第七話 蛇の巣その一
陸海軍そして政府中枢への浸透を完了したリリスとメイドさん。
彼女らが最初に浸透を掛けたのは東京府の下層社会であった。
下谷万年町、芝新網町、四谷鮫ケ橋、ボロボロの長屋と廃材で作られた家に蠢く下層民。日雇い労働者、やくざ者、大道芸人、ばくち打ち、東京府の発展に取り残され、忘れられた者達。
蛇の巣を作り上げるのにこれ程適した者たちはいない。彼らがどうなろうと気にする者など居ないのだ。
1936年 一月十日、そんなスラムの中に立つ、通称ナメクジ長屋の地下に青年将校たちが集まっていた。
五日ほど前から連絡の付かなくなっていた北一輝より、急遽集まるようにと連絡があったのだ。
「北先生がこんなところに、こんな豪勢な隠れ家を持っていたとは知りませんでした」
野中四郎陸軍歩兵大尉は、美しきメイドを両脇に侍らせ豪勢なテーブルで紅茶を啜る北に、困惑しながら声を掛けた。
今にも崩れそうな長屋の地下には、贅を凝らした空間が広がっていた。
ロココ調の家具にシャンデリア、妙なる調べが蓄音機から流れ、甘い香りが辺りに漂っている。
大邸宅の一室と言った面持ちだ。奥にはまだ同じような部屋が続いているというのだから、集まった皇道派将校が驚くのも無理はない。
「驚きましたか?私の持ち物じゃありませんよ。とあるパトロンの物です。立ち話も何ですから、どうぞ席にお座りください。メイドさん方、皆さんにお茶を入れて差し上げてください」
青年将校たちに席を進める彼は、理想にギラギラした思想家であった彼とは別人のようだ。
「パトロンですか?いったいそれは」
メイドさんより、受け取った紅茶の一口含み、当然の疑問を口にする野中(この紅茶、それにしても美味いな)
「大きな声では言えませんが、皆さんの行動がとある方の耳に入ったのです。私は五日前にその方にお会いしました」
声を潜めて話す北、その声には件のパトロンへの恐れさえ含んでいる。
「ですから、それはいったいどなた、、、、」
北の勿体ぶった言い様に、声を荒げそうになる野中だったが、北の人差し指で上を指す仕草に黙り込む。
「名前は言えません、ですが、やんごとなき方ではあります」
北の言葉にどよめく一同、気が早い者は、感動の余り目に熱い涙を貯めている。
「本当ですか北先生!、、、しかし、信じられません。本当に先生は、そのお方にお会いしたと?」
一瞬喜びの声を上げそうになる野中であったが、直ぐに猜疑の声を北に掛ける。クーデター計画を企む、一味の首魁だけあり直ぐには信じられないのだろう。
「お疑い最もです、付いてきてください」
野中の疑問に答えるべく、北は席を立ち地下の奥へと彼らを案内した。脇には影の如きメイドさんが続いている。
北が案内した先、そこにあったのは武器弾薬の山であった。
三八式に三年式軽機、手榴弾各種、迫撃砲まである。大隊が完全武装してもお釣りがくる量だ。
「どうです、これでもまだ信用いただけませんか?私一人でこれだけの武器弾薬集められるとお思いで?」
唖然とする一同に北は続ける。
「やんごとなき方は、皆さんのお考えに、いたく感激されていました。其の上で私に天下万民の為に立ち上がって貰いたいと、手を握ってお言葉を掛けられたのです。信じていただけましたか」
今度こそ上がる万歳の声。
青年将校たちは大感激し、来るクーデターの成功を確信した。北より連絡役に、メイドさんを帯同してもらいたいとの申し入れをすんなり了承し彼らは帰っていった。
一人残された北一輝は誰ともなく呟く。
「馬鹿は単純で助かります。そこが愛しいのですが」
気持ちの悪い女言葉で話し出した北、その体がグネグネと歪み、美しきメイドさんへと姿を変える。
帝国掌握には、中枢が大混乱に陥ってくれなけば困るのだ。史実の226よりもっと派手に。その為に、こんな猿芝居を打ったのだ。
「ご安心ください、可愛い将校さんたち。死体は回収後、再生措置を取らせて頂きます。チョットだけ記憶が飛ぶかもしれませんが。再生後は楽園でたっぷり可愛がって差し上げます♪」
蛇の娘はしょせん蛇、口では愛を囁きながら人を物の様に扱う。
彼女らに生命への畏敬など存在しない。最終的に保護できればそれでいい。それがリリスとその娘のやりくちなのだ。




