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賭け競技場を押さえよう

 その晩は宿を取り、だいたいの目星をつけて問題の競技場をみんなで捜した。

 ヘンリエッタが知る限りそういう競技場は文字通り地下にあるわけではなく、外観は結構立派な二階建ての酒場を装っている。

 ネズミと猟犬が暴れ回るリングを設置するスペースとお客に酒を提供するスペース、待ち時間にお客が犬を連れてくつろぐためのスペース、ネズミの檻を置くスペースまでもが必要になることを考えれば、相応の箱物が適当なのだ。要はいかにも儲かっていそうな街でも有数の酒場を捜せばいい。

 そうして当たりをつけた中で、やたら犬を連れた男たちが入っていくところに絞る。特徴がはっきりしているので捜索はそう難しくはなかった。


 酒場「テリアの尻尾」――大通りに面して堂々と営業しているその酒場が第一容疑者だ。


 ヘンリエッタたちはキュンメル滞在一日目で順調にそこまで突き止めた。その翌々日、やけに街で軍人や騎士、犬を連れた紳士の姿を多く見かけた。ネズミ狩り大会の主な客層はそういった人種なので、これは大きな大会が今晩開かれるらしいと察せられた。

 証拠を押さえるには絶好の機会だ。ヘンリエッタたちは再び話し合い、今晩の大会で現場を押さえようということになった。


 少し肌寒い夜の闇にまぎれ、「テリアの尻尾」のそばまでやってきたヘンリエッタたちは路上の酔客たちを憚るようにして小声で最後の打ち合わせをしていた。

 紳士風の装いに革のブーツと手袋を身につけたレオナルドがむんと胸を張り、

「じゃ俺がイースレイと一緒に客のフリして最前線突っ切っから、ヘンリエッタはいつも通り最終防衛線担当よろしくな!」

「りょうかーい!」

「…………」

 ヘンリエッタとレオナルドが宮廷魔術師時代さながらの手慣れた連携に盛り上がっているのを尻目に落ちる、ひとりぶんの地獄のような沈黙はイースレイのものだ。彼もレオナルドと同じ革のブーツと手袋でネズミや犬の噛みつき攻撃の対策をしている。

「……俺は……確実に……役に立たないぞ……」

「いや立つ立つ! いざとなったら俺がばい菌だらけのネズミも猛犬も客の中にいる軍人やら騎士やらもボコすからさぁ、その隙に証拠を確保するヤツがいねーと困る!」

「俺にネズミや猛犬や人間が魔術で吹っ飛ばされてる鉄火場のさなかを縫って動けとッ!?」

「あーきーらーめーなってイースレイ。これもお仕事だよ、出世の道も一歩から」

 いつになく取り乱して悪あがきするイースレイに、ヘンリエッタは苦笑交じりに引導を渡す。それからレオナルドににっこり微笑みかけて、

「いやぁ宮廷魔術師クビになったのなんてつい最近なのに懐かしいな~レオと組むの! ふたりとももしトチって酷い目に遭ったときは私に見せに来てよね? ネズミに噛まれると腕が倍の太さになるくらい超パンパンに腫れちゃうらしいよ~」

「うはは、それもりょーかい!」

「最終防衛線ってなんだよ?」

 成り行きを眺めていたアイオンに横から訊ねられ、ヘンリエッタはそちらを肩越しに振り返る。

「それはアイちゃんを守る最後の砦役が私ってことね。分担上、現場に乗り込むのはレオナルドとイースレイだけど確たる証拠の確認は行政監督官であるアイちゃんのお仕事だから、危険が及びうるとしてもこの近くにはいてもらわなきゃいけない。じゃあ誰がそばについてるべきかっていったら私でしょ!」

 この分担はヘンリエッタとしても好都合だ。こんな夜の飲み屋街で世慣れしていないアイオンが困ったことにならないか心配だったし、いざってときにはとっさに彼に頼ってもらえる距離にいたいと思っていたから。なにせ、ヘレネー司教領の一件では嵐のなか彼に孤軍奮闘させ、心細い思いをさせてしまったばかりだ。単なる気まぐれだろうと意気を上げてくれたんだから、私もしっかり出来ることをやんないとね。

「コレも持ってきたしね?」

 ヘンリエッタはにんまり笑って片手にぶら下げた大きなバスケットを示す。ちゃんと布で中身を隠してある。

「最重要ポイントの防衛は、一番強力でなんでもアリの鬼札置いとくのが安定だかんなぁ。ヘンリエッタひとり置いとけば他の連中は気兼ねなく吶喊できるし、これが宮廷魔術師時代からの鉄板なんだ」

