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初任給をもらおう

 ハノーバー男爵との話し合いを重ねた末、キュンメルのネズミ狩り競技場に関わった人々の処罰については現地の慣習法にのっとって決することに決まった翌日、ギャレイ宮廷伯から手紙が届いた。

 チュンチュンとご機嫌に鳴いている朝の雀の声から逃れるように、ひとり書斎の机に突っ伏すようにしていたアイオンはのそりと起きて「鳥」の持ってきた手紙を開封する。疲労で隈の浮いた眼で文面を確認し、おっと跳ね起きた。見慣れない単語と金額に若干我が眼を疑う。

「きゅ、給料……?」

「おっはよーアイちゃん! 今日も元気に……」

「給料が出た」

 朝から無駄に元気なヘンリエッタが登場し、アイオンは考えるより早く彼女の言葉を遮っていた。おまけにがたんと椅子を蹴倒す勢いで立ち上がって。

 ヘンリエッタはぱちくりと大きな灰色の瞳を瞬いて、

「ん?」

「給料が出た」

 そう同じセリフを繰り返したアイオンは机を回り込み、ヘンリエッタにギャレイ宮廷伯からの手紙を見せた。ヘンリエッタはつくづくとその紙面を見つめ、それからアイオンの想像した通りに両腕を上げて大喜びした。

「よかったねぇおめでとー! 初任給だね!」

 なに買うの? とウキウキで訊ねてくるヘンリエッタに、しかしアイオンは困ったように封筒を揺らし、

「……それがな、封筒に金が入ってねぇ。こういうのって後で届くのか?」

 現金をこんな封筒に放り込んで「鳥」に届けさせるのは危ないからか、後日戦闘力のあるマリオネットに届けさせるつもりなんだろうか。それにしてはその旨が手紙に書かれていない。

 給料出ましたと言われてもその金の手に入れ方が分からないので戸惑っていると、ヘンリエッタが「貸して」と封筒をアイオンの手から抜き取り、中から一枚のチケットのようなものを探り当てた。

「あ、入ってた入ってた」

「なんだその紙切れ?」

 ヘンリエッタは紙切れをアイオンに手渡し、

「街道騎士団が発行を許可されてる小切手だよ。こういうお給料の支払いもそうだけど現金輸送は危ないから、各地にある街道騎士団の支部で個々人がお金を引き出せるように手続きできる仕組みがあるの。この場合、王都で街道騎士団に預けられたアイちゃんのお給料についてこの紙が発行されてるから、南部の騎士団支部に行ってこの紙を渡せば同額の現金と引き換えてくれる。これ一枚で済むからかさばらないし、お金を引き出すには街道騎士団のセキュリティチェックと本人確認をかいくぐらなきゃいけないから盗まれにくいしで、色々便利なんだよー?」

 街道騎士団の支部は国中にあるし、騎士たちも詰めてればマリオネットも配備されてて建物も堅牢、お金や財産を預ける金庫としてぴったりなんだよね、とヘンリエッタが説明する。このペラ紙一枚が大金と同じ価値を持ってるんだと思うと不思議な感じだ。いまいち現実感がない。

「小切手ねぇ……。っつーことはドラクマンのとこに行きゃいいんだな」

「そういうこと。アイちゃん、キュンメルから戻って以来イースレイともどもハノーバー男爵との怒濤の報連相で休みなしだったでしょ? 今日はお休みにしてさ、さっそく騎士団支部行ってきたら? あそこなら市場でお買い物もできるしぱーっと気分転換しておいでよ!」

 ヘンリエッタはにこにこと我がことのように嬉しそうだが、アイオンは沈黙して流し目を向けた。自分で視線を向けておいてまるで胡乱なものを見るようにする。

 え、なに? と困惑する彼女に、アイオンは低く脅しつけるような声音で短く言った。

「……だったらお前も来いよ」



 街道騎士団支部に来るのもずいぶん久しぶりな気がするなー。実際はそんなに時間は経ってないんだけど。

 騎士団支部は堅固な城壁に囲まれており、門をくぐるとまず市街地が広がっている。市の立つ広場を中心に店舗兼住宅が建ち並び、そこを抜けると騎士団員の居住区と支部長の館、その周辺一帯に主要な建物が集中している。病院や金庫などももちろん、このエリアにある。

