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冷たい檻

 レオナルドはヘンリエッタたちにできる限り厚着するように言い、池の裏手へと皆を先導した。

 雲に遮られた月光が鈍い光で懸命に闇を中和している。池の裏には木々に囲まれた土盛りがあり、その丘の斜面に鉄扉が作り付けられている。この独特の構造を見るにここは氷室のようだ。なるほどね、氷室を調べるなら防寒は必須だ。

「この氷室、古びてて今は使われてないみたいだし、生い茂る木々のおかげで見通しも悪い。人を隠しとくにはうってつけだろ?」

 レオナルドが得意げに言う。

 氷室は一年間氷を保存する施設で、氷を張る池や湖、川などの近くに作られることがほとんどだ。深い穴に冬に運び入れられた氷は粘度と木炭とレンガでそれぞれ作られた三層の壁と湿気を逃す通気口によって冷えたまま保たれ、溶け出した水分は濾されて下部の排水溝から外へ排出される。

 四人が鉄扉のほうへ近づいていくと、木陰から人影が飛び出してきた。

「!」

 全員反応こそ間に合ったものの、単純な身体能力の差で我先に対処したのはアイオンだった。少ない手数であっさりその中年男を制圧し、手斧を奪って膝で背に体重を掛け、さらに落ち葉の積もった地面に押さえつける。や、やっぱすごいな~この子……。

「アイオン~! 王子様が前に出んなってぇ!」

 青ざめたレオナルドが抗議するが、アイオンは素知らぬ顔で黙殺する。

 そろそろアイオンのそういうマイペースさに驚かなくなってきているイースレイが、苦悶する男をさっと検分して、

「この男、確かこの家の庭師だ。見張りがいたということは当たりか」

「だ、旦那様の……旦那様の邪魔をする者は殺すっ、殺すぅううっ……!」

 身をよじり、無理に首を回してこちらを射殺さんばかりにねめつける男の様子にヘンリエッタとレオナルドはあっと気づいた。

「よく見てみたら、こいつ操心術をかけられてるぞ! チーブル伯爵の仕業だな……あのおっさんがここまで恥知らずとは」

「ソーシンジュツ?」

 アイオンがすっとぼけた調子で復唱し、男の背に膝を入れたままヘンリエッタに説明を求める。はいはい、今やろうと思ってたとこだよ。

「人の精神に干渉する魔術の一種のことね。たちが悪いことに本人の意志をある程度残した状態にするほうが難易度高くて、腕と知識のある魔術師にはこうやって一時的に自我をまるきり上書きして完全に服従させるくらいならできちゃうの。やったのはチーブル伯爵で間違いないだろうね」

 なんだそりゃ、とアイオンが顔をしかめる。

「そんなもんがあるなら、この世はとっくに独裁者と狂人がリレー繋ぐだけのつまんねぇ世界になってるはずだろ」

「操心術があくまで『一時的』なものだからそうならずに済んでるんだよ。個々人に備わってる魂は、いっとき上書きできてもそうそう命を奪わずに消し去ったり抜き取ったりできるような弱っちいものじゃないらしいから」

 それこそこの辺の理屈はヘレネー司教率いる「髑髏の聖痕」などの南部祖霊信仰が詳しい。ヘンリエッタには宮廷で教わった知識以上のことは語れないので今は省略しておく。

「欠陥は他にもある。宮廷で高度な魔術教育を受けることでしか学べないし、相手に少しでも魔力があれば抵抗されちゃうしね。しかもこの術を使うこと自体古来とんでもない恥とされて白眼視されてきたの。まーこんなの、『正攻法じゃあなたを従えられません』って自分の実力と魅力のなさを吹聴してるも同然の下劣な術だからね?」

「だから『恥知らず』か……」

 一通り理解できたアイオンはくだらなそうにふんと鼻を鳴らす。チーブル伯爵恐るるに足らず、と今ので見切りを付けたんだろう。

「ったく、自分の使用人すら心を操らないと従えられねーなんて前代未聞だぜ。待ってな、いま魔術を解いてやる」

 レオナルドが憤慨しつつも精密に魔力を編み上げ、庭師の男にかけられた魔術を解いていく。やがて術が無効化されると男は忘我の境に入ったようになり、そのまま気絶した。塗り替えられていた自我が急に戻されたショックで魔力のない人間は意識を保っていられないのだ。