 レオナルドもそう解説する。

 アイオンの眼がすいと細められ、「ふーん」みたいな軽い納得の色が載る。だるそうに首の後ろに手を当て、

「……だったら、俺とこいつは目下のところ外で待機してりゃいいんだな? 噛まれねぇようにせいぜいがんばってこいよ」

 アイオンがしゃあしゃあと気のないエールを送ると、レオナルドは「おう」と元気に返事をしたが、イースレイは汚れた石畳へ不服そうな視線を落としてその場に根を張っていた。結局はあえなく元気いっぱいのレオナルドに引きずられていったけど。



 夜十時を回ったのを頃合いに、イースレイとレオナルドは「テリアの尻尾」のドアをくぐった。

 中は一般的な酒場の内装になっているが、奥へと長く続くカウンターテーブルや布張りの長椅子に男たちとその飼い犬がひしめいていた。客たちは酒や煙草を楽しみながら互いの猟犬を品評したり、どの犬に賭けるべきか値踏みしたりしている。彼らは見るからにこれから始まる血湧き肉躍る大会にのぼせあがっていて、身なりや体格・筋肉の張りのよさから彼らの多くは軍人や騎士、傭兵などの血気盛んな人種であろうと思われた。

 犬たちはみな例外なく顔に編み目の粗いマスクをかぶせられており、細かな犬種の違いは一見しただけでは分からない。時が来るまで昂奮しないよう抑制されているようだった。

 ヘンリエッタの仮説はどうやら当たりのようだ。……つまり、これ以降イースレイは大量の猛犬やドブネズミの危険と隣り合わせだということだ。過去のどの時点まで戻ればこんな役回りを回避できたのかと遠い目で妄想したくもなる。

「……すげーな、ホントにここで大会やってんだな。とりあえず客を装って大会が始まるのを待つか」

「……ああ……」

 レオナルドの提案にイースレイはしぶしぶ頷いた。

 カウンターの空席に座ると、あちこちで忙しく給仕している数名の店員のうちひとりがさっと寄ってきて注文を聞き、カウンター奥の店主に伝えに行った。

 店主は固太りした禿頭の中年男で、粗野そうな若者と一緒だった。どうも親子らしい。 店員が戻ってきてイースレイとレオナルドの前にグラスを置き、ぺこっと頭を下げた後、別の客に呼ばれてすぐに去って行く。店内はすでに盛況である。

 まだ暖炉に火を入れるような季節ではないが、数匹のたくましい犬たちがその前で寝そべっている。暖炉イコール暖かくて心地良いとすり込まれているのだろう。

「乾杯、ってノリにはちょっとなれねーよなぁー……」

 レオナルドが口元に引きつった笑みを浮かべ、グラスを傾ける。童顔のせいで幼く見えるが彼は酒が飲める年齢だ。

「よくもこんな商売を思いつくものだ。ヘンリエッタの言う通りなら、この建物のどこかに五百匹はくだらないドブネズミが檻に押し込められて……」

「す、ストップストップ! そんな光景想像すんなってぇ……!」

 レオナルドが慌ててイースレイを遮り、それからふと表情を改める。

「ヘンリエッタと言えばさ。イースレイは王宮の書庫番だったんだろ?」

「そうだが、それがどうかしたのか」

 レオナルドはうん、と頷く。

「ってことは離宮に押し込められてたアイオン殿下と違って情報通だ。当然ヘンリエッタの色んなエピソードも耳に入ってると思うんだけど、彼女の友達としてちょっと解いておきたい誤解があってさ」

「……誤解だって?」

「おう、いっちばん分かりやすいので言うと……有名なのはアレかな。野良魔術師から快楽殺人鬼が出たとき、出動を渋った上に死人の山の前で『もっとひどいもの見せてよ』って言った、って話。あの話、当時あっという間に王都に広まったしイースレイも知ってるよな?」

「……」

 知っているばかりか、その話をはじめとする数々の彼女の噂話をアイオンに吹き込んだのはイースレイだ。その結果アイオンに「お前は信用できねぇ」と言外に返された。ヘンリエッタはそれを知っても特に怒ったりもせず、くだらないことにはこだわらないとばかりに「人の口に戸は立てられない」とただ笑われた。彼らのそうした反応を受けて少々反省した身であるイースレイは、いったん重い沈黙を返すことしかできない。

 レオナルドはなにを言いたいのだろう。

 先が読めないでいるイースレイに、レオナルドは明るい声音を作って続けた。

「ヘンリエッタがあの状況でああ言ったのはまぁ事実なんだけどな、あれはさ、噂されたような冷酷さや傲慢さの表れなんかじゃなかったんだよ。情けねーけど、あのときは陛下から討伐命令が出されても俺ら宮廷魔術師は後手後手でさ、……新しい犠牲者が出るのを止められなかったんだ。ヘンリエッタも表面上は普段通りにこにこマイペースに振る舞ってたけど、めっちゃめちゃにイラついてた」

