製品、果物を使った料理だ。
舞踏会は公開チケット式だった。
寄付金集めのチャリティーイベントとしての舞踏会では入場チケットが販売され、それを入手できた人が参加できる。ヘンリエッタたちのように公爵から直々に招待された人々だけでなく、広く寄付金を募るのに適した方式だ。
日没後、ヘンリエッタよりかなり短い時間で身支度を終えた男性陣三人は先にこの領主館の舞踏室へ行ってしまったので、ヘンリエッタは後から彼らを追いかけた。舞踏会ってあんまり好きじゃないんだけど、今回に限ってはむしろ楽しみなくらい。
るんるんと軽い足取りで舞踏室へ到着すると、きらきら目に痛い輝きが視界に飛び込んできた。
鏡のように磨き上げられた床には参加者たちのドレスとシャンデリアの光が反射し、楽団の奏でる優雅な音楽と談笑する人々のくすくす笑いが空気を震わせる。比較的ラフで質素であることがこの舞踏会のコンセプトのはずだけど、充分すぎるほどゴージャスだ。
舞踏会では最も高貴なゲストが到着するまで参加者たちは踊り始めちゃいけない決まりだが、今回それに当たるのは第二王子のアイオンなので、皆すでにダンスを始めている。
さてアイちゃんは誰かと踊ってるかな? と好奇心に目を輝かせて会場を見回したヘンリエッタだが、アイオンがいたのは目立たない壁際だった。
壁の花上等とばかりにしらっとした顔で、シダのような観葉植物に隠れるようにして隣のフェザーストーン公爵となにやら話し込んでいる。ぶ、舞踏会なのに壁際で主催者とおしゃべりしてるなんて……。
そのとき、舞踏室の入り口で涙ぐみそうになっていたヘンリエッタに、アイオンが気づいた。
彼は公爵に一言断ってからすたすたとまっすぐこちらへやってきて、
「遅ぇよ」
と開口一番文句をつけてきた。
「レディは色々準備が大変なの! アイちゃんこそダンスもしないで何のらくらやってんの。ダンスのお誘いを申し込めるのは男の人だけなんだから、アイちゃんに好意的な女の子がいてもあっちからは誘えないんだよ。ちゃーんと自信持って察してあげて、アイちゃんからお誘いをかけなきゃ始まんないよ! ちらちら見てきたり微笑みかけてきた子とかいなかったの?」
「知らねー。よく見てねぇ、し……」
ぷりぷりするヘンリエッタをいつも通りあしらおうとして、アイオンは急に口ごもった。公爵の厚意に甘えて借りたレモンイエローのシンプルなドレスの胸元を、彼が買い与えた鳥と花の意匠に赤いガラス玉のペンダントが飾っていることに遅れて気づいたからだ。
固まってしまったアイオンを見て、ヘンリエッタはにまっと笑う。
「あ、気づいた?」
「……なんでそんなもん付けてきた? 貴族どもが大集合してる公爵家の舞踏会だぞ。笑いもんになる前に早く外せ」
「外す必要ないでしょ。チャリティー目的の舞踏会に本物の宝石で着飾ってきてる人なんていないよ? みんなイミテーションのアクセサリーで代用してるんだから、私も一番のお気に入りを付けてきただけ~」
「お前なぁ……」
アイオンはもう一言二言は言い返したかったようだが、ヘンリエッタの口の減らなさは分かっているので勢いはあっという間にしぼんでしまった。はぁ、と溜め息をひとつこぼすことで見切りをつけたのか、焦りを引っ込めて呆れ顔を作る。
「最初っからこうするつもりだったから妙にウキウキしてたのかよ。俺の鼻を明かしてやるつもりで?」
ヘンリエッタはその問いかけには答えず、満足げに笑ってドレスの裾を翻す。
「堂々とみんなに見せびらかすつもりで、だよ! だいいち私はアイちゃんが気にするから仕方なく普段は隠してるだけで、いつだって自慢して回りたいんだから! 優良物件のレオとコネ欲しさのイースレイはもうダンスの真っ最中かな? アイちゃんもふたりを見習って壁の花はほどほどにしとくんだよ。んじゃ私もさっそく行ってきま、」
軽やかな足取りで飛び出していこうとしたヘンリエッタだが、同時に腕を引かれてつんのめった。
えっと振り返ると、腕を掴んでいるのはアイオンだ。
「? え、なに?」
自分で掴んできたくせにアイオンははっとした顔になり、自分で自分の行動が不可解だとでもいうようにぎこちない動きで手を離した。