 ヘンリエッタは勝手の分からないアイオンを引っ張って小切手の引き換え窓口に行き、ちゃんと順番待ちをしてから手続きをした。貯金するなら必要だからとついでに口座を作るように勧めると、彼はうるさげにしながらも従った。街道騎士団はセキュリティ上の優位を活かし、銀行業に近い商売もやっているのだ。

「アイオン殿下! ヘンリエッタ様!」

 アイオンが口座開設に必要な書類を記入台で書いていると、ふたりの来訪を部下に知らされたドラクマンが早足でやってきた。ヘンリエッタは愛想良くひょいと手を上げる。

「ドラクマン支部長! お元気でした?」

「おかげさまで。おふたりも赴任早々さすがの辣腕ぶりだそうで! この南部のいち市民として尊敬と感謝の念に堪えません! その、こう言っては……何なんですが、おふたりが南部にいらしてくださって本当に良かった……。前任の方はあまりに……アレで……」

 苦笑いするドラクマンは悪口を濁せているようで全く濁せていない。どんだけダメダメだったのよ前の行政監督官。

 彼は素知らぬ顔で書類にペンを走らせていたアイオンにまっすぐな笑顔を向け、

「特に、ウーレンベック殿とヘレネー領の村の子どもたちに行政監督庁へ相談してみてはと提案したのは私でしたので、子どもたちを尊い御身を挺してまで救ってくださったアイオン殿下には、本当にもうどうお礼を申し上げていいか! どうすれば手っ取り早く、そして永遠に殿下のご威光を知らしめられるでしょう……! ……そうだ広場に銅像を建てて」

「それをやったらどんな手を使ってでもこの南部を脱出してやる」

 初めこそ適当にあしらおうとしていたアイオンも、銅像というワードが耳に引っかかるや否や氷のような無表情で食い気味に拒絶した。そんなにイヤかー。

 慌てたドラクマンが「い、いえ失礼しました、冗談です冗談!」と顔の前で両手を振り、話題を変えようと視線を忙しく動かす。

「……あっ、我が街道騎士団で口座を作ってくださったんですね! 殿下にご利用いただけるとは光栄の至りです!」

 するとアイオンは面倒くさそうに隣のヘンリエッタを指し、

「こいつが勧めてくるから作ったんだよ。つーか、司教は言いくるめるわ嵐は消すわ谷を魔力の橋で縫い合わせるわ、無茶苦茶なことやってあの村丸ごと救ったのだってこの魔女様だろ。なぁ?」

 むっ。褒められるとどうすればいいか分かんないからって私に注目を向けさせようとしてるわね。な、とかいって面白がるような目線を寄越したってあいにく私は慣れっこだから余裕だよ。

 ヘンリエッタはにんまりと笑みを浮かべてドラクマンを見上げる。

「まーたそんな風に謙遜しちゃってぇ。こんなに謙虚な王子様、支部長はもっとファンになっちゃうだけなのに! ですよねー?」

「ええ! もう大ファンです、おふたりともの!」

 ドラクマンはてらいも無く胸を張って言い切った。ヘンリエッタをからかおうとしてカウンターを食らった形のアイオンは一瞬驚いたように目を瞠ったが、険しい表情で顔を背ける。

「……あっそ。どうでもいいが、んなこと公言してると待つのは身の破滅かもしれないぜ。女王陛下の不興を買ってな」

「そんなことにはならないよぉ。結局陛下じゃ私をぶち抜けないもん!」

「ですよねぇ!」

「おい声量…………せめて大声で同意すんのはやめろ」

 自分が紹介した手前ヘレネー司教領での一件に責任を感じていたドラクマンは、それを丸く収めてみせたふたりにすっかり心酔してしまい、ヘンリエッタの能力にも絶大な信頼を置いているようだ。女王陛下の威光を軽んじているわけではないだろうが、日常生活では遠くの王より近所の王子ということだろう。

 ドラクマンを諫められないと悟ったアイオンはうんざりとペンを置き、書き終わった書類を係員に提出する。彼の思い切りの良さと明け透けさに困っちゃったんだろうな。でも、これでまたアイちゃんの味方が増えた。