「……なら、腹立ち紛れの失言だったのか?」

 思わず舌打ちしたようなものだったのが、発言のタイミングと内容の不適切さが災いしてしまったということだろうか。

 それならまだ理解できる、とイースレイは考えたが、レオナルドはかぶりを振る。

「ただムカついただけでうかつなことは言わねーよ、俺の友達は。――あのときはもう、一発逆転の奇跡がすぐにでも必要だったんだ。だからヘンリエッタは、自分に魔力暴走を起こさせるために『もっとひどいものを見せろ』とまで言っちまったんだよ。それがあの話の裏側さ」

「……なに?」

 イースレイはレオナルドの言葉の意味するところを測りかね、怪訝な眼を向けた。

 自分で自分の魔力暴走を誘おうとした、だと?

「自分をキレさせるようなものをもっと持ってこい、って意味だったんだ。出撃を渋ったのだって、並の魔術師たちと一緒くたに成果の挙がらない人海戦術に駆り出されるより自分の魔力暴走に賭けるほうがマシだと思ったからだったんだってさ。でもムカつきすぎて、珍しく言葉足らずになったみてぇ。結局足で稼いだ捜査が実ってどうにか事件は解決したけど、その失言が予想外に広がったもんで『注目すんのそっちなんだ!?』ってビックリしてたよ」

 みんな宮廷の外で何人殺されてもしょせん他人事なんだよねぇ、魔女の人非人伝説がひとつ増えたことのほうがよっぽど大事なのね~ってぶちぶち言ってたけど、あれけっこーマジでムカついてたヤツだな。レオナルドが分かりやすくしかめっ面をする。

「…………」


 確かに、ふだんのヘンリエッタを知った今では噂で聞いていたような酷薄ぶりよりは、レオナルドが言うような意図があったと見るほうが自然に思える。

 彼女には初対面が最悪だったイースレイとも同僚としてやっていける協調性があるし、特にアイオンには自信を持てるように心を砕いているのが分かる。

 基本的に消極的なアイオンを説得するときにはイースレイとヘンリエッタでタッグを組むこともあるが、自分にも他人にも厳しいところのあるイースレイでもありがた迷惑と感じたことは今のところない。

 ……正直、最初ほどの悪感情はもうなくなっている。

 いつどんなきっかけで爆発するとも知れない異常な魔力に対する恐怖は拭えないし、恋愛やら結婚やらに関する価値観はどうあっても相容れない。

 あれが自国の王妃におさまる未来を想像すると心に暗雲が立ちこめはするが、同僚としてはたぶん、悪くはない。平民という出自の彼女にしか持てない視点は実際業務に役立っているし。

 断じて友人などではないが。


「まぁ魔力暴走は意図して起こせるもんじゃねーし暴走した結果なにが起きるかもコントロールできねーから、ヘンリエッタが悪評を増やしてまでやったあの作戦に効果はなかったんだけどな……。でもそういう感じで、起こったことは事実でもヘンリエッタの意図は全然噂されてるようなのと違うんだ。さっき俺に『もし酷い目に遭ったら見せに来てよね』って言ってきたのも、そのことを踏まえての冗談だろうな。だから……そう、えっと、分かってほしいのはそんだけ!」

 言い切るなりレオナルドは照れ隠しのようにグラスをあおった。

「俺の今までの認識は誤解だったということは理解できた。反省して改めさせてもらうよ」

「え、重っ……あ、いや、うん。あんがと」

 戸惑いがちに礼を言って、レオナルドはちょっと黙った。話が一区切り着いて安心したのだろう。

 イースレイも黙考しつつ酒を一口含む。

「……だが、ハイラント殿下は?」

「え?」

「ハイラント殿下はそういった噂を真に受けたりはしていないか? それが例の浮気に繋がったという可能性は、ないのか」


 まさかとは思うが、自分のようにヘンリエッタに対する不信感を募らせてはいないか。ヘンリエッタは、彼女があれだけ入れあげている相手にそんな理由で拒絶されてはいないだろうか。


 イースレイのふとした疑念を、しかしレオナルドはからっと笑い飛ばした。

「それはないって! あそこふたりは付き合いもなげーし、ハイラント殿下も、先王陛下に並ぶ名君になるって言われてる聡明さだろ。俺はあの方が浮気したっていうのがいまだに信じられねーくらい!」

「……。ならいいんだが……、いや良くないが」

 胸をなで下ろしかけて即座に自分で否定する。「それはない」のなら、ますます謎は深まってしまう。ハイラントにヘンリエッタを突き放す理由がいよいよ見つからないじゃないか。