このひねくれ者の弟くんが少しでも自己主張を見せたんだから、もちろんヘンリエッタは無視なんかできない。腕を解放されてもその場に留まり、首を傾げる。なんだろ、そんなに食い下がるほどペンダント外させたいとか……? いや何を言われても絶対外さないけど。
「どうし……、あっ」
「?」
言葉の途中でもっとありそうな可能性に気づき、ヘンリエッタは両手を打ち合わせた。
アイオンが少し気まずげに、怪訝そうにこちらを見る。
「そっかそうだよね、まずアイちゃんと踊らなきゃ! せっかく一緒に来てるんだもんね!」
それで引き留めるなんてかわいいとこあるじゃない~! とにこにこするヘンリエッタに、アイオンは一瞬目を丸くしてからものすご~く複雑そうな顔になる。
「……、まぁ……、その辺の馬の骨と踊るよりゃ、お前も兄貴に義理立てできるってとこもある、だろ……」
「んん、舞踏会で適当に代わる代わる踊るのは割と普通だけどねぇ、男女比偏りがちだし。でも確かにアイちゃんの言うことにも一理あるか。ちなみにダンスの腕前は?」
「こんなもん一度見たら覚える。壁にへばりつくのをやめんのはこれが初めてだが」
「そうなの? もったいないことしてきたねぇ」
アイオンはそっけなく言うけれど、それって運動神経の良さに物を言わせた希有なスキルだと思う。
それにしてもイースレイから贈られた服を受け取るのかと難色を示したことといい、彼は意外とその辺潔癖らしい。
納得したヘンリエッタは改めて片手をひらめかせた。
「じゃあ、はい。練習と思ってお誘いしてよ、アイちゃん?」
「……」
アイオンはふんと鼻を鳴らし、吹っ切れたような投げやりなような微妙な顔でもったいつけて軽く腰を折り、ヘンリエッタに手を差し出す。
「オレトオドッテクレマセンカ」
「……うーん三十点」
でもこれがアイちゃんだよなぁ。いいよ、とヘンリエッタは柔らかく苦笑して彼の手を取った。珍しくあからさまな安堵を浮かべた紫色の目がほんの一瞬細まって、また元に戻る。
舞踏室の中心からは大きくはずれた隅っこでふたりは音楽に合わせてワルツを踊った。
実際アイオンの腕前は必要充分どころか見よう見まねとしては破格のうまさで、ヘンリエッタは「うわアイちゃんすごいすごい! ホントにうまい!」と驚いてはしゃぐ。
アイオンは「ホントにってなんだよ」とむくれて見せたが、所作からこっちを気遣ってくれているのが丸わかりだ。
ただやっぱり、楽団の演奏の隙間から聞こえよがしな陰口が耳に忍び込んではくる。「ほらあそこ、早くも第二王子に乗り換えたという噂は真実だったようだ」とか、「我々を平民なんぞと同席させるとは、フェザーストーン公爵閣下は慈悲の心が行き過ぎて道理が分からなくなられたのか。女王陛下もいつまでアレをのさばらせておくつもりなのやら……」とか、「衛兵はどこ? 少なすぎるわ、こんな警備体制であの魔女から私たちを守れると思っているの?」とか、毎度変わり映えしないよくある貴族の言い草だ。
また別の口は「南部に追いやられてようやく多少の手柄を挙げ始めたということは、第二王子殿下はやはり高貴な王都には収まらぬ器だったということですな」とか、「本当に容姿に限れば王配殿下と瓜二つですわねぇ」とか、「ひとりではなにも出来ないからと魔女の力に頼るのはさすが己を知っていらっしゃる」とかささめきあって笑っている。
はぁ~相も変わらずみんな元気でなによりだねぇ。
自分はまったくノーダメージなので、ヘンリエッタはアイオンの顔色のほうをちらと上目でうかがう。
するとアイオンはアイオンでヘンリエッタの様子を探っていたようで、視線がかち合った。
内心であっと思ったヘンリエッタに、アイオンは思いの外落ち着いた態度で口を開く。
「案の定笑われてるが、俺は『このままでいい』んだろ? そう言ったお前が気にしてんなよ」
アイオンが引用したのは、クレア・ザクスビーの屋敷からの帰り道、ヘンリエッタが彼に言った言葉だった。
ヘンリエッタはぱちりと目を瞬き、嬉しそうに笑って頷く。
「そーね、せっかく楽しい時間なのに気にしてやることないね! 分かってるなぁアイちゃん」
「分かったらしっかりステップな」
少し遅れてるぞ、とアイオンが飄然と言う。本当に気にしていない様子にほっとする。
王宮に来てから猛勉強した甲斐あって、ヘンリエッタはアイオンの完璧なステップについていくことができた。
でもなんか、さっきからアイちゃんと全然視線が合わないような……?