 ヘンリエッタはアイオンの行動を微笑ましく見守りながら、ドラクマンに言う。

「支部長にご助言いただいたおかげで今ギャレイ宮廷伯に助けてもらえてるんです。あのときは色々とありがとうございました」

 ドラクマンは目を瞠り、それから少し照れくさそうに微笑む。

「助言なんてとんでもない。当然のことをしたまでです」

 調子のいいところはあるけどやっぱり素直でいい人だな。ヘンリエッタはふふ、と小さく笑い、

「じゃあ、行政監督庁になにか相談事はないですか? ウーレンベックのときみたいに」

 この問いにドラクマンは図星を衝かれた顔をした。うんうん、なんとなく切り出したい話題がほかにあるような気がしてたんだよね。

 彼は躊躇いがちに、さっきの声量が嘘のような潜めた声で答える。

「ヘンリエッタ様にはお見通しですね。聞くところによるとヘレネー司教領でもハノーバー男爵領でも監督庁のみなさんは危ない目に遭ったそうですし、そんな矢先に負担を増やすのもどうかと気が引けていたんです。……あぁいえ、仕事ですから騎士団に寄せられた相談を監督庁に報告しないなんて選択肢はないんですが、それにしても切り出すタイミングは配慮すべきかと思いまして」

「分かってますって、支部長の仕事ぶりを疑ったりしません。私とアイちゃんのファンだなんて嬉しいこと言ってくれるし!」

「あぁ……、そうおっしゃっていただけると幸いです」

 ドラクマンが心底ほっとしたようにこわばっていた肩を弛緩させる。

 そこへアイオンが戻ってきた。手続きはつつがなく完了したらしい。ドラクマンとヘンリエッタがなにやら真面目っぽい話をしようとしていると雰囲気で察して、嫌そうに顔をしかめる。仕事が増える気配を察するのが本当に上手になったよね。

「妙に盛り上がってんな?」

「アイちゃん、ちょうどよかった。あのね、支部長から監督庁に相談したいことがあるらしいんだけど、とりあえず私が聞いとくからアイちゃんは買い物行ってきていーよ。今日は休暇で来てるわけだしね。それで構いませんか支部長?」

「はぁ?」

 ドラクマンが快く笑顔で頷こうとしたとき、アイオンが呆れたように会話をぶった切った。ありゃ? 休みの日に出先で仕事の話を聞かされるのはあんまりだと思ったから私が聞いとくよ~気にせず気晴らししておいで~って言ったのに、全然嬉しそうじゃないな? これ幸いと軽い足取りで市場へ出掛けていくと思ってたんだけど。

 なにがイヤだったんだろ、ときょとんとしているうちに、アイオンは溜め息をついてドラクマンに向き直った。

「悪いけど緊急じゃないならその相談事ってのは後日ウチに書面で送ってくれ。こっちに来てからずっと立て込んでたし、俺にもこいつにも人並みに休みが必要なんだよ」

「そ、そうですよね。承知いたしました」

「んん、別に私は……」

「いいからワーカーホリックは黙ってろ」

 はっとなってかしこまるドラクマンにヘンリエッタが助け船を出そうとするが、アイオンに問答無用で制されてしまった。そんな言葉どこで覚え、……イースレイか? イースレイだな?

 アイオンはそのまま「用事は済んだしさっさと行くぞ」とヘンリエッタをせっついて、しかし去り際にぱっとドラクマンを振り返る。

「……ところで最近郵便事故とかなかったか? 王都からの手紙や荷物が紛失したりとか」

 郵便事故? 急に話題が変わったのでドラクマンとヘンリエッタは不思議そうに顔を見合わせる。

「ありませんが……。それがどうかされましたか?」

「……、いや、何でもねぇ。今のは忘れてくれ」

 どういうわけかアイオンは気が塞いだような低い声音でそう言って、ふたたびヘンリエッタの背を押して外へ出た。

 郵便事故、王都からの手紙や荷物……? あんなこと訊くんだから、なにか彼にとって重要な手紙か荷物が待てど暮らせど届かないとか、そういう状況なのかな? ギャレイ宮廷伯になにかの手配を頼んでたんだとしたら、マリオネットが運んできてくれるだろうし不着はまずあり得ないんだけどな。

 ともかく、困ってるなら相談に乗るくらいしよう。

「ねぇアイちゃ……」

「何でもねーっつっただろ」

 とアイオンは前を向いたままヘンリエッタの問いかけを即座に撥ね付ける。この話については本当に明かすつもりがないようで取りつく島もない。

「……」

 気にはなるけど、無理に首を突っ込もうとしても良くないかな。

 鬱陶しがられて私が彼の新たなストレス源になっても良くないし、自分ひとりでなんとかしようとしてるっぽいからあんまりしつこく心配するとプライドに傷をつけちゃいそうだ。思春期の男の子は難しいからねー。

