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初めてのモテを察しよう

 ヘンリエッタたちはガラス張りの温室に通された。ガラス張りなので全面が一色に染められているということはなかったものの、ここも一般的な貴族の温室とは異なり、奇妙で毒々しい植物ばかりが取りそろえられている。甘ったるい匂いを放つ巨大な花やら水玉模様の葉っぱやら小鳥くらいなら消化してしまいそうな大きな食虫植物やら。お、おぉぅ……。

 あいにくの曇り空で、温室に差し込む日差しは弱く白んでいる。ソファセットにおずおず腰を下ろすと、エレーナとアグリッサが手ずからお茶の準備をしてくれる。

 お菓子が数種類と、香り高い紅茶。そして真っ黄色で揃えられた食器。

「どうぞ」

「どーぞっ」

 とエレーナがヘンリエッタに、アグリッサがアイオンにカップをソーサーと一緒に差し出す。鮮やかな青い液体を見たアイオンが「大丈夫かこれ?」とヘンリエッタを横目で見るのにこっくり頷く。これはこういうお茶だから飲んでも大丈夫だ。

 食器の色はどぎついけれどお茶はただの珍しいお茶だし、お菓子も少なくとも見た目は普通っぽい。でも毒味がてら私が先に食べたほうがいいね。

「いただきます~」と愛想良く手近なアイシングクッキーに手を伸ばし、お茶も一口飲む。うん、変なモノは入ってないな。この状況じゃろくに味分かんないけど。

 だいじょーぶだよとハンドサインで教えると、ヘンリエッタがさっそく手を付けようとするのを止めにかかった姿勢のままで固まっていたアイオンが、ゆるゆると疲れたような溜め息をついた。

 指先でソーサーからカップを持ち上げて一口飲んだ瞬間、突然アグリッサが動いた。

「おいしいっ!?」

 テーブルに半ば乗り上げるようにしてアイオンの顔を下から見上げる。大きな眼をかっぴらいて嬉しそうに笑っているが、無礼だなんだ以前にこのハイテンションがめっちゃくちゃ怖い。人形じみて無表情な父母との対比で余計に怖い。一風変わった緊張感が場を支配する。

「…………あぁ、まぁ」

「アグリッサ、下りなさい」

 アイオンが感情を押し殺した低い声で答えた直後、エレーナが表情筋を動かさないまま娘を叱る。アグリッサは「はぁい」と渋々テーブルから退き、ずれたテーブルクロスを直す。このテーブルクロスも黄色地に紫でダイヤ模様が描かれている。

 エレーナがきっちり九十度に頭を下げ、

「娘が大変失礼いたしました。少しでも目録作成の助けになれますよう、私はこの子と他の衣装部屋の整理を進めてまいりますので、なにかございましたら何なりと使用人にお申し付けください」

「くださーい」

 アグリッサが眼をかっぴらいたあの笑顔をアイオンに向け、ご機嫌に手を振る。それをエレーナがはたき落として叱り、ふたりは連れだって温室を出て行った。


 それを見送ってから、ヘンリエッタとアイオンはほとんど同時にカップをソーサーに戻す。ゆっっっくりとした動きで。かしゃんとかすかにソーサーが音を立ててもなにも起こらないのを確かめて、ようやくふたりは息をつけた。

「今日一日でひと部屋片付けたとしても残り十一部屋か~……。どうするアイちゃん?」

「別にどうもしねーよ。この役割分担自体は理にかなってんだろ」

 俺たちはこのまんま茶しばいてたまにあの母子の相手して引きつけつつ警戒に務める、以上。と言い切るアイオンはもしヘンリエッタがあっちを手伝おうと言い出したとしても梃子でも動かない気だ。

「でもさぁ、さっきのアグリッサ嬢の分かりやすさ見てみなよ?」

 ヘンリエッタはぴんと人差し指を立てるが、アイオンは頭上に疑問符を浮かべて首をひねった。うーむ。無理もないことだけど鈍い、鈍いよアイちゃん。

「なにがだよ?」

「分かんない? 私のことはガン無視なのにアイちゃんのぶんのお茶は淹れるわ突撃する勢いで喋りかけるわ割と直球だったよ! 出て行くときだって、あれ君だけに向けた笑顔だったからね?」

