屋敷を調査しよう
その晩、屋敷の人間が寝静まったころを見計らってヘンリエッタたちはアイオンの部屋に集まった。
まずはとヘンリエッタが『魔女様 お願い 助けて』と書かれた例のメモを見せると、イースレイが真っ先にくわっと目を見開き、
「なんだこの怪文書は? どうしてすぐ俺に報告しなかったんだ、ヘンリエッタ」
眼光鋭く詰められ、ヘンリエッタはどうどうと慌てて彼を宥める。
「だーって、こうやって藁にもすがるノリで助けを求められるのなんか大魔女的には別に珍しいことでもないからさぁ」
大魔女の威光を変な方向に勘違いして生活苦とか夫婦仲とかなんでもかんでもなんとかしてくれと拝み倒してくる人もざらにいるし、いちいちシリアスになっていられないのよね。
「この『助けて』に信憑性があるかどうか多少は調べてからみんなには相談しようと思ってたの。イースレイたちの負担をさらに増やすことにもなっちゃうし、このメモ一枚で大騒ぎすんのはちょっとね」
「うはは、確かに俺らもうへろへろだもんな~」
椅子の背を前にして体重を掛けるように座っているレオナルドの金髪はあちこちに跳ねていて彼の疲労を感じさせる。
「けど実際調べてみたらマジっぽかったんだろ? こうやって全員に共有することにしたんならさ」
さすがへろへろでも話が早い。ヘンリエッタは頷き、
「私ずっとここの使用人たちの手をチェックしてたんだけどね、要はお針子さんを捜してたの。今日なんかアイちゃんにアグリッサの相手をしてもらってる間に使用人ホールまで行って片っ端から手を見てきた。でも針仕事してそうな手を持ってる人はひとりも見つからなかったのよ。特に侍女とかは退職後に仕立屋さんに転職することも多いのに」
アイオンがアグリッサの件については恨めしげにしながらも額に指を置き、
「これだけの着道楽一家の家で被服技術のある使用人が全然いないってのは妙か……。まぁでも、どっか凄腕の仕立屋にでも作らせてんじゃねぇの?」
アイオンの推理にしかしヘンリエッタは首を横に振った。庶民や成金、下級貴族などであればあり得ることかもしれないが、チーブル伯爵家でそれは考えにくい。
「いや、社交界で生き抜く武器だけあって衣装作りって結構大事業なんだ。たとえば流行のデザインのドレス一着作るにもその精密なデザイン画を大金はたいて買って職人さんに見せて、この通りに作ってくれるよう注文するわけ」
「「へぇ……?」」
と気の入ってない相づちを打ったのはアイオンとイースレイだ。侯爵家のレオナルドはこの辺の服飾事情のめんどくささが身に染みているのでうんうん分かる分かると腕組みをして頷いている。
ヘンリエッタは前者ふたりに辛抱強く説明を続ける。
「えーとね、流行のドレスは誰かが流行らせようとしてるからデザイン画が売ってるしそれができるけど、じゃあ由緒ある家柄に代々伝わるデザインとか誰かに真似されちゃ困るようなものはどう? もちろん門外不出だよね。翻ってチーブル家は? あのオリジナリティ溢れる無数の衣装を誰かに真似されることを許すと思う?」
ここまで聞いたところでふたりは得心いったらしい。
「あー……そうか。チーブルが衣装の製法を門外不出にしてるなら、この屋敷はむしろお抱えの服職人で溢れかえってなきゃおかしいのか」
「そゆこと。上流階級にとって服は機密情報なんだよ。私のウエディングドレスにしてももう数年がかりで制作中らしいけど、王家に代々伝わるデザインと製法で作られてるんだって! 当事者なのに私もまだ見たことないんだから徹底してるよね~! 私がレース編みを趣味にしたきっかけも、そのドレスに合わせたベールとか髪飾りとかほしいなと思ったからなんだけどさ~!」
「へーーーー……」
「結婚は人生の墓場だぞ。ウェディングドレスなんか使い捨ての高級死に装束だ」
「……あのさ、もうちょっと興味あるふりくらいできないの?」
せっかく分かりやすく説明してあげたのに突然どうでもよさげにならないでくんない?