 通りの左右に建ち並ぶ騎士館とその屋上にはためく街道騎士団の旗を眺めながら、市街地のほうへ並んで歩く。気持ちの良い秋晴れで気晴らしにはうってつけの日だ。

 よし、本当にどうしようもなくなったときは頼ってくれると信じて、違う話を振るか。

「今日なにか具体的に買いたいものあるの?」

 するとアイオンは涼しい顔で首を傾げ、雑にズボンのポケットに突っ込んでいた分厚い封筒を手で叩いた。

「一応全額下ろしてきたから市場で売ってるものならたいていは買えると思うぜ」

「え!? 全額!?」

 保守的なアイオンのことだし、初任給の多くは貯金に回すだろうと思っていたからこれにはビックリした。

「おぉ……アイちゃんにしては冒険したねぇ。もしかしてほしいものって結構お高い?」

「さぁ?」

 アイオンはそんなよく分からない返事をした。飄々としているようでもあるし捨て鉢な言い方にも聞こえる。

「そうかもしれねーしそうじゃねーかも」

「? どういう意味?」

 ヘンリエッタは頭上に疑問符を浮かべまくってさらに訊ねたが、アイオンはそれきり市場に着くまでだんまりを決め込んでしまった。



 留守はイースレイとレオナルドに任せてきたから、賑やかな街をふたりで歩く。商業都市のキュンメルとはまた違う町並みだ。

 キュンメルは物流をスムーズに動かす観点から通りの一本一本が太く、街の地図も分かりやすいが、こちらは市の立つ広場を中心として無計画に延ばされていったかのように細い道が入り組んでいる。一本裏の通りに入ればさっきまでと全然違う景色が広がっている感じで、それぞれの通りごとに受ける印象が全然違う。

「ここ、なんの店がどこにあるかちょっと分かりにくいんだよねー……。どの店がお目当てなの? アイちゃん」

 店の軒先に下がっている看板を目印に探し当てなくちゃいけないから先に教えといてもらわないと、日が暮れてしまいかねない。

 しかしアイオンは相変わらず、すでに空に投じられた賽の目が出るのを待っているような凪いだ態度でぼーっと視線を漂わせている。

「あー……どこ、ねぇ……。お前は?」

「ん?」

「お前はどっか気になる店ねーのか? あんだろ、ほしいものの一つや二つ」

「えっ、私?」

 いきなり言われてもぱっと思い浮かばない。ていうかこれアイちゃんのお買い物に来てるんだよね?

「まぁここんとこ怒濤の忙しさだった分の気晴らしに来てんだから、適当に店回ってみようぜ。冷やかし、冷やかし」

「う、うん……? いーけど、そういうのはウィンドウショッピングって言ってね?」

 どういう気まぐれなのか分かんないけど、それはさておき商店街をぶらつきながら堂々と冷やかし宣言はまずいって。おしゃれな言葉に訂正しつつ、すたすたと行ってしまうアイオンの後を、釈然としないながらも追いかける。


 それからふたりは目に付くままに色んな店を見て回った。

 キュンメルでアイオンに解説したような店はあらかた回ったと思う。

 金物屋や古着屋にも入ったし、物珍しさにつられて中古の楽器を取り扱っている店も見た。

 格安の劇場や舞踏場についてはアイオンはあまり興味がなく、楽団が幕の上がる夜に備えて練習している音が外にまで響いてきていたがいまいちノれないようだった。

「へ~ハリネズミってもっと強そうなのかと思ってたけど、意外とかわいーねぇ」

 小動物を売っている店に入るころにはヘンリエッタは当初の目的をほとんど忘れていて、カゴの中でふかふかのオガクズに埋もれている小さなハリネズミを指先でちょいちょいと構っていた。まだなんにも買っていないが、仕事に関係なくこうして街をぶらついていると純粋に楽しかった。

 店内には珍しい小鳥や蛇、トカゲにカエルまでもが展示されている。多種多様な鳴き声が絶えず響いている。鳥の卵が鳥の巣ごと売られているのにアイオンは面食らっていたが、慣れてきたのか巡らせていた首を戻してヘンリエッタの隣に寄って来た。

「買うか? それ」

 ヘンリエッタはぱちりと眼を瞬く。

「ハリネズミ? 可愛いけどペットはいいかな~」

 ふうん、とアイオンはまたよく分からない相づちを打って大きなトカゲのカゴを指さす。

「トカゲもいるぞ。見たことねぇくらいデカいけど外国の品種なのかね。爬虫類は平気か?」

「んん、動物全般割と平気なほうかな……ホントだー爪すごいねー。アイちゃんこの子ほしいの?」

 訊ねると、やや間があって「いや別に」と答えが返ってきた。これだけ店を回ってもアイオンはまだ自分の買い物を済ませていない。このトカゲでもないんだったら、初任給全額持ってきていったいなにを買うつもりなんだろ?