「はぁ?」

「いや~アイちゃんはちょっと世に出るのが遅かっただけで充分すぎるくらい魅力的な子だと常日頃思ってはいたけど、あっちに好意があるにしてもあのアグリッサちゃんから会話の主導権取るのは工夫が要るかもだねー。まーとにかくこういうのの対処はまず自分に自信を持たないと良くない結果を招きやすいから。何事もチャレンジするときは先入観を排して……」

「待て待て待て!」

 まるで話が呑み込めない様子で聞いていたアイオンが、ヘンリエッタの言いたいことをようやく悟って待ったをかける。にわかに青ざめながら、

「んなわけねぇだろ自己紹介して十数分しか経ってねーんだぞ!?」

「向こうは伯爵令嬢なんだから前々からアイちゃんのことは知ってたはずでしょ。案外長いこと想われてたのかもしれないじゃない!」

「勝手なストーリー作りやがって……。なんでもかんでもそういう話につなげんじゃねぇよ。俺にもあっちにも迷惑なだけだ」

 なんでもかんでもはしてないよ、ちゃんと根拠があるから言ってることなのに~。

 とはいえアイオンはすっかり辟易したようで聞く耳を持ってくれそうにない。腕組みをしてものすごーく冷めた眼を向けてくる。そ、そんなに冷え切るような話かな?


 自衛の観点からも、彼には正しく自分の魅力を評価して他人からの好意を上手に受け取るなりさばくなり出来るようになってもらいたいんだけど、かといってここであんまり「あの子絶対アイちゃんのこと好きだって~!」押しをするのはリスクが大きいか。

 否定することに躍起になって心を閉ざされてしまったり、オモチャにされてると誤解されるのは本意じゃないし。

 色々気がかりだけど、自分が人から好意を持たれてるっていう可能性を考慮はしてくれるように発想を植え付けられただけでも良しとしとこうか……。


「うー……分かったよ、もー言わない」

「そうしろ」

 ヘンリエッタが引き下がると、アイオンはふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。手持ち無沙汰そうにしながらもお菓子とお茶にふたたび手を伸ばそうとはしない。ちょっと色彩が強烈だもんねぇ。


 それからは定期的にメイドがやってきてティーポットなどを替えていったり、エレーナやアグリッサが様子見に戻ってきたりといった散発的なイベントがあっただけで待ち時間は過ぎていった。

 アグリッサは毎回アイオンに喋りかけ、あからさまに距離を詰めたそうにしていたが、アイオンは終始にべもなかった。

 やっぱり彼女のほうはアイちゃんのこと好きっぽいんだけどな~、こういうことは強制できないしもう口出ししないって言った矢先だし。またそういうヘンリエッタの思考を読んだようにアイオンが都度横目で睨んでくるから手の出しようがない。



 チーブル邸には四人それぞれに客間が用意されていた。客室は濃いワイン色一色だったが、目に痛いような極彩色ではなかったので全然マシだ。紅一点のヘンリエッタの部屋は一番端っこで、護衛のためにアイオンの部屋をレオナルドとヘンリエッタの部屋で挟んでいる。

 夕食の席でようやくイースレイたちと合流できたのだが、ふたりとも見るからに憔悴していた。なんかちょっと軽口叩くのも躊躇われるくらいげっそりしている。

 そんな中でも出された夕食は真っ青な食器に盛られているもんだから明日に備えて力を付けようにも食欲が引っ込んだ。もはやイースレイたちには「せめて今日は早く寝てね……」と祈りを捧げることしかできない。

 胃に溜まらない夕食後、ヘンリエッタはふと思い立ち、部屋にお湯を持ってきてくれたメイドさんたちにお礼を言いつつ彼女らの手をちらっと見た。


 うーん……確か昼間見た使用人たちも手に変わったところはなかったよね。ヘンと言えばヘンか……? でも全員しっかり確かめたわけでもないしなぁ。


 小さく芽生えた疑念はいったん棚上げしてその晩は休んだヘンリエッタだったが、翌朝寝室から出てあれっと目を丸くした。

 客室は廊下に繋がるドアから出入りできる居間と、鍵付きの寝室、それから寝室からしか出入りできない化粧室と浴室が続いた構造になっている。

 寝室から居間に入ったとき、廊下に続くドアの下の隙間に一枚の紙切れがはさまっているのが見えたのだ。前の晩には絶対になかったから、深夜にこっそり誰かがここへ差し込んだんだろう。

 そっと取り上げて見ると、簡単な語彙のみで構成された短い文章が走り書きされている。


『魔女様 お願い 助けて』


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