こっちから攻めてみよう
「そろそろこちらからつついてもいいだろう」
とイースレイが言った。
そのときアイオンは心地よい秋風の吹き込む書斎の机に頬杖をついていて、レオナルドは窓辺で読書中、ヘンリエッタはカウチでレースを編んでいた。三人の傾注を受けたイースレイは続ける。
「この場合つつきやすい、というのは比較的小粒で、かつ市民にも分かりやすい貴族の不品行のことだな。こちらの威信を賭けるまでもなく摘発できて市民の好感度上昇も狙える。というわけで、俺がオススメするのはチーブル伯爵家だ」
「チーブル……?」
アイオンはとりとめもなく斜め上を見て記憶を探るような仕草をしたが、結局「どいつだ?」とすっとぼける。
「チーブル伯爵という名に覚えがなくても風貌を見ればすぐ思い当たると思うぞ。『着道楽伯爵』とあだ名される変人だ」
「へぇ。そんな衣装持ちなのか?」
アイオンはいつも通り気乗りしない様子ですぐ混ぜっ返そうとするが、イースレイのひと睨みでいったん口をつぐんだ。
昨日、連絡もなしに夜まで街道騎士団支部で遊んで帰ってきたヘンリエッタとアイオンは彼にしこたま怒られたばかりでちょっと強く出られないのだ。本来の性格的にはお説教ごとき平然と聞き流せるふたりではあるが、今日は楽しかったねぇとウキウキで雑談しながら玄関扉を開けた瞬間、鬼の形相のイースレイが立っていてほぼ同時に凍り付いてしまった。あれは本当にビックリした。
イースレイはアイオンが黙ったことに満足した様子で重々しく頷き、
「彼の度を超したおしゃれは宮廷の名物のひとつだ。ヘンリエッタ、君ももちろん知ってるだろう?」
「ん? やーすごいよねぇアレ……」
ヘンリエッタはレース編みの手を止めて曖昧に笑う。思い浮かぶチーブル伯爵の記憶はどれもあまりに鮮烈、奇抜すぎて想像の上でも眼がちかちかしてくる。
「チーブル伯爵はもう五十近いんだけど一家揃ってとにかく着道楽でね、自分が宮廷の誰よりもおしゃれであることに人生賭けてんの。どう編んだんだか分からない巨大で複雑なレース飾りや宝石つきのド派手なリボンに始まって、ロング縦ロールのかつらをかぶってみたり取り寄せた南国の鳥の羽を引っこ抜いてきて髪に挿したり、足元も曲芸師みたいな超ハイヒール履いてたりしてね、お化粧もしてるし、つけてる香水まで毎回違う謎の香りなんだ。思い出せない?」
アイオンはヘンリエッタの説明を聞くうちに不審げに眼を細めていき、ついに「あーいたいた」と呻き声を上げる。
「式典で挨拶されたことあったわ。見た目の衝撃で名前が吹っ飛んでたぜ……。けどそいつの度を超したおしゃれを何の名目で摘発すんだよ? 個人の趣味じゃねぇの? あとそんな変人と純粋に関わりたくねぇ」
「それが関わらないわけにはいかないんだよなー」
のらりくらりしようとするアイオンをレオナルドが苦笑交じりに制する。
「チーブルに限らず自己アピールのために服飾にカネをかけ過ぎる貴族があんまり多いんで、女王陛下が今年その野放図っぷりを規制すると宣言したんだよ。それでもチーブルは素行を改める気配すらないわけ」
「けどおしゃれを規制って、小遣いの遣いすぎを注意する母親かよ」
というアイオンの茶々はヘンリエッタへ同意を求めるように投げられた。気持ちは分かるけどねぇ。
ヘンリエッタは宥めるようににっこり微笑んで、
「こういう規制も意外と大事なんだよ? お金じゃぶじゃぶ遣って着飾って遊び回ってる貴族なんて庶民からしたら憎らしいに決まってるでしょ。もし失政や天災が起きでもしたら国王の人気ががた落ちして国の結束が弱まる原因になる。特権階級にいくら質素倹約を説いても無駄……というか構造上不可能とはいえ、見るからにバカバカしいレベルの贅沢は引き締めないとね」
「ああ、言ってみればチーブル伯爵の身なりはもはやおしゃれではなくバカバカしい、れっきとした規制対象なんだ。行政監督庁が動く理由としては充分だ。きちんと注意しなくてはいけない」
我が意を得たりとイースレイが言う。「もうそれおしゃれじゃなくてバカの服だろ」発言さえぶちかます辺り、彼はよっぽどチーブルのファッションが気に入らないらしい。
ヘンリエッタの顔を横目で見ていたアイオンが、おもむろに口を挟む。いかにもかったるそうに。
「……要はその着道楽を手紙で注意するのが今回の仕事ってことだろ。だったら……」
「その通り。それから、きちんと改善されているか直接視察することも必要だな」
「…………」
現地に足を運ばなくちゃいけない上に相手がドのつく変人と知って、アイオンの勢いは瞬時にしぼんでしまった。すんごいげんなりした顔してるなー。
とはいえ実際イースレイの提案は的を射ている。これもアイオンの人気を高めるチャンスには違いない。
こうやって地道に名を上げていけば初任給が出てからもなしのつぶての女王陛下からアイオンへのリアクションを引き出せるかもしれないし、ヘンリエッタもハイラントとの面会に近づける。
