友達に相談しよう
その後、いつまた襲われるか分からないキュンメルを脱出してハノーバー男爵に報告しに向かい、領主館で一晩の宿と清潔な服をいただいてからヘンリエッタたちは無事帰路についた。何はなくともお風呂! 消毒! の勢いで行動したため誰も体調を崩さずに済んだし、男爵にはアイオンが「危険を承知でドブネズミを獲らなきゃならない層がいなければそもそもあの商売はあんなに存続できなかったはずだ。二度目の放水にあてるはずだった金は貧民支援にスライドさせるように」と釘を刺してくれたし、今回の作戦は大成功といっていいだろう。
帰庁した翌日、不向きな仕事を無理矢理やりきったイースレイは心身ともにボロ雑巾状態で休養に入っている。
アイオンは体力的にはまだまだ余裕だが、キュンメルの住民や店を利用していた客に対する処罰についてハノーバーから事細かな報告が来るので机仕事が山積みで、今夜はさすがにお勉強はさせられそうにない。ていうか一区切りついたらちゃんと寝てね。冗談じゃなく。
というわけで、ヘンリエッタはお酒のボトルを携えて「暇な者どうし久々に飲もうよ~」とレオナルドの部屋のドアをノックした。ハノーバーに持たされたお土産の中に彼の好きな銘柄を見つけたのだ。
レオナルドは二つ返事でオッケーし、今夜は月が綺麗だからちょうど良いと庭のベンチに誘った。いくら友達でも婚約者のいる身で男の子の部屋でふたりで飲むのはちょっとね。
今夜は満月だ。雲もほとんど出ていないから夜でも庭はとても明るい。
秋の野花がそよ風に揺れ、虫が涼やかな声で鳴いている。
「お疲れさま~」
「お疲れーぃ」
机にかじりついているアイオンと爆睡中のイースレイを邪魔しないように小声で乾杯する。いやーこういうのも久しぶりだー。クレアのとこで飲んだお酒よりずっとしみじみ美味しいよ。
「うはは、しっかし来て最初の仕事がコレってハードすぎだろ! 店の連中と血気盛んな客を捕まえて犬眠らせてネズミぶっ飛ばしてヨボヨボのイースレイ引きずって、とにかくヘンリエッタたちと合流! と思ったら暴徒と化した街の奴らに囲まれてんだもん、めちゃくちゃびびった~」
身震いしてみせるレオナルドだが、顔には人懐こい笑顔を浮かべている。
「野良の魔術師まで混じってたのにあの場をひとりで制圧するなんてさすがレオだよ」
「あの状況を口先でどうにかしてるのも大概だって。つかアイオンがあの大ネズミの首折っちまったのが予想外だった!」
市庁舎の大砲でも使うかと思ってたからさぁ、とレオナルドは大きな緑の眼をくりくりさせる。
それはホントそうだよね。ヘンリエッタはくすくす笑って、
「あれねぇ私もビックリした! すごいよねアイちゃん、本人は魔術が苦手だからってすぐ自分のこと下げるけどほとんど身一つで状況ひっくり返すんだもん。私ああいう体捌きっていうか純粋なパワーって相当向いてないっぽくてさ、努力しても全然ダメダメだったからホントに尊敬するよ!」
レオナルドも陽気に笑った。
「ヘンリエッタはそんなん要らないじゃんか。でもそんな凄かったなら俺も見たかったな~。なんかアイオンって今の境遇と本人のスペックが釣り合ってないっつーか、過小評価されすぎじゃね? 基本離宮に押し込められてた上に表舞台に現れるときも無愛想にだんまり決め込んでたから、今まで周りが気づかなかっただけでさ。あの王子様を腐らせとくのは国のためにもなんねー気がすんだけどなぁ」
「あ、そう! それなんだよね!」
さっすが私と殿下共通のお友達、気づくのが早い! レオと飲むお酒がおいしーい。
ヘンリエッタはぱっと顔を輝かせてずっと引っかかっていた疑問を共有する。レオナルドならきっと同じように首をひねってくれるはずだ。
「そもそもなんで女王陛下はアイちゃんをあんなに冷遇するんだろ。アイちゃんの話では王配殿下が事故で亡くなってから家族とひとり引き離されて離宮暮らしが始まったらしいけど、当時四歳かそこらだよ? 冷遇されるだけの理由をその歳のアイちゃんに求めるのはおかしいでしょ。私より宮廷魔術師歴の長いレオなら分かる?」
「俺? う、うーん……」
レオナルドは少し考え込んでから、
「正直俺も分かんねーな……。こんなの言いたかねーけど魔術の才能だけで見切りをつけた……とか? 陛下は傑出した魔力の持ち主だし……」
「でも私に負けてるじゃん」
「うわぁこの世でヘンリエッタしか言えないセリフー……よっぽど気にくわねーんだなぁ」
レオナルドは半笑いで遠い目をしたが、間もなく気を取り直し、
「逆に言えばハイラント殿下が度を超したお気に入りなのかな?」
「それだと、その殿下を殺しかけた私との婚約を本人たちに任せるっておっしゃったのはなんで? ってなるよね」