 アイオンはなんだか疲れたような緩慢な動きでカゴの高さにかがめていた腰を戻す。

「……もしかしてお前、言うほど物欲ないタイプ?」

 意外なことを訊かれた。ヘンリエッタは少し考えてからにまっと得意げに笑う。

「まー私はほっといても貢ぎ物とかでもらえるから! 服はこの前イースレイにもらったし嗜好品もドラクマン支部長とハノーバー男爵にもらったのがあるし、ほぼ常に物欲は満たされちゃってるねぇ」

「レース編み用品は? 趣味なんだろ?」

 手が空いたとき書斎のカウチで編み編みしているヘンリエッタの姿を指してアイオンが言う。

「趣味だけど、私が使ってる糸や編み棒って実はめちゃくちゃ高級品なんだよね。たぶん王都じゃないと買えないかな」

「……」

 え、いま舌打ちした?

 唐突にド級の反抗期が来たのかとヘンリエッタはおののいたが、アイオンはそれ以上原因不明の怒りを見せることはなく、言うことを聞かないやんちゃな子どもの相手でもしているような諦めと呆れの滲んだ眼で見下ろしてきた。なにその謎の感情……?

「……もういい分かった。ついてこい」

「へ?」

「どうせ一番喜ぶものはやれなかったし俺が適当に選んだもんでもいいだろ、もう」

 アイオンは投げやりにそうつぶやいてヘンリエッタの手首を引く。店を出てあれよあれよという間にアクセサリー店に連れて行かれた。しかも中古品や船乗りに売りつけるような密輸品などを扱っている店ではなく、下級の職人の作品を安く売っている店だ。

 この国は国教を持たないが、自らマリオネットを開発したようにメレアスタ女王は職人を保護しモノづくりを奨励している宗教を優遇している。モノを作り出すということはこの世界を創造した神の御業に倣う行為であり、獣たちのような強靱な肉体を与えなかった代わりに神が人間に許した尊い活動である、という風に。

 だからこういった服飾雑貨もさかんに作られており、庶民にも手が届きやすい値段で売られているものも多い。

 アイオンは店に入るや男性用のタイピンなどのコーナーを素通りして、女性用のアクセサリーのディスプレイをざっと眺めた。嵐のような入店に目を白黒させて遅ればせながら「いらっしゃいませ」を言った店主を振り返り、ディスプレイのとある一点を示す。

「これをくれ」

「は、はい! お買い上げありがとうございます!」

「……??」

 店主は喜び勇んで飛んできたが、アイオンの身なりの良さに気づくと「あの~こちら……職人見習いの作品で少々粗のあるお品なんですが……」なんておずおずと進言する。要は身分の高い方にオススメできる品物じゃないんですけど大丈夫ですか、って念を押してるんだろうけど、商売人にしては嘘のつけない人だなぁ。

 ヘンリエッタが訳も分からずこれ以上ないほどに首をひねっていると、アイオンは「これでいい」と言って初任給から支払いを済ませ、店を出た。置いていかれちゃかなわないので急いで追いかける。

 あれ? ほしかったのって女性向けのアクセサリーだったの? てことは誰かあげたい人がいるんだよね?

 誰だろ、陛下……って線は残念ながら現状考えにくいから私の知らない人かな? 大穴でウーレンベックといつの間にか良い感じになってたとか!?

 ぐるぐる勝手な妄想を繰り広げているヘンリエッタをよそに、アイオンが突然立ち止まった。ヘンリエッタも反射的に足を止める。

 行き交う人々にぶつからないかと視線をうろつかせた隙に、アイオンが不意打ち同然にヘンリエッタの手を取ってなにかを押しつけた。花をくわえた小鳥をモチーフにした台座に小さな赤いガラス玉があしらわれた――さっき買ったばかりのペンダントを。


「…………え。く、くれるの?」

「……………………まぁ、そう」


 アイオンはしれっと肯定してはみせたが、ポーカーフェイスに努めているのが丸わかりだ。手の中の硬い金属の感触を実感していくにつれ今日一日で山のように積み上がった疑問が氷解していく。


 まさかこれ、予算が分からないから全額下ろしてきたり逐一「これほしいのか」って訊いてきたりしたのって全部そういう……。あ、あああああぁぁぁぁ~……。


 心の中で長く尾を引く悲鳴を上げて頭を抱えた。今思えばあんだけ露骨だったのに、なんっっで全然気づかなかったんだ私!?