なにより、これでまたひとつ彼が自信をつけてくれたら嬉しい。
さて後日、行政監督庁から書面での注意を受けたチーブルは丁寧な反省文を返してきたが、そこには予想外の文面が添えてあった。
ただの視察では味気ないから、自分たちの心からの反省と女王への忠誠心を理解してもらうためにも、視察当日は精一杯おもてなしさせていただきます――要約するとそんな感じだ。強制的かつ盛大な「おもてなし」に襲われるのはこれで確定した。
当然アイオンは呆れかえり、
「これ実質贈賄の予告状じゃねぇの?」
「どうやら俺たちは毅然とした態度を見せなくてはいけないようだ。せいぜいもてなしてもらおうじゃないか。前はどうだったか知らないが、新体制の行政監督庁はいくら媚びを売られても手心は加えないと理解していただこう」
舐められていると感じたのか、静かな圧をたぎらせるイースレイはチーブルの返信にかなりムカついてるみたいだ。
お叱りに対する返信でこんな誘いをかけてくるとは、大胆不敵というべきか、やっぱりどうしようもなくズレれているというべきか。たぶん後者が正しいんだろうと思うと、さすがのヘンリエッタもチーブルの屋敷に行くのが憂鬱になってきた。
……果たして注意したところで聞く相手かなぁ。
◆
曇天の午後。
マリオネット馬車で屋敷に到着したヘンリエッタたちを、チーブル伯爵一家とずらりと並んだ使用人たちが出迎えた。
「この度はご足労おかけして申し訳ございません。当主のジェラール・チーブルと申します」
「「「「…………」」」」
誰ひとり挨拶すら返せなかった。絶句だ。
まだエントランスホールしか見ていないが、チーブル邸の内装は異常だった。壁も天井も全て薄紫色で塗り尽くされており、嗅いだことのない奇妙なお香のにおいが漂っている。そしてなによりの異常は、チーブル一家が三人そろって喪服じみた黒ずくめの衣装をまとっていること。
チーブル伯爵はくるりと先がカールした変なヒゲに黒髪の大きなカツラをかぶり、首元には服喪中につけるようなジェットのネックレスをつけている。
「こちらは妻のエレーナです」
隣で礼をするエレーナ伯爵夫人の装いも黒一色だ。噴水みたいな髪型の黒髪のカツラも夫とおそろいで、その高さのせいで夫より上背があるように見える。
「これが娘のアグリッサにございます」
そのさらに隣に令嬢のアグリッサ。歳は十五、六歳くらいだろうか。カツラはかぶっていないが、もともとの髪を黒く染めたようだ。やっぱり黒ずくめのドレス姿でわざと隈を描いたような化粧をしている。リップカラーまで紫がかった黒という徹底ぶりだ。
彼らの後ろに横一列で控える使用人たちが異様なまでの無表情を徹底しているのとあいまって正体不明の一団という感じがものすごい。
辺り一帯に漂う嗅ぎ慣れない香水の強烈な匂いに、アイオンが嫌そうに眼を眇める。
す……すごいところに来てしまった。
「っそ……そうか……、いや……そうじゃない」
真っ先に我に返ったイースレイだったが、一家の名前と顔を覚えた「そうか」と華美な服装を改めよと言っても一色染めなんて極端なことをしろとは言ってないという「そうじゃない」が脳内で渋滞し、上手く喋れていない。今回一番意気込んでいたのは彼なんだけど。
二番目に復帰したレオナルドが横合いから「えーと俺らの自己紹介は移動中にでも済ませられるんで、さっそく視察させてもらいましょーかね! 色々言いたいことはすでにあるけど後でまとめてお伝えしましょう! なっ、みんな!」と引きつった笑顔で助け船を出してくれたので、ほか三人はぎこちなく頷くことができた。
「承知しました。ではまずは、我が家の第一衣装室へご案内します」
衣装室に第一とか第二以降とかあるんだ……。
静かな衝撃がヘンリエッタたちの間に走るが、チーブルは気づかない様子できびすを返す。それを合図に使用人たちは異様にそろった一礼をしてほとんどが持ち場へ戻り、数名のメイドのみが残った。
動揺のにじむ早口でそれぞれが名乗ってから一家とメイドたちの後をついていく途中、ヘンリエッタたちは示し合わせたわけでもないのに自然と小声で緊急会議を始めた。無策で突っ込むと絶対危ないヤツだもん、この家。
「や、やばいよ……全面薄紫のエントランスの次は全面薄緑の廊下……屋敷も住人も常識外れだよ……」
「女王の衣服改革宣言に反する事実があったことを確認しなくちゃ帰れねぇんだったか? あの一家揃った極端な黒ずくめだけでも証拠になるんじゃねぇの?」
ヘンリエッタとアイオンに視線を向けられ、顔色の優れないイースレイが首を横に振る。
「いや、あれだけでは視察の成果とするには足りないんだ。伯爵の同席のもと、衣装室を検めて事務官の俺がコレクションの目録を作ることになるが……これじゃいったい第いくつまで衣装室があるのやら全く読めない……。今日一日で終わるかも怪しくなってきた」
「えっ!?」
てことはまさか数日この屋敷に泊まり込み……?