「怒りはあっても結局ヘンリエッタのワガママを止める術がないわけだから、そこは諦めたんじゃね? ……って言ってる俺もコレはおかしいと思ってるけど。そんなに溺愛してるなら平民で魔女のヘンリエッタとの婚約なんて最初っから許可しないはずだ」
「だよねぇ……」
アイオンとあんなに差をつけるほどハイラントが可愛いのならそんな屈辱的な理屈など振り切って激怒するはずだ。だけど現実の女王はハイラントとヘンリエッタの婚約に関して冷静どころか温情さえ感じさせる対応をしている。
「アイちゃんを遠ざけておいて、だからってそんなに殿下に構ってるイメージもないんだよね。それこそここ十年の陛下はひとりでマリオネットの開発に注力してたわけで家族の触れ合いなんか全然だし……。アイちゃんへの対応と殿下への対応、それに私への対応、全部に一貫する行動原理が思いつかないんだよ。ブレてるっていうか、動揺してる人が場当たり的に取った行動に一貫性がないのと似てる……ような?」
傑出した魔力、卓越した魔術技能、マリオネットを開発した実績、王配殿下を亡くしてから十四年以上再婚もせず国を治めている政治手腕。メレアスタ女王は間違いなく優れた君主だ。だけど人間関係のみに視点を絞るとどうしても行動が一貫しないように見えてしまうのはどうしてなんだろう。
どんなに知恵があってもこの世の誰もが大切に思っている人を上手に慈しめるわけじゃないし、全てのしがらみを無視していつでも自由に嫌いな人間を排除できるわけじゃない。それが出来ていた人が、なにかのきっかけで出来なくなることだってある……。
「……なんか……鋼か氷みたいに見えて、実はずっと冷静じゃなかったりするのかな。陛下」
さすがに言いにくかったけどここはレオナルドを信用して言ってみた。
まぁ当たり前ながら、彼はぎょっと目を瞠って顔色を悪くした。だよねーさすがにアルトベリ家の人間がこれに同意するわけないよねー。
「へ……ヘンリエッタ、相手が俺だからって言って良いことと悪いことがあるぞ……。よそでそんなこと絶対言うなよ!?」
真剣に諭されて、う、とヘンリエッタは言葉に詰まる。
「ご、ごめん。でも陛下だって人間だしさ~……」
「だから王の心身の健康を疑うようなこと軽々しく言うなってば! 普通は一発アウトだかんな!?」
レオナルドは無意味と知りつつも周囲の耳を憚るような仕草までする。ごめんって。確かにここが宮廷なら相手がレオナルドでもこんなこと言わないけどさ。
「はぁ……。長年おそばで仕えてきた俺からすれば、陛下ほど強靱で理性的な方はいないよ。鋼よりも、氷よりも強い偉大な方だ」
めちゃくちゃげっそりした溜め息。そっかぁ……レオがそう言うなら、ろくに陛下と話したこともない私の考えなんか信憑性ゼロだよね。いくらなんでもうがち過ぎ? いや、それ以前にそういう疑いを持つこと自体が不敬案件か。
レオナルドは一気に体力を持って行かれたように疲れた顔で、
「妙なこと考えてないでハイラント殿下との婚約をばっさり切られなかったことを素直に恩に着とけって。この件については譲るつもり毛頭ないんだろー?」
「それはもちろんそうだけどぉ!」
レオに本気で注意された以上はこの話を封印しなくちゃいけないのは分かってるんだけど、ただちょっと、アイちゃんの境遇に対する理不尽感がどうしても拭えなくて言わずにいられなかったんだよね。
彼に良い暮らしをしてほしいってのに加えて、やっぱりお母さんに等しく認めてもらってちゃんと大事にされるってことがアイちゃんにも殿下にも必要な気がする。でもそうすぐに原因を特定できるもんでもなし、なかなかスピード解決とはいかないかぁ。こういう問題は考え続けることをやめない根気が必要なのかも。
……ていうか思えば陛下の考えも謎なら殿下の態度もおかしいな?
五年もそばにいた私がアイちゃんに関してほぼ無知だったなんて、殿下が意図して弟の話題を拒絶に近いほど避けていなければそうはならないじゃない。
うーん、ますます殿下と会って話したくなってきたぞ。会いたい理由がこうもガンガン増えてくんだから殿下には早いとこ物わかり良く折れてほしいよねー。
グラスの中身を一口飲んで、なるべく自然に話題を変える。
「そういえばレオはなんで南部行きに志願したの? 宮廷魔術師として成功してるのに」
「なんでって、アルトベリ家の総意で決まったことさ。考えてみりゃ陛下のお考えがどうであれ、相応の教育も施されてない第二王子をいきなり行政監督官にしたって南部の政情が乱れるだけだ。ひとりでも多く支える人材が必要なのは事実だろ? ハイラント殿下はまぁほっといても大丈夫だしな」
「あー……やっぱりそういう流れね」
困ったように、でも当たり前のようにレオナルドは即答する。予想通りすぎて力が抜けて笑ってしまった。貴族社会の中核を担う天下に名高い「護国卿」とはいえ、一族の団結力が強いってのもこう考えると大変だね。