 なぜハイラントは、本来彼の人柄に似つかわしくない浮気などという無軌道に走ったのか。

 少なくともその理由にヘンリエッタとレオナルドは到達できていないようだが、アイオンはどうなのだろう。いや、離宮に隔離されてから彼ら兄弟に交流らしい交流はなかったはずだ。おそらくは彼も分かっていない。

「俺はそこんとこあんま悲観してなくて、なにもなければ放っといてもそのうち収まるとこに収まると思ってんだよなー」

 つい考え込もうとしたイースレイの意識はレオナルドの明るい声音で引き戻される。

「とにかくおっかなくてつえー女って点で、ヘンリエッタってある意味女王陛下と同類だと思うんだよな。言い方アレかもだけど、もはや生き物の勝負としてハイラント殿下が逃げ切れる未来が思い浮かばないっつーか! うはは!」

「笑い事にしていいのかそれは?」

「分かんねーけど笑っとくしかないじゃんかー!」

 うははと笑って酒を飲むレオナルドにこれ以上議論を吹っかけても無駄のようだ。

 それにアルトベリ家の人間に臣下にはどうしようもない問題だと言われれば、木っ端男爵家のイースレイではぐうの音も出ない。

 と、作業が一段落したらしい店主が店の奥から出てきて、新顔の存在に気づいたらしい。こちらへ寄ってきてにこやかに喋り掛けてくる。

「いらっしゃいませ。そちらのお二方は大会初参加ですか? 犬は連れていらっしゃらないようですが」

 笑顔を向けてはくるがやはりこちらを怪しんでいるようだ。レオナルドがすかさず愛想良く、

「今日は仕事で近くまで来たんで、趣味仲間に口コミでオススメされてたここに寄ったんだ。昔は任地に近い街の店で楽しめたんだけどな」

「それはどちらの?」

 店主の問いにレオナルドは予めヘンリエッタに聞いていた街の名を返す。こうして怪しまれたときのために、昔同じような競技場があった他の街の名を彼女に教えてもらっていたのだ。その街の店はすでに潰れてしまったそうだが、イースレイは打ち合わせ中のヘンリエッタの曖昧な笑みと言動から察するに実は彼女が店を壊滅させた張本人ではないかと見ている。

 レオナルドの答えを聞いた店主は狙い通り「へぇ! あそこですか」と警戒を緩めた。

「うちの大会も負けてないですよ。どこよりも趣向を凝らしたエキサイティングな闘いをお見せしますとも。そろそろ時間です、どうぞ二階の会場へ」

 店主が声を張ると待ちわびていた客たちが沸き立ち、椅子を蹴るようにして立ち上がる。


 ぞろぞろと人の列にくっついて階段を上っていった先にはフロアをほとんど丸々使った大部屋があり、中央に大きなリングが設置されていた。周りを高さのある板でぐるりと囲み、ネズミや犬が逃げ出さないように設計されている。床はネズミの姿がよく見える白色に塗られ、天井に吊されたランプが激闘を克明に照らし出せるようになっている。

 その周囲にテーブルセットやベンチがいくつかあり、飲み食いしながら観戦できるよう給仕やバーカウンターの用意もされているが、慣れた客たちは飼い犬を腕に抱えながら猛然とリングに詰めかけ、特等席を確保しにかかった。

 イースレイは唖然とするほかない。

「……す、すごい熱気だな」

「マジで立派に地下競技してる……」

 レオナルドもドン引きしている。

「はぁいお待ちかね、今夜のネズミが入りますよー!」

 店主の息子がそう盛り上げながら店員たちと協力して大きな檻を運び込んできた。檻の中には悪臭を放つ黒い生き物がぎゅうぎゅうにひしめいている。ネズミだ。

 客が歓声を上げ、犬たちが獲物の到来に気づいて荒々しく吠え立て、会場は熱狂に包まれた。「俺の犬を買わねぇか!? よく躾けられた健康な犬だぞ!」と売り込み始める男たちもいれば、「まずはご自分の犬の腕試しにネズミ三匹いかがですか! 今日の調子も測れます! 今日は軽く遊ぶ予定の方もぜひー!」と店主も大声を上げる。客たちが「俺の犬が一番槍だ! ネズミをリングに入れろ!」とヤジを飛ばす。


 ここまで来れば言い逃れようがないだろう。

 混沌の極みとなった会場で、見たことのないほど大量のドブネズミと血気にはやる屈強な猟犬たちを前にしてイースレイは腹をくくるというよりも諦念に支配された。

 革手袋とブーツに加え、服の内側に着込んだ防具で対策しているとはいえもし噛まれたらと思うと慄然とする。自分は出世のためにこの南部に来ただけで、こんな展開は求めちゃいないのに。

 ……レオナルドの魔術の腕にすべてを託すしかないのか。無性に実家に帰りたくなったが、いまさら遅かった。

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