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地元の声を聞こう

 庁舎へ続く坂道の途中で雨に降られ、急いで庇の下に駆けてきたのは、三人の子どもを伴った若く美しい修道女だった。来訪者に気づいたヘンリエッタたちが表に出て警備のマリオネットたちを退かせると、ウーレンベックと名乗った彼女は若草色の髪を揺らして礼をした。

「こちらへ押しかけた無礼、どうかお許し下さい。新しい行政監督官様がいらしたと街道騎士団のドラクマン支部長にお聞きしまして、巡回馬車に近くまで乗せていただいて非礼を承知でうかがいました」

 ドラクマンは調子の良いところはあるが、支部長にふさわしく締めるべきところと緩めるべきところを判断する勘は的確だろう。直訴を許すような真似をしたのは、ウーレンベックが朝露に濡れる花のような美人だからというだけではない、相応の理由がありそうだ。なんか子どもまで連れてるし。

「その監督官は俺だが、ここに来るような困り事か?」

 アイオンが訊ねると、ウーレンベックは控えめに頷いた。

「この子どもたちは修道院領のある村の子で、今年も南部にはもうすぐ晩夏の嵐が来るのに谷に架かる吊り橋が崩れそうで危険だ、どうにかしてもらえないかと私に相談しに来たんです。事実、私の目から見ても老朽化が激しく、今年の嵐を受けても保つとは思えません」

「公共の道路や橋、溝、防災設備はそれらがまたがっている領地の全ての領主が出資し、維持する義務があるはずだが」

 イースレイが的確に補足する。すると視界の下のほうから子どもたちが憤懣やるかたない様子で、

「それをやってくれねーんですよっ!」

「村のみんなが使う吊り橋で崩れたら大変なことになるのに、大人はずーっと弱腰で言うべきことを言わないんだよ! なんか前の監督官がやる気なくてーとか言い訳してたけど、新しい監督官様なら違うかもしれないじゃんって何度も言ってんのに!」

「これバラしたら領主でも処刑ですか!? 処刑されてもっとマシな領主様が代わりに来てくれますか!?」

「んん、それはないかな。ていうかすんごい過激発言だからここ以外で言っちゃダメだよ?」

 今日は処刑ごっこ明日は葬式ごっこと子どもは無邪気にやる生き物だけれど、処刑処刑と口々に言うのはよほど不満を溜め込んでいたんだろう。

 ウーレンベックが慌てて「こら、やめなさいあなたたち!」と子どもたちを叱りつけ、「申し訳ありません」と頭を下げる。

 やはりというべきかへこへこされるのも子どもの相手も苦手らしいアイオンはあからさまにヘンリエッタを騒ぐ彼らのほうへ押し出し、ウーレンベックに訊く。

「領地を与えられてる宗教団体……あんたもそこに所属してんのか。どこの修道女だ?」

「『髑髏の聖痕』教団ですわ。王子殿下」



 あのあと雨はさらに激しさを増してきて、立ち話で済みそうにもないので、アイオンはウーレンベックを応接室に招いて詳しい話を聞くことにした。

 ふたりの男児とひとりの女児はアイオンの忌避感を察したヘンリエッタがにこにこと誘導し、「んじゃ小難しいお話が終わるまで君たちはあっちで遊んで待ってようね~」とさっき書斎から連れ出していった。彼女は預かりの身に過ぎず職分こそないが、あれはアイオンにもイースレイにも到底できない仕事だろうなと思う。


「私どもの『髑髏の聖痕』教団の歴史は非常に長く、この南部に古くからある祖霊信仰を起源としています。王権に領地を安堵されたのはその古さゆえ土地と不可分の教えと化しているためだともいいます。教えは人々に規律と良識を浸透させ、領民は穏やかで豊かな生活をしてこられました」

 マリオネットに整えさせてやっと使えるようになった応接室のソファセットに腰掛けて、ウーレンベックは話し始めた。

「でもそれは領民にとっては、教団と波風を立てると生活に及ぶ影響も大きくなるということ。村の大人たちが橋の老朽化を危ぶみながらも強く訴え出られなかったのはそのせいです」

「……『髑髏の聖痕』はあくまで南部に根ざした宗教であって比較的領地は小さく、他の地域には影響力を持たないが、大昔から水車や酒造工場、パン焼き窯といった生活に欠かせない設備を人々に貸し出し、暮らしを豊かにする代わりにそれをとっかかりに周囲の土地と農民を取り込んできたそうだからな。そういうこともあるだろう」

 イースレイの補足を聞きながらアイオンはふーんと納得する。祖霊信仰が元ならば「髑髏」なんて一見不吉な名前もつくか。しかしそれだけ長く地域密着型でやってきたなら財源不足ってことはないだろう。