四人の背筋に冷たいモノが走る。今回の仕事は言ってしまえば単なる風紀振粛ではあるものの、このすさまじいチーブル一家のありさまを見た後では証拠隠滅や逃亡など突飛な行動に出られる恐れもないとは言えない。できるならよそに宿を取りたいが、チーブルの根城に留まり、自分たちの身も守りつつ彼らを監視するしかない。
レオナルドが難しい顔で、
「確か伯爵はそこそこ魔術が使えたはずだぞ。この対応はどう考えても俺たちを舐めてるし、証拠隠滅やイースレイの妨害に走るかもだよな? 目録作ってる間、俺がイースレイについといたほうがよくね?」
「そうだな。俺たちは少しでも早く目録を完成させなくてはいけないから、チーブル一家が『おもてなし』とやらを申し出たときは、悪いがアイオンとその護衛のヘンリエッタに請け負ってもらおう」
とんでもないお鉢が回ってきたアイオンがぎょっと目を瞠る。
「はぁ? 俺たちは囮かよ?」
「私もやだっ!」
ヘンリエッタも憤然と挙手してアイオンに加勢しようとしたが、引き続き不機嫌なイースレイの無言の圧とレオナルドの有無を言わせぬ笑顔にシャットアウトされる。
「大丈夫、ヘンリエッタはそういうのいなすのうめーじゃん! 適材適所ってことで!」
上手かろうが何だろうが好き好んでやってないのよこっちは! どす黒い謎のお茶とか出てきたらどーしてくれるのよ。
納得いかないヘンリエッタとアイオンが反論を試みようとした矢先、間の悪いことにチーブルが「この部屋が第一衣装室です」と部屋の前で立ち止まった。不満たらたらながら口を閉じる。
「……拝見させていただきます」
会議は終わりとばかりに顔を上げたイースレイが素早く部屋に入っていき、レオナルドも後に続く。こ、こんにゃろう……。
ヘンリエッタは隣のアイオンと目線を交わした。この屋敷の妙ちきりんさからしてここも絶対にろくでもない内装のはずだけど、全く中を見ないでおくのも得体の知れないイメージだけが膨らみそうでイヤだよね。彼も同じことを考えていたようで、ふたりはせーの、で部屋の中を覗き込んだ。
第一衣装室は一面どぎついピンクに塗られており、服であふれかえっていた。
構造は大規模なウォークインクローゼットのようになっていて男物女物問わず色とりどりの衣装が数列にわたって陳列されている。
うっかり肘でもぶつけようものならこの大量の衣装がドミノ倒しになって廊下に流出するに違いないし、下敷きになった人間は幾重にも縫い合わされ重ねられた上等な生地の重みで最低限でも骨折は免れない。
服だけでも合計何着あるんだろう?
ヘンリエッタたちと同じく、先に入室していたイースレイとレオナルドも唖然としている。
「このような衣装室が十二あるのですが……ご存じの通りなにぶん道楽で積み重ねたもの。ことさら一覧にして管理などもしておりませんで。一から目録を作っていただかねばならず、お手数をおかけして本当に申し訳ない」
チーブルが感情をうかがわせない表情と声音でとってつけたように詫びる。あれ? いま十二って言ったよね? ……十二!?
と、アイオンがおもむろにくるりと首を巡らせてエレーナ夫人に訊く。
「……分かった、そんじゃ部下が目録を作ってる間暇を潰せる場所に案内してくれ」
「あ! それならこの大魔女がお供してあげましょーう!」
「「…………」」
作業量が想像をはるかに上回る過酷さだと見るや否や即座に手のひらを返したヘンリエッタたちを恨めしげに振り向く気力もなく、イースレイとレオナルドはまだしばらくぽかんと顎を落としている。
エレーナは黒い手袋に包まれた手をすっと差し出す。
「でしたらお二方はこちらへどうぞ。お茶の用意がございます」
「お母様、あたしもっ」
とアグリッサが母親に従いながら、ヘンリエッタたちに意味ありげな一瞥をくれる。おや。お人形みたいに表情の動かない不気味な伯爵夫妻もだけど、この子もまた癖のある性格してそうだなぁ。
ともあれ十二もある衣装室で服の海にあっぷあっぷしながら、目を血走らせて一品一品数え続けるのはちょっと御免だ。適材適所と言われればそりゃ私は最重要ポイント、アイちゃんの護衛担当だよね。ここは有能な事務官さんに任せとこう。
ヘンリエッタとアイオンはエレーナとアグリッサ、そして彼女たちのメイドに続いて部屋を出た。後はそう、まともな色のお茶が出て来るといいんだけど。