「お前も見てた通り、小金持ちの子どもがオモチャとして買い与えられてそうな安物だ。貴族に見られたら一発で見抜かれてバカにされるだろうし、趣味に合わねぇようなら捨てとけ」

 ヘンリエッタの絶句を良くない方向に取ったアイオンが冷めた声音でそう言った。慌てて全力でかぶりを振る。

「いやいやいやそんなことするわけないでしょ!? めっちゃくちゃ嬉しいよ!! ありがとぉおアイちゃんんん!!」

「……シャウトしろとは言ってねーよ」

 しまった全力で嬉しさを伝えすぎたか。

 でもなんで私に? 大事な初任給だよ?

 という問いかけを先回りしてアイオンが言う。斜め下に拗ねたように落とした視線に反して、少しの安堵が含まれた口調で。

「余計な『なぜ』を考えんのは時間の無駄だぜ。もらえるもんはもらっとくんだろ? もらいものじゃなくてお前がほしいと思うものは、……すぐには無理かもしれねぇけどいずれ兄貴本人から取り立てろよ」

 む、それこそ余計な比較だよ。彼の自嘲をヘンリエッタは軽く笑い飛ばす。

「ほしいものを手に入れた喜びと身近な人に厚意をもらった嬉しさは全然違うものでしょ。アイちゃんはアイちゃん、殿下は殿下。私にはどっちも得がたい繋がりだよ。貢ぎ物じゃない思いやりを、よりによって私にあげようと思ってくれる人なんて滅多にいない。そういうのに興味ない人だって誤解されることがほとんどだもん!」

「……」

「ありがとね、アイちゃん。ホントに嬉しいよ。大事にするね」

 こんなサプライズをもらえるなんて夢にも思わなかった。ほこほこと胸があたたかくなり、意識しなくても顔が幸せそうににやけてしまう。

 たぶん、王太子殺害未遂の報いとはいえヘンリエッタが無報酬で働いていることを気にしていたんだろう。彼に他人の厚意なんか要らないヤツだと思われてはいなかったと分かって、心から嬉しかった。

 もう今からつけちゃお、とペンダントの留め具を首の後ろで嵌める。アイオンは黙ってそれを見ていた。

「ね、どう? 似合う~?」

「……、いーんじゃねぇの。人に見せねぇ限りは」

「そこすごい気にするね? じゃあ服の中に入れとくよ、もし落としでもしたら泣くどころじゃ済まない自信あるし」

 自慢するように笑いかけると、アイオンは「どんな自信だよ」とようやくかすかに笑った。


 それからアイオンは「俺はこれといって買いたいもんもねぇし庁舎に戻るぞ」と言ってさっさと帰ろうとしたが、ヘンリエッタは猛抗議して引き留めた。人のテンションをこんなにぶちあげといてこれでおしまいなんてひどい! 無粋だよ!

 今なら割とすんなりうなずいてくれそうと睨んだ通り、「せっかくのお出かけなんだからもっと買い食いとかしようよ~! このまま庁舎に帰ったら私不完全燃焼で夜までハイテンションだよ! それでもいいの!?」と食い下がれば溜め息ひとつで了承してくれた。

「留守を任せてきたイースレイたちにはお前が謝れよ」

 サンドイッチ売りに持ちかけられたコインの裏表を当てたらタダキャンペーンにふたり揃って敗北した後、アイオンがそう言ったので、ヘンリエッタはますます上機嫌になった。ならふたりのご機嫌取りにお土産買っていかないと、という名目でさらに遊びの時間を延長できる。ふふふ、口は災いの元だったねぇアイちゃん。

 そうこうしているうちに夜になり、ちょうど店を開け始めた酒場で夕飯を済ませたふたりは――そこでもまた備え付けのダーツをちょっと遊んでから――ようやく街道騎士団支部を出てマリオネット馬車で庁舎へ戻った。レオナルドはともかく、イースレイにこっぴどく叱られたことは言うまでもない。


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