第二十話 羊肉羊肉羊肉羊肉たーべほーだい。馬乳酒別料金♪
わざわざ来てくれた客人にはお礼をしなければならない。
大観艦式の終了と共に帰途に就いた各国艦隊を追いかけるように、帝国海軍は友好訪問の派遣を決定していた。
派遣されるは大和型戦艦計8隻、大和、武蔵、信濃、紀伊、日向、伊勢、扶桑、山城の姉妹たち。
「 我が国は之だけの艦隊を世界展開させることもできるのです。なに国防に少しくらい穴を空けたって構いません。どうですか我が国は平和を希求しているのですよ」
「「虎の子の大和級と乗員を、半年は掛かる遠洋航海に一気に出すなとは、あいつら馬鹿か?それとも本気で、緊張緩和を口に出していているのだろうか?」」
判断に迷う各国であったが、日本が国防に大穴開けてくれるなら儲けものかと之を受け入れた。さらば日本よ旅立つ艦はやたら増えてる大和姉妹。
帰って来るぞと勇ましく、世界の果てにピースを求めて艦隊は旅立って行く。
しかし、ピースどころでない事態が満州・モンゴル国境で起こっている事を世界は当事者の大日本帝国さえ、まだ知らかった。
1939年5月11日 日ソ激突す。起きるべきして起きたこの衝突事故、まず原因から見て行こう。
張鼓峰での実質的な敗北より、ソ連極東軍は戦力を着々と増やしていた。
中国を制した大日本帝国は必ずやロシアに攻めかかる。その確信が赤軍上層部にはあったのだ。
そして居り悪くソ連影響下のモンゴルでは親ロシア派と、近頃勢いづいてきた親日本派の間で内戦まがいの勢力争いが発生していた。
日本が満州国経由でソ連の切り崩しを図るべく、大量の物資をモンゴルの緒氏族にばら撒く事からこの争いは激化していく。
東の果てには大ハーンの支配する享楽の国が有るという。
「見ろこの武器、この馬、食い物も薬もある。威張り散らすソ連より満州族を従えてる大ハーンに付かないか?」「それもそうだな、そのハーンの国って牧草地あるかな?」
「俺、家族連れて満州族の所に行く、あそこから帰って来た叔父貴が言うには。羊が食い放題なんだと」
地平線まで続く大ステップに国境線などあって無いようなもの。
富を求め満州に流入するモンゴル人を止めることなど不可能に近い。
何しろ相手は遊牧民族、馬にまたがり一族郎党引き連れてハヤテのごとく草原の海を進んでくる。
ソ連側は何としても止めようと奮闘するが、満州関東軍はエブリバディウエルカム。
「モンゴル人さんを大歓迎。病人には手厚い医療、武器弾薬に食料給与、YOU軍事訓練受けちゃいなよ。お腹が減ってるでしょ?馬乳酒とジンギスカンでカンパーイ」
たっぷりと御持て成しした後、モンゴルに送り返すのだ。
こう耳に囁いて
「あーあ、皆さんが望んでくれるなら、ハーンももっと皆さん支援できるんだがなー。でもなーソ連が邪魔だなー、ソ連の何が良いのかなー、大ハーンなら氏族の皆さまの権利も取り上げたりしないんだけどなー」
世の中、飯を食わせる事ができる奴が強いのだ。
口から口に馬から馬へ
「ソ連いらなくね?ハーンに付こうよ」
の空気は大草原に広がっていく。面白くないのは、当然ソ連極東管区だ。この話が鉄の男の耳に届いてみろ、まとめて粛清の憂き目に会ってしまう。
そんなわけで1939年5月11日。満州ジンギスカン食べ放題の旅に一族旅行に出ていたモンゴル人集団、それを追撃するソ連軍装甲車部隊。
お客様の危機と駆け付けた、関東軍モンゴル人御一行歓迎部隊との間で激突事故が発生してしまったのも当然の成り行きなのだ。
この日、モンゴル人様歓迎部隊中に、
「見たか我が策!これぞ戦わずに勝つ兵法の奥義なり」
と鼻高々の(中央に無断で立てた)蒙ソ分断計画の立案者である辻正信少佐が偶々居合わせた事も不味かった。
(中央に無断で立てた)この必勝の策を邪魔するとは小癪なり、
「構わん蹴散らせ!」
「国境線の外側です!」と渋る部隊指揮官を、横車でひき殺す辻正信。
「お前陸大でたんか!俺を誰だと思ってるんだ!」
泣く子と参暴には勝てぬ。
「戦車前へ!難民を救え!」
此処は満州ノモンハン。世にいうノモンハン事件の始まりである。