ダンスなんて軽薄なものに本来労力を費やしたくないのにっていう不満の表れなのかな。
不思議そうに彼の整った顔を見上げていると、やがてさっきまでとは違う人々の声がかすかに聞こえてくる。
「驚いたな、第二王子殿下がこれほどのダンスの名手だったなんて!」
「この南部に来てから殿下のご活躍は目覚ましい。これまでその才覚を披露する機会に恵まれず、歯がゆかったことだろうなぁ……」
「踊っている相手はヘンリエッタ・ブラウト? ……女、しかも平民であろうと、能力があればきちんと遇する方なのね。私も殿下のような方のもとで夢見た仕事に励めればどんなにいいでしょう」
「まぁ、あなたってばうっとりしちゃって。一緒に近くへ行きましょう、次のダンスの相手をきっと申し込まれるわ! 私たちが一刻も早く殿下をあの化け物から解放してさしあげるべきよ!」
――そうでしょうそうでしょう、アイちゃんはとっても素敵な子なんだから。みんなも女王陛下も気づくのが遅いんだよ。
「……っとに、他人はいつも勝手なことばっか言いやがる……」
いつしか夢中で聞き耳を立てながらにやけっぱなしになっていたヘンリエッタに、唐突にアイオンがそんな呟きを落としてくる。
目を瞬いてぱっと彼を振り仰ぐと、喜ぶどころか不機嫌そうに眉間に皺を寄せていた。気にしないって言ったのは彼なのに、いったいなにが気に障ったんだろう?
踊り始めてから初めて紫色の両眼がこちらをひたと見る。
「なぁ婚約者以外とのダンスはもう満腹だろ。この辺でどっか引っ込むぞ」
「え? ヤダよ何で……」
「いいから」
◆
突然翻意したアイオンに手を引っ張られ、仕方なく壁際に戻ってきたヘンリエッタを、使用人にこまごました指示を申しつけていたフェザーストーン公爵が振り返った。彼はほんのかすかに焦りの混じる笑みを浮かべ、「よければ喫茶室で冷たいものでもどうですか?」と場の空気を誤魔化すように促した。
「なんで引っ込むのよ? なに言われても気にしないって一緒に決めたばっかりなのにさ~……」
ひどいよ、こんなの裏切りだ。ぜんぜん満腹じゃないし。
広い舞踏室を横切って移動するとき、無数の不躾な視線に全身を刺されながらヘンリエッタは名残惜しさと悔しさと腹立たしさを訴えるべく「ここからがお楽しみってときに退場なんて」とうだうだ文句を言うが、アイオンにはちっともこたえた風がない。
「あのまま残ってれば間違いなくアイちゃんと踊りたいレディたちが列を成してたんだよ!? お友達もいっぱいできただろうし! どこもかしこもバラ色の未来!」
「しつけーな。邪魔してきそうなヤツらの数のほうが圧倒的に多かっただろうが。そんな中で、お前も俺もどうでもいい相手ととっかえひっかえ踊り続けることの何がバラ色……」
「お、おふたりとも喧嘩はもういいじゃないですか。ダンス、とても素晴らしかったですよ!」
何食わぬ顔で聞き流していたアイオンも言い返し始めた頃合いで、公爵が困り顔で止めに入った。これにはさすがにぴたりと口を閉ざすしかない。
生まれてから怒りを見せたことがないと噂の公爵はふうと疲れた息を吐き、
「……集める人数と挙がる成果は比例するはずという私の考えが安易でした。公爵家との縁を求めて接近してきた者だろうが、困窮者の力になりたいという志さえあれば構わない、金に名前は記せないのだからと割り切って招待客以外にもチケット制を導入していましたが、もっと人を選ばなくては。非礼を働いた彼らに代わり、お詫び致します」
「い、いえ私たちのことならそんな……」
「別に……」
ヘンリエッタとアイオンは予想外の公爵のくたびれっぷりに慌てて首を横に振る。参加者が誰を腐してなにを噂していようが、公爵が謝る必要はどこにもない。主催者だからってそんなことまでコントロールできるわけがないし、そうする義務もない。