「教団は誰も何も言ってこないのをいいことに、『やらずに済むならやらないでいいや』でここまで来ただけってことか?」

「えっ……あ、はい。そ、そういう部分もあるかと」

 ウーレンベックは立場上何と返したものかとおろおろしているが、アイオンはどんな難物と思っていたらそんなことかと拍子抜けした気分だ。せっつかれないうちは、のっぴきならないことになってないうちは重い腰を上げる必要はないと高をくくっていたんだとしたら、自分と何も変わらない。どこから手を付ければいいか分からないような大それた案件とは思わなくて良いらしい。

「あの、そ、それ以外にも、教主様を筆頭に道を極めた方々はそのう……俗世のことが目に入らなくなりがちということもあったり……」

 動揺しすぎて全くフォローになっていないことを言い添えてくる。次々に墓穴を掘っているようなものなのでやめたほうがいいんじゃないか。

「まぁこれで聞くべきことは聞いた。要はその教主様ってのを監督庁からせっついてほしいんだろ。こっちの都合とすりあわせて結論出すから今日はもう全員帰れ。雨がもっと酷くなって立ち往生する前にな」

 アイオンは教団内部の事情に興味はないし、うかつに安請け合いしないくらいにはものぐさだ。答えを濁して席を立つと、ウーレンベックも「あ、ありがとうございます」と慌てて腰を浮かせる。


 応接室を出ると廊下の向こうから楽しげな笑い声が雨音にまぎれて聞こえてくる。ややもせず曲がり角の向こうから子どもたちと一緒にヘンリエッタが走ってきた。処刑処刑うるさかったほうの男の子をきゃーきゃーと追いかけ、生意気そうなほうの男の子と歯に衣着せぬ女の子に追いかけられながら。

 彼女はアイオンたちの姿に気づいてあっと足を止め、それから穏やかに笑ってゆっくりとこちらに歩いてくる。少し意外だった。子どもの相手、結構好きなのか。

「お話は終わったの?」

「……、まぁな」

「じゃぁすぐにも訪問日先触れしようね。書き方教えたもんねー?」

 おいまだ何も言ってねぇぞ。せっかく明確に答えずにおいたのに台無しにすんな、「もんねー」じゃねぇよ。

 という思いを込めて白い目で見てもヘンリエッタは小揺るぎもしない。それを後押しするように彼女の腰に子どもたちがまとわりつき、こちらを見つめる。圧をかけんな圧を。

「信じてるからなっ殿下! 良いヤツだってヘンリエッタに聞いたから、信じてるからなっ」

「良いヤツじゃねぇけど?」

「王子様なら悪人の処刑も命令できますよね? おとぎ話の魔女みたいに燃やします?」

「できねぇっての……。さっきから処刑処刑言うのやめろお前は」

「魔女と王子様ってどっちが強いんですか!?」

「もちろん私だよぉ」

「……」

 にこにこと割って入ってきたヘンリエッタは鬱陶しそうにしているアイオンを見かねたのだろうが、「実際こないだ伸しちゃって大変なことになったんだよね」と付け足すのはブラックジョークが行き過ぎている。「うそだぁ!」と大盛り上がりの子どもたちには、兄王子を殺しかけたことまではさすがに話しちゃいないだろうが。というかこいつらには殿下呼びさせてんのか。自分は棚に上げて。

 いやもうこの集団は手に負えたもんじゃない。アイオンはうんざりと腰に手を当てて、

「雨がこれ以上酷くなる前にさっさと帰れ。ここのマリオネット馬車出してやるから」

 現金なものでマリオネットというワードに子どもたちはさらに色めきだつ。

「え! いいんですか?」

「宜しいのですか?」

 と背後からびっくりしたように訊いてきたのはウーレンベックだ。別に、このかしましい集団に解散してもらえるなら何でもいい。

「いいから帰れ」

 重ねて言うと、ウーレンベックは恐縮し、ぺこりと一礼して子どもたちを帰路へ促した。イースレイが「では送ろう」と進み出た。馬車の用意をしてくれるらしい。子どもらはこちらを振り返り振り返り、「お願いします、殿下」と縋るように頼み込みながら去って行った。

「……。俺が聞いてねぇからって適当ばっか言いやがって、このおしゃべり女」

 俺が良いヤツだとか一応は王子だとか呼び方は殿下と呼んでやれとか、お前があいつらに言ったんだろ。余計な世話だ。

 気疲れからくる恨み節をぶつけてもヘンリエッタはどこ吹く風で、「いやー頼られちゃったねぇアイちゃん! 良かったね」と嬉しげに言う。何が良いんだよ。もう外の雨は横殴りに変わってきていた。

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