恋バナの相手としては下の下の朴念仁ふたりに口元を引きつらせるヘンリエッタに、頃合いを見計らっていたレオナルドが口を挟む。
「チーブル家の衣装を作ってた人間がひとりも見当たらない、かつこのメモがヘンリエッタにこっそり届けられたとなると……。助けを求めてるのはその職人たちかもな。他の使用人たちも何かしら知ってはいるけど、事情があってメモの配達に協力するのが精一杯だったのかな?」
「うん、私はそう思ってる。大切にされて然るべき職人たちが、どうして屋敷の中で窮地に陥ってるのかは分かんないけど……」
「……『こうして大切なコレクションを失うことになったのも』……」
レオナルドとヘンリエッタの同僚らしいやりとりにまぎれ、アイオンが形の良い顎に手を添えてふと思い出したように呟いた。
ほか三人の視線が一斉に彼に集まる。
アイオンは少しやりにくそうにしながらも続ける。
「……そういやアグリッサはそういう言い方をしてたぜ。考えてみりゃあれも妙だ。俺たちは女王陛下に報告を上げるのに必要な目録を作りには来たが、押収まではしねぇし出来ねぇ。なのにコレクションを『失う』ってどうしてそうなるんだ。一家揃って喪服を着てるわ、極めつけに神頼みならぬ魔女頼みのヘルプコール……、おいなんだよ?」
視線がうるせぇと怪訝そうにされたが、ヘンリエッタは素直に感激に打ち震え、
「なんだよも何もないよ、アイちゃんが積極的に発言して一緒にこの屋敷の謎を解こうとしてくれるなんてそりゃにこにこしちゃうでしょ! しかもそれだいぶ重要な情報だよ! なんやかんや言いながらアグリッサの話ちゃんと聞いて、引っかかったところを覚えてたんだね~!」
えらいえらいとヘンリエッタが満面の笑みで褒めるから、ひねくれ者のアイオンは瞬時に臍を曲げてしまった。苦虫をかみつぶしたような顔になってふいとそっぽを向き、「そんなんじゃねーよいちいちうるせぇな」と一言返したきりだんまりを決め込む。
ありゃ、分かっちゃいたけど拗ねちゃった。だからといって私の褒め重視の方針に転換はありませんけども。
それはさておきアイオンの示唆する可能性はちょっと看過できない。
――つまり、チーブル家が女王の衣服改革宣言によって用済みとなったお抱えの職人たちを幽閉し、自家に伝わる門外不出のノウハウごと抹消しようとしている可能性だ。
「……けど実際、今のアイちゃんの指摘は怖いよね。チーブル家のみなさんがもはや命がけで着道楽してたと考えると、それを捨てろっていう女王陛下の下知は人生ぜんぶ否定されたようなもんか……。やだなぁ、もしかして今回も人命がかかっちゃってる感じ?」
「屋敷を調べるか」
険しい顔をしたイースレイが即座に切り込んだ。緊急性を考慮したと同時に衣装部屋に缶詰の生活に対する鬱憤が溜まっていたせいもあるんだろう。
「チーブル一家の罪状が根底から覆る可能性が出てきた以上、この調査も行政監督庁の仕事のうちだ。人が捕まっていそうな怪しい場所を当たってみよう。善は急げだ」
「確かに調べるなら今がチャンスだな」
とレオナルドも賛同し、それからふふんとイタズラっぽく笑って跳ねるように椅子から立ち上がる。
「実は俺、それっぽいところに一箇所目星をつけてんだ!」
先の見えない衣装地獄に絶望してたから、チーブルの不正でも見つかってこの仕事から解放されないかと思ってたとこだったんだよな~! とかなんとかレオナルドは嬉しそうにしている。そりゃいくら仕事人間でも限度ってもんがあるよね。