しかし公爵の気は晴れないようで、声には張りがないままだ。
「ただ自分たちに箔を付け、貴族でない者を見下して連帯感を得ることしか考えていない人々が慈悲を出し渋らないわけがありません。昔……それこそツィドス陛下の御代は相続が繰り返されて家の痩せ細った貴族も今ほどはおらず、寄付金もずっと集まりが良かったのですが、昔を懐かしんでも仕方ありませんね」
「……」
どうも今回のチャリティーウィークの寄付金の雲行きはかなり怪しいらしい。
そういえば、舞踏室でもカゴを携えたボーイたちが歩き回り、街道騎士団の小切手での寄付を募っていたけれど、応じていた人はごく少なかった。善意の寄付を強制することは不可能なので、極論、全員に課されるのはこの舞踏会に参加するためのチケット代だけで、あとは寄付金を支払わなくてものらくらと人垣に紛れていれば乗り切れてしまうわけだ。
そりゃ伯爵も疲れちゃうよ。
朝食室を舞踏会のあいだだけ転用した喫茶室に入ると、踊り疲れ、お菓子やレモネードをお供に座って会話を楽しんでいた先客たちがほぼ同時にこちらを見た。
怯えと侮蔑だらけの大量の視線がヘンリエッタを舐めて、それから公爵に移り、はっとなる。
「これは公爵……ご機嫌麗しゅう」
とかなんとか口々に言い、ヘンリエッタの思った通りベンチやソファから立ち上がって礼をする。
そこは公爵以前に王子様のアイオンを見たときにそうしなさいよと思うけど、分かりやすすぎて逆に困らないな。
ヘンリエッタは公爵が口を開く前にしゅばっと前に出る。
「どうも~今年初参加の南部行政監督庁です~!」
「…………」
公爵とアイオンの目が見開かれる前で、先客たちの顔が不愉快そうに歪む。
と思うと、
「平民が公爵閣下のお言葉を遮るなど何を考えているんだ? 大魔女様は少し見ない間にまた身の程知らずに磨きが掛かっているじゃないか」
「王太子殿下のところをめでたくお払い箱になったと思ったら、今度はアイオン殿下と行政監督庁の名を笠に着ているのね。わきまえなさい、下民が! チケット代をどこから盗んだの!?」
はいはい、元気なのはいいけど今は口を叩くよりお金をはたいてほしいんだよね。ていうかこっちは仮にも公爵じきじきに招待された枠なのに、悪口言いたさで誰の顔に泥塗ってるのか分かんなくなってるでしょ。
隣のアイオンの表情が無表情からじわじわと、しかし確実に険を増していく。君がムカつかなくてもいいのに、ほんとに優しいね。
雨あられとぶつけられる罵詈雑言には反応せず、にこにこ顔でヘンリエッタは声を張る。
「あぁみなさん私のことはお構いなく。ここへはただの雑用で公爵閣下にお供しただけなんで!」
言いながら近くに立っていたボーイを引き寄せ、さっき喫茶室の入り口近くの三脚のテーブルに設置してあったのをくすねてきた、白紙の小切手の束と羽ペンの刺さったインク壺を掲げる。ボーイくんは困惑したり突然の大魔女にビビったりと忙しそうだけど今は耐えてもらおう。
「舞踏会が始まってしばらく、喫茶室に移動する人が増えてきてこちらのボーイくんひとりじゃちょっと手が回らないだろうと公爵が心配なさって、私がいっときお手伝いを仰せつかったんです! というわけでこれから私とボーイくんが手分けして順番にそちらを回りますから、寄付をお申し出くださる方はどうぞ、そのまま立っていていただけると分かりやすくて助かります!」
え、と一同に動揺が走った。ヘンリエッタは気づかないふりで続ける。
「舞踏室ですでに寄付された後だったり、寄付のご意志がない場合はその場にご着席ください! では行きまーす!」
目を白黒させているボーイの背を押し、強引に出動させてからヘンリエッタも足を踏み出した。
全員が起立した状態で支払いたくない人だけ、しかも王子様と公爵閣下の御前で堂々と腰を下ろせと言われて、すぐさまそう出来る面の皮の厚い輩はさすがにいない。
周囲の反応をうかがいながら意を決せないで立ちっぱなしになっている間に、ボーイくんとふたりで逆方向から挟み撃ちするように素早く順番に回っていけば押し切れる。
みんな私にしっかりビビってるしね。
「――はいっ、これで回り終えましたかね? みなさんご協力ありがとうございました~!」
十数分後には記入済みの小切手がばっちり集まった。
嵐のような為す術もない展開に呆然と立ち尽くしている一同に礼をして、「返すね」とヘンリエッタはボーイに小切手とペンとインクを返却するが、彼もまた絶句していた。
目論見はうまくいったけど、この喫茶室でゆっくりするのは無理だなぁ。
アイオンを振り返って手招き、
「じゃあ私たちはこれで!」
と廊下へとんぼ返りする。あの硬直っぷりじゃ、喫茶室の中がざわざわとうるさくなるにはもう少し時間がかかるだろう。
「……、ふっ……」
おとなしくついてきたアイオンが耐えきれないというように噴き出し、くつくつと腹を押さえて低く笑い出す。
「くっ、くくく……お前、借金取りだろあの退路の断ち方は!」
「ふん、お金は集まったんだからいーのっ。レモネードこそ飲み損ねたけど掛け値無しの大勝利だよ!」
えっへんと満足げに胸を張るヘンリエッタに、まだ笑いの収まりきらないアイオンが「募金活動に勝ち負けなんかあったっけか?」と茶々を入れる。ないけど今回に限り勝ち負けアリなんだよ。
そこへ公爵がやっと我に返って追いかけてきて、「ヘ、ヘンリエッタ様~……!」と青い目をうるむほどに輝かせる。
「あなたという方は……! 魔力関係のみならず人心の操作にも長けておられるとは! さすがは王太子殿下が見初めたお方だ! 恐れ入りましたッ!!」
「ふふん、私にかかればあれくらいちょちょいのちょいですよ! でも公爵、とはいえあれでいいんですか?」
ほめられて嬉しくはあるけど、長年慈善事業に打ち込んできた公爵はほぼ脅しつけて出させたような寄付金にいい顔はしないかもと心配していたところだ。
まぁ集めるだけは集めたし、あとは公爵が気に入らないなら小切手を破棄なりなんなりしてしてくれればいい。どう見ても私が公爵の威を借りて独断でやったことだから、彼がみんなに謝る羽目にはならずに済むだろう。
念のため訊ねたヘンリエッタに、公爵がふと暗い笑いをこぼす。
「ええ、構うものですか……正直、私の顔色と手元の小切手を顔面蒼白で交互に見ている彼らの姿には心底胸がすきましたよ。あの金でどれほどの人の暮らしが救われることか。慈善活動の場に私のつまらないプライドうんぬんなど持ち込むべきじゃありません」
「そうですか? 余計な真似ってわけじゃないなら良かったです」
と言ってしまったのが失敗だった。
ヘンリエッタが連中をやり込めたことに本気でスカッとしたらしい公爵は、「余計な真似なんてとんでもない!」と猛然とかぶりを振り、彼の感激屋の一面を存分に発揮しだした。
「あのー公爵、先にあなたに恩義を受けたのは私たち行政監督庁のほうなんだから、そんなに感動なさることないですよ~? そもそもさっきのは私のストレス発散でもあったんで~……」
ヘンリエッタはいつものにこにこ顔をわずかに引きつらせる。
日頃「国を挙げて甘やかされるべき女」を自称してはいるが、ドラクマン程度ならまだしもマディなどのように、個人的に過度に信奉されるのはめんどくさい。なのに公爵は別に命を救われたわけでもない、あれっぽっちの溜飲を下げたくらいでヘンリエッタに対してこうまでヒートアップしている。ちょっと素直すぎない?
「なんだ。俺よりお前に『お友達』が出来るほうが早かったな」
「なんでそんな嬉しそうなの!」
やけににやにやしているアイオンに横合いからからかわれ、ヘンリエッタはむっとそちらを睨んだ。