 その後も氷室に近づくにつれ数度見張りの襲撃があったものの、同じように取り押さえてはレオナルドが魔術を解いていった。気絶した使用人たちは後で回収することにしてその場に残してくるしかなかったが、冷えるといってもまだ浅い秋なので一夜でどうこうなることはないだろう。

 ようやくたどり着いた鉄扉を戒めていた鎖と南京錠もレオナルドが魔術で開錠してくれた。頼りになるなー。

 扉を押し開けるときんと音がしそうな冷気がヘンリエッタたちを包んだ。

 真っ暗だ。物音も聞こえない。

 それもそのはずで、氷室に繋がるトンネルの鉄扉はたいてい二枚構えになっている。

 アイオンがほんのわずか眉をひそめた。

 松明を灯し、奥へ進めば二枚目の鉄扉に突き当たった。これもレオナルドがさくっと開ける。

 その向こう側に歩みを進めたところでかすかな音が聞こえだした。……人の話し声だ。


 あーもー当たりも当たりかいっ。全員生きててくれればいいんだけど……。


「……離宮の地下に『カップケーキ穴』ってのがあるんだが、知ってるか?」

 隣のアイオンが声を潜め、唐突に訊ねてきた。

 えーとその、離宮のカップケーキ穴? ってのを今思い出したってこと?

「なにその可愛いワード? 知らないなぁ」

 素直に答えれば、アイオンは前を向いたままほんの些細なことを語るような口調で言う。

「昔、なんとかいう王様がいつでも大好きなカップケーキを食えるように、それを完璧な王様好みに作れる唯一の料理人を離宮の地下に幽閉したんだとよ。料理人は牢獄とさえ呼べない穴蔵で来る日も来る日も王様の望むままにカップケーキを作らされ、死ぬまで外には出られなかった。『カップケーキ穴』は料理人の遺体こそ片付けられたものの今でもそのまんま残されてて懲罰房代わりに使われてるが、妙なものを見たり聞いたりしたって話が後を絶たない、辛気くさい場所だ」

「……」

 うぇ、ぜんっぜん可愛い話なんかじゃなかった。

「離宮ってのはどんだけ闇なのよ……」

 げんなりするヘンリエッタをアイオンが一瞥し、肩をすくめる。

「この屋敷は離宮に似てる。無数の香水が混ざり合った匂いも目に痛ぇ色彩も、こんな穴蔵があるのもそっくりだ。どぎつい女もいるし……」

「うん。みんなを助けて、早く帰ろう」

 ヘンリエッタがにっこりと微笑むとアイオンは気だるげな目で見返してきたが、なにか気が済んだような顔になってまた前を向いた。

 アイオンがチーブル一家と対面したとき強烈な香水に顔をしかめていたことも、この氷室に入ってからどこか憮然としていることにも気づいてはいた。加えてこんな話をされたら、嫌でも不愉快な想像に結びついてしまう。

 ……まさかとは思うけど離宮の連中、幼いアイちゃんをそのカップケーキ穴とやらに押し込めたんじゃないでしょうね。


 氷室の半地下部分は本来冬に運び込まれた大量の雪と氷で満たされているものだが、ここに封じ込められているのは饐えたような土と生き物の匂いばかりだ。

 ヘンリエッタたちは自然と互いに目配せして慎重に進む。

 断熱層が一部くりぬかれて出入り口になっている部分で横穴は終わった。

 イースレイがかざした松明に、空気がざわついたのが分かる。

 灯りが持ち込まれたことで氷室の内部が明らかになり、ヘンリエッタたちは一時言葉を失った。

 雪と氷の代わりに敷き詰められた土に張られた寒々しい板の上には、三十人近い老若男女が身を寄せ合い、怯えと混乱もあらわにこちらを凝視していた。



 ヘンリエッタたちの推測通り、氷室に幽閉されていた彼らはチーブル家に仕える職人の一族だった。レオナルドが操心術をかけられている者がいないか念のため確認している間、彼らを代表して一番の腕利きだという三十半ばほどの赤毛の男が進み出た。

「女王陛下の改革宣言のあと、旦那様は私たちの役割はもう終わりだと仰ってここへ閉じ込めたのです。きっと皆様の視察が終わればひとり残らず殺されていたでしょう。本当にありがとうございます。皆様は命の恩人です……!」

「礼を言うのは気が早いだろ」

 平伏する勢いで感謝されてもアイオンは冷え冷えとした態度を崩さない。

「俺たちがチーブル一家を最新の罪状にのっとって処理するまではあんたらの命運はまだ未定だ。このままここから出るんじゃねぇぞ。ガキが寒いとかひもじいとか泣いてもな」

 もー、ホントは心配して忠告してるだけなのに素直じゃないんだからー。アイオンの言葉を額面通り受け取って固まってしまった子どもたちに外套をかけてやりながら、ヘンリエッタが訊ねる。

「私にメモで助けを求めたのはどうやったの?」

 子どもたちは不思議そうにヘンリエッタを見返してからぱちくりと大きな目を瞬く。

「……お姉ちゃんが大魔女様なの……?」

「ひ、人違いだよ、もっと冷酷そうな人のはず……」

「あはは言うねぇ! でも人は見かけによらないよ? 中身はそりゃもう噂以上に冷酷で残忍かも……」

 このままじゃ子どもたちが魔女の不興を買って取って食われるとでも思ったのか、赤毛の男が血相を変えて割って入り、子どもたちを引き寄せて頭を下げさせる。

「た、大変ご無礼いたしました。あのメモは屋敷のメイドたちがやっとのことで旦那様の魔術に抗い、私たちのためにやってくれたことです」

 あぁ、だからあんな最低限のメッセージしか届けられなかったのか。

「ここに幽閉され、仲間たちも魔術で操られ、為す術もなく皆殺しにされるとなったとき、ちょうどこの南部にいらしたばかりとうかがっていた大魔女様のことを思い出したんです……」

「それで一か八か、私の気まぐれに賭けたわけね」

 結果として彼らは賭けに勝った。実際ヘンリエッタが使用人たちの手に注目したりあのメモをよくあるイタズラと思い込まずに全員に共有し、アイオンがアグリッサの出したボロを覚えていて、イースレイが即刻屋敷を調べようと言い出し、レオナルドがこの氷室に目を付けていなければこうはなっていない。全ての条件が揃ったからこそ彼らの命があるうちにチーブルの企みを突き止められた。

 ふむふむと頷いていると、横からアイオンが自分の外套を押しつけてきてヘンリエッタははっと振り返る。

 お礼を受け取るつもりはないと全身で示すようにそっぽを向いている彼の優しさが心に沁みて、嫌がられると分かっていても「ありがとアイちゃん」とにっこり微笑みながら受け取った。

「では今すぐ『鳥』を飛ばそう」

 イースレイが決然と言った。

「チーブル一家はまだ俺たちに事が露見したと気づいていない。『鳥』で付近の街道騎士団支部に応援を仰ぎ、騎士とマリオネットを動員してもらえば明日にも無血で制圧できるだろう。ドラクマン支部長にも連絡しておけば保険になる」

「……あ、なら見張りにかけられてたチーブルの操心術解いちゃったのまずかったかー……」

 レオナルドが眉を下げて頬を掻くが、アイオンがしれっと、

「お前、使用人に操心術がかけられてるの『よく見たら』分かったって言ってたじゃねぇか。実力でお前に大きく劣るチーブルが自分の魔術が誰かに解かれてることに即座に気づけるとは思えねぇし、いくら当主でもあんだけ大勢いる使用人を毎日完全に掌握できてやしねーよ」

「そうそう!」

 すかさずヘンリエッタも援護射撃する。

「氷室の鍵だってレオナルドが魔術で開けてくれたから壊れてないし、元通りに閉めていけばバレない。あとは私たちと使用人さんたちの演技力次第だよ」

 ヘンリエッタたちは何も知らないふりを、使用人たちはチーブルにひたすら服従するふりを、幽閉されている職人たちはもはやただ死を待つのみと絶望したふりをしなくてはいけない。逆に言えばこれさえやりきればみんな助かるわけだ。

 その通りとイースレイがヘーゼルの瞳を鋭く光らせて深く頷く。

「予定された仕事内容とは大幅に変わってしまったが、全員でやり遂げるぞ。我々行政監督庁を舐める輩が二度と現れないくらいに、完璧にな」


